筆と鋼の間(あわい)にて
重厚なオーク材の扉が静かに閉じられた。
この扉の木材はヴェルマクス帝国からの贈り物であり、エリオス帝国はそれを使いヴェルマクス代表団の控え室の扉を作った。
盟友への敬意と信頼を示す象徴だ。
空間には沈黙が広がっていた。
壁面にはエリオス伝統の金細工が静かに輝き、長卓の上には各国の紋章を彫り込んだ銀の燭台が灯を揺らしていた。
中央に座すのは、ヴェルマクス帝国宰相代理、オットー・フォン・カルデンブルク。
威厳を纏った軍装の襟元には星章が光り、身じろぎひとつせず陸大監司の一言を待っている。
栄華帝国・陸大監司、黄睿哲がゆっくりと封筒を置いた。
沈着冷静な目が、そのまま彼の国の外交方針を語るようだった。
「陛下より、ヴェルマクス帝国のご動向について、極めて高い関心を寄せられております。」
「ザルヴァインの件ですね。」
カルデンブルクはわずかに頷いた。
「ええ。貴国がザルヴァイン――旧ヴェルマクス領リヒテン地方に対し、“文化的帰属の再確認”との名目で一連の調査団を送っておられること、我々は既に承知しております。
しかし、あの地方は現在フロランティーヌ帝国の主権下にあります。民心の揺らぎは、ひとつ間違えば火種となりましょう。」
「承知の上です。我が国としても軍事的な威圧ではなく、合法的な枠組みの中で文化、言語、産業の結節点としてのザルヴァインの在り方を問うものです。」
「なるほど、“占領”ではなく、“回帰”とお考えか。」
黄の声は柔らかいが、冷徹だった。
カルデンブルクは続ける。
「統計によれば、同地住民の四割はヴェルマクス語系を母語とし、今も我が国の歴史教本を密かに教材としています。
あの鉱山地帯は、フロランティーヌに吸い尽くされ、現在は閉山寸前。再開発の道を開くことは、彼らにとっても“悪”ではないと確信しております。」
傍らで沈黙を守っていた工部大臣、リヒャルト・ツァーライスが低く言葉を挟んだ。
「ただし、問題はフロランティーヌ帝国の姿勢です。
“仮面のルシアン”陛下は、どうやら新型の飛行投射兵器を配備したとの情報があります。」
「それが事実であれば、我が国の《フェルゼM01》との戦力比較は急務ですね。」
カルデンブルクが言葉を継ぐ。
「ご存知かと存じますが――新型自動魔導連発砲《フェルゼM01》は、蒸気駆動と魔導圧縮機構を融合させた次世代型の兵装でございます。
機密保持契約の締結を前提としたうえで、もし閣下のご協力を得られるならば、技術協定も視野に入れております。帝国技術監察局の評価によれば、本兵器は従来のあらゆる魔導障壁を突破しうる性能を具備しており、対障壁兵装として極めて高い信頼性を有します。
さらに、ザルヴァインに眠る鉄鉱と石炭、魔石の供給を得られれば――実戦配備も現実のものとなりましょう。」
黄はグラスを手に取ったが、口をつけず、静かに言った。
「我が国は、“火薬より筆を重んじる”国でございます。
されど、筆は時に鋼の進む道を描くものでございます。
ヴェルマクス帝国に一手を差し伸べることで、貴国から提供された新兵器の力が、エリオス帝国、さらには大神日天煌国の領土拡大に一時の静止をもたらすとするならば――それは、我が国にとっても計り知れぬ意義を持ち得ましょう。」
カルデンブルクの表情が緩む。
「我々は決して、貴国を“兵器の取引先”としてではなく、“同じ危機感を抱く観察者”としてお迎えしているつもりです。」
「それは結構。――いずれにせよ、舞踏の終わりには、何らかの合意が必要でしょうな。」
黄が立ち上がった。衣擦れの音さえ、張り詰めた空気を裂くようだった。
「香水と絹で繕われたフロランティーヌ帝国が、いつまで外装を保てるか。
あの国の表面が剥がれ落ちるのは、歴史の風が吹く時でしょう。」
カルデンブルクも立ち、深く一礼した。
「その風を起こすのが、我らの号砲か、貴国の筆先か――いずれにせよ、見届けさせていただきます。」
⸻
扉が再び開かれ、閉じられた。
遠く、舞踏会場からランシアーズの華やかな旋律が聞こえていた。
だが、この部屋で交わされた沈黙こそが、戦争よりも深い一手を孕んでいた。
ヴェルマクスの科学力は世界一!!




