第2話 指輪を継いだ人
「お二人のその指輪は?」
私とレガート殿下の指輪が気になったようだ。
両親の形見と言いかけてすぐにやめた。
また義姉にそれも義父のものだと言われるかもしれない。
「クレイラーンはお揃いの意匠で婚約指輪をつけると聞いておりましたので、貴国の文化に親しみを覚えていることを示したいと思いまして」
「それを、どなたからお聞きに……?」
真剣な、そして探るようなその目に言葉を止める。
もしかして、クレイラーンでも一般的なことではなかったのだろうか。
どこかの地方でだけ受け継がれる慣習なのかもしれない。
どう答えたものか迷う間もなく、レガート殿下が割って入った。
「さあ、どこで聞いたものやら、クレイラーンの話は興味深く、つい様々なことをお聞きしてしまいますから。貴殿らの長い旅のお話もゆっくりとお聞かせ願いたい」
エドワード殿下は何かを確かめるように義姉を振り向いたが、義姉は意図がわからないというようにやや眉を寄せただけ。
ただその口元は不満げに歪められている。
「歓迎の宴をご用意しておりますの。どうぞこちらにいらして」
王妃殿下もにこやかに促し、エドワード殿下が指輪と義姉を交互に見ていた目を引きはがす。
「ええ、ありがとうございます……」
エドワード殿下はそう応じながらも、今度は義姉とは反対の方に振り向き、困惑の目を向けた。
側近だろうか。
視線を受けた男も色濃い困惑を浮かべるばかりで、結局言葉を発することなく一行は宴の席へと連れられて行った。
辺りががやがやと賑やかになる中、義姉だけが私に鋭い目を向けていた。
その唇が、『こんなはずではなかったのに』と動いたように見える。
まさか、行かないで! と追いかけられると思っていたのだろうか。
クレイラーンになど渡さん! とバチバチの取り合いが始まるとか。
そんなことにはならない。
だから義姉には新しい土地で健やかに、楽しく生きていってほしい。
そう切に願った。
・・・◆・・・◇・・・◆・・・
宴に義姉の席はなかった。
出席するような立場は何もないどころか、咎められるべき存在であり、ただクレイラーンとの国交を理由に免罪されたに過ぎない。
ただし、義姉が元気でこの国をうろついているところが人々の目に触れては大問題となる。
国内にいる間は私のようにベールをつけることが条件として出された。
「クリスティーナが身に着けていたあのルビーのネックレスが、ローラの母親の遺品か?」
「はい、そうです」
もてなしを終え、義姉のことを話し合おうと殿下の執務室に共に向かいながら、レガート殿下は考えこむように顎に手を当てた。
私も頭が痛い。
「ネックレスが無事だったのは心底ほっとしましたが、どうやったら返してくれるでしょうか……」
「ローラの母のもの、もしくはローラのものであると証明できればいいのだろう?」
そう言って何故か殿下はちらりと私の手元を見た。
「指輪のように何か文字が書かれているとか、母の名前が刻まれているとかがあれば、ということですか? しかし残念ながらそういったものはなかったと思います」
「身に着ければわかるような気もするが。それを彼女の前でやるのもいいことだとは思えないな。だとすると――」
そこまで話したところでレガート殿下が呼び止められた。
「国王陛下がレガート殿下をお呼びです」
「すまないが、ローラは先に私の執務室へ行っていてくれ。カインツ、ローラをくれぐれも頼む」
「はい」
流れるような会話にはっとする。
「あ、いえ、カインツ様は殿下の護衛で」
「城内には兵が配備されているから私は問題ない。それよりも今はローラが心配だ」
エドワード殿下が私を目の敵にしているからだろうか。
それに、確かにレガート殿下の執務室がどこかは案内してもらわないとわからない。
夢では見たことがあるが、いつも気づいたら室内だし、城内のどこにあるかも知らない上に、そもそもあれは夢だ。
結局ロクな反論もできないまま、殿下はあわただしく行ってしまった。
お言葉に甘えることにして大人しくカインツ様に従って歩いていくと、前方の柱の陰からひそひそとした声が聞こえた。
「あれでは話が違いませんか?」
「確かにな……。あれの持ち主も彼女じゃないのかもしれない」
聞いてはいけない匂いに、カインツ様と目を合わせる。
くるりと踵を返そうかと思ったが、いまさらそんなそぶりを見せては完全に『何かあるなと察しました』と言わんばかりになってしまう。
だったら何も気に留めていないというように、あくまで爽やかに、にこやかに一礼をし、挨拶をして通り過ぎたほうがまだいい。
そう思ったのだが。
足音に気づきはっとして顔を出したのは、エドワード殿下だった。
しかもベールを被った私を見つけるなり、先ほどまで話していたのだろう側近らしい男と目配せをしあい、表情を改めた。
「先ほどは一方的に決めつけた物言いをしてしまい、申し訳ありませんでした。国王陛下のお言葉にもつい感情的になってしまいましたが、仰る通りまずはあなたからも話をお伺いすべきだったと反省していたところです。ぶしつけなお願いではありますが、そのためにもしばし私にお時間をいただけませんか? よろしければお茶でもしながらお話を聞かせていただきたい」
「ありがたいお言葉にございます。ですがこの後は少々予定がありますので、また日を改めさせてくださいませんか?」
勝手にそんな約束をするわけにはいかない。
まずはレガート殿下に相談しなければ。
「義姉を保護していただいたこと、心より感謝しております。無事な姿が見られてほっといたしました」
話を逸らしたかったというのはあるけれど、本心だ。
義姉に傷ついてほしいわけでも、不幸になってほしいわけでもない。
義姉は母の連れ子であった私を虐げることはなかったし、母にひどい態度を取ることもなかった。
だから尻拭いをしていたのは私自身の意思だ。
義姉は自分のことしか見えていなかった結果周りを振り回すことになったのであって、私を苦しめようとしていたわけではないし、誰かに迷惑をかけようとしていたわけでもない。
だから義姉が望んでいるのなら、エドワード殿下と共にクレイラーンへ行き、幸せになってくれたらいいと思う。
ただ……国王陛下に『返品不可』とされてしまっているから、あちらでやらかしたらもう居場所はないわけで、大丈夫だろうかとキリキリ胃が痛む。
「当然のことをしたまでです。それよりも、このようなことをお聞きするのは失礼かもしれませんが、あなたはなぜそのようにベールを?」
エドワード殿下が探るような目を向けた時だった。
前方からツカツカと高い足音が響いてくるのに気が付き顔を向けると、そこには猛然とこちらに歩み寄ってくる義姉の姿があった。
「クリスティーナ!」
私の視線に気づいたエドワード殿下が振り向いて声を上げるが、義姉は私に向かって真っすぐに突き進んできて目の前でぴたりと足を止めた。
義姉の進行を邪魔するかのようにベールがふぁっ、ふぁっと浮かんでは落ちるほど荒い息を繰り返し、義姉は薄い紗越しにもわかるほどギッときつく私を睨んだ。
「やはり私がいなくなった途端にすべて奪ったじゃないの。陛下を表に立たせて自分は隠れているだなんて、卑怯だわ」
「いえ、発言を許されておりませんでしたので」
あの場で許されもしていないのに勝手に喋ったのは義姉くらいのものだ。
「それと、大事なことなので何度も申し上げておりますが、私がしているのは尻ぬぐいです。奪うというのは持っている人から取り上げること。お義姉様は何もかもを捨てたのですから、それをそのままにしておいたらこの国を危険に陥れることになります。それを無責任に傍観していてはファルコット伯爵家はどうなります?」
「そうやってうまく国王陛下や王妃殿下にまで取り入ったのね。恥を知りなさい!」
恥ずかしいのは城の廊下で、しかも隣国の王子の前で騒いでいる義姉のほうだと思うのだが。
ちょっと周りを見てほしい。
エドワード殿下も、その少し離れたところに控えている側近らしき人もどん引きしている。
「いきなりすべてのお役目を放り出して多大な危険と迷惑をかけておきながら他国の威を借りて戻ったお義姉様はエドワード殿下に自分の主張を言わせるだけで一言も謝罪なさらないのですか」
「私にそうさせたのはこの国よ」
「エドワード殿下は一方的であったと謝罪し、会話をしようと提案してくださいました。お義姉様は会話をするつもりがおありですか? 一方的に文句を仰りたいだけでしたら、またの機会にしてください。他の方々の貴重な時間を浪費させるわけにはまいりませんので」
カインツ様に私をレガート殿下の執務室に送り届けるという指示を果たして、早く本来の役目に戻ってもらわなくては。
いくら殿下が鍛えていて、城に警備の手があるとは言っても、私がその護衛をいつまでも借りていていい理由にはならない。
エドワード殿下とて、いつまでもこのような場所で立ち話をさせているわけにもいかない。
「それに、あなたのそのベールはなんなの? 私はエドワード殿下の婚約者としておいそれと顔を晒すわけにはいかないから仕方ないけれど」
え。婚約者!?
既にそこまで決まっていたの?
しかし驚きに目をむいたのは私だけではなかった。
エドワード殿下もばっと隣の義姉を振り向き目を見開いている。
っていうかそもそも聞いていた理由と違う。
義姉が勝手にそう思い込んだのか、義姉をなだめるために誰かにそう言い聞かせられたのか。
「あなたなんかがもったいぶって顔を隠す理由なんてないでしょう! また私の真似をしたいの!?」
私のほうが先にベールをつけてましたよね。
そう告げる暇もなかった。
眼前まで迫っていた義姉はぐいっと私のベールを引っこ抜くように思い切り引っ張った。
追い剥ぎか。
しかしその行動に私よりも驚いた人がいた。
エドワード殿下は私の顔を凝視し、呆然と声を上げた。
「――あなたは!」




