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奪ったのではありません、お姉様が捨てたのです  作者: 佐崎咲
第三章 それぞれの目論見
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第5話 現実を見た人

 ――あれ


 ここはどこ?


 目の前に広がるのは――天井?

 違う、床だ。

 それもお城の廊下の。

 私はふわりと天井まで浮き上がっていて、廊下を見下ろしていたのだ。


 いつの間に眠ったのかと記憶を巡らすけれど、レガート殿下の執務室で話していたことまでしか覚えていない。

 いや、そうだ、殿下が呼ばれて執務室を出て行って、だけど話が途中だからまだそこにいてくれと言われて、私は疲労でついうっかりうとうとしてしまったのだ。

 早く起きなければと思うのに、私の浮いた体はそのままで、一向に現実に戻ろうとはしない。


 仕方なく辺りを見回すと、廊下で向かい合って話す男女の姿があった。

 レガート殿下と義姉だ。

 一体何故二人が?


 二人の間には少しの距離。

 見慣れた光景だけれど、何故だか胸が苦しい。

 こちらに背を向けているレガート殿下の顔は見えないけれど、重そうな水色の宝石がキラリと光るネックレスを義姉に差し出したのがわかった。

 吸い寄せられるように近づくと、声が聞こえた。


「――このネックレスのほうが似合う」

「自分が選んだものを身に着けていてほしいということでしょうか? 男性っていつも贈り物をして独占欲を示そうとなさるのね。趣味ではないけれど、最後くらいは受け取らせていただきますわ。お気持ちに応えることができなかったことは申し訳なく思っておりますので」


 レガート殿下はいつも義姉を気遣い、寄り添っていた。

 誠実で、武骨な殿下らしいと思っていた。

 けれどその心の内を考えたことはなかった。

 レガート殿下は義姉の婚約者だったから。


 だけどなぜだろう。

 今、殿下が義姉を好きだったのだとしたらと思うと胸が鉛を飲み込んだように重くなった。

 もし。

 もしも、今も殿下が義姉を好きだったら――


 考えたくない。

 胸が苦しくなり、うまく息ができない。

 気づくと全身が冷えていて、次第にすべての音が遠ざかっていった。


 そうしてはっと目を開けると、そこはレガート殿下の執務室だった。


「夢――?」


 そうか。またレガート殿下の夢を見てしまったのか。

 相変わらずリアルな夢だ。

 声も、自分の感情も。


 まだ胸が重い。

 手のひらをぎゅっと握りしめるとひんやり冷たい。

 まさに今実際に見聞きしたかのように、体は動揺したまま落ち着いてくれない。


 苦しい。

 どうしてこんなにも嫌だと思っているのだろう。

 今はレガート殿下が私の婚約者となったから?

 だから独占欲というものが出てしまったのだろうか。


 そうして呆然としているうち、ノックの音が響いた。

 慌てて「はい」と答えると、ガチャリとドアが開いた。

 レガート殿下だ。


「――寝ていたのか?」

「……、失礼しました。つい気が緩んで」

「いや、かまわないが」


 目の前にレガート殿下がいる。

 ここには今、私と殿下の二人きりだ。

 だけどさっきまで殿下は義姉と二人きりだった。


 違う、あれは夢だ。

 現実じゃない。

 なのにどうしてこんなにも胸が重いのか。


 自分が自分じゃないみたいに、頭も言葉も整理できなくて、だからただ必死に、縋るようにレガート殿下を見つめるばかりになってしまった。

 そんな私を見つめ、レガート殿下は、やはりな、というように小さくため息を吐きだした。


「見たのだな」

「――え?」

「今、クリスティーナと会ってきた。サファイアのネックレスを渡した」


 私が今見た夢とまったく同じ。


「何故……?」


 思わず口からこぼれた。

 レガート殿下は私の隣に腰を下ろすと、胸元からしゃらりと音をさせて何かを取り出した。


「それは、母の――!」


 大ぶりなルビーのネックレス。

 義姉が謁見の場で身に着けていたものだ。


「これを取り戻すためだ。『見たところ古いもので歴史的価値はありそうだが、売っても金銭的価値は低いだろう。そのようなものよりもこのネックレスのほうが似合う』と言って派手な装飾の、いかにも高価そうなネックレスを渡した。それを、私が選んだものを彼女に身に着けてほしいと思っているように誤解したようだが」


 ――誤解。


「『これから一生を共に過ごすのだから、好きにならなければならないと思っていた。好きになろうと思っていた。だが努力でできないこともあるのだと知った。誰にでも不可能なことはある。だからあなたが不可能なことばかりで逃げ出したくなった気持ちも理解できるし、個人として責める気はない』とも伝えた」

「お義姉様は……」

「『はあああぁ?』と思い切り顔を歪めて怒って去って行った」


 ですよね……。

 そんな恥ずかしい誤解、あるだろうか。

 いたたまれない。

 いたたまれない――!


 私は思わず顔を覆った。

 なんだろう。

 義姉と一緒に辱めを受けた気分だ。

 共感性羞恥というやつか。

 とんでもなく耐え難い。


「やはり中途半端にしか聞いていなかったのだな。聞くなら最初から最後まできちんと聞け」

「いえ、そんなの、私が制御できることではありませんし」

「力に使われるな。制御しろ」

「そんなこと言ったって――――え?」


 殿下は今、なんと?


「指輪の力だろう。内側に書かれていた文字を調べた。あれは古語では『夢』ではなく『眠り』。『眠りにつくと魂だけとなって指輪の相手の所へ飛んでいく』という意味になるようだ」


 夢じゃない?

 魂となって相手の所へ、って――つまり、全部、現実?


 よく考えてみれば、初めて入ったはずのこの執務室は夢で見たものと同じだ。

 本棚の場所も、机の場所も、調度品も何もかも。


「何度も言っただろう。俺は俺だと」

「殿下……、俺って」

「ああ、私的な空間でまで周囲に気を遣う必要はないだろう」


 私の妄想ではなかった。

 私が勝手に一人称が『俺』である殿下を作り出したのではなかった。

 肩から力が抜けていき、しかしまた強張った。


 待て。


 あれらが夢でないとしたら――


 殿下がソファの背もたれに頬杖をつき、やれやれというようにこちらを眺めた。


「いつまで夢だと思い込んでいるのかと思ったが。やっとわかったか」

「な――、何故言ってくれなかったのですか!?」

「言ったつもりだが? ローラが強固に夢だと思い込んだだけだ」

「いえ、もっとはっきりと――」

「つまらないだろう。せっかくあの姿の時は警戒心が解けているというのに」

「べべべべべつに普段だって警戒しているわけでは」

「相変わらず近づくと肩に力が入るようだが?」


 いやこの会話前もした!


「ちょ、ちょっと待ってください! 頭を整理したい! 野獣な殿下が実は本物の殿下で、じゃあ昼間の武骨な、だけど時々なんかちょっとだけ意地悪な気がする殿下は?」

「だからどっちも俺だと言っているだろう」


 この会話も前にした気がする!


「な、なん、なん――!?」


 混乱しすぎて言葉にならない。

 いったん落ち着きたい。

 なのに殿下がソファの背もたれに頬杖をつき、面白そうにこちらをじいっと見つめているから!


「見ないでください」

「無理だ」

「!?」


 野獣だ。

 野獣な殿下がいる。


「今は昼ですよ!」

「関係ない」


 夜は野獣、昼間は武骨な殿下というわけではないのか。

 ――そうか。昼間はいつも周りに人の目があった。

 けれど今は二人きり。

 だから殿下は楽な態度をとっているということ? だったらやっぱりこちらが素なのか?


「もう一度目を閉じたら夢から醒めるのでは――」

「俺の隣でそこまで気を抜けるようになったとは大した進歩だな」

「やっぱりやめます」


 きっぱりと言うとレガート殿下がふっと笑った。

 楽しげな笑みが悔しくて、思わず睨むような目を向けてしまう。


「わかったか? 俺は努力をしたがクリスティーナを好きになることはできなかった。俺はローラのことは見ないように努力してきたが、彼女がいなくなり、そこにいたローラを見ないことはもうできなかった」


 笑みはもうどこにもない。

 真っすぐな瞳が射抜くように私を見ている。


「心から欲しいと思ったのはローラただ一人だ。だから婚約者にと望んだ。俺の私利私欲にたくさんの言い訳をつけて」


 頭が真っ白になるというのはこういうことだろうか。

 何も考えられない。

 ただ、今聞いたばかりの言葉がくるくると頭の中を駆け回っている。


「だから変な誤解をされると困る。クリスティーナにネックレスを渡したのはローラの母の形見を取り戻すためだ」


 そう言ってレガート殿下はネックレスを掲げ、チェーンの両端を持ち私の首へと手を回した。


「指輪と同じようにこうしてみれば早いのではないかと思っていた。だが俺の思い違いで、何の変化も起きないかもしれんし、もし仮に何か起きたとしてもそれをクリスティーナが目の当たりにしたらまた騒ぐやもと――」


 言いながらレガート殿下がかちりとチェーンを嵌め、大きなルビーが私の胸元に落ちた。

 レガート殿下が引いた手が首元に触れて、瞬間、顔が赤らんだのがわかった。

 この至近距離でこれは恥ずかしすぎる。耐えられない。

 思わずばっと背を向けた瞬間だった。


 すぽんっ、というようにネックレスから何かがはじき出され、そのままそれはどすんっと音を立てて床に落ちた。


「ぐえっ」


 落ちたのは人だった。

 いや人型の何か?

 いや人だ。

 人……? 人がネックレスから出てくるだろうか。


 大人の背丈に茶色のふわふわの髪のその人は、「いたたた……」と腕で床を押して起き上がりながら、はっとしたように周りを見回した。

 その顔がこちらを向いた瞬間、はっと息を呑んだ。


「ハンナ叔母さん?!」

「あらやだローラ。大きくなってる」

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