05,河童覚醒! 打ち砕け、目に見えぬ地縛の鎖ッ!!《前編》
陰陽師と言えば京都シティ。ザ・古都。
おそらく一般人の多くが持つ偏見であり、皿助にもそんなイメージがあった。
故に、皿助は京都に行く気満々小僧になっていた。
陰陽師についての下調べをした後、月匈音にお土産はどんな八つ橋が良いか確認するメールを送るつもりでいたのだ。
が、その「陰陽師についての下調べ」の段階で、ある事実を知る事になる。
「……ほう、【陰陽師連盟奥武守町支部】」
陰陽師は、いる。この奥武守町のどこかに、陰陽師は潜んでいたのだ。つまり京都へ行く必要性は無し。京都観光できないのは少々残念だが、手早く済みそうなのは助かる。
「晴華ちゃん、とりあえず、陰陽師がいそうな場所には見当が付いた。今からそこへ向かおう」
「そ、そうですね……はい……」
「ん? どうした。すこぶる元気が無いようだが……あ」
当然か。丹小又の発言から察するに、妖怪サイドには陰陽師に対して良いイメージが無いのは明らか。むしろ天敵的イメージの方が強いのだろう。
「すまない、配慮に欠けていた」
皿助は少し思案する。
今日はつい先ほど芽志亞を退けたばかり。すぐさま次の刺客が来るとも考えにくい。
「ここは、俺ひとりで向かうとしよう」
「い、いえいえっ。私も行きます!」
「しかし……」
「べーちゃんは私のために頑張ってくれるんですもん……私には応援する義務と責任、そして権利があるはずです!」
「……かなり怯えている様に見えるが、大丈夫か?」
「し、正味、すごく恐いです……」
晴華の怯え方は、さながら予防接種の気配を察知し絶望した子犬のよう。
「陰陽師さんを実際に見た事ないんですが、フィクションでは大概悪役の代名詞ですし……イメージ的には妖怪ヤクザに匹敵する畏怖の対象……でもっ、友達に頑張らせといて自分はイモ引き腰なんて嫌です!」
力強く吠え、真っ直ぐにこちらを見据える晴華に、皿助はふっと微笑を浮かべた。
やはり良い子だ。これだから、可能な限り手を貸したいと言う気持ちにさせられるのだ。
「ああ。では、行こう」
絶対に、陰陽師から何かしらの打開策を得てみせる。
そんな強い意思を込め、皿助はスマホを拾い上げ、操作。
陰陽師連盟奥武守町支部へのマップナビゲートを開始した。
◆
「ここか……」
数時間の徒歩移動。すっかり太陽は真上。
皿助と晴華が辿り着いたのは、周りに人工物がほとんど存在しない郊外森林地区のド真ん中。
木々の群れの中、そこには確かに【陰陽師連盟奥武守町支部】の看板を掲げた建造物が在った。
……ただ、廃墟感がすごい。
元は十字架を掲げる系の教会だった建物を流用したらしい外観だが、壁面にはビッシリと植物の蔦が這い回り、窓ガラスは所々周囲の木々の枝葉による侵略で貫通……見事に叩き割られてしまっている。肝心の看板だって、真ん中にビシッと亀裂が入ってしまっていて、ちょっと触っただけでベキッとへし折れてしまいかねない。
「……あの、これは……陸の漁礁的な趣向のアレですかね?」
晴華は半分冗談、半分本気でそんな事を言う。
ちなみに気休め程度であるが、晴華は道端で拾ったコンビニのレジ袋を頭から被り、唯一の河童要素である醤油皿を隠している。
「これは、まぁ、普通に廃墟だろうな……」
どこからどう見ても廃墟。こんな建物を残しておく理由は、本当に漁礁的な趣向のアレか、解体予算がいつまで経っても確保できていないかのどちらかだろう。間違っても、この建物が現役稼働施設だなんて……。
「あら? あらあらあら? もしかしてお客さま?」
どこか間の抜けた調子の声と共に、廃墟の扉がギギギ…と不快な音を立てて開き始めた。それに合わせて、ドアに這っていた植物の蔦が千切れていく。
「む……?」
何だ、今、不思議な違和感を覚えたぞ。と皿助は気になったが、その違和感の正体を探る前に、声の主が姿を現した。
「あ、べーちゃん! 私あの人の格好知ってますよ。シスターさんです!」
「ああ。確かに……」
扉を開けて現れたのは、黒を基調とした修道服に身を包んだ妙齢の女性。要するに、若いシスターさんだった。首から十字架のネックレスまでぶら下げているしほぼ間違いない。
全人類が抱いているであろう修道女への先入観が、シックで清楚な印象を与えてくる。
「しかし、妙だぞ晴華ちゃん。ここは陰陽師連盟とやらの支部じゃあなかったのか?」
確かに、この廃墟の如き建物は十字架を掲げる宗教の教会っぽい形状をしているので、修道女が出てくる事にさほど違和感は無い。だがしかし、ここは建物の形こそ教会っぽくとも、陰陽師連盟の支部……陰陽師と言えば、日本、少なくともアジア系の文化をベースにしているはずだ。だのにどうして西洋風の修道女が出てくるのか、疑問でしかない不思議。
「い、今、陰陽師連盟って言った!? やっぱりお客さまなのね!? やったァーッ!!」
皿助が訝しむ視線を送っている事に気付いていない様子で、シスターさんは非常に嬉しそうな声を上げた。
シスターさんは完全に蔦のカーペットに覆われてしまっている入口の階段を駆け下り、皿助たちの前に立つ。
「久々ッ……久々に生きた人間を見たッ!! う、嬉し……ぁ、あらあらやだ。私ったら少し取り乱してしまって……あなたたち、陰陽師に用があって来たのね?」
「はいですシスターさん。私は晴華と申します!」
「……俺は、美川皿助と言います」
「あらあらあらあら、ご丁寧にどうも。私は陰陽師連盟・奥武守町支部支部長、冷体井幽子よ」
「支部長……」
若いのに、随分と上の職に就いている。にしても、やはりこの人は陰陽師らしい。
「……すみません、幽子さん。ひとつお訊きしたいのですが、よろしいでしょうか」
「あらあら何かしら。皿助くん。どうぞどうぞ」
「陰陽師、と言うと、中華や和のイメージがあるのですが……」
「ああ、その辺りはね……少々込み入った事情があって……私、元々は【祓魔師】だったから」
「エクソシスト? 悪魔さんとかを退治するって言う、アレですか?」
「ええ」
晴華の問いに、幽子はこくりと頷いて肯定。
首から下げた十字架ネックレスを摘まみ上げる。
「なので本来は陰陽師とは別の畑なんだけど……近年では、妖怪同様に悪魔も人間と良い関係を築く風潮にあるから、自然と私たちのお仕事は減る訳で……その内、『もう妖怪相手も悪魔相手も似た様な人外勝負な訳だし、セクション分けしなくても良くね?』と……」
「つまり、陰陽師とエクソシストの運営母体が合併統合され、その組織規模を縮小する事になった、と」
「その通り。で、陰陽師の勢力が強かったアジア圏では【陰陽師連盟】の名が残り、その他の地域では【エクソシスト協会】の名が残った訳。結局、どちらも陰陽師とエクソシストの混成組織で、妖怪と悪魔の両方に対応する職務内容になってるけどね」
しれっと「悪魔なんてモノも実在するのか……」と思わないでもないが、まぁとにかく世知辛い話である。
「道理で、この建物も教会然としている訳か……」
ここも元は、エクソシストのアジア支部だったのだろう。
悪魔を祓う者達の本拠だったならば、十字架を掲げる系の教会らしい建造物だったとしても違和感は無い。ごく自然な話。
……しかし、それでもなお。
皿助は不可解な違和感に苛まれていた。
どうにも幽子と、彼女が出て来た玄関の扉が気になるのだ。
皿助が「むぅ……?」と眉をひそめている事に気付かず、幽子は話を進めていく。
「さてさて、皿助くんと晴華さん。今日は陰陽師連盟に如何なご用件で?」
「あ、ああ……実は、妖怪の関係で少々悩んでいまして……故あって、この晴華ちゃんは妖怪に狙われているんです」
「はい、すっごく困っています!!」
「あらあらあら……それは大変」
「そこで、妖怪を相手取るプロである、陰陽師の方から助言を得られないモノかと思い」
事情を知り、幽子は頬を押さえて「あらあらあら……」と溜息。
「手を貸してあげたい所だけど……生憎、今は動ける人員がほとんどいないのよねぇ……」
「あ、いえ、こちらとしては、妖怪に対して有効な戦術なんかを教えてもらえればそれで良いのですが……」
元々、これは晴華の問題であり、それに手を貸したいのは皿助の都合。
陰陽師の方々に直接的に手を貸してもらうつもりは無い。
「あらあら! それなら話が早くて助かるわ!」
「話が早い?」
「あらあらあら、ちょっと口が……こっちの話だから、気にしないで。さ、さ、中へどうぞ」
「…………?」
「どうしたんですか、べーちゃん。早く行きましょう」
「あ、ああ……」
◆
支部の内部構造はいわゆる礼拝堂のような作りで、天井が異様に高い。本来ならば、神々しく荘厳な雰囲気のある場所……なのだろうが。
「……その、こう言ったら失礼かもですけど、何か、整備が……アレですね」
幽子には聞こえないよう、晴華が皿助に耳打ち。
まぁ、そう言いたくなる気持ちもわかる。皿助と晴華、二人がホコリを踏んだ跡が、ハッキリ足跡として認識できるレベルの累積具合だ。入口からここまで、しっかり二人分の足跡ががっつり刻まれてしまっている。非常にホコリっぽいと言う事だ。一昔前にハウスダストによる健康被害云々で血相を変えて騒いでいた人種の気持ちが、少し分かった気がする。
しかも、目に見える整備上の問題は、ホコリの累積量だけではない。壁に嵌め込まれた窓ガラスやステンドグラスの類は見事に全て破られており、そこら中から木々の枝葉や植物が侵入。堂内は自然の香りと古臭い木造家屋独特の匂いに包まれてしまっていた。加えて、そこら中に小動物や小虫の気配も感じる。完全に住み着いているパターンだ。長椅子のド真ん中に蜘蛛が堂々と巣を張っていて……もう滅茶苦茶だ。
森のド真ん中に建っていると言う立地上、多少の自然との一体感は仕方無いだろうが……これは明らかに常軌を逸したユニゾン率である。
「さぁて、では早速、本題に入りましょうか」
自分の職場の惨状を気にも止めず、幽子は堂の最奥、壇上に上がり、満面の笑みで切り出した。
「まず、陰陽師が『どうやって妖怪と戦っているのか』、それを軽くレクチャーしてあげる」
「は、はい。お願いします」
堂内の荒れ果てた現状は非常に気になる所だが……これから善意的にこちらが知りたい事を教えてくれる人物に対し、「あなたの職場、少々整理整頓の精神が足りないのではないだろうか?」と言うのはあまりに失礼千万。
とりあえず、話を聞かせてもらい、機会を見てそれとなく確認してみるのが吉だろう。と皿助は判断する。
「妖怪に襲われて困っていると言う事は、知っていると思うけど……妖怪はそれぞれの種族が生まれ持った【特性】や、様々な【妖術】……【妖怪科学技術】を駆使してくるわ」
妖怪科学技術……その粋を結集したのが機装纏鎧だと聞いている。
一体、あんなものに生身の人間がどう立ち向かうと言うのか……!
「陰陽師はね、それらに【示祈歪己】と呼ばれる【超常能力】で対抗しているの」
「シキガミ……?」
「映画やドラマで言う式紙とは少し勝手が違うわよ。先に言った様に超常能力、いわゆる超能力に近いわ」
つまりは、念動力や、瞬間移動と言った類のモノか。
妖怪や悪魔が平然と存在する世の中、最早それくらいあって然るべきだろう。
「試しに、私の示祈歪己をお見せしましょう」
不敵に笑い、幽子は自身の胸元で両手の指を絡ませる。神に祈る様な所作だ。
「示祈歪己、発動……【魂乞淋堕拉迩】」
瞬間。幽子の胸の前、祈りを捧げる様に組まれた手が、神々しく発光し始めた。その光に照らされた幽子の足元、彼女の影が八つに分かれる。そして、分割された影の中から、何かが這い出して来た。
「なんと……!」
「す、すごい……!」
這い出して来たのは、幽子だ。眼球のあるべき場所が不気味に暗い空洞になっている事以外、本物と何ら外見的差異の無い幽子の分身が八体、顕現したのである。
「言い忘れていたけど、示祈歪己は、発動者の願望……即ち【祈り】を叶えるために世の理を歪める事ができる超能力。つまり、示祈歪己の内容は、発動者によって異なるの」
「ほう……では、幽子さんのこれは……」
「私の場合、恥ずかしながら昔から淋しがり屋だったから、【仲間を増やす示祈歪己】が発現したみたいなのよね。ちなみに、この子達はとってもパワフルよ。一体一体が解体用重機に代われる程。八体を合体させて巨大な分身にして、妖怪の機装纏鎧や悪魔の魔機鞍ともタメを張る事もできるわ」
「機装纏鎧と……!」
「わかってもらえたかしら?」
パチンッ、と幽子が指を鳴らすと、幽子の分身達はサササッと散開。どこかへ行ってしまった。
「陰陽師が妖怪と戦うために積む修行は、この示祈歪己を習得する所から始まるの」
皿助は静かに拳を握りしめる。ささやかなるガッツポーズだ。
超能力、どんな能力に当たるかは未知数な要素は残るが、機装纏鎧と併用できれば、天狗族の刺客との戦闘において大きな有利を取れるはず。これは期待通りか、それ以上の成果を得られそうな予感がしてきた。
……だが、
「しかし、その示祈歪己とやら……誰にでも習得できるモノなんですか?」
「察しが良いわね。そう。残念ながら、そんな都合の良いモノでは無いわ。先にも言った通り、示祈歪己は世の理を歪める……それだけの事、誰彼と簡単に出来る訳が無い。【資質】は必須よ」
「……資質……」
「今から、あなた達にその資質があるかを計らせてもらうわ……」
そう言って、幽子が物陰から取り出したのは……!
「この【弓】と【矢】でねッ!」
何と言う突拍子の無さだろうかッ。敬虔そうな修道女が取り出したそれは、金の装飾で彩られたド派手や弓と、同じく金で飾られた鏃の付いた一本の矢だった。とてつもなく古い弓矢だった。「何百年も経っている」、そんな感じだった。まぁ何にせよ、修道女には不似合い至極。
「ゆ、弓と矢だと……一体、それでどうやって超能力の資質を計ると!?」
「示祈歪己の原理は正味ほぼ不明……でも、わかっている事が二つ。まず一つ、先にも言った様に、示祈歪己は人間の【祈り】を叶える……発現した人間の願望に則した能力になると言う事。そして二つ目……」
愛しい我が子を抱くように、幽子は弓と矢を抱きしめ、指先で金の鏃を優しく撫でた。
「この金の鏃で貫かれて……そして生き残った者のみが、示祈歪己を発現する事ができるッ!」
「な、なんと……しかし、どこかで聞いたシステムだが、大丈夫なんですかそれは……!?」
「まぁ、細かい話は置いておいて。陰陽師になりたい・妖怪と戦う術を身に付けたいと言うのなら、示祈歪己を習得する……つまり、この弓と矢の【試練】を乗り越える他に無いわッ!」
「べ、べーちゃん……何だか、話の流れが急に不穏な感じに……」
「ああ……」
先ほど、幽子は言った。鏃に貫かれ、生き残った者のみが示祈歪己を発現できる、と。
つまりそれは、裏を返せば、
「もしも示祈歪己を発現する資質が無ければ、死ぬ……と言う事か……!」
「ええ、そうなるわね。確率は五分と五分ッ!」
示祈歪己を発現できるか、五〇%!
示祈歪己を発現できないか、五〇%!
実にシンプル二元論……洒落にはなっていないが、わかりやすい。
「べーちゃん……ここで死んじゃったら本末転倒にもほどがありますよ。やめときましょうよ……」
「ッ……だが……!」
ここで帰れば、結局、皿助は晴華を納得させるだけの力を得られない。
晴華と距離を置かなければならなくなる……友の力になる事を、諦めなければならなくなる。
「何を迷っているの、皿助くん。キミは妖怪を退ける陰陽師の力、示祈歪己が欲しいのでしょう……ならば答えは決まっているはず」
そう言って、幽子は矢の鏃を皿助に向けて、弓矢を構えた。「もう答えは出てるんだから良いよね」……そう言って今にも矢を放ってしまいそうな勢いだ。
「なっ、ちょっと待ってください幽子さん! べーちゃんは……」
「……もう、うっさいなぁ」
「ッ、……?」
不意に、皿助の背筋に悪寒が走る。
幽子が笑ったのだ。先ほどまでの普通の笑顔とは違う。顔いっぱいに邪な何かを押し広げていくように、口角を吊り上げて笑った。到底、真っ当な聖職者、修道女が浮かべるそれでは無い。
そして、皿助は気付く。
矢の先端、角度が変化した。幽子が矢の照準を動かした。皿助を真っ直ぐに捉えていたそれが、少しだけ横に逸れた。
その先には――
「ッ――晴華ちゃんッ!」
「きゃうっ!?」
皿助が晴華を突き飛ばした瞬間。ヒュンッ、と風を切る音が鳴った。
黄金の鏃が、晴華を押しのけた皿助の右肩、その肉を深く抉り、刺し貫く!
「ぐ、ぁああああああああッ!? い、痛いッ!?」
激痛。皿助は痛みの余り瞼を閉じるが、瞼の裏でやかましく火花のようなモノが散る。貫かれた肩だけでなく、右腕全体がじんわりと熱くなる。まるで皮膚の内側で炎が燻っているようだ。とにかく痛い。
足元がホコリ塗れな事など構っていられず、皿助はブッ倒れてしまう。
「べ、べーちゃんッ!?」
「ぐ、ぅああああ……ッ……あ、あまりに痛い……ッ!!」
晴華は急いで倒れた皿助を抱き起こした。皿助は顔面いっぱいに脂汗が浮き出ている。苦悶の表情……!
「な、何で……幽子さん! 何で射ったんですか!? べーちゃんはまだ何の返事も……ッ……!」
幽子を睨み付けて、晴華は戦慄した。
「あらあらあらあら……そう? でも別に良くない?」
見た者の背筋を冷たく強ばらせる様な、冷たい目。そんな目で、幽子は壇上から晴華と皿助を見下ろしていたのである。
「だって、私、どっちにしろあなたたちは二人とも射殺すつもりだもの。正味、最初から」
「……ッ!? それって、どう言う……!?」
「って言うか、あら? あらあらあら? もしかして本気で信じてたの? そんな矢で射抜かれた程度で、超能力に――示祈歪己に目覚められるなんて。示祈歪己は資質のある選ばれた人間がすごく頑張ってる内に何故か目覚める不思議な力よ? それをよくもまぁ……ふふ。あなたたちみたいなのを何て言うか知ってる?」
幽子の口から、ずるりと零れた舌。肉厚で、長い……まるでモンスターのそれ。
「あなたたちはねぇ……大マヌケ、よッ!」
「なっ……!?」
「ちなみに、この弓とその矢は、何だか知らないけど支部で保管されていただけのヘンテコな弓矢の内の一組。ただそれだけ。残念でしたぁ」
「何で、そんなものでべーちゃんを……ただの矢で射抜いたら、死んじゃうじゃあないですか!」
「だぁかぁらぁ、言ったじゃない。頭の回転のスッとろい、本当の大マヌケさんね……それで良いのよ。死ねば良い。何もかも。それが、私の【望み】……【祈り】だもの」
「幽子さん……あなたさっきから一体何を……!?」
「ぐっ……なるほど……そう言う、事か……!」
「あ、べ、べーちゃん!? 大丈夫ですか!?」
「ッ……キツめだ……それより、晴華ちゃん……逃げろ……!」
皿助がいくら踏ん張っても、体は動かない。四肢が情けなく震え、脂汗が全身を伝うのみ。
鏃に何か塗られていたか……明らかに体に異常が起きている……!
そんな状態ながら、皿助は思考をフル回転。
ここに来るまでに感じた違和感の数々と、今、倒れた際に気付いた衝撃の事実、そして一連の幽子の発言から、【幽子の正体】と【その目的】について、限りなく正解に近いだろう推測を立てていた。
「この女……人間じゃあ、ない……ッ!」
「え……?」
「あらあら。気付いた? 今さらだけど」
「……ッぁ、ああ……本当に、今さらだ……!」
思い返せば、いくらでも気付くヒントは転がっていた。
だのに、皿助は今の今まで、その答えに至る事ができなかった。
そんな事は有り得ないと、心のどこかで決め付けていたからだ。
だが、今、確信に足る事に気付いてしまったのである。
矢で射られ床に倒れた時、視点が下がった事で、気付いた。
足跡が、二人分しか無いのだ。
建物内には、歩けば跡が出来る程に、ホコリが累積している。
だのに、今、ここにある足跡は二人分だけ。皿助と晴華の二人分。
それだけじゃあ無い。思えば、入口の時点からおかしかった。
皿助たちがここに来た時、玄関ドアと入口階段には、ビッシリと蔦が這っていた。なので、幽子が皿助たちを出迎えようとドアを開けた際に、ドアに這っていた蔦が千切れてしまった。
……有り得るはずが無いだろう、そんなの。
もし普通に運営されている施設ならば、日に何度も開閉されるだろうドアや人が行き交う玄関先に、あんなにも植物が這うモノか。
導き出される結論は、ひとつ。
この建物は圧倒的廃墟。誰も使ってなどいない。
陰陽師連盟奥武守町支部は、とっくの昔に廃業していたか、名前を変えて移設したと思われる。
皿助はただ名前と場所だけを調べて来てしまったから、その事に気付けなかった。
そして、そんな廃墟で独り、支部長を名乗り、訪問者を笑顔で出迎える【この世に足跡を刻めない女】……様々な要素を統合して推理し、皿助が辿り着いた結論。
「冷体井幽子。おそらくこの女は……【幽霊】ッ!」
もしくは、そう呼ばれる存在に近しい何か。
「道理で、この俺が……弓と矢の嘘を見抜けなかった訳だ……ッ!」
皿助には美川人として与えられた凄まじい直感がある。この世のどこかで大切な人に危機が迫ればそれを予感するし、大抵の嘘は瞬時に見抜ける。しかし、皿助は幽子の嘘を見抜けなかった。何故か。
簡単な話だ。
皿助には【霊感】が無いのである。今まで、幽霊なんて見た事も感じた事も無い。霊感が無いために、皿助は幽子の雰囲気を完全に感じ取る事ができなかった。そして、幽子を完全に感じ切れていなかったが故に、彼女の言葉に含まれる嘘も見抜けなかったのだ。
「さぁて、と。じゃ、本性大公開と行きましょうか」
いつの間にか、晴華と皿助を取り囲む影が、八つ。先ほどどこかへ去って行った幽子の示祈歪己――分身だ。
なんと、分身達は全員その手に黄金の弓と矢を構え、鏃を晴華に向けていた。
「ッ、囲まれた……!?」
「あらあらあら。もちろんでしょう。当然、逃がしたくないもの」
あなたの魂を乞う。私は独りでとっても淋しいの。
だからあなたに、私と同じ場所へ堕て欲しい。
ああ、そうだ。無理矢理にでもこちらへ拉致ってしまおう。
さぁさ、私の迩くにいらっしゃい。
それが、魂乞淋堕拉迩の所以。
冷体井幽子の願望、祈りを叶え【仲間を増やすため】の示祈歪己。
「さっさと死んで、私の【仲間】になりなさい」