裏切りの果てに
「……レタル!援護する!」
アンドレウス・カリディウスの声は冷静だが、確実に戦場を切り裂くように響いた。
「狙撃で支える、俺に任せろ!」
「俺も行く!」
ヤコビウス・ファレルの声に、若き狩人の血が熱くうねる。視線は迷いなく前方を捉え、体じゅうに闘志が満ちていた。
残された使徒たちが戦闘態勢に入る中、エリアナ・イシュカリオンは一歩、また一歩と後ろに下がっていた。
(....死んだ。だから、トラマイ・ノクティリウスもシモナス・カルディウスも、もういない。
そして、厄介だったペトロス・ヴァレンティウスも、この世にはいない。)
彼らは既に――儀式の生贄として、竜皇帝の糧となったのだ。
血を媒介に魂を織り合わせ、失われた力を呼び戻す禁忌の儀式。
織り合わされた魂が鍵となり、かつて生きた大いなる存在をこの世に再生させる。
その儀式に、エリアナは手を貸したのだ。
その手には、神官の杖ではなく――
「みんな」
エリアナの声が、戦いの轟音を切り裂いた。
振り返る残された使徒たち。そこに立っていたのは、呪いの短剣を手にした神官の姿だった。
「……エリアナ?」バルトが困惑する。
「何をしている、早く援護を――みんな死ぬぞ」
「私は」エリアナの声が震える。だが、その瞳は決意に燃えていた。
「私は、サマエルと通じていました――」
静寂。
辺りは一瞬、戦場の喧騒すら凍りついたかのような静寂に包まれる。
「何を……言っているんだ」
ユダ・ダテオの低く重い声。しかし、その口調は次第に、理解の影を帯び始めた。
「災厄竜皇帝の復活儀式を手助けしたのは……私です」
「私は……祈っていました――神ではありませんけど」
エリアナの声は微動だにしない。後にはもう、引けない――その覚悟だけが、冷たく光っていた。
「儀式を発動させるために利用した石碑がうまく効能を出せていない時は驚きましたけど..無事に発動して良かったです....また、皆さんの動きをサマエル様に報告していたのも……すべて私の仕業です」
「トラマイさん、シモナスさん、ペトロスさん....彼らの魂は織り合わされ、竜皇帝の力の源となりました。」
アンドレウスのライフルが、ゆっくりとエリアナに向けられる。
「なぜだ」
その一言に、すべてが込められていた。
「神が……」エリアナは笑った。自分でも驚くほど空虚な笑いだった。「神が私の祈りに答えてくれないからです」
「何年も、何年も祈り続けました。でも何も変わらない。世界は腐敗し、人は苦しみ続ける...」
「だから私は決めたんです。沈黙する神より、対価を代償に私たちを救う悪魔の方がマシだと...」
「サマエル様は――竜皇帝の力を使い、エリオス帝国を滅ぼし、その暁に私の望む理想郷まで作ってくださると……おっしゃったのです」
バルト・フィリオンが剣を抜いた。没落貴族の誇りが、裏切り者を許さない。
「ペトロスを……シモナスを……貴様……」
怒りで声が震える。”人”を死へ追いやった裏切り者への怒りが。
「そうです」エリアナは短剣を構える。「私はイシュカリオンの名にふさわしい、真の裏切り者です。」
その時、レタルの声が響いた。
「エリアナさん……」
激闘の最中でありながら、彼の声はここまで届いた。
「なぜ、僕に教えてくれなかったんですか」
その声には、怒りも憎しみもなかった。ただ、深い悲しみがあった。
「僕はあなたが神に恨みを抱いていることに薄々気付いていました。あの列車の中で……あの時、本当のことを話してくれていたら、サマエルじゃなく僕があなたを....きっと、救った。」
エリアナの心が揺れる。一瞬だけ、短剣を持つ手が震えた。
だが、サマエルの声が頭の中に響く。
『今だ、エリアナ。彼らを討て。殺せ!!忘れるな!!まだ儀式は途中だぞ!!』
「レタル君」エリアナは微笑む。それは、列車の中で見せた微笑みと同じものだった。
「あの時の私は……きっと迷っていたんです。」
「でも、もう決めました」
短剣が禍々しい光を放つ。呪いの力が刃に宿る。
「私は過去を捨て、神を裏切り、そして――この世界を変える。」
皆が一斉に動く。
だが、エリアナの方が速かった。
呪いの短剣が、最も近くにいたトマシュ・ドミティアヌスの背中を狙う。
忘れられし偉大な祈祷師の血が――
「させるかッ!」
そこへ、トラマイ・ノクティリウスが割って入る。盗賊の勘が、危険を察知していたのだ。
短剣は彼の肩を貫く。毒が回り始める。
「くそ……毒か」
「申し訳ありません」エリアナは涙を流しながら言う。「でも、もう止まれないんです」
戦いが始まった。
残された使徒たちと、裏切り者エリアナ――戦いは激化していた。
その背後では、レタルと竜皇帝の死闘が、息つく間もなく続いている。
数多の竜人に加え、ヨアナス、シモナス、ペトロスの魂が織り込まれた竜皇帝の力は、不完全ながらも確実にレタルを追い詰めていった。
エリアナの裏切りが招いた惨劇は、広場を赤く染め上げていく――血と絶望に。
夜が、さらに深くなっていく。