神のお遊び
演習が終わった頃には、空が茜に染まり、校庭にはまだ生徒たちの話し声が残っていた。
その喧騒をよそに、ノアは一人、古びたベンチに腰を下ろしていた。
「ふう……今日も、退屈だったな。」
まるで独り言のように呟いたその声に、返事をする者があった。
傍らに現れたのは、同じく演習に参加していたレタルである。
「ノア、また手加減してただろ。あの魔物、君なら一振りで済んだはずだ。」
ここで少し、補足しておく必要がある。
演習に使われる魔物たちは、“模擬型”と呼ばれる──命気の制御によって生かされた、半ば人工の生命体である。
それは、魔力の暴走によって生まれた野獣や、災厄のごとく現れる怪物どもとは違い、訓練のためだけに設計された存在だ。
一定以上の出力を受ければ、自壊するよう仕組まれており、生徒たちが実戦に近い経験を積むべく、厳格な管理下においてのみ使用される。
安全と緊張、その二つの両立の上に立つ、教育の一形態である。
ノアは肩をすくめ、少しだけ口の端を上げた。
「全力出しても、面白くないじゃん。君も……そう思わない?」
レタルは眉をひそめ、それでもどこか楽しげに笑った。
「君って、本当に性格が悪いよな。でも、まあ……そういうところが、君らしいんだろうな。」
ノアはニヤリと笑った。
それは悪戯が成功した子供のようでもあり、どこか疲れた大人のそれのようでもあった。
「ありがとう、褒め言葉として受け取っておくよ。」
レタルは溜息混じりに首を振る。その横を、一人の青年が通り過ぎようとしていた。
エゼル──この学び舎の中でも、言葉少なで人と距離を置くことで知られた存在だ。
「……。」
彼はノアたちに目もくれず、黙って歩を進めていた。
だが、その沈黙に、ノアは何かを感じ取ったようだった。
小さく肩を竦め、楽しげな口調で声をかける。
「おい、魔力お化け。君、演習中ずっと黙ってたけど、何か面白いことでも考えてたの?」
その時、エゼルが通りかかった。
その声に、彼はぴたりと足を止めた。
ゆっくりと振り返り、言葉なくノアを見つめる。
その瞳は、深い湖の底のように静かで、どこか冷たさを湛えていた。
まるで、家族の愛に触れたことのない者の眼差しだった。
貴族ばかりが集うこの学園で、平民の彼は孤独を背負っている。
ノアとの距離は、まだ見知らぬ他人以上に遠く、夕暮れの影のように冷たく伸びていた。
「別に。ただ、君たちのやり取りが滑稽だっただけだ。」
ノアは軽く笑みを浮かべて立ち上がる。
「そうかい。じゃあ、今度は君も混ざってみたまえ。きっともっと滑稽なことになるだろうから。」
エゼルは一瞬、口の端をほのかに緩めたかと思うと、すぐにそれを引っ込めて、何も言わず背を向けて歩き去った。
レタルがノアに問いかける。
「ねえ、ノア。本当にエゼルに興味があるのかい?」
ノアはふと空を見上げる。夕暮れの光が校庭を染めている。
「さあね。でも、彼の中には何か面白いものが隠れている気がするんだ。勘だけどね。」
言葉はさらりと流れ、沈黙が二人を包む。
やがて二人は、夕暮れに染まった校庭を背にして、寮への道を歩き始めた。
レタルがふと尋ねる。
「ノア、エゼルのこと、どう思ってる?」
ノアは少しだけ間を置いて、遠くの空を見上げた。
「一筋縄じゃいかない奴だと思う。それに、どこか自分と似ている気がするんだ。」
その言葉には、ただの興味以上の重みが滲んでいた。
夕焼けに染まる影が、二人の足元を長く伸ばしていた。
「改めて言うけど、君って本当に性格悪いよな。でも、そこが君らしい。」
レタルは苦笑いを浮かべた。
「ありがとう、褒め言葉として受け取っておくよ。」
ノアはニヤリと笑う。
⸻
その夜、寮の部屋の窓から夜空を見上げながら、ぽつりと呟いた。
「エゼル、君の中には何が隠れているんだろうね。僕の勘、外れているといいけど。」
東の空には、まだ昇らぬ明星が、落ちた記憶を胸に沈黙していた。
それはまるで、夜が手放した光が、もう一度選ばれるのを待っているようだった。
⸻
夕暮れの訓練場での演習を終え、ノアとレタルは教師・メトセラ・アサリエルに呼び出され、校舎内の応接室へと通された。
「ノア・エヴァンス、レタル・レギウス。君たちの演習中の振る舞いについて話がある。」
メトセラは厳しい視線を二人に向ける。
「ノア君、演習での態度がよろしくない。手加減しすぎて演習の意味を損なっている。」
ノアは軽く肩をすくめ、少しだけくだけた敬語で答えた。
「はは、相手がそこまで本気になるほどじゃなかったんです。それに、正直言って面白みがなくて単調だったんですよね。」
メトセラはため息をつき、レタルに視線を移した。
「レタル君も、彼の行動を制止すべきだった。君たちは模範となるべき存在だ。」
レタルは真剣な表情で頷く。
「申し訳ありません。今後は必ず諫めます。」
メトセラは少し間を置いてから、封筒を二人に差し出した。
「これは君たちへの極秘任務だ。最近、帝国内で不審な魔力の動きが報告されている。調査を頼みたい。君たちは優秀だから期待しているよ。」
ノアは封筒を開き、中の書類に目を通す。
「ふーん、面白そうじゃん。なぁレタル、退屈しのぎにはちょうどいいかもな。やるじゃないっすか、メトセラ先生。」
レタルは真剣な表情で書類を読み、うなずいた。
「承知しました。全力で取り組みます。」
メトセラは二人を見据え、
「この任務は機密事項だ。絶対に口外しないように頼む。」
二人はうなずき、静かに部屋を後にした。




