どう表現したらいいの? 「太平洋戦争」か「大東亜戦争」論争について
筆者:
本日はこのエッセイを選んでいただき誠に光栄です。
陸上第32普通科連隊(公式)のⅩの4月5日の投稿で
『#32連隊 の隊員が、大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に旗衛隊として参加しました。
慎んで祖国のために尊い命を捧げた
日米双方の英霊のご冥福をお祈りします。』
と投稿したことが物議を醸しています。
今回は「太平洋戦争」なのか? 「大東亜戦争」なのか? 論争について僕個人の感覚で話していこうと思います。
※4月8日に「大東亜戦争最大の激戦地」の部分が削除されました
◇「大東亜戦争」の呼称歴史を振り返る
質問者:
そもそも「大東亜戦争」って今の時代あんまり聞き慣れないと思うんですけど、
一体、この呼称を使う事で何が問題なんですか?
筆者:
まずは歴史を振り返っていきましょう。
日本の真珠湾攻撃による開戦から4日後の1941年12月12日、当時の東條内閣(東條英機首相)が「今次の対米英戦は、支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と閣議決定をしたことから決まりました。
そもそも「大東亜戦争」の語源である「大東亜共栄圏」というのは1940年の第二次近衛内閣から始まった構想でして、
『欧米帝国主義国の植民地支配下にあったアジア諸国を解放して日本を盟主とした共存共栄のアジア経済圏をつくろう』という主張でした。
質問者:
経済圏にはなりませんでしたけど、結果的にはアジアの国々は独立出来ましたよね?
筆者:
ただ、この目標は独伊に「アジアは日本の勢力圏」であると認識させることが目的だったことから、国策でありながら抽象的な理念やスローガンが先行していた側面も多分にあります。
日本は占領したアジアの「共栄圏内」において日本語による皇民化教育や宮城遥拝の推奨、神社造営、資源の徴収を半ば強制していました。
元のアジアの文化を棄却したり資源を強制徴収することが自主的に行われていたとは思えません。
このように、大東亜共栄圏構想に基づく戦争によってアジア諸国が戦後独立したのは「結果論」だと思うんです。
勿論、日本のために戦われた英霊の方々を弔う気持ちというのも大事なんですけど、
日本の侵攻があったことで亡くなったり迷惑したアジア諸国の人も多数いるという事を忘れてはいけないと思います。
質問者:
なるほど……。
◇「太平洋戦争」はアメリカの「押し付け」
質問者:
一方で「太平洋戦争」はどうして今の世の中に定着したのでしょうか?
筆者:
GHQは日本占領直後に出版物について検閲を行い、「大東亜戦争」表記の排除を図ったことが始まりです。
まず占領政策の前期においては、あらゆる出版物が「事前検閲」を受け、「大東亜戦争」はすべて「太平洋戦争」に書き換えられました。
これは1952年(昭和27年)4月11日に公布された「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律」(法律第81号)によって、GHQの「大東亜戦争」呼称廃止覚書は失効するときまで続きました。
しかし、マスコミの「自主規制」というのは今日までも続いているという事です。
◇ここは「中庸」が望ましいと考える
質問者:
だとすると結局のところはどういう呼称が良いんでしょうか?
筆者:
GHQが日本軍の残虐行為と国家の罪を強調するために行った宣伝政策について『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』によってアメリカが日本の悪事を誇大広告した面はあります。
しかし、それらの蛮逆な行為が「全く無かった」とすることや「美化する」ことというのは避けた方が良いと思います。
起きた事実を過小評価も過大評価もせずに素直に受け止めて未来に向かって進むべきだと思います。
なんとなく、「大東亜戦争」には「日本を美化しすぎる」という意識があると思うんです。
質問者:
どういうことでしょうか?
筆者:
確かに日本はいわゆる「ABCD包囲網」によって資源を抑えられ南下政策を取らざるを得ない状況に追い込まれたわけなのですが、やはり「引き金を引いたのは日本」という事実から目を背けてはいけないと思います。
外交上の失策続きの積み重ねが資源封鎖されるという事態に陥ったわけで、アジア諸国への資源奪取の大義名分が「大東亜共栄圏」だったのは間違いないわけです。
つまり、最終的な政府の失敗を国民とアジア諸国に擦り付けた象徴が「大東亜戦争」という形なのです。
ただ、一方で「太平洋戦争」という用語に関しても、アメリカから押し付けられた用語なので「言いなり」みたいで非常に不快感があります。僕は「対米従属」から打破する姿勢として「用語」から正していくべきだと考えます。
質問者:
そうなるとどんな呼び方が望ましいのでしょうか……?
筆者:
2006年の日本政府の公式見解では「大東亜戦争」の定義を定める法令はないとされています。
一方で「太平洋戦争」に関しても「在外公館等借入金の確認に関する法律」(昭和24年法律第173号)等に使用されているものの、「太平洋戦争」の定義を定める法令や閣議決定、政府公式談話が無いために政府公式見解としては「どちらも否定も肯定もしていない」というのが正解のようです。
(あの村山談話や河野談話ですら「太平洋戦争」ではなく「先の大戦」などとなっている)
こうしたことからGHQの政策以降、現在にいたるまで、日本政府は公的には「今次戦争」「先の大戦」「第二次世界大戦」という呼称、天皇陛下のお言葉でも「先の大戦」「あの不幸な戦争」を用いていることが多いようです。
質問者:
まさか日本政府がどちらも認めていないとは思いませんでした……。
筆者:
どちらを採用しても物議を醸すことが明らかだからでしょうね。
この点に関しては日本政府は良いポジションを取っているように僕は思えます。
僕は政府としてどちらも定義づけていないことから、準政府機関の自衛隊の部隊アカウントとしても「先の大戦」「第二次世界大戦」あたりにした方が表現としては無難だったと思います。
実を言いますと僕もエッセイなどで書く際には「第二次世界大戦」と密かに統一しています。
質問者:
「先の大戦」ではダメなんでしょうか?
筆者:
これも捉え方次第だと思うんですよね。
「先の大戦」だと京都の方は「応仁の乱」という有名な話もあるぐらい、場所によって異なりますし、「第三次世界大戦」みたいなことが起きて終結した場合には起算点が変化するので通用しなくなりますからね。
「第二次世界大戦」というとヨーロッパでの開戦から含まれますが、終わりは必ず「日本降伏」だと思いますので、世界共通認識や定義として見ても一番適切なのかなと――少なくとも僕は思っています。
質問者:
なるほど、総合的な評価で行くと「第二次世界大戦」というのが無難という事ですね。
筆者:
外交上の失敗の正当化である「大東亜戦争」というのはどうも僕にはムズムズするんですよね。
自分の価値観を他者に押し付けるみたいで……。
あ、ちなみに僕の考えも「一つの視点」であって皆さんに強要するつもりはないのでそこのところは誤解なきようお願いします(笑)。
質問者:
あと戦争を仕掛けちゃったのも良くなかったですよね……。
筆者:
基本的にはどういう「大義名分」があろうと「殺しの正当化を許す戦争」を仕掛けてはいけませんね。
ただ近年では、偽旗作戦(内部スパイが攻撃を仕掛けさせる)というのもありますから、
政府間公式抗争の最初の引き金と言った方が良いかもしれませんね。
質問者:
日本がまた大戦の引き金を引かないためにはどうしたらいいんでしょうか?
筆者:
やはり、資源と食べ物を自分で調達する能力を高めることだと思います。
今のままでは電機が付かずに敗北か、“腹が減っては戦が出来ぬ”という事で餓死するでしょう。
軍事力強化も大事なのは間違いないんですけど、この大前提のところで敗北しかねない状況だと思っています。
結局のところ外国に依存してしまうと戦前のように資源を遮断されてしまって開戦を迫られたり、今の日本のように“言いなり”になるだけですからね。
物質レベルで充実をさせたいところですが今の日本政府は特に後者の面では大丈夫なのかな? と思うところが農業基本法改正などで思ってしまいますね。
質問者:
まさかの海外に対して支援ですからね……。
筆者:
ちょっと呆れるしかないですね。
という事でここまでご覧いただきありがとうございました。
今回は「太平洋戦争」「大東亜戦争」はどちらもアメリカ側と旧日本側の押し付け観念であり、世界的共通認識がある「第二次世界大戦」が抗争も無く無難なのでは? という事、
そして今の日本で大事なのは軍事力強化というよりも資源と農業生産力の強化という事をお伝えさせていただきました
今後もこのような時事ネタや、政治・経済、マスコミの問題について個人的な解説を行っていきますのでどうぞご覧ください。