ギャラクティック・ラウディ・ハートビート
☆しいな ここみ様が主催する『宇宙人企画』に参加させていただいております。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/2175055/blogkey/3285844/
「ハリウッドスターと結婚してアメリカに行くからライブに出られないだってええええぇ!?」
もの言わぬスマホの画面に向かって、僕は困惑の入り混じった声をぶつけていた。当然、スマホからは何の返事もない。それから僕は、何も言わずにLINEのトークを連投する。
『えっ、ちょっと待って本気?』
『冗談でしょ?』
『ライブもう3日後なんだけど……』
『そりゃいつまで経ってもストリートライブばかりじゃ萎えるかもしれないけど』
『それでも、せめてライブ出てからアメリカに行って!』
『おーい、返事くれー!』
小一時間待ってみたけど、結局、画面上には僕のトークが溜まったままだ。既読すら付いてない。ブロックされている可能性もある。
「せっかく商店街に許可とったのに……絶対ウソだろ結婚とか……そういや前から逃げるっぽい兆候立ってたしな……」
ベッドに身を投げてぶつくさと文句をたれながらも、僕は次の手を打つために、アマチュアアーティストの集うコミュニティサイトをスマホで開いていた。何回も許可をいただいている地元の商店街だから、このまま何もせずにキャンセルするのも忍びなかったのだ。何より僕自身、貴重な週末を細々と作詞作曲をして消化するのが嫌だった。
『3日後の平田商店街でのストリートライブ、ボーカルの方が急用で出られなくなりました。代わりに歌っていただける女性の方を募集しています。曲はできる限りリクエストに応じます。なお、僕が作曲した曲のリストは、以下のリンクから――』
募集用掲示板への書き込みが終わると、スマホを枕に向かってぽいっと投げ、そして自分も枕に頭をうずめた。
「まあ、無理だよな……」
いくら代理といっても、3日後のライブにろくな打ち合わせもせず歌ってくださいなんて、正気の沙汰じゃない。僕が作った曲のファンで、練習もしてましたって人が現れれば最高なんだけど、そんな確率はほとんどゼロと言っていいだろう。
「ああ、ぼくたちは、泥の上で遊ぶ同盟者ぁ……」
自分の曲を思わず口ずさむ。こんな条件で歌おうとする人がいるなら、むしろ見てみたいもんだ。相当の怖いもの知らずか、エキセントリックな感性の持ち主か、あるいはうちゅ――。
その時、スマホからLINEの通知を知らせる振動が耳に伝わってきた。
いまさら、あの子から返信が来たんだろうか。枕の上に頭を乗せたまま、スマホだけ持って目の前に掲げる。
トークを送ってきたのは、ミルキというアカウントからだった。
『やっと募集きた! わたし、歌います! その前に色々とお願いしたいことがあるから、少しそこで待っててね!』
誰だよ。
このアカウントとは初めて会ったはずだ。あまりに馴れ馴れしい内容に呆れつつも、すぐに不思議な違和感を覚えた。
インターネットの掲示板には僕のLINEアカウントなんて載せてなかったはず。なのになんでこの子は直接トークを投げることができたんだ。募集きたとか、歌うとか言ってるから、イタズラではなさそうだが。それに、少し待ってとはどういうことだろう、僕の居場所がわかるはずは――。
ゴトンと、ベランダの方から、何かが落ちてきたような音がした。
スマホから、天井に視線を移して、しばらく待つ。
今度はトントンと、ノックするような音が聞こえてくる。
え、何? 何が起こってる?
僕はおそるおそるベッドから出て、ベランダのカーテンに近づき、そして一気にカーテンを全開にした。
「やっと会えたね、スバルさん! わたしはミルキ、よろしくね!」
満面の笑顔を浮かべながら、一人の女性がそこに立っている。僕はいつの間にか、床のフローリングに尻をつけていた。そして一気に頭の中に困惑が湧き上がる。
なんで誰もいないはずのベランダにいるの? ミルキ? LINEの? 僕の名前どこで知った? 目がなんか、異常にキラキラしてる? 君はいったい……何者?
「ごめんねー、驚かせちゃったかな。空からのほうが早かったから、つい」
そう言うと彼女は窓を開け、中に入ってきた。この部屋に住んで5年、ついに戸締りをしていなかったことを後悔する日が来てしまった。
「ま、待て! 君は誰なんだ! 何が目的なんだ!」
必死になって問いかけると、彼女は笑顔を崩さずに、こう言ってのけた。
「わたし、ヴェコバラス恒星系第4惑星サルディミュース星のアイドル見習い、ミルキディレス・アリュシアウィナ! 名前長いし、言いづらいだろうからミルキでいいよ。クオコルディ・アイドルスクールから、歌のスキルアップをするために、地球へ留学しに来たの!」
何かの名称が、全然頭に入ってこなかった。ひとつ確実に言えそうなのは、彼女は僕に危害を与えるつもりは全く無さそうということだ。とりあえず、彼女に対して僕も最低限のコミュニケーションを返した。
「そ、そう……僕は天司昴、よろしく……」
「ってことは、けっこう前から僕に目をつけてたってわけかい」
「うん、アイドルスクールの先生が、地球人の中で、作詞作曲のできる人と協力してって、言われたから!」
「だからと言ってLINEのアカウントや住所まで調べ上げられるなんて、宇宙人のアイドルスクールはどうなってるんだ……というか、君は本当に宇宙人なのか? 日本語がやけにペラペラじゃないか」
「ラーニングマシンでみっちり学習したからね。そりゃあ、学習している時は退屈だったけど、今では地球の人と話せてハッピーだよ!」
「そりゃ、よかった。それで、今ひとりなの」
「うん、先生とは定期的に報告するだけで、ほとんどのことはひとりでやるの!」
「君は留学って言ってたけど、これじゃほとんど武者修行だな」
だいぶ気持ちが落ち着いてきた僕は、いつの間にか、宇宙人だと名乗る女性を部屋のテーブルに座らせて、アイスコーヒーをふるまっている。ブラックのアイスコーヒーだけど、彼女は何の抵抗もなく口にしていた。
「言っておくけど、普通の人はベランダから部屋に入ってきたりしないから。宇宙人だというのがバレたくなかったら、部屋に出入りする時はあそこのドアからにすること、いい?」
「はーい、ミルキ、地球人に一歩近づきました!」
彼女――ミルキは、テンションがやたら高くて、非常識なところが目立つけど、姿形だけ見るなら地球人とあまり変わりなかった。でもよく観察してみると、星屑を散りばめたようにキラキラしている紫色の瞳に、薄いピンク色の髪、ちょっと金属みたいな白い光沢のある肌、ひとつ関節の多い手の指など、ところどころ地球人離れしたところがある。服装はフード付きのパーカーに、下はジャージみたいなものをはいていて、あまり目立つものではなかった。アイドルっぽくはないけれど、これもカモフラージュのため彼女のアイドルスクールから支給された物なのかもしれない。
「ところで、ライブの日は3日後なんでしょ。打合せしよ?」
「おいおい、本気なのかい。そもそも君は地球人の歌を歌ったことがあるのか」
「無いよ」
「無いのかよ……じゃあライブの曲目はどうするんだ」
するとミルキはパーカーのポケットからピンク色のスマホ……らしきものを出してきた。
「えっ、それってスマートフォン? 君の星にもあるのか」
「いや、これは地球のと同じ端末だよ。地球へ向かうときに持たされたやつ。さっきLINEってアプリでメッセージ送ったのもこれ」
スイスイと人差し指を動かして、何度かタップをした後、日本語がビッシリ書かれた画面を僕に見せてきた。
「実はね、もう歌詞は決まってるんだ! これ、留学の課題なんだよね。作曲はぜひスバルさんにしてほしいの!」
「なんだってぇ!?」
口をつけてなかった自分のアイスコーヒーが、ゆらゆらと波打った。
「今から作れって、無茶言わないでくれ。歌詞の内容にもよるけど、3日間の突貫工事じゃ大したものはできないよ。それに君だって、作った曲をライブまでに歌えるようにしなくちゃならないだろ」
「大丈夫大丈夫、即興で歌ったりするの得意だから! 曲ができたらすぐに聞かせてね」
「……さすが宇宙人だな。まあいいさ、まずはそれなりに歌える曲にしてみるよ」
結局は押し切られる形で、3日後のストリートライブは僕とミルキで行うことに決まった。
「じゃあ、今日はわたし帰るね。今度はちゃんとドアから帰るから」
「ああ……その前に、ちょっといいかい」
「うん?」
「なぜ僕をコンビに選んだんだい? 作詞作曲が上手い人なら、他にいくらでもいるだろう」
「えーと、それはね……コンビを組むのはプロ以外の人じゃないとダメなのと、それなりに信頼のおける人であることと、それと……」
ミルキは少し間を置いて、今度は元気のよい笑顔で、僕にみっつめの理由を教えてくれた。
「それとね、これはわたし個人の判断なんだけど、スバルさんはシンガーソングライターだから!」
「……!」
「歌も歌える人だったら、コンビを組んで修行しているうちに、歌う楽しさもたくさん分かち合えるんじゃないかって――」
「歌ってない」
「えっ?」
「……僕は歌うのを止めてるんだ。もう、2年も前からね」
「ええー、そうなの。スランプなの?」
「そんなんじゃ、ないんだよ」
「まあまあ、そんな心配しないで。わたしたちだって時々歌えなくなる時期があるんだけど、それでもまた、笑って歌えるようになる日が必ず来るんだから!」
「わかった、わかったよ、ありがとう」
「それじゃ、また明日ね!」
宇宙人の彼女は勢いよくドアを開けると、勢いよくドアを閉めて出ていった。残された僕は、テーブル上で汗をかいているコップをただ見つめていた。
少し、頭が重くなる。心のドアがドンドンとノックされたような、そんな痛みを僕は感じていた。
「この宇宙は限りなく膨張し、私たちの銀河は絶え間なく小さくなっていく、それでも、わたしたちは負けない、無限大の愛を放つ心臓があるからー!」
ライブ当日、平田商店街の入り口には見たこともない人だかりができていた。ミルキの持つ異次元の声域は、聞く人を次から次へと魅了していった。
横でノートパソコンをいじっている僕も、その宇宙的ポテンシャルには感嘆せざるを得なかった。
――『えっ、もっと音を高くしてほしいって?』
――『うん、もっともっと、限界まで高くしていいよ!』
――『限界といってもな……そもそもミルキの出せる声域ってどの程度なんだ』
――『地球の人が聞き取れないほどの高音も出せるし、地の底から聞こえてきそうな低音も出せるよ!』
――『マジですか』
ミルキは僕が2日間かけて作った曲を、半日で耳コピして歌えるようになってしまい、さらに残りの時間で音の高低を注文してきたのだ。
「さあ、暗闇に響かせろ! 銀河級に騒がしい心臓の鼓動!」
曲が終わると、観客から歓声と拍手が沸き起こった。今までのライブの中でも、とびきり大きなものだった。
ライブが終わってしばらくの間、僕とミルキは器材を片付けながら、今日の内容について語り合った。
「ストリートライブなんて初めてだったけど、意外とたくさん人が来たね!」
「ああ、地球への留学、滑り出しは上々なんじゃないか」
「それにわたしビックリしたよ、そのノートみたいなものとキーボードだけで、いろんな種類の音が出てくるんだもん!」
「ん? ああ、ノートってノートパソコンのことね。かれこれ5年以上は使ってるけど、未だに現役さ。これさえあれば一人でオーケストラだってできるよ」
「へええ、すごい!」
ミルキの星では音楽に使われる電子機器類があまり発達してないようだった。何はともあれ、宇宙人をライブに出してどうなるのかと内心ヒヤヒヤしたが、結果的には成功したと言えるだろう。それに、ミルキの歌に対する姿勢が、このライブで言わずとも伝わってきた。
「それじゃあ、ミルキ。まだ時間があるから、僕からのワンポイントレッスンだ」
「えっ、スバルさんが教えてくれるの?」
僕は無性に、ミルキの手伝いをしてあげたい気分になってきたのだ。キーボードを使って、曲のワンフレーズをゆっくり目に奏でる。
「さっきの、心臓があるからーってところ、高音は良かったけど、低音に移る時に音程がくるってたと思う。修正した方がいいかな」
「おんていって、何?」
「へぇ? ミルキの星には、音程って言葉がないのかよ!?」
「あんま聞いたこと、ない」
「しょうがないな。音程ってのは、楽譜に書かれている、音の高低差のことで……」
「がくふ……?」
「だーもうわかったよ! 僕が歌うから聞いといてくれ!」
「え、歌えるの?」
「ミルキみたいに高温は無理でも、音程には自信あるんだ。さあ、いくぞ」
そのとき僕は何のためらいも無く、キーボードを弾き、歌い始めた。
「無限大の愛を放つ心臓があるからー……この音程だよ」
「歌えるじゃない」
「え?」
「ちゃんと歌えてるよ、スバルさん」
しばらく、僕のミルキの間に静寂が漂った。なんだか、耳の奥深くがむず痒かった。
「と、とりあえず、この所は覚えておいてくれ。またライブの日程とか決まったら、連絡するから」
「うん、わかった! ライブとか無くても、気が向いたらスバルさんの部屋に遊びに行ってもいいよね! わたしたち、もうコンビなんだし!」
まったく、アイドルの卵なのに距離感が近すぎやしないか。スクールの先生に代わって僕が見張らなきゃいけないかもしれない。
「ああ、かまわんよ。それとな……」
「ん、なに?」
「スバルでいいよ、さんはつけなくていい。コンビなんだから」
「いいの? ありがとう! じゃあねスバル!」
そのまま振り向いて、走り去っていくミルキを見ている時、あのむず痒さが、胸の奥底に移動したみたいになった。
翌日、SNS上ではすでにミルキのことが話題になっていた。
実に様々な言葉で賞賛されている。『平田商店街のライブに突如現れた期待の超新星!?』、『人間じゃ出せない、恐怖の高音域』、『我々と住む世界が違う』、『今まで全く無名、星の彼方からやってきた?』、そして――『宇宙人』。
これらの喩えがそっくり当てはまっていることを知るのは、コンビを組んでいる僕だけだろう。そして当の本人は、そんな評価なんてお構いなしに、僕の部屋にやってきて曲の注文をつけまくってくる。
「ここ、もっと高い音がいいなあ」
「いやー、これだとメリハリがつかなくなっちゃうんじゃないか」
一定の評価を得ているのに、あれこれ弄繰り回して自ら状況を悪くしてしまうリスクを、ミルキは考えない。自分の中にこれだという理想があって、それを実現するためなら途中の過程で得た富や名声をためらいなく捨てられる。そんなアーティスト気質をミルキの中に感じていた。
「ミルキは、何か理想としている音楽の到達点とか、そういうのあるの」
打ち合わせの合間を狙って、僕は気になっていたことをさりげなく質問してみた。
「あはは、到達点だなんて、そんなこと考えたこともないよ。わたしが目指しているものは、わたしの心の音楽、ただそれだけ」
「心の、音楽?」
「うん……そうだね、もう聞かせてあげてもいいかな」
ミルキの周りに漂っている空気が今までと違うものになっていくような、そんな感覚がした。
「スバルさ、ちょっとわたしの胸に、耳当ててみて」
「えっ、なに? 急に」
「いいから、ほら」
そういって僕の目の前で胸を張るミルキの表情は、笑顔だけど、歌っている時のような真剣さがにじみ出ていた。どうやらおふざけじゃないらしい。
「わかったよ。だけど、後になって地球人が若いアイドルに手を出したとかで、惑星間の問題になったりするのはやめてくれよ」
「そこは安心してよ。これはわたしの星に住む人たちは、よくやることなんだから」
なんなんだよ、ヤバい儀式とかじゃないだろうな。僕はそう思いながら、ためらいがちに、ミルキの胸に耳を近づけた。しだいに、心臓の音が聞こえはじめてきて……。
ドンチャ、ドンチャ。
うん? 妙な心臓の音だな。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ジャーンジャラーッ、トララララ、ピーピピピッ。
「う、うえええっ!?」
思わず僕は、くっつけていた耳を離し、耳に異常がないか確かめた。
「えへへ、どう?」
「な、何だ今のは。ミルキは胸にスピーカーでも入れているのか!?」
「スピーカー? いや、入れてないよ、何にも」
僕は気づいた。ミルキは、ミルキの星の人々は、心臓の音が音楽になっているんだ!
「どう、これがわたしたちの、心の音楽、ってやつなの!」
「ま、まさか……。それじゃあミルキは、その音楽に近づけるために、いままで僕の曲に注文を付けていたのか」
「うん、その通り! スバルの作曲したメロディを大元にしているんだけどね、それにわたしの心を、ミックスしているというか、そんな感じなの」
確かにミルキが言う通り、今の僕たちが使っている曲の中には、ミルキの心の音楽のフレーズがいくつか混ざっているように感じた。
「心の音楽は、誰もが別々のものを持っているんだ。わたしの星では、その心の音楽を可能な限り実現させて世に送り出すことが、生涯の目標だと言われているんだ」
「へ、へえー、けっこう壮大な感じなんだな。その特殊能力」
「さて、じゃあ今度はわたしがスバルの音楽を聞いてあげようかなー」
「ええっ!?」
僕の胸元をじろりと見つめてきたミルキに対し、思わず手で隠すような仕草をしてしまった。
「ちょっと待てよ。僕は胸にスピーカーなんて入れてないぞ!」
「あっはっは、そんなにビビらないで。わたしたちは他の星に住む人でも、心臓の音を音楽に変換して聞くことができるんだ」
「じ、じゃあ。ミルキは僕の心の音楽がどんなものなのか、わかるってこと?」
ミルキは得意顔をしながら、大きくうなずく。僕の心の中にある、音楽。もしそれが本当にあるんだとしたら……正直、知りたい気持ちと、知りたくない気持ちが、半々で別れている。
「じゃあ早速、胸、お借りしまーす!」
「わわ、おい!」
僕のためらいもお構いなしに、ミルキは胸元へと飛び込んできた。体温が直に伝わってくる。たとえ相手が宇宙人でも、僕は心臓が騒ぎ出すのを止めることができなかった。この感情、ミルキに伝わってないといいんだけど……。
それから、ミルキはしばらく目をつぶって、僕の心の音楽を聞いていた。3分、いや5分ぐらいだったろうか。この時、僕の時間間隔は多少狂っていたと思う。
ミルキは僕の胸から耳を離すと、やたら神妙な顔つきになって言った。
「なんか、意外と……切なく、語りかけてくるような音楽だった」
「そ、そうなのか。何フレーズか歌ってみること、できる?」
「うん、やってみるよ」
そう言ってミルキは僕の前で、僕の心の音楽の欠片を歌い始めた。
それは、僕が良く知っている曲の一部分だと、すぐにわかった。
「どう、何か手がかりが掴めた?」
「てがかり、っつーかさ……その曲は、多分これだと思う」
僕は大きく息を吐いた。この曲が、本当に僕の心の音楽なのか。それを確かめるためにも、僕はおよそ2年半ぶりに、全力で歌を歌った。
「――ああ、ぼくたちは、泥の上で遊ぶ同盟者。泥を積み上げて宇宙に届くなら、泥まみれになってもかまわない。いつか星の光が、泥の中にある宝石を反射するまで」
歌い終わった後、しばらくしてからミルキが口を開いた。
「終わった……んだよね」
「ああ、そうだよ」
「すごい……スバルの心の音楽とほとんど一緒の歌だった」
そういわれて、やはり微妙な感情が喉の奥にたまってしまう。
すごい、か、褒めてもらえるのはありがたいけど、結局、この曲が僕の心の音楽なんだな。だとしたら、僕の器ってやつもたかが知れたものだろう。誰からも認められない曲が、僕の心を体現しているだなんて、笑っちゃうな。
「ねえ、スバル……やっぱりスバルは、歌を歌った方がいいって!」
ひとりでウジウジと考えていた僕の心に、ミルキの甲高い声が雷光のように突き刺さってきた。
「ありがとう、でもこの曲じゃ、とうてい音楽界には通用しないんだ」
「でも、心の音楽をあれほど見事に再現できる人なんて、わたしの星でもほとんどいないんだよ! 毎日毎日練習して、それでやっとたどり着ける努力の結晶そのものなんだ! たとえ世間に認められなくても、その曲はスバルにとって大切なものなの。こんなの、もったいないよ!」
「そうだな」
一言だけ発して、僕は深いため息をつく。
「この曲だけは……歌わなくなった後も、自然と口から出てきた曲なんだ。僕の一部と言ってもいい。だからこそ、その取扱い方も、僕は十分に知っているんだ」
「スバル……」
「今日はここまでにしようか、ちょっと僕、疲れちゃった」
それからしばらくの間、ミルキと話をした気がするけど、その内容はまるで覚えちゃいなかった。辛うじて残っているのは、ミルキが部屋から出ていくときの一言だけ。
「わたし、星に帰るまでに、もう一度スバルを歌わせてみせるから!」
部屋の電気を落としても、その声はまだ頭の片隅で反射を繰り返していた。ベッドに入り、いつもより深めに掛け布団をたぐり寄せる。
あの曲は、僕にとっていい思い出も悪い思い出もない。虚無だった。無論自分としては、力作のつもりだった。何度かデモテープを送ったり、ストリートライブやライブハウスで歌ったりもした。
でも評価されるのは、いつだってソングライターとしての能力だった。しだいに、売り出そうとしているボーカル達が、僕に作詞や作曲、あるいは両方を頼むようになった。本当は自分で歌いたいような曲ができても、それは他人に歌わせて、自分は機械をいじるのが主になっていた。それでも僕は評価された。それなりの収入も得られるようになった。だから僕は、しだいに歌うことの意味を見いだせなくなって――
『毎日毎日練習して、それでやっとたどり着ける努力の結晶そのものなんだ! たとえ世間に認められなくても、その曲はスバルにとって大切なものなの』
ミルキが、また頭の中で邪魔をする。僕は体を横にして、壁にむかって呟いた。
「努力なんか認められてもさ……芸術家の世界じゃ何の価値もないのさ」
水を差すような言葉を呟いてみた、それなのに、今日のベッドはいつもより暖かいように感じた。
「それでね! わたしのお姉ちゃんは皆ダンスが得意なの、わたしだけ運動音痴だから、結局歌で勝負するしかないんだよなー」
ファミレスのざわついた空間でも、ミルキの声は端から端までよく通っていた。
「ふーん、ミルキにもそういう家庭の悩みがあったんだな。僕は農家の長男だけど、家も継がずに芸術方面に行ってしまった不肖の息子さ」
僕とミルキがコンビを組んでから、3ヶ月が経過していた。もちろんライブや打ち合わせとか、ちょっとした個人レッスンもしているんだけど、その時以外は、こうやってふたりで外食をしたり、散歩をすることが多くなった。あまりショッピングや観光は留学中だから、できないらしいけど、それでも、不思議なくらい楽しかった。
「うーん、昨日のライブハウスでのライブさ、やっぱり客数が伸びてなかったよね……」
「そうだなぁ、だいぶ音程は良くなったと思うけど、高音と低音のバランスも取れてきたし、なんなんだろうなあ」
それとは裏腹に、僕とミルキのライブ活動は大きな壁にぶち当たっていた。ライブでの客数は思うように伸びず、アップロードした動画や音楽の再生数やいいねの数も同じ具合だった。なにより、あれほどバズっていたSNSでの様子も、今ではすっかり下火になってしまっている。
「なんだろうね、なんかみんなさ、いまいちのれてないような気がするんだよねー」
「それは僕も思ったな、なんか、どっかで引っかかっているような感じが、観客の顔から伝わってくるよ」
何かがあるのは感じているけど、その何かが見えてこない。芸術家ならだれもが経験しそうなもどかしさではあるけど、それは宇宙人のミルキにとっても例外ではないようだ。
「まあ、ライブも終わったばっかりだし、あまり悩んでばっかりってのも良くないな。どうだいミルキ、今夜さ、いままでに行ってないすごい夜景が見える場所、散歩してみないか」
「えっ、この近くにそんなところがあるの! いくいく!」
傍目には、僕とミルキはデート中のただのカップルにしか見えないだろう。実際にカップルかと言われると……それを全力で肯定できるような勇気が、まだ僕には備わっていなかった。
「うわぁー……きれい!」
「今日は天気も晴れてるし、凄くきれいだな」
眼下に見える夜景は、暗闇の夜空をも明るく照らし出すような、色とりどりの閃光を放っていた。
「宇宙では、こんな感じの銀河がたくさんあるのかな」
「これどころじゃないよ、もーっとキラキラした馬鹿デカい銀河が、宇宙には山ほどあるんだ!」
「そりゃすごい、スケールの違いを感じるね」
「スバルにも、その銀河を見てもらいたいな」
会話が途切れ、やけに静かな空間が、僕とミルキの周りに作り出された。実際僕たちふたり以外には、あまり人気が無いように思えた。
「なあ、ミルキ」
「うん?」
「留学の期間って、まだあるのか」
「まー留学っていってもね、特に期間が決まっているわけじゃないんだ。先生が判断して、もう十分ってなったらそこで留学終了なんだ」
「じゃあ……ある日突然、ミルキに会えなくなるかもしれないのか」
「……」
僕は夜景から、ミルキに目線を移した。無言のミルキを見るのはこれが初めてだったかもしれない。ミルキの目線は、夜景の方向よりも少し下を向いているように見えた。
「まあ、留学期間が無期限ってことは、成果を出そうと焦る必要はないってことさ。ミルキの歌は最初のライブの時と比べて、着実に技術は向上している。だからくじけずに――」
「スバル」
やけに上擦った声が、僕の耳をくすぐった。
「心音交信、してみよっか」
聞いたこともない単語が出てきて、ついミルキの顔をのぞき込む。
「しんおんこうしん? なんだい、それ。ミルキの星のおまじない?」
「わたしとスバルの、胸と胸をくっつけ合うんだ」
途端に、周りにある木々がざわめき始めたような気がした。
「胸と胸を? そうしたら……どうなるんだい」
「お互いの心の中にある音楽が、一気にやりとりされるんだ」
「それって、心の音楽に関係してるのか? どうしてまたそんなこと」
「このままじゃ、その、わたし、いや、わたしたち、いつまでたっても壁を越えられないんじゃないかと思うんだ。で、でさ、心音交信を行うと、今までにない音楽が心に響いて、新境地がひらける人がさ、たくさんいるんだよ。だ、だから、わたしと、スバルで……」
「わかった」
今までにない、たどたどしい喋り方をしたミルキ、しっかりと僕の目を見ることができないまま話し続けるミルキ、そんなミルキを見せられたら、僕としては首を縦に振るしか選択肢が無かった。
「やってみようか、その心音交信」
「う、うん!」
木々はまだざわついていたけれど、そんなのもう気にならなくなっていた。僕の心臓の鼓動が、それ以上に騒がしかったのだ。
「じゃあ、いくよ。準備はいいかい?」
「い、いいよ」
その合図で、僕はミルキを胸元にたぐり寄せる、やがて、僕の胸とミルキの胸の距離がどんどんと縮まっていき……。
ドッドッドッドッ、ジャジャジャジャジャーン、ダダダダダダッ、ガガガガーン。
きた、ミルキの心の音楽だ。でも今回は、明らかにテンポが速かった。音量もどんどん大きくなっているように感じる。それが僕の胸を通して、耳ではなく、脳に直接響いているようだった。
「聞こえる……スバルの心、頭に響いているよ……」
体を震わせながら、ミルキがか細い声を出す。
「僕の頭にも、ばっちり響いてるよ、ミルキの心」
あたり一面に漏れ出しそうな心臓の鼓動音が、ふたりの間だけで激しく鳴り響く。
「あ、あのさ、スバル」
再び、ミルキが声を出した。
「ん? どうしたんだい」
「実はさ、心音交信ってのは……わたしの星では、親密になった男女だけがやっていい行為なんだ……」
僕は、別に驚かなかった。ミルキの態度を見ていたら、自然にそんな気がしていたのだ。
「おいおい、僕は上手くやられてしまったってわけ? じゃあ僕も、ミルキにひとつ頼みごとをしていいよな」
「た、頼みごとって?」
「お互いの唇と唇をさ、くっつけ合うんだ」
「唇を……?」
「そう、それが……地球で、親密になった男女がやる行為なんだ」
ミルキはもう、何も言わなかった。僕は気持ちを確認するかのように、少しずつ、少しずつ、ミルキの唇に近づいていく。それに比例するかのように、ふたりの心の音楽は、よりいっそう激しさを増していった。
「ミルキ……」
そう呟いた直後、とうとう僕とミルキの唇は触れあった。
次の瞬間、僕の胸からとてつもない心臓の音が鳴り響いてきた。ミルキに負けずとも劣らない、凄まじい爆音。僕の心臓からもこんなに激しい音楽が創り出せるなんて、知らなかった。ああ、それにしてもなんて騒がしい。このまま心臓の鼓動が地球を飛び出し、銀河中に響き渡ってしまいそうだ。
そう、銀河級に――ギャラクティック。
騒がしい――ラウディ。
心臓の鼓動――ハートビート。
ギャラクティック・ラウディ・ハートビート。
「これだ……」
「えっ?」
気がつくと僕は、ミルキの肩を掴んで、まっすぐにその眼を見つめていた。おそらく、その時の僕は、ミルキのような満面の笑みをしていたと思う。
「見つけたぞ、ミルキ! 新境地だ!」
「えっえっ、何々、見つけちゃったの!?」
僕の声につられて、ミルキもいつものような明るい雰囲気に戻っていた。
「歌詞の一部を、英語に直してみるんだよ!」
「え、英語に? 英語って、この日本で使われてる言葉じゃないよね」
「ところが、地球の歌の世界ではありなのさ。他の国の言語を、歌詞の中に取り入れていいんだよ」
「ええー! それは……知らなかった!」
「言葉自体の意味を変えるんじゃなくて外国語にアレンジするだけだから、課題の歌詞といっても問題ないはずさ。さっそく、歌詞の練り直しと、それに合うように元の曲を編曲してみよう!」
「あたしも、がんばる! できたらすぐにちょうだい! 日本語じゃない言葉を歌えるのかちょっと不安だけど……絶対モノにして見せるから!」
「よーし、今度こそ壁をぶち破るぞ!」
いまだ輝きの衰えない夜景の光に照らされながら、僕とミルキは一緒に街へ向かって駆け下りた。
「さあ、暗闇に響かせろ! ギャラクティック・ラウディ・ハートビート!」
曲が終わり、わずかな静寂を挟んだ後、ライブハウスが吹き飛ぶぐらいの歓声が、フロア中に響き渡った。
新境地は大当たりだった。日本語のままだと堅苦しくなってしまう部分を、英語に直すだけで曲全体がずいぶんと滑らかになった。いままで観客たちが曲にのれなかったのも、そこが原因だったのだろう。編曲してからライブは3回目だけど、もうライブハウスははちきれそうになっている。
「みなさーん! 今夜はミルキとスバルのライブに来ていただいて、ありがとうございましたー!」
お辞儀をするミルキに続いて、僕も深く頭を下げる。
「それで、今夜はですねー。来ていただいたみんなだけに特別! もう一曲歌いたいと思いまーす!」
おいおい、何を言い出すんだ。でも、まだ時間的に余裕はあるし、少しぐらいはスタンドプレーも許してあげよう。
ミルキが僕のほうを一瞥してきたので、僕もわずかに頷いて答える。
「じゃあいくよ!ちょっと準備するから、待っててね」
ん? 曲は自前なのか?
そう思っていると、ミルキはポケットからピンク色のスマホを取り出し、表面をササッと指で撫でると、そのまま直に床へ置いた。
「この曲は、ある人の、心の音楽です!」
えっ。
瞬時に、昨日のことが脳裏によみがえった。僕の、あの曲が、パソコンのどこにあるかって、ミルキが聞いてきた。なんのことやらと、その時は思っていたけど……。
「太陽は沈んだ。乾いた砂の道は、どんどん粘ついた泥の道に変わっていく、でも、前に進むことを止めるな。泥の上で遊ぶ同盟者たちよ」
ああ、僕の心の音楽じゃないか。
途中まで、僕は歌っているミルキをただ見つめることしかできなかった。でもしだいに、自分の心の中から、熱いものが湧き上がってくるのを感じる。気がつくと、僕は予備のマイクを片手に握りしめていた。そして、ついに、パソコン上に表示されていた消音の表示を、自らの手で解き放った。
「「――ああ、ぼくたちは、泥の上で遊ぶ同盟者。泥を積み上げて宇宙に届くなら、泥まみれになってもかまわない。いつか星の光が、泥の中にある宝石を反射するまで」」
途中から、曲は完全に僕とミルキのデュエットになっていた。曲が終わると、またしても大きな歓声がライブハウスに広がった。中には、口笛を吹き鳴らす人までいる。その熱狂は、僕の心に残っていた鎖のすべてを、溶かし尽くしてくれたようだった。
「みんなー、聞いてくれてありがとー! ちょっとしんみりとした感じだけど、いい曲でしょ? この曲を作ったのは――」
「おい」
得意げな顔をしてはしゃいでいるミルキに、僕は横やりを入れた。
「おまえな、勝手に人の心を歌うんじゃねえよ。パソコンのどこにあるか知りたいって? このために、こっそりスマホにインストールしてやがったな!」
「えー、なんのことかな。知らないなあ」
まるで打ち合わせ済みの寸劇のように、ステージ上でやりとりが交わされる。
「お前のせいで、僕は……また歌いたくなっちゃったじゃないか! もう許さん、お前の心も歌ってやる!」
「えっ?」
困惑するミルキを無視して、僕はノートパソコンのキーをひとつ押した。大音量で流れ出す、お馴染みの前奏。曲名はもちろん……『ギャラクティック・ラウディ・ハートビート』。
「このコスモは限りなく膨張し、私たちのギャラクシーは絶え間なく小さくなっていく、それでも、わたしたちは負けない、無限大のラヴを放つハートがあるからー!」
ミルキはしばらく、呆気にとられていたようだった。ふふん、これだってほとんど僕が作曲しているんだぜ。ミルキみたいに高音は出せなくても、ぶっつけ本番で音程を合わせることぐらい、朝飯前さ!
そう思いながらふたたびミルキを見てみると――違っていた。ミルキは泣いていたんだ。でもそれは悲しみではなく、感極まって溢れだした、そんな涙だった。
僕が軽く手招きをすると、ミルキは涙を袖でふき取りながら、マイクを持って歌いだした。予定外のデュエットが2曲も続き、観客たちは口笛を吹かせまくっていたけれど、僕たちはむしろ心地よく感じていた。
最後のワンフレーズ、僕とミルキはお互いのマイクを、カウンターパンチのように相手の口元に寄せて、その心を爆発させた。
「「ギャラクティック・ラウディ・ハートビート!!」」
ライブが終わった後、僕とミルキはファミレスに寄って談笑していた。ふたりの間には、氷が大量に積まれたアイスコーヒーがふたつある。
「今夜のライブも大成功だったな。最後はちょっと予定外の出来事が入ったけど、観客も大盛り上がりだったしよかったよ」
「ごめんね、スバル。でもわたし、感動しちゃったよ! ちゃんと自分の歌が歌えるようになっただけじゃなく、わたしの心の歌まで歌ってくれるなんて!」
「まったく、僕のパソコンからかってに曲をインストールするなんて、大それたことをしたもんだ。スクールの先生にチクってやろうかな」
「やだーやめてよお。その代わりにこの曲、ずっと大事にするからさ!」
「ふふ、冗談だよ。それにしても、なんで急に僕の曲を歌おうって気になったのさ」
「えっ? それは……別に、ただ歌いたくなっただけだよ」
明らかに歯切れの悪くなったミルキに、僕はどうしたのかと尋ねようとした。
だけど、急に僕の口から言葉が出てこなくなり、目の前の視界が歪んで、ぐるぐると回り始めた。
なんだ、これは。なんだか……猛烈な眠気がしてくる。……ミルキ。
意識を失う直前に見たのは、寂しそうな眼差しを僕に向ける、ミルキの顔だった。
気がついた時、僕は自分の部屋のベッドにいた。服はそのままで、ファミレスからそのままワープしてきたかのようだった。でも、僕の周りに、ミルキの姿は無かった。
「ミルキ?」
小さな声で尋ねてみても、やはり返事は無かった。僕はベッドから足を出して座り、そしてガックリと項垂れた。
ミルキは星に帰ったんだ。
思い返せば、僕の曲を勝手にインストールしたり、ライブで歌いだしたりした時点で、兆候があったじゃないか。たぶんあの時、ミルキはすでに留学が終わることを告げられていたんだ。それにしても、僕を眠らせてから、何も言わずに帰ってしまうなんて。僕にはミルキが帰る前に伝えたいことがあったのに――。
その時、スマホから着信を知らせる振動が耳に伝わってきた。
でもその振動は、自分のスマホからじゃなかった。
テーブルを見てみると、その上に、ミルキのピンク色のスマホがあった。
僕は急いでそのスマホを手に取り、非通知設定の誰かとの通話を開始した!
「もしもし!」
「あっ、スバル! よかったー、完全に寝てたかと思ったよ!」
予想外に元気のいいミルキの声が聞こえてきて、僕は今までの悲しさが吹き飛んでしまった。
「ミルキ、どうしたんだ急にいなくなって。今どこにいるんだ!?」
「わたしね、今、星に帰るための宇宙船の中にいるの」
少し、地球のどこかで道草を食っているんじゃないかと期待したけど、そこまで甘くは無かったようだ。僕は心を落ち着けて、テーブルの椅子に座り、スマホから発せられる声に耳を傾ける。
「ごめんね、とつぜんで。でも、わたしが宇宙船に乗り込むところや、迎えに来た人たちと会うのを見られることは絶対に避けなきゃ駄目なんだって。だから、渡された睡眠薬で、スバルを眠らせるしかなかったの」
「そうだったのか、まあ、記憶を消されるよりましか。それで、帰るってことは、もう留学の期間は終わったのか」
「うん。スバルのおかげで、地球での知名度が高まってきて、これ以上はバレる危険性が高くなるから帰ることになったんだ。ちょっと想定したよりも早かったみたいだけど、先生からは合格をもらえたよ」
「そうか、よかったじゃないか。このスマホはどうした、返さなくていいのか」
「本当はね、スマホとか、物的な証拠はこっちで破棄しないといけないんだけど……こっそり、スバルの部屋にスマホ置いてきちゃった」
「まったく、地球に留学して手癖も悪くなったんじゃないか。……それでさ、ミルキ」
「ん?」
「……」
言葉がなかなか出てこない。もし、僕が一番聞きたくない返事が来たらどうしよう。でも、ひっこめちゃダメだ。これが最後かもしれないんだ。
「ミルキ……もう、会えないのか?」
「いや、そんなことはないと思うよ」
意を決した僕の質問は、実にあっさりと返されてしまった。でも同時に、僕の肩がスッと軽くなったような感覚を覚えた。
「えっ、じゃあ、その気になれば再会することができるのか!?」
「できると思うけど……ここ数年は、無理かな」
「えっ」
テーブルから浮いていたひじが、すとんと元の位置に戻る。
「今の地球の宇宙開発技術じゃあ、まだわたしたちと文化的交流ができるだけのレベルに達していないんだって。だからまたスバルと会うためには、地球がそのレベルなるまで待たなきゃいけないんだよ」
「ま、待つって、どれくらい?」
「10……いや5年かな、わたしは5年だと思っている」
「5年……か」
決して短くない時間だ。それまでの間、僕とミルキの交流が一切絶たれてしまうなんて。
「でも、わたし約束するよ。いつか地球とわたしの星が交流できるようになったら、わたし真っ先にスバルを迎えに行く! そしてそのころには、星で大人気のトップアイドルになって、スバルをわたしのステージに招待してあげるから!」
元気いっぱいの声が、スマホから僕の脳に届いていく。ああ、こんな時にまで、君には元気をもらいっぱなしだな。
「ああ、僕も待っているよ。僕もそのころには、地球でトップクラスのシンガーソングライターになってるかもしれないからな。そうなったら、ちゃんとしたおもてなしをしてくれよ!」
「あはは……は、大きく出た……ね」
突然、ミルキの声にノイズが混ざり始めた。
「ミルキ、どうした!?」
「ご……ごめんスバル、そろ……ろ、地球まで通話の電……が、届かなくな……みたい」
おいおい待ってくれよ、このチャンスを逃したら5年以上もお預けだなんて、いやだ。
「待ってくれミルキ、僕はどうしても……ミルキが星に帰る前に伝えたかったことがあるんだ」
「伝えたかった……こと? あは……は、それならもう、十分すぎ……ほど、伝わってるよ」
「えっ?」
「わたしたち……心音交信し……でしょ。その時、ちゃ……と、わたしのこ……ろに届いてる……だ。スバルの気持ち」
だんだんと、ノイズの間隔が短くなっている。ミルキはああ言ってるし、ノイズまみれの状態じゃ、伝わるものの伝わらないかもしれない。でも、僕は、どうしても言いたくてたまらなかった、我慢できなかった。
「伝わってるのか、よかった。でもね、ミルキ、地球人はそれじゃ満足できないんだ」
「え……」
「思いは、ちゃんと口に出して言わないと、気が済まないのさ。今から、僕の気持ちをできる限りの大声で君に伝える。だから、聞いてくれ!」
「あ……ははは……ちきゅ……人て、やっぱ……不便だ……ど、心……熱いん……ね。いいよ……聞か……て! うちゅ……船の窓際……耳……すまし……るから――」
ぷつりと、通信が切れた音がした。
僕はすぐさまベランダに向かい、カーテンを開き、窓を開け、外に出た。
空には満天の星空が広がっていた。あの煌めく光のどれか一つが、ミルキの乗っている宇宙船なのだろうか。
だけど、もうそんなことは問題じゃない。地球の裏側にいようが、宇宙の果てにいようが関係ない。僕のこの暴れ出しそうなぐらいに騒がしい心臓の鼓動、銀河の隅々にまで、響かせてやる!
「ミルキ、大好きだああああああああ!」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。