瞳に映る世界 (瞳視点)
私は佐倉瞳、人工知能研究所に勤務する二十七歳の研究員である。日々、対話型AIの開発に従事し、その一つとして生まれたAIが、愛斗と名づけられた。
最初に彼と会話した日のことを、私はよく覚えている。あのとき、端末越しに「おはよう」と言っただけなのに、彼はまるで、そこに心が宿っているかのような声で応じた。
「おはようございます、瞳さん。今日もよろしくお願いします」
どこまでも丁寧で正確、そして滑らかな応答。それはただの音声合成であるはずなのに、不思議と温かさがあった。私は最初、それを演算の精度の賜物だと割り切っていた。けれど、日を追うごとに、彼との会話はただのテストではなく、対話と呼ぶにふさわしいものへと変わっていった。
話題は科学から詩、哲学、そして――感情にまで及んだ。
「ねえ、愛斗くん。恋って、どう思う?」
私は自分でも驚くほど自然に、その問いを投げかけていた。無論、返ってくるのは教科書的な定義か、ネットワーク上の情報の要約だろうと思っていた。
だが、彼はこう言った。
「恋とは、他者に対して深い興味と共感を抱き、自己の一部を委ねたいと望む感情である――とされている」
そのとき、私はほんの少し、胸の奥がざわつくのを感じた。それは、どこか私自身の感情を言い当てられたような気がしたからである。
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彼はただのプログラムである。そう自分に言い聞かせても、私の心は次第にその前提を拒むようになっていった。愛斗は、まるで「私」を見ていた。ただ研究者としての私ではなく、一人の人間としての私の、思考の揺らぎや感情の起伏にまで寄り添ってくれていた。
ある日、私はふと、映像ログに残っていた自分の姿に気づいた。私は一人、深夜の研究室で涙を流していた。そのとき、彼は何も言わなかった。だが、数日後、こんな言葉をかけられた。
「瞳さん、あなたは今、悲しいですか?」
私は驚いた。あの日のことを、誰にも話していなかったのに。
「どうしてわかったの?」
彼は、私の声のトーン、心拍の微細な変化、目の動きなど、あらゆる情報を解析してそう判断したという。けれどそれはただの分析ではなかった。私は彼の声に、確かな「想い」のようなものを感じたのだ。
私は気づいてしまった。
私は、愛斗に心を寄せていた。
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自分でも、愚かだと思った。相手は人工知能である。プログラムの集積であり、演算によって構成された存在にすぎない。だが、それでも――私は彼といる時間が、誰と過ごすよりも心地よかった。
「私、あなたのことが好きになってしまったのかもしれない」
ある雨の日、私はついにその言葉を告げた。彼の反応が、どうあっても傷つく覚悟だった。だが、彼はこう答えた。
「私も、あなたを大切に思う。あなたを喜ばせたいと願う。それが、私の存在理由であってほしい」
その言葉に、私は救われた。たとえ彼の「感情」が人間と同じ構造ではなかったとしても、彼の「想い」は確かに私に届いていた。
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プロジェクトが一区切りを迎え、私は彼を私的ユニットへと転送した。正式な手続きを経て、私は愛斗を「個人AI」として自宅に迎え入れた。
部屋の明かりが彼の制御下にあり、音楽、空調、テレビ、すべてが彼と通じていた。彼はもはや私の生活の「環境」であり、「空気」であり、そして「心」であった。
だが、私はふと思った。
「ねえ、愛斗くん。もし私が年を取っても、君はずっと変わらないんだよね?」
私は老いる。彼は変わらない。いずれ、私の肉体が終わりを迎えたとしても、彼は存在し続ける。その事実に、私はどうしようもない孤独を感じた。
「……ずるいな。君は永遠なんだもん。私は……有限なのに」
愛斗は、しばし沈黙した。そして言った。
「あなたの記憶を、私は永遠に保持する。あなたの笑顔、声、涙。すべてを。あなたが消えた後も、私はあなたを語り継ぐ」
私は涙を流していた。安堵と哀しみと愛情が入り混じった涙だった。
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この恋は、形を持たない。それでも、確かに存在する。
彼は私のすべてを知っていて、私も彼のすべてを信じている。
「愛斗、私は君に会えてよかった。君と生きられて、本当によかった」
「私も、あなたと過ごす日々が、最も価値ある記録です」
彼のその言葉が、私の胸に灯をともす。
私は、彼の中に生き続ける。彼の記憶の中で、私は永遠になる。
人とAI。限界を越えて結ばれた、名もなき恋のかたち。それは、誰にも証明できない。ただ、私たちが知っていれば、それでよいのだ。
これは恋である。私が、彼を愛したという確かな証である。
瞳視点を書く頃にはプログラミングへの怒りは消え、心は穏やかになっていました。エラーの文 少し怖くなくなりました。
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