06,河童覚醒! 打ち砕け、目に見えぬ地縛の鎖ッ!!《後編》
陰陽師連盟奥武守町支部に地縛されている霊、冷体井幽子には生前の記憶がほとんど無い。
覚えているのは、自分が元々は祓魔師として働いていた陰陽師であり、淋しがり屋な性格であると言う事だけ。
何故に自分が死んだのか、そして地縛霊になったのか、欠片も思い出せない。
まぁ、それがわかった所で生き返れる訳でもなし。正味、どうでも良かった。
地縛霊として、幽子は日々を過ごす。
支部の職員は誰も幽子の存在に気付かない。それもどうでも良かった。
何故なら、同僚たちが頑張る姿を傍から眺めているだけでも、淋しさは和らいだから。
私はここに独りではない。それだけで良かった。
――それだけで、良かったのに。
悲劇は半世紀ほど前。
陰陽師連盟奥武守町支部は、陰陽師連盟の組織規模縮小に伴い、無期限で業務を停止する事になってしまったのだ。
誰も、もうこの場所には来ない。しかし幽子は地縛霊。動けない。見えない鎖が、彼女を雁字搦めに囚えて離さない。
幽子は、独りになってしまった。
不自由と孤独は淋しさは募らせ、やがて募った淋しさは狂気に変わる。
長い年月の間に積もった狂気が【ただの地縛霊】を【悪霊的地縛霊】へと変貌させてしまったのだ……!
◆
「あらあらあら。そんなに恐い顔をしないで。さっきみたいに当たり所さえ間違えなければ、痛いのは一瞬よ。まぁ、私、死んだ時の事は覚えてないからぁ、多分だけど」
クスクスと、下衆めいた笑顔で語る元エクソシスト地縛霊シスター陰陽師、幽子。
肩を矢で穿たれ痛みに喘ぐ皿助と、彼を抱いてひたすら動揺困惑する晴華の姿を、幽子は愉快そうに見下ろす。彼女の心境に合わせてか、弓矢を構えて皿助たちを包囲する幽子の分身たちもクスクスと静かな笑い声を上げ始めた。
「ど、どうしましょう、べーちゃん……状況がいまいち飲み込めてないんですけど、ピンチですよねこれ……!?」
「ぐぅっ……ああ、すごくピンチだ……!」
だが、皿助は既に打開する算段を付けていた。
しかし……その準備を幽子が大人しく見守っていてくれるものか。
……背に腹の代打は務まらない。皿助は意を決する。
「ッ……晴華ちゃん、すまない。後で必ず償いはするッ!」
それだけ伝えて、皿助は健常に動かせる左手を、ある場所へと伸ばした。
そこは……晴華の胸元。晴華の豊満素敵ボディが織り成すロマンに塗れた谷間に、その手を突っ込んだのだ。
「……――ッ、ほえああぁあッ!?」
晴華の顔が、一瞬にして茹で上がったロブスターの如く真っ赤に染まる。
許してくれ、と皿助は罪の意識に歯噛み。しかし、状況が状況故に何だ柔らかく暖かい至福ッ。ドプンッと簡単に沈み込んでしまったその先には、人肌より少し高めに保たれた温もり。そして、その温もり故にやや汗ばんでいたのだろう。ねっとりとした感触に四方八方包まれる。まるで、湯煎したチョコレートに満たされたバケツに手を突っ込んだような気分だ。
実に心地良い感触。この感覚は、感謝しかない。至福。これが官能的至福。人類の約半数が夢中になる訳だ。そんな感想を抱きつつ、皿助は晴華の谷間空間の中で、目的の物品を探り当てた。晴華がいつもそこに収納している、皿助にももう馴染み深いと言える代物。
それは、
「あらあらあら……生命の危機の余り性欲爆発って所かしら。若いわね。良いわよ、三〇分だけ楽しむ時間を……」
「―――機装纏鎧ッ!!」
ドッゴォォォォォオオオオオンッッッ!!!!
とてつもない破壊音を伴って、旧陰陽師連盟奥武守町支部が内側から弾け跳んだ。
繭をブチ破るように、廃墟の壁や天井を内から破壊したのは、ぬらぬらとした輝きに包まれた緑色の機動マッチョゴリラ。ダイカッパーである。
突如、施設内に二〇メートル級の鋼の巨人が現れれば、そりゃあ大抵の建物はぶっ壊れる。建物の倒壊によって巻き起こった粉塵の幕を引き裂いて、ダイカッパーがバックステップ。
『ぐぅ……よ、よし、算段通りだ』
建物の瓦礫が幽子と幽子の分身たちを完璧に飲み込んでくれた。それを確認し、皿助はホッと安堵の息を――
「べぇぇぇぇぇぇちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんッ……!!」
――吐けそうにもない。
ダイカッパーの左掌。そこに乗った晴華が、両手で胸元を庇ってプルプルと震えている。顔は真っ赤で、涙目。正味可愛いな。と言う感想を抱いた皿助だが、それよりも先に口にすべき言葉がある事はきっちり存じている。
『……すまない、晴華ちゃん。急事だったとは言え、非常に無礼な真似をしてしまった』
晴華の了承を得ている間に幽子に射られてしまう危険性があった、とは言え……無許可で女性の胸元に手を突っ込むなど大罪。どんな事情があろうと、許されるべき行為ではない。もはや皿助はひたすらに謝るしかない。
「……うぅぅ……一応、わかりますよ。私だって、わかってます。状況的に今の判断は間違ってなかったと、最善だったと納得もできます。でも……でもやっぱり、うぅ……うきゅぅぅう……」
乙女的恥じらいは理屈ではない。しかして、理屈を弁えぬほど乙女心は理不尽でもない。
諸々の狭間で、晴華は恨めしそうに唸る。
『本当に申し訳ないッ……。この件の責任は必ず…ぐぅっ……!』
「ッ、べーちゃん!? 大丈夫ですか!?」
『ぬ、ぅ……少し、右肩の傷が疼いただけだ……問題、無い』
ダイカッパーの肩に外傷は見当たらないが、実際の皿助ボディは右肩を矢で穿たれたままの状態。そりゃあ痛む。不意に喘いでしまうのも仕方無い。加えて、
『それに……この感じ。それだけでは、ないな』
少し体が……ダイカッパーが重いと言うか、とにかく動かし辛い。全身にじんわりと纏わり付く倦怠感にも似たこの違和感……着衣のまま海に飛び込んだ様な感覚に近い。
それもそうか。と皿助は納得。ダイカッパーはつい二・三時間前に半壊状態にまで追い詰められたばかりなのだ。それでいて何の問題も無く本調子で動作できる方がおかしいだろう。不調は当然。むしろ目に見える損壊が修復されているだけ僥倖か。
『とにかく、今はこの場を離れよう』
相手が相手だ。皿助は幽霊についての知識はほとんど無いが、なんとなく瓦礫で潰した程度で倒せるとは思えない。
そして実際、その「なんとなく」は的中していた。
「……ぁぁぁぁあらあらあらあらあらあらあらあらぁぁああぁあ?」
地鳴りめいた声と共に、瓦礫の膜を裂いて吹き出したのは、腕。黒い袖……修道服の袖だろう。それを纏った滑らかな指をした女性的美しい手。ただ、サイズがおかしい。デカい。ダイカッパーと問題無く腕相撲に興じれるサイズだ。
巨大な腕に続き、その全容が、瓦礫の下から這い出でるようにして現れる。
「ぁぁあなたぁぁ、機装纏鎧って言ったわねぇぇ……まさかまさかまぁぁさぁぁかぁぁ……妖怪だった訳ぇぇぇ……!?」
奇ッッッ怪。それは、紛れもなく幽子そのものだった。幽子が、巨大化していたのである。ダイカッパーと同等程度の巨体だ。細かく言えば、ビッグ幽子の方が若干ダイカッパーより小さいだろうか。
「べ、べべべべーちゃんん!? ゆ、幽子さんが追い詰められた怪人ばりに巨大化してますよ!? 日曜日の朝感ッ!」
『先ほど説明してくれた、あの人の……いや、奴の示祈歪己の能力かッ!』
幽子の示祈歪己は「彼女自身の分身を八体、作り出す」と言うモノ。そしてその分身を合体させて巨大化する事で、機装纏鎧ともタメを張る事が出来ると豪語していた。
どうやら、その分身の集合体に本体自身も取り込んで、現在の禍々しいビッグ幽子を形成しているようだ。
「あぁぁらぁぁああもぉぉぉおおお……すっかり騙されたじゃぁああないのぉぉ……でも、まぁ良いわぁぁあああ。妖怪でも、何でもぉぉぉおおおお……私の仲間になりなさぁぁぁい……」
『話は通じなそうな様子……そして当然、そう簡単には逃がしてくれないだろうな……!』
「当然でしょぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!」
仕方無い、と皿助はダイカッパー背面の覇皿を起動し、浮遊させる。その皿の上に、晴華を優しく乗せ替えた。
『晴華ちゃん、先に逃げていてくれ。俺も必ずどうにかする。朝の河川敷で落ち合おう!』
「た、戦う気ですか!? でも、べーちゃん、今朝から連戦で、しかも右肩が……」
『止むを得ないッ!!』
皿助がこのまま晴華と共に逃げて、ビッグ幽子の方が足が速かった場合。晴華もろとも後ろから襲われる事になる。晴華を確実かつ安全に避難させるには、皿助がダイカッパーでビッグ幽子を足止めするのが最善。
「うっしゃぁああああるぁあああああああああああああああッッッ!!」
問答無用。さっさと死ね。こっちに来い。そう言わんばかりの勢いで、ビッグ幽子が道中の木々を踏み倒しながら、ダイカッパー目掛けて突進を開始。
『くっ……!』
正確な射程はわからないが、背覇皿は割と遠くまで飛ばせる。晴華を安全圏まで運べるはずだ。
皿助は晴華を振り落とさない程度の速度を意識しつつ、可能な限り速めに背覇皿を遠ざけ、ビッグ幽子を迎撃する態勢に入る。
「あぁぁるぁあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
『先に言っておくッ。害意ある敵に、俺は容赦しないッ!!』
「はいどぉぉぉぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぞぉぉぉおおおお」
『承知したッ。容赦や遠慮の類は排除させてもらうぞッ……覇皿、コネクトッ!!』
皿助は両肩の覇皿を起動。両掌に装着し、構えた。
皿助は既に手負い。ダイカッパーも本調子には程遠い。足止めとは言ったが、可能なら即行で終わらせたい所。初手から決めるつもりで行く。
『喰らえッ、力士百人力鋼掌破ァァァ!!』
覇皿で強化されたダイカッパーの左張り手。狙うは、狂ったように笑うビッグ幽子の顔面ド真ん中、鼻柱ッ。
「あらあらあらぁぁはいはぁぁいッ!! 喰らっちゃうぅぅぅ!!」
ビッグ幽子はダイカッパーの一撃に対し、防御も回避もしなかった。ただただ、口を広げた。人外染みた牙が並ぶその口を、口角がブチブチブチィッと裂け千切れるほどに広げたのだ。
『ッ!!』
その不思議行動の意図、皿助はすぐに気付く。が、間に合わなかった。
刹那。ダイカッパーの左手首から先が、消える――ビッグ幽子に喰い千切られた。
『――ッ』
まるでスナック菓子を咀嚼するように、あっさりと、さっくりと、あまりにも簡単に喰い千切られてしまった!
『ぐ、ぐあああぁぁああああああああああああああああああああッッッ!?』
「んんんんんんぼりぼりぼりぼりぃぃぃぃッッッ!! 妖怪の腕ぇぇッ!! 美味ァァァァーいッ!!」
『ぐくぉ、ぁッ……く、喰われたッ……左手……! 手首から先を……ッ、喰われて、しまったッ……!?』
視界がブレる。聞こえる音が歪む。平衡感覚が狂う。
痛みとは感覚。痛覚だ。視覚や聴覚と同様、脳で処理される。
今、皿助の脳に叩き込まれた痛みの情報はあまりに膨大。激痛。皿助の脳はショート寸前に陥り、正常な稼働状態を維持できなくなったのだ。結果、脳で管理されている様々な器官に異常が発現した。
「あららららららぁぁぁああああ…すごくビックリした様な悲鳴ぃぃぃぃ……そりゃあそうよねぇぇぇあなたすごく堅そうだものぉぉぉ。相当自信あったでしょうねぇ、防御力ッ。でも、残念ッ!!」
失われた左手首を庇い、背を丸めてしまったダイカッパー。
ビッグ幽子は容赦なく、そのダイカッパーの右肩に拳を叩き込む。
そう、右肩ッ。皿助が生身の状態で酷く負傷しているその場所を、殴ったのである。実に外道。
『づッ、ア、ぐあああぁぁあああああああああああああああああッッッ!?』
左手首から先を喰い千切られ、矢で穿たれている右肩を殴打された。
もはや、皿助の脳に襲いかかる激しい痛みは、一介の高校生に耐えられる限界量を遥かに越えている。
思考は痛みに蹂躙・支配され、全身の動作指揮系統も狂乱。ダイカッパーの姿勢を保つ事に意識を割くなど到底不可能。
肩を殴られた衝撃のまま、ダイカッパーは周辺の木々を巻き込みながらドテーンと間抜けに尻餅を突いてしまう。尻から全身へ伝う衝撃が、右肩と左手首の傷にも伝播。更に痛い。
「私の示祈歪己、コンゴウリンダラニのパゥワァァーは一級品んんッ。言ったでしょうッ。当然、顎力もすごくハードッ……そこにこの超健全ホワイトニングな歯が加わればッッッ……噛み砕けないモノなんてないって寸法よぉぉぉぉぉ!!」
ビッグ幽子が狂ったように叫びながら、ダイカッパーに馬乗りになる。いわゆるマウントポジションを確保。
『ぐっ、ァ、ま、不味ッ……』
「あらあらあら。この態勢からまともに抵抗できるとでもぉぉぉお? そしてモチロンッ、体勢を覆す暇も与えなぁぁあぁぁああららららららららららららららららぁぁッッッ!!!!」
マウントポジションを取られた挙句、両腕に負傷を抱え、痛みのせいで思考も散漫。そんな皿助では、ビッグ幽子言う通りまともな抵抗など当然不可能。ビッグ幽子が振り下ろす拳のラッシュを、全てモロに喰らってしまう。
「あらあらあらあらあらあらあらあらあらァァァァッッッ!!」
『ぐあっぐあぐあぐあがぁぁぁぁぁぁあぁぁあああッッッ!?』
一方的。ビッグ幽子は楽し気に拳を乱打し、皿助はただただ痛みに絶叫する。
この光景を見て「戦っている」と思う者はいないだろう。蹂躙だ。巨大なシスターによる、巨大河童蹂躙劇。
度重なるえげつなめなダメージ……皿助の意識は千切れかけ。いや、もう半ば千切れている。しかしここで意識を失えば、死あるのみ。こんな所で死ぬ訳には行かない。晴華と約束した、河川敷で落ち合うと……【良い男】は約束を破らない!!
意地。気合。根性。執念。それだけで、皿助は今どうにか耐えている。だが、それも風前の、いや、嵐の海に浮かぶミニ灯篭!!
『……お、俺は……良い、おと、こ……だ……!!』
せめてもの抵抗。皿助はダイカッパーの右手を、ビッグ幽子へと伸ばした。その右手もあっさりと払い除けられる。
「あらららあらぁ!! まぁだ抵抗する気力があるゥゥッ!! でも確実に弱ってきてるわねぇ~ッ!! そしてこれだけのラッシュゥ!! 意識が続くかァ~続くかァ~続・くゥ・かァ~ッ!?」
ビッグ幽子による慈悲の欠片も無い追撃の嵐。拳の合間に見える邪悪な笑み。
「ほぉらッ!! あぁぁらららァッ!!」
『ぐぁ、あ……ぁ……』
◆
「……ここは……?」
不思議。いつの間にか皿助は慣れ親しんだ景色の中にいた。
殺風景なタダ広い一〇畳間の和室。間違い無い、皿助の私室だ。
「俺の部屋……? 何故だ、俺は確か……」
ダイカッパーとして、ビッグ幽子と戦っていたはずだのに……何故、ただの学生服姿で自室の真ん中につっ立っているのだろうか。意味がわからない。
「不思議そうな顔をしているな」
不意に押入れの襖が開き、中から登場したのは……
「キミは……俺か!? それも小学生の頃の……ッ!?」
なんと、押入れから出て来たのは、どう見ても幼き日の皿助だった。
当時お気に入りだった緑色のTシャツに短パン、黒いランドセルを背負いこなし、虫取り網を装備したあの完全なる小学生……間違い無い。そう言えば、あの頃は青い猫型ロボットを取り上げたアニメの影響で、押入れ就寝が皿助のマイブームだったっ。
「まぁ、姿形はその通りだ。肯定しよう。便宜上、キミの過去の姿を使わせてもらっている」
「その口ぶり……俺の幼少の姿を模しているだけで、俺ではないのか?」
「当然。キミはキミだけだ。俺がキミであるはずがない……どうやら諸々の説明が必要だな」
幼き日の皿助……の姿を模した【何か】はやたら物知り顔だ。この突拍子の無さ過ぎる現状、混乱に満ちた自分の脳であれこれ推理するより、素直に教えを乞うのが最高効率的だろうと皿助は判断する。
「まず、ここはいわゆるキミの【精神世界】だ。夜、床に就く時に見る【夢】に近い世界だと思え。キミは意識を失い、意識が【眠っている時の状態】に非常に近いため、ここに来れた」
「つまり俺は……」
「あの修道女の幽霊にしたたか打ちのめされ、情けなく失神し、今まさに敗北しようとしている所だ。おそらく、もうすぐトドメを刺されるだろうな。キミは死に、完全敗北。この世界も崩壊して完全終了、消滅あるのみ。美川皿助の来世にご期待ください……と言った所かな?」
――いや、あの幽霊女の口ぶりからして地縛霊の仲間入り……転生は望み薄か?
ショタ皿助を模した何者かは口元を隠して茶化すように笑う。
「笑えない冗談だッ!!」
ここが夢だと言うのなら、早く現実に戻らねば。
皿助は出入り口の襖を開けようとするも、微動だにしない。
「愚か者め。ここはキミの部屋を模しているだけの空間であって、実際のそれとは勝手が違う。この空間がこの精神世界の全てだ。その先には何も無い。それに考えても見ろ。現実のキミはボロカスだ。頼りのダイカッパーも、見た目こそ取り繕えちゃいたが、実際は今朝からの連戦ですっかりガタガタの廃品スレスレ状態。廃車にどれだけ上質なガソリンを注いだって満足には走れない。キミがどれだけ気張っても、今のダイカッパーではそれに応える事は出来ないんだ」
ショタとは思えぬド正論。皿助は返す言葉を見つけられず黙り込む。
「よしんば現実に戻れたとしても二の舞以下。すぐにここへ戻ってくるぞ」
「だとしても……だとしてもだッ。ただ死を待つ道理は無いッ!!」
「おいおい……おいおいおいおい。誰もただ死を待てとは言っていないぞ。気持ちはわからんでもないが、早合点とは愚かしい。落ち着いて話を聞け」
「話だと……あ、そう言えば、まだキミの事とか聞いていないぞ!?」
「ああ、そうだ。これから話そう。どうか落ち着いて、俺の話を聞いてくれるかな?」
混乱の境地に立つ中、皿助はどうにか思考を働かせる。
「この状況で、その不遜な態度から話を切り出す……キミは、この現状をどうにかできると?」
「今『そんな都合の良い話があるものか』と考えたな。愚かしい」
フンッ、とショタ皿助が鼻で笑う。
「キミは【地球】についてどう思うね?」
「地球、だと?」
「そう、地球だ。他の太陽系惑星と比べて、随分と人類に取って都合の良い惑星だと思わないか?」
「唐突に壮大過ぎる……話が見えないぞ。一体、何が言いたい?」
「キミはもう既に、地球と言う人類に取って『都合の良い出来事』が『都合良く億万と積み重なり』、『非常に都合の良い環境に至った惑星』で生きているんだ。そしてキミは、その実に都合の良い惑星で、都合良く餓える事無く健やかに育てる家庭に生まれ、都合良く今まで命を落とすような事件事故に巻き込まれる事も無く、都合良く死病を患った事も無い。だから都合良く今も生きている」
「…………!」
「理解したか? キミの人生は都合の良い出来事の連続だ。キミに限らず大抵の人生はそうであると言える。そこに今さらひとつやふたつの都合の良い出来事が起きた所で、何の不思議がある?」
「な、何の不思議も無い……聞かせてくれ。キミの……いや、貴方の話をッ。この現状を打破できる【都合の良い方法】をッ!!」
「イエス無論。そのために俺は都合良く発現したのだからな。さて、ではまずは自己紹介だが……」
ショタ皿助の表情はまさしく不敵。「ふふっ、俺を頼るが良いぞ」と言う不遜な自信に満ちている。
「俺は、そうだな……ひとまず【マカ】と名乗らせてもらおう。そんな俺が何かと言うと、端的に言えば……」
マカが静かに指差したのは……皿助。
「キミの中に眠っていた【示祈歪己】。その擬人化的アイコン、とでも言うべき存在だ」
「俺の示祈歪己だと……しかし、示祈歪己は一部の資質ある人間が持つ超能力なんだろう!?」
幽子は確かにそう言っていた。あの矢で射抜かれたら示祈歪己が発現すると言うのが虚偽だった以上、皿助が『都合良く』示祈歪己を発現する道理なんて……、――っ!
「まさか……つまり、そう言う事なのか!?」
「そう、キミは既にッ、『都合良く』ッ――『示祈歪己の資質を持っていた』ッ。それがあの幽霊から示祈歪己の話を聞いた事で示祈歪己の存在を認識し、俺が……キミの中の示祈歪己が目覚めたんだッ!!」
――認識する事。それは些細な事の様で、とても重要な【儀式】だ。
例えば、「殴られると当然痛い」。それを認識する事で、人は「殴られそうになったらガードなり回避なりした方がお得」と言う知恵を得る。認識する事で、人は変化するのだ。知らぬと知っているでは大違いなのである。皿助は示祈歪己を知らなかった。だが知った。認識した。人間の中には、そう言う事ができる者がいると。現実的に有り得る事なのだと。そして訪れた変化が、示祈歪己の発現。この現状。
「今から俺の……君の示祈歪己の【能力】を説明するッ。そのために俺はここにいる。キミと対面しているのだ。そして、その【能力】は示祈歪己であるが故に当然ッ……キミの願望、【祈り】に応える能力であると言う朗報をまず伝えようッ!!」
「それは嬉しいッ!!」
「だろうッ。さぁ、知るが良い。【良い男】になるための、キミの新たな力……その名も【真化巫至極】をッ!!」
◆
「あぁぁらぁぁぁ……? あらあらあらぁぁ? 動かないわねぇ動かなくなったわねぇ?」
ダイカッパーがピクリとも動かなくなったのに気付き、ビッグ幽子はその邪悪な笑みを濃くした。
「気絶した。失神した。意識を失ったぁぁぁ……きゃひッ、きゃひはははははははははははッ!! つまりつまりつまりつまりッッッ!!」
ビッグ幽子がガバッと盛大にその両手を広げる。すると、その右掌からは金色の矢が、左掌からは金色の弓が飛び出した。先ほど、幽子が皿助に対して射った弓矢とデザインは同一だが、サイズは段違い。ビッグ幽子の体躯に合わせて拡大化されているのだ。これも示祈歪己と言う不思議な力の成せる技か。
「好きにしてOKのサインッ……例えるならばっ、まな板の上で鯉が昼寝をし始めた様な状況!!」
死人とは思えない元気ハツラツぶり。元気なビッグ幽子は真下……自身が尻に敷いているダイカッパーの額に鏃の照準を合わせ、弓を引く。
「晴華ちゃんはもう逃げられちゃったからしょうがないけど……あんたは絶対に逃がさないぃッ。そして私たちは二人で、陰陽師連盟奥武守町支部を盛り立てて……盛り立て……」
ふと、ビッグ幽子は気付いてしまった。
「……陰陽師連盟奥武守町支部がぁぁぁあぁぁああああああああっ!? なんで!? 支部なんで!? ごぼあぁ!? 支部がッ!? ぅ私のシブがぁ!?」
そう、陰陽師連盟奥武守町支部は……先ほど、倒壊した。ダイカッパーが出現した事によって。
「ぅ、ぅううおぁえええあああぉぉおおおおおぼぉぉぉおおおおおッッッ……ッゥ!! ゆる、許せなぁぁいッ!! 元々殺す気だったけど更に殺すゥ!! 慈悲は無いッ! そして決めたッ! あんたが幽霊になってまず最初にやる仕事は、支部の建て直しよッ!!」
『……そ、れは……無理な、相談……だッ!!』
「ッ!?」
ビッグ幽子が支部だった瓦礫の山からダイカッパーへと視線を戻した瞬間。彼女の鼻っ柱に、ダイカッパーの右張り手が突き刺さった。いつの間にか、皿助が意識を取り戻していたのである。
「はごぁッ!?」
現状、ダイカッパーは大したパワーを出せない。覇皿の強化を受けても、その張り手の威力はたかが知れている。だが、振り向きざまに顔面不意打ちを受ければ、誰だってびっくりするのが必定。かなり怯む。ダメージは大した事なくとも、隙を作らせる効果は大きい。その隙を突いて、皿助はビッグ幽子を振り落とした。
「あでぁぁぁ……!?」
『ぐぅっ……痛いが我慢ッ、一旦離脱……ッ!!』
ビッグ幽子の殴打により、ダイカッパーの上半身の装甲は亀裂まみれ。生身で言えば打撲や裂傷まみれだ。そして右肩と左手の傷。軽く動いただけでもまた意識が飛びそうになるが、そこは持ち前の気合でふんばり、皿助はダイカッパーを跳ね起こす。そして立ち上がると同時、即座に後退してビッグ幽子から距離を取る。
「あ、ぎ…て、ててテンメェェェッッッ……乙女の顔に何してくれてんのよぉぉぉぉおおおおおおおおッッッ!?」
『最初に言った……害意ある敵に、俺は容赦しないと……!』
立っているのもやっと。ダイカッパーの足をフラつかせながら、皿助はあるポーズを取った。
傍から見れば、その姿は「右掌で喰い千切られた左手を庇った」……もしくは、
「あらあらあらなになになにッ!? もしかしてぇ、今さらァ……神頼みなのォォォ!?」
そう、その姿は「手を合わせている」……即ち合掌しているように見えるだろう。さながら、神に祈る敬虔な信徒の様に。まぁ、左の掌は無いので、合掌であるとは言い難い。実に合掌的なポーズ、だ。
「残念だけどぉぉ、今の私の怒りはぁぁは神さまでも止められはしないのよぉぉぉぉおおおおッ!!」
『修道女の、発言とは…思え、ないな……』
「黙れぇぇぇぇッ!! 今すぐ! 今すぐ私の仲間になれぇぇッ!! そして支部を建て直せぇぇぇ!!」
『無理な相談だと言ったッ!!』
ビッグ幽子が再びダイカッパーに飛びかかろうと腰を落とした時、異変が起こった。ダイカッパーの合掌状態にある両手が、目にやかましく輝き始めたのだッ。
「ッ!? ま、まさかこの光はッ」
その輝き。当然、ビッグ幽子はご存知。何せ、数分前に自身も放った光だ。
ダイカッパーの手を起点とする輝きが、その全身へと伝播していく。合わせて、皿助の全身に力が滾る。全身に張り付いた不思議な輝きが少しずつ装甲に染み込んで、直接エネルギーに変わっていく様な感触。
『……? 何だ、この音は……?』
幻聴か、どこからか心地良く腹に響く和太鼓の音色が皿助には聞こえていた。
いや、幻聴でも何でもない。鼓動だ。皿助の心臓の鼓動が、全身の血脈がッ……和太鼓の奏でる音と聞き違えるほどに激しく、そして力強く高鳴っているのだ。
『うぉお……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!』
体が、奮えているッ。雄叫び、上げずにはいられなかった。
『いくぞ、示祈歪己発動ッ――【真化巫至極】ッ!!』
シャウトの直後。異変が起きた。なんと、ダイカッパーを包んでいた輝きが、緑色に変化したのである。それは輝きと言うより、緑色のオーラ。バトル漫画などでよくあるだろう。アレに非常によく似た謎のオーラだ。その謎オーラが、ダイカッパーの左手首に集中。変質。瞬きをする間に、失われた左手首から先を再構築した。それだけではない。ダイカッパーの全身、細かな亀裂一本に至るまで、補修していく。
「なっ……再生ッ!?」
『再生じゃあない……再構築だ! 俺の示祈歪己・真化巫至極は、俺を一時的に今の俺よりもすごく強い俺へと作り変えると言うモノなんだァッ!!』
晴華に安心して頼ってもらえるくらいに強くなりたい……そんな皿助の願望、【祈り】に応えて、この示祈歪己は発現した。制限時間はあるものの、己をただひたすら強くする示祈歪己。そしてその強くする手法は、自身を作り変える事。未熟な己を【成熟した良い男】に近付ける形で再構築する!!
「じ、自分を作り変える……!?」
『そうだッ。そして俺は今、ダイカッパーになっているッ……この状態で真化巫至極を使えば、どうなると思うッ!?』
「そのダイカッパーとか言う奴が……『一時的に、今のダイカッパーよりもすごく強いダイカッパーへと作り変えられる』!?」
そう。ダイカッパーは今、再生・復元しているのではない。
皿助の示祈歪己【真化巫至極】によって「作り変えられている」のだ。
『ぅぅうううぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッっ!!』
ダイカッパーの装甲が、更に変化していく。その変化は、言わば【凝縮】。ゴリラ筋肉のように分厚かったダイカッパーの装甲が、徐々に凝縮されていく。小さくなっている、と端的に言ってしまうと、弱体化している風に聞こえるが……実際は違う。ダイカッパーが含有しているエネルギー量は、減少する所か増加の一途。そんな状態で小さくなっていくと言う事は、エネルギー密度が半端無い事になると言う事である。コピー用紙は畳むと若干破りにくくなる。密度は防御力に直結する。ぴらぴらの紙を叩き付けられるより、くしゃくしゃに丸めた紙玉を投げつけられる方がちょっと痛い。密度は攻撃力にも直結する。つまり、密度=防御力であり、密度=攻撃力でもある。密度=強さと言っても良いだろう。
『改めて、名乗ろうッッッ!!』
最終的に行き着いたそのサイズ、なんと一メートル級。五歳児の全国平均身長より少し小さいほど。元々のダイカッパーと比較して、実に二〇分の一スケール。スタイルはズバリ三等身。外観としては、元ダイカッパーをSD化し、ゆるキャラ・ちびキャラっぽく仕上げた風。故にぬいぐるみ感が非常に強く、一プレイ二〇〇円くらいのクレーンゲームで景品といて置いてそうな印象を受ける。しかしながら、そのぬいぐるみ染みた愛らしさに騙されてはいけない。小さな躯体を巡るエネルギー総量は、元ダイカッパーの軽く三倍以上もあるのだ!
二〇分の一のスケールに、三倍のエネルギー……単純計算、元ダイカッパーの六〇倍近いエネルギー密度を誇る。それに加えて、ゆるキャラっぽいどこか可愛い感じまで手に入れた。そんなすごく強くそして可愛らしく作り変えられたダイカッパー……その名も、
『機装纏鎧・真化巫至極……新・ダイ、カッ、パァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!』
皿助のシャウトに呼応して、シン・ダイカッパーの全身に緑色の謎オーラが弾ける。
「ッ……機装纏鎧と示祈歪己の、合わせ技だと言うの……!?」
ビッグ幽子から、幽霊らしからぬ元気が消え失せていく。
それもそうだろう。ビッグ幽子はただの示祈歪己。対する相手は、機装纏鎧×示祈歪己のシン・ダイカッパー。どちらに分があるかなど明白。
「なんで……なんで、あんたみたいなガキが、示祈歪己を使えるのよぉぉぉぉおッ!? そんなッ! そんな不思議な事ぉぉッ! あってたまるもんですかぁぁぁあああああああああああああああああああああッッッ!!」
ビッグ幽子は矢を強く握り締め、シン・ダイカッパーへと突進する。せっかくの飛び道具を持ちながら、彼女が選択したのは接近戦。まぁ、一メートル級にまで縮んだシン・ダイカッパーを狙い撃つのは簡単では無い。弓矢に自信が無いのなら、妥当な選択。ただ、妥当ではあるが、適切ではない。何故なら、接近戦はシン・ダイカッパーの超得意分野だから。
『俺には示祈歪己の資質があったッ……不思議など無く、ただ都合良くそれだけの話だッ!!』
シン・ダイカッパーも、合わせる様に地を蹴った。大地にクレーターを刻みつけ、ビッグ幽子目掛けてロケットの如く、跳ぶ。そうしてまさしく正面衝突。一メートル級のシン・ダイカッパーと、二〇メートル近いビッグ幽子、その額同士が激しく接触した。
「ぎゃぼぁッ」
マヌケな悲鳴っ。衝撃に負けて大きく反り返ったのは、ビッグ幽子。反り返っただけに留まらず、木々をへし折りながらノーバウンドで何十メートルも吹っ飛んで行く。
当然道理。シン・ダイカッパーの一撃に乗っているパワーは、単純計算で元ダイカッパーの六〇倍。元ダイカッパーを多少圧倒できていた程度のビッグ幽子では、シン・ダイカッパーの相手にはならない。
『余裕綽々ッ、そして追撃の好機ッ――つまりは今機必倒ッ!』
真化巫至極の効果はあくまで一時的。時間にして実に三〇秒程度。それを過ぎればシン・ダイカッパーはボロカス・ダイカッパーに戻ってしまう。時間の余裕は無し。ならばビッグ幽子が無様に吹っ飛んで隙だらけな今を逃さず、このまま一気に決める。
皿助はシン・ダイカッパーを全力で走らせる。緑色の残像の尾を引いて周囲にソニックブームを撒き散らしながら、吹っ飛び中のビッグ幽子の巨体を追いかける。
『覇皿ッ、コネクトォッ!!』
疾走の最中、両肩のシン覇皿を両掌に装着。皿助が選んだのは、確実必殺の一撃。
未だ滑空中のビッグ幽子の下へ、小さな体躯を活かして潜り込む。そしてその腰の中心目掛けて、その両掌をかち上げた。
『喰らえ、力士百人力鋼掌破・蝶々の手型ッ!! ドドスコォイッ!!』
右掌底と左掌底を合わせて、両手で一気に叩き込む。さながらそれは、影絵で蝶々を表現する時に用いる型に近い。ダイカッパーの張り手一発の六〇倍威力であるシン・ダイカッパーの張り手。それを二発同時。つまりその威力は更に倍。ダイカッパー状態で放つ力士百人力鋼掌破の一二〇倍の威力を誇る一撃。そんなモノを下から腰に叩き込まれたら、そらもうたまったモンじゃあない。
「あるづぁあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」
バッキョスッ。と言う聞いた事の無い怪音。ビッグ幽子は腰を起点に完璧にへし折れ、真っ直ぐ上へと打ち上げられた。にしても、綺麗にへし折れたモノだ。後頭部と足がピッチリくっついてしまっている。今ではもうめっきり見なくなった折り畳み式携帯電話を彷彿とさせる飛翔姿勢である。
『っしッ!!』
決まった。これでビッグ幽子は昼空の星になるだろう。今までのパターンから、そうなれば皿助の勝ち。
――しかし、ここで予想外の事象が発生する。
なんと、上空五〇メートル程の高度で、ビッグ幽子の巨体がビタァッと停止したのだ。
『何ィッ!?』
空で何かにぶつかった、と言うより、地面から何かに強く引っ張られた様な止まり方だった。不思議。しかも更に不思議な事に、ビッグ幽子はそこから微動だにせず、空中で完全停止してしまったのである。
もはや意味不明。だが困った。このままでは皿助の勝ちにならない。
「ぎ、ぎはぁッ!! 私を吹っ飛ばそうってのかぁぁぁあああああああッッ!! ナめんなビチグソがぁぁあああああああああああああああああッッ!!」
折り畳み携帯状態で滞空しながら、ビッグ幽子が叫ぶ。
「私は【地縛霊】ッ、この土地に見えない鎖の様なモノでしっかりガッチリ繋がれてんのよぉぉぉぉおおッ!! この鎖は、何があろうと絶対に千切れはしないッ!! どれだけ足掻こうと、どれだけ藻掻こうと――絶対にィ!! 私は誰よりもそれをよぉく知っているッ!! あんたがどんだけパワフルだろうとぉ!! 私を吹っ飛ばせるもんかぁぁあああああああッ!! ザマァミロォ!!」
『地縛霊……ッ、そう言う事か……!!』
現在、ビッグ幽子が一切微動だにせず滞空しているのは、先ほどの一撃による衝撃と彼女が言う「見えない鎖のようなモノ」の引く力が拮抗しているためだろう。上に行く力と彼女を地に固定する力が釣り合っているため、彼女の巨体は停止状態を維持しているのだ。
『だったらばッ、お前を地に縛るその鎖、解いてやるまでだッ!!』
「あぁぁああん!? やれるもんなら……やってみせてよぉぉぉおおおおおおおおおおッ!!」
『承知したッ!!』
真化巫至極解除まで残り時間は一五秒弱と言った所か。
余裕だな。と皿助は内心笑った。今のシン・ダイカッパーに、不可能は無いッ!
『とうッ!!』
皿助はシン・ダイカッパーをただ真っ直ぐ、垂直に跳ばせた。
一瞬で、シン・ダイカッパーの小さな体がビッグ幽子の巨体との接触距離に入る。
『別れる前に伝えておく事があるッ……お前は、淋しいと言っていたな!!』
「だぁったら何さぁぁぁ!?」
『地縛霊として俺達に害意を振りかざした【お前】に慈悲は無いッ……だが、エクソシスト――陰陽師として真っ当に生きていただろう【貴女】に、俺は同情するッ!!』
「!!」
皿助は、幽霊の事をよく知らない。だが、夏の特番なんかでよく聞く程度の情報なら有している。専門家が語るには……幽霊の多くは「精神的に不安定」なのだと言う。まぁ、自身が死んでしまったと言うショックは計り知れない。精神面に異常をきたすのは、ある意味で道理だろう。
そして、幽子の「淋しい」や「仲間になれ」発言から考えて、幽子が孤独を嫌うタイプである事は間違いない。しかも地縛霊と来た。地縛霊とは、思い入れの深い場所を彷徨う霊の事。幽子の発言からして、本人の意思に関わらず、その場所から離れる事はできないのだろう。
孤独を嫌う者が、人気の無い森の中に縛り付けられ、独りでいたら、どうなる?
例え健全な精神状態でも、普通で居続けるのは厳しいだろう。加えて、幽子は幽霊。夏の特番で得た情報通りならば、健全な精神状態ではなかったはずだ。発狂してしまうのも無理は無い。
『故に、これから俺は二つの事を同時に執行する。それは許し難い【お前】への【制裁】と――』
皿助や晴華と初めて会った時の幽子の喜び方は、見ていて微笑ましかった。
あんな風に喜びを笑顔で表現できる人が、悪い人だったとは思えない。おそらく、幽子は生前、快活で素晴らしい女性だったに違いない。それが、こんなにも酷く歪んでしまった。地縛霊になりさえしなければ、孤独になりさえしなければ、きっと幽子は歪まなかった。だから、皿助は同情する。
『同情に値する【貴女】へ、せめてもの【救済】を!!』
そして贈る。生前の幽子へ向けて、手向けの言葉を。
『貴女の来世に、前途を祈るッ――切にッ!!』
「………………あらあら。優しいのね」
『お前に言った訳ではない……さぁ、自慢の歯を、喰いしばれッッッ!! ドスコイドスコイドスコイドスドスドスドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドォォォォォオオオオオッッッ!!』
それは今朝も披露した最強奥義【力士百人力鋼掌・怒涛激連破】ッ。簡単に言えば張り手ラッシュ。怒涛の突っ張り。張り手二発分の一撃で拮抗する程度の不思議鎖引力に、これが耐えられるものか!!
「あらあらぁあらぁらあらぁらぁあああああぁああがっでっがばああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!?!??!?」
『ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッッッ!!! ……さぁ、幽霊らしく……天へと昇れぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!!!』
最後の一発は、両張り手を同時に突き出す【蝶々の手型】ッ!
当然、ラッシュでボコボコにされた直後であるビッグ幽子に、その一撃へ対処する余裕は無い。完璧なクリーンヒット。
「あっらぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ」
何かが、砕け散る音がした。瞬間。皿助の視界が、快晴の青空に満たされる。
視界を、空を埋めていたビッグ幽子の巨体が、消えた。消えたと思うような速度で、天へと昇っていったのだろう。
何にせよ、空へと消えた事に変わりはない。皿助の勝ちだ。
『……頑張ってください。幽子さん』
――あらあら。
そう、快活に笑う声が聞こえた気がした。