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奪ったのではありません、お姉様が捨てたのです  作者: 佐崎咲
第一章 最後の尻ぬぐい
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第1話 ヒロインという人

 一週間前のこと。

 私はいつものように義姉の部屋の前に立つと、深い深呼吸を二回繰り返し、笑顔を浮かべてから扉をノックした。


「お義姉様、少しよろしいでしょうか」


 ――返事がない。

 寝ているのだろうか。いや先ほど帰ってきたばかりで爆速で眠りに落ちるほど義姉が疲れているわけがない。

 義姉は自分が疲れるような事態には、決してしないからである。


「入りますよ?」


 もう一度声をかけてそっとドアを開けると、義姉はソファに腕組みをして座っていた。

 その指は絶え間なく自らの腕をトントンと叩き、苛立ちを滲ませている。


 やっぱり帰ろうかな。

 いやここで私が逃げるわけにはいかない。

 なんとかその場に踏みとどまると、義姉が不機嫌を隠しもせず「なに?」とこちらを睨む。


「今日の生徒会でのことなのですが、あのように些末なことで申請を却下されては、本来の生徒会としての役目を果たせませんし、もう少し――」

「何を言っているの? 誤字脱字があるような書類を受け付けることなどできないでしょう。それではあの生徒のためにならないわ。そんな書類が増えたら他の生徒会役員とて困ることになるのだし」


 いやあ……。

 書類って言っても、音楽室の私的使用許可申請なんだけどな。

 別に多少の誤字脱字があろうが、誰も困りはしない。

 文官になるわけでもない彼女の将来に何も響きはしない。

 っていうか誤字って言っても、見る人によっては違う字に見えなくもない、という程度のことだ。

 内容自体に不備はなかったし、音楽室なんて他に借りたい人がいるわけでもないのだから、いちいち突っかかるようなことではない。


 そしてそれよりも副会長としてもっと大事な仕事があるわけで、仕事の優先順位だとか、時間を割く割合だとか、予定だとか、そういったものを考慮して進めてほしいのだけれど、『真面目』で『優秀』な義姉はそういう細かいところが許せないようで、いちいち突っかかっては他人に訂正と謝罪を求めることばかりで、あらゆる仕事が停滞していた。

 今日も義姉の長々としたお説教で時間は過ぎていき、生徒会長であるレガート殿下が遅れてやってきたところで、「きちんと書き直して再提出をしていただいたら、その時内容を確認いたします。今は内容を見るに値しませんので。忙しいのでこれで失礼いたします」と『却下』の決裁箱に入れて帰ってしまった。

 殿下に事情を話すと、それを拾い上げ申請書に目を通し、「こちらで問題ない」と判を押し、『承認』の決裁箱へと入れた。

 本来はそれだけの仕事なのである。

 生徒は義姉から解放されたことと、無事承認を得られたことにそれはそれはほっとした顔をして、殿下に大きく頭を下げて部屋を出て行った。


 やることなすこと、この調子。

 義姉はよく言えば真面目、ということにはなるのだろうけれど、より相応しい言葉を選ぶなら、『単なる頑な』で、もっと言えば『他人にやたら厳しい』だけに思う。

 それも筋が通った厳しさなら文句もないのだが、ああして本質ではないところでいちいち突っかかる。ただの性格の悪い人でしかない。

 本人は至極真面目なつもりでやっているのだから、なおたちが悪い。


 生徒会の仕事も、義姉が停滞させた分は仕方なく他の生徒会役員で手分けし、遅くまで残って処理することになる。

 私は役員ではないが、義姉が迷惑をかけていると聞き、せめて雑務を手伝わせてもらっている。

 生徒会のことだけではない。


 使用人にも同様に当たりがキツイから、義姉付きの侍女はすぐに辞めてしまう。

 日替わりの持ち回りにしてなんとか被害の集中を避けようともしたが、義姉に「効率が悪い」の一言で斬って捨てられた。

 侍女が定着しないほうがよほど効率が悪いのだから態度を改めればいいのに、義姉は正しいことを言っているだけなのだから改めるも何もない、と何を言っても聞きはしない。

 使用人にもなんとか気持ちよく働いてもらいたいのだが、目に見えて私が使用人たちを庇うとお説教時間が倍になるから、裏でフォローするしかない。


 そうして義姉はあらゆるところで衝突を起こし、人々の神経を逆なで、仕事を阻害して回っていたから、私はその『多忙』な義姉が通った後を追いかけては尻拭いをして回るという日々を送ってきたのだ。


 だから今日も『頼んだわよ! 彼女をどうにかできるのは身内であるローラだけなのだから』とあれこれ託されて帰宅したわけで、他にも言わねばならぬことが盛りだくさんである。

 だから義姉を怒らせて部屋を追い出されてしまっては最後まで言えなくなってしまうから、生徒会のことは「明日は音楽祭についての話し合いだそうです」と伝達だけして終わらせた。


「それから、ディセール侯爵夫人から言伝を預かっております。『第三代王妃マリアンヌ様の日記』を明後日までに読了するようにとのことです」


 そう伝えると、大きな大きなため息が返った。


「王太子妃教育で何故個人の日記などを読まなければならないの? 古くからそのようなやり方が受け継がれてきていて、誰も変えようとしないだなんて、思考停止しているわ」

「たくさんの危機に見舞われ、波乱万丈な人生を送られたマリアンヌ様の一生を通して、王妃に起こりうるあらゆる事態を想定して思考訓練を積み、議論を重ね、策を講じておくことで、有事の際に慌てず、瞬時に何通りもの策を立て、その中で最良と思われる行動を取れるようにする。という意図かと思いますが。有事に対して最初から最適解が用意できるわけではありませんし、状況によってとれる方法も最善も変わりますから」

「そんなことはわかっているわ。けれど非効率よ。日記をすべて読むだなんて、無駄でしかないわ」

「でしたら要約されてはいかがですか? 一度は時間がかかりますが、次代、さらに次代と引き継いでいくことを考えれば、今ここで時間を使っても有効かと」

「そんな時間がどこにあるというの? 私はあなたと違って暇ではないのよ。そう言ったからにはあなたがおやりなさい」

「……はい」


 結局こうなったか。

 しかし文句を言ってばかりで王太子妃教育がまったく進まないとディセール侯爵夫人の胃を痛めさせてしまっているところでもあり、とにかく義姉に必要な教育を早々に受けてもらわねばならない。


 それに、こういうのは慣れている。

 この国では女でも後を継ぐことができるから、唯一の実子である義姉が後継ぎ教育を受けることになった時も、「何故淑女教育とあわせてこのようなことまで覚えなければならないのかしら。後継ぎとして一般的な内容といったって、すべてがファルコット伯爵家で必要になる知識でもないでしょうに。無駄が多いわ」と家庭教師に文句を言って時間は過ぎていった。

 私は淑女教育は受けさせてもらっていたけれど、後継ぎには決してならないから「あなたはお気楽でいいわね」と義姉に冷たい目で見られていた。

 世話になる一方で役に立てていない自覚もあったから、私は義姉の家庭教師から教育の予定を聞き、それにあわせて自分で要約を作り、事前に義姉に渡すようにした。

 義父にも掛け合い、ファルコット伯爵家として必要な知識や重点的に学ぶべきところを家庭教師とすり合わせてもらい、内容の見直しをしてもらった。

 文句が尽きたわけではなかったが、それでなんとか大人しく教育を受けるようにはなった。


 その後義姉はレガート殿下と婚約し、義父亡き後はその弟がファルコット伯爵を継ぐことになったから、結局義姉がその知識を使う時は来なかったわけだが。

 そのころから私が義姉の手足となって駆けずり回るのがすっかり当たり前になってしまった。


 ただ、それは義姉に命令されてのことではない。

 私には義父に育ててもらった恩があるから、少しでもそれを返したいと思ってのことだった。


 私は平民に生まれ、母は美しさと優しさだけが取り柄の生活力のない人で、当時は叔母がいなければ私たち親子は暮らしていけなかった。

 父が町の子供たちに剣を教えていくばくかの生活費を得てなんとか暮らしていたけれど、人がよく、不器用で、自分たちの暮らしよりも人助けをしてしまうような人だったから。

 たぶん母はどこかのお嬢様で、父と駆け落ちをしてきたのだと思う。

 叔母についても、母とはまったく似ていなかったし、あれこれ文句を言いながらも世話を焼いてくれていた関係性をみるに、幼い頃からの侍女とかだったのかもしれない。


 五歳の時に父が亡くなって母も働くことになり、そこでファルコット伯爵に見初められると、叔母は母の幸せを邪魔するまいというように姿を消してしまった。

 私だって、血のつながらない子など修道院へやってしまえと言われてもおかしくはなかったけれど、義父は私をファルコット伯爵家に迎え入れ、温かい食事とふかふかのベッドを与えてくれた。

 こんな贅沢があるのかと感動し、食べるものの心配をしなくてすむ生活に安堵した。

 母が亡くなり、義父が亡くなった今もファルコット伯爵家に置いてもらえているのは、学院を卒業するまではこれまで通りの生活ができるよう取り計らってくれていたからである。

 だから義父には心の底から感謝しているし、亡くなる直前まで義姉の心配をしていた義父のためにも、義姉の評判を落とすわけにはいかないと尻拭いに駆け回っているのだが。


「それから、明日の聖女のおつとめは必ず来るようにと――」

「ねえ。何故いつもそれらをあなたが伝えてくるの?」


 それは、グチグチ文句を言われて無駄に疲れるから。

 みんな義姉とは直接話したがらない。

 できるなら私だって逃げたい。


「いつも多忙なお義姉様を煩わせまいと、皆様お気遣いくださっているのかもしれません」


 なんとか笑顔でそう返すと、義姉はちらりと私に視線を向けて何度目かわからないため息を吐き出した。


「誰にでもそうしていい顔をして、取り入っているんでしょう」

「笑顔は潤滑剤ですので、出し惜しみはいたしませんの」

「そうして私の周りの人たちもみんな奪っていったものね」

「……お義姉様と親しくされていた方とのお付き合いは今も昔もありませんが?」

「いつも人に囲まれているじゃない」

「それは事実ですが、もともと私の友人です。お義姉様の周りにいらした方の顔も名前も覚えていらっしゃらないのですか?」

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