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第4話 夢の中なら

 暗闇の中にうっすらと光が見える。

 自然とそれを辿れば、ゆっくりと光が広がっていき、かと思うとやがて光は溢れんばかりになり、私は耐えられなくなり目を瞑った。


 再び目を開くと、私は見慣れない部屋にいた。

 右の壁には本棚、左の壁には広がる野原の絵が飾られている。

 奥の壁の前には執務机があり、黒髪の人物が組んだ腕の上に突っ伏すように眠っていた。

 レガート殿下だ。


 ということはここは城にあるレガート殿下の執務室なのだろうが、何故私はそんなところにいるのか。

 さっきまで私は何をしていたんだっけと、頭を巡らせる。

 確か、指輪を殿下に託した後は一緒に食事をして、その後は疲れていたからさっさと眠りについたはず。

 だけどこの窓の外は真っ暗だから、朝になって目覚めたというわけではなさそうだ。

 ということは、これは夢?


 私は自然と執務机に向かって歩き出していた。

 横から殿下の顔を覗き込むが、瞼は堅く閉じていて開きそうにない。

 顔の下に敷かれた指には父の形見の指輪が嵌められたまま。

 指も、顔のラインも、どこもかしこも骨ばっていて、自分とは違う生き物なのだとまじまじと観察してしまう。

 いつも引き結ばれている薄い唇がうっすらと開き、そこから呼吸が漏れ出しているのが、力を抜いて見えてなんだかくすぐったいというか。

 母性本能をくすぐられるというのだろうか。不思議な感じだ。

 こんなに無遠慮に眺めることなどできないから気づかなかったけれど、右のおでこには小さなほくろがあった。


 吸い寄せられるように手を伸ばすと、ぱしりと掴まれ、びくりと肩を揺らした。

 ――はずだったのだが、私の手は捕まることなく私の胸元に引っ込められている。

 殿下の手はそのままそこで空を掴むように拳を閉じた。


 どういうことかとまじまじと自分の手を見下ろせば、なんだか透けている気がする。

 だがそんな驚きはさらなる驚きに上書かれてどこかへいった。


「ん……、なんだローラか」


 ゆっくりと瞬きをしたレガート殿下が、そう言って笑ったのだ。


 寝ぼけているのか。

 見たこともない、とろりとした笑みだった。

 誰?


「どうした? 驚いた顔をして」


 そう言って、頬杖をついてこちらを見上げる目はどこか野性的で。

 なのに、どこか甘い。


 なんだ、これは。

 心臓が全力で私に戸惑いを伝えてくるのをなんとか無視して口を開いた。


「いえ、驚きもしますよ。急に手をつかまれそうになったのですから」

「うん? そう言えば先ほど確かに掴んだはずだが」


 空っぽの手の中を見下ろし、殿下が再び私に手を伸ばす。

 反射的にのけぞると、やや間をおいて殿下がにやりと笑った。

 何故笑う。


「唐突になんですか」

「もう一度確かめてみようと思ってな。逃げるな」


 なんだこの野獣は。

 思わずじりじりと後退すると、立ち上がった殿下もじりじりと距離を詰める。


「よく見たら透けているな」

「そうなんですよね」

「そうか。これは夢か」

「そうですよね。夢ですよね」


 さっきから殿下が笑ってるし。野獣みがすごいし。


「じゃあいいな」


 なにが?

 夢だと確認できたのに、何をまだ確認することがあるのか。

 変わらずこちらに迫ってくる分後退していると、殿下がぴたりと止まった。

 ソファに足がぶつかったからだ。


「俺だけ透けていないな」


 殿下。周囲に人がいないときは『俺』って言うんですか。

 ますます野獣み。


 っていうか、夢なのだから、これは私が想像した殿下ということになる。

 夢は願望の現れだと聞く。だとしたら、私は殿下にこんな姿を望んでいたのか?

 いやいやそんなの考えたこともない。

 婚約者としての距離すらどうすればいいかわからず戸惑うことしかできなかったというのに。

 そうだ、望んでなくとも怖い夢や驚くような夢だって見るのだから、こんなこともあるだろう。

 こんなにハッキリとした夢など初めてだけれど、まあ夢なら怖くはない。


「私を捕まえることはできないようですよ、殿下」


 にやりと笑い返し、壁のほうへと遠ざかりながら浮き上がると、とても気持ちがいい。

 こんなこともできるなんて、さすが夢だ。

 しかし私の天下は一瞬で終わった。

 殿下はソファの背に手をかけると、ひらりとそれを飛び越え、ずいっと私の眼前に迫ったのだ。


「だが追い詰めることはできるようだな」


 私の顔は、青いのか、赤いのか。

 ぱくぱくと口を開閉するしかできずにいる私に、殿下がにやりと笑う。

 完全に捕食者の顔じゃないか。

 自由に浮ける体のはずなのに固まってしまって動けない私に、殿下がそっと手を伸ばす。

 触れる――と心臓が一際高く鳴った瞬間、撫でるような殿下の指が私の頬を突き抜けた。


「やはり触れないのか」


 どこか残念そうに呟いたレガート殿下に、私は形勢逆転とばかりに口角を上げた。

 だがしかし。


「それなら安心だな」

「だから何がですか」


 そう言われると逆に安心できない。


「ローラが逃げなくて済むだろう?」

「なんで捕まえようとする前提なんですか!?」


 何がしたいのかと思わず食ってかかると、殿下は背後にあったソファにぼすりと座り込み、背もたれに頬杖をついて私を見上げた。


「それは試したかっただけだ。ローラは手に触れただけで固まり、隣に立つだけでぎこちなくなるだろう。なるべく触れないよう気を付けていたのだが、夢ならその心配がいらない」


 気づかれていた恥ずかしさたるや。

 透けているはずの体なのに、体温が上がるのがわかる。たぶん顔は真っ赤だ。

 レガート殿下はため息を吐き出しながら足を組んだ。


「不用意にそんな顔をするな。ローラの安全は保障されているとはいえ、俺の精神衛生上の問題がある」

「私に腹が立ってもやり返せないからですか?」

「そうだな……。どうせやり返すの中身も幼い想像しかできていないようなローラに本気でやり返すわけにはいかんからな」

「幼いって。もう十六歳ですよ」


 何故無言。


「――ローラの頭にはこれまで結婚とか婚約とか恋人とかそういうものが決定的に欠如していただろう。それでは婚約者とは言えど、うかつに手は出せん」

「手……! 婚約者でも手はダメですよね?! そういうのはけこんしてからであって」


 噛んだ。

 恥ずかしいところで噛んだ。


「もちろん一線は守るが、婚約者なら許されてしかるべき線というのもあるだろう」

「ああ、失礼しました。手を出すって、手をつなぐとかそういうことですね。早とちりしました」

「『早とちりしたほう』がおそらく正解だ」


 武骨だと思っていたレガート殿下が肉食系だった件。


「……何故こんなにも昼間の殿下と違うのですか」


 これは夢なのだとわかっていても、聞かずにいられなかった。


「今も昼間も変わらず俺だ。だが俺も寝ぼけていたし、ローラがいきなり現れるのが悪い」

「それって、昼間の殿下は素ではないということではありませんか」

「だから、昼間も変わらず俺だ。ただ抑えているだけのこと。いきなりローラに迫ったら困るだろう?」

「当たり前ですよ!」

「だからだ」


 いや全然説明が足りてませんが。

 私の不満が伝わったのだろう。

 殿下は足を組み替えると続けた。


「ローラが言ったのだろう。わかりやすく伝えつつ、だがゆっくりとがいいと」

「……婚約がわかる前に廊下で話した時のことですか?」


 あの時は自分が婚約者になるなんて思ってもいなかったからはっきりとは覚えていないのだが、殿下は「そうだ」と頷き、再びソファの背もたれに頬杖をついた。


「それに、婚約者が挿げ代わって突然タガが外れたようにローラに迫っては、元からそういう仲だったのではないかとあらぬ噂が立つ。だから『武骨な殿下が新しい婚約者に逃げられまいと誠実に少しずつ距離を縮めようとしている』んだよ」

「え。それも全部意図的にしていたということですか?」

「そういう言い方をするならそうだが、俺は理性的な対応を極力心がけていたというだけで、言葉も態度も何も偽ってはいない。すべて本音をぶちまけてしまえば、ローラが自然でいられなくなるからな」

「え」


 本音って何。


「それと、たぶん俺のタガが外れて困ることになる」


 その言葉に、なんだかずっと思われていたような錯覚をしてしまい、そんなわけがあるかと首を振る。

 これまで事務的なやり取りか、世間話、それから生徒会室で激論を交わしていただけなのだから。


「タガ、タガ、って何をそんなに外すことがあるんですか」

「これまでどれだけ我慢してきたと思っている? 婚約者として触れてもいいというのに、どこまでも我慢できるわけではない」


 義姉は殿下に好意的ではなかったから、婚約者ではあったけれど不用意に近づかないようにしていたのだろう。

 そう思うと申し訳ない限りなのだが、やはりまだあと少し、心の準備ができるまで待ってほしい。


「それは、確かに義姉があのような態度でしたからご迷惑をおかけしましたが――」

「誤解するな。触れたいと思うのはローラだけだ」


 何その殺し文句。

 何その野獣み溢れる流し目と微笑。


 夢が自分の想像力を超えてくることなどあるだろうか。

 私の脳は許容限界を超えたらしい。

 ふつりと唐突に暗闇が訪れ、ぐんっと何かに引っ張られるような、急降下するような感覚を覚え、はっとして目を開くとそこは見慣れた天井だった。

 私は呆然と身を起こした。


 辺りは見回せば、真っ暗な中に壁の奥に置かれた小さな本棚が見える。

 視界のすぐ下に広がるのは真っ白な布団。

 ここは、私の部屋だ。

 止まっていた息を一気に吐き出すと、ばたりと体を折り布団に突っ伏した。


 なんという夢を見たものか。

 今の今まで全力で叫んでいたかのような、謎の疲労感がある。

 ゆっくりと体を起こすと、布団の上に置かれた左手の指がきらりと光った。

 母の形見の指輪だ。

 カーテンの隙間から月の光が零れて私の手を照らしている。


 もう一度横になっても眠れる気がしない。

 心臓が変な音を立てている。

 けれど寝なければ明日がもたない。明日は大事な日なのに。

 私はぱたりと布団に倒れこみ、ゆっくりと深呼吸をしながらもう一度目を閉じた。


 寝よう。

 寝るしかない。


 そう言い聞かせじっと目を瞑るうち、いつしか私は再び眠りに落ちていた。

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