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02,朝焼けの不法侵入! ネコマタとダイダラボッチ!


 奥武守町の中心部には実に大きな山がある。

 そしてその山頂には、立派な和風邸宅が建っていた。


 平安時代から続く由緒ある巫覡(かんなぎ)の名家、美川(ちゅらかわ)邸である。


 美川家の朝は早い。


 一〇月の早朝〇四時五四分。まだ薄明るいと言うか薄暗い頃。


 美川邸内、畳とタンスと学習机代わりの卓袱台くらいしか無い殺風景な一〇畳間。

 その中心に敷かれた布団の中で、皿助は健やかなる睡眠を取っていた。


 そして時刻が四時五五分になったと同時、皿助が開眼。


「うむ、良い朝だ!」


 良い朝に二度寝願望など存在しない。

 そう高らかに証明するように、皿助は実にスマートな動きで体を起こし、布団から離脱。

 慣れた手つきで布団類をたたみ、一山にまとめる。


「よいしょ……、ッ」


 ここまで実に順調、いつも通りの朝だったのだが……布団たちを持ち上げた瞬間、皿助は脇腹に僅かな痛みを覚えた。

 じんわりと、腹の肉の奥で何かがゆっくり広がっていく様な鈍い感触の痛みだ。


「……晴華(パカ)ちゃんのアレか」


 その鈍痛の原因に、皿助は心当たりがあった。

 昨日の夕方、河川敷にて出会った河童の姫様、晴華。

 皿助は晴華に、全力の突進を喰らった。


 あれはもう凄まじかった。

 皿助は肋骨を粉砕骨折するのは初めてだったのだ。

 故、肋骨の骨折処女を失った皿助は夕空と一体になりながら「肋骨が砕け散るとこんなにも耳の内に鈍い音が響くのか」と新鮮な驚きを覚えた事は言うまでもない。


「ふむ……やはり妖怪の不思議お薬でも、完治とはいかないものだな」


 あの後、晴華が「ひぇぇぇ」と阿鼻叫喚しながら取り出したお薬。確か【河童の妙薬】とか言う謎の軟膏だったか。

 その効能は凄まじく、骨折や筋肉の断裂も一瞬で治癒した。


 だが、いくらすごく発展した妖怪科学の産物と言えど、限界はあるのだろう。

 なので、激しめに動くと腹の奥がやや痛む。と言う訳だ。


「……まぁ、『報い』と言う奴だな」


 純粋な感動から抱擁を求めた少女を、若干の下心で出迎えようとした助平への天罰。因果応報。

 最後の最後で【良い男】にあるまじき考えを持ってしまった未熟者への戒め……そう考えれば、この程度の痛みは妥当な物だろう。いや、むしろ足りないくらいかも知れない。


 納得した所で皿助は思考を寝具の片付けに戻す。

 押し入れの前へ行き、襖を開けるために一旦、布団の山を下ろそうとしたその時、


「どうぞですニャン」


 皿助が布団類を下ろす前に、黒い着物に身を包んだ小柄な少女が襖を開けてくれた。


「おお、ありがとう。助かった」

「どういたしましてですニャン」


 黒い着物の少女がニャッコリと人懐っこい笑みを浮かべる。

 不思議な雰囲気の少女である。何より不思議なのは、少女の耳の形状か。

 頭髪は少し毛質の違う黒毛に覆われた三角耳。まるで犬猫の類、獣のそれだ。実にケモ耳と言えるだろう。


「ゥヴォォ」

「む?」


 いつの間にやら。

 皿助の背後には、巨大な岩石が……いや、違う。巨大な岩石と見間違う程に無骨な、浅黒い大男が立っていた。

 とてもデカい。天井に頬ずり状態だ。その巨体故、そこそこ広いはずの皿助の私室にどうしようもない圧迫感をもたらしている。


「ヴォヴォ」


 大男は皿助が抱えていた布団の山を片手で鷲掴みにし、静かな動作で丁寧に押入れの中へと押し込んだ。


「おお。そんな事まで手伝ってもらって申し訳ない。ありがとうございます」

「ヴォウ」


 大男もニッコリと笑った。


「ふむ……」


 ……………………。


「……ところで、あなたたちは何者なんだ?」


 全く意味がわからないな、不思議だ。と皿助は心の底から思う。


 何だこの不思議少女と不思議大男。

 少女の方はケモ耳で不思議。大男の方は最早「大柄ですね」とか言う感想で済ませていいサイズでは無いので不思議だ。皿助の父よりも大きい。皿助は現実でケモ耳をこさえた少女など見た事が無いし、父よりも大きな男を見た事も無い。


 何よりの不思議は、一体いつの間に入室したのかと言う点である。


「ニャッニャッニャッ。これはこれは、申し遅れましたですニャン。私は【妖怪保安局(ようかいほあんきょく)】対人間課所属、丹小又(にこまた)と申しますニャン」

「ヴォヴォオ、ヴォッ」

「こっちの大きいのは私の同僚、大鱈(おおだら)と言いますですニャン。以後お見知りおきをですニャン」

「ヴォルォォオオオオ」


 よろしくぅ。と言わんばかりに、大鱈が唸る。


「はぁ……妖怪、保安局と言う事は……」

「はいですニャン。私は【猫又(ネコマタ)】、大鱈は【大太郎法師(ダイダラボッチ)】と言う妖怪ですニャン」

「……何と言うか、晴華ちゃんと言い、やたらと人間めいているな、いや、いますね」


 妖怪と言う事は、おそらく見た目通りの年齢ではあるまい……と皿助は丹小又に対しても敬語に切り替える。


 しかしまぁ、本当に人間めいている。

 丹小又は猫耳をもいでしまえばただの少女だし、大鱈も少し縮めればただの筋肉質で浅黒いおっさんでしかない。

 まぁ、それでも頭に醤油皿を乗っけてるだけよりは、いくらか人外感に恵まれているが。


「少々妖怪感が足りない、とは常々言われますですニャン」

「ヴォゥオ」


 僕たちも頑張ってはいるんですけどね。と大鱈が苦笑。


「それで、妖怪保安局……名前から妖怪の警察機関のようなものだと察しますが……」

「まぁ、妖怪社会は各種族ごとの自治権が半端じゃないので、人間で言う警察ほどの権力は持ち合わせちゃいないですニャンが、似たようなものと考えていただいて結構ですニャン」

「ヴォヴォヴォォォオオ」

「そんな組織に所属するお二人が、ウチに何の用で……?」


 美川家には人間しかいないはずだが。


「この家に、と言うか、貴方に用があってお邪魔させていただいてますですニャン」

「ヴヴォォン」

「俺に?」

「はいですニャン。さて、美川皿助さん」

「何故、俺の名前を……」

「ボスから大体の事は聞いてますニャン。貴方の名前、貴方の住処、貴方のホクロの位置、そして、昨日の夕方の一件」

「……!」

「ボスはいわゆる【千里眼】を持っていますですニャン。この世の全てを見て知る事のできるすごい眼ですニャン」

「……そうか……」


 皿助は少しばかり身構える。


 昨日の一件を知り、妖怪の警察的な物が自分を訪ねてくる……その理由について、推測できる答えはそう多くない。


 皿助は昨日、晴華を守るためとは言え、冠黒武(カンクロウ)と言う烏天狗を「暴力的な手段で退けた」。もしもこれを人間に置き換えるなら、立派な傷害行為だ。


「では早速、本題ですニャン。貴方にはこれを飲んでいただきたく」


 丹小又が「ニャララニャッタラ~」と言うセルフ効果音と共に袖から取り出し、差し出したのは、桃色の錠剤。


「……薬?」

「ですニャン。これは妖怪薬物の大手、カマイタチ製薬が市販している汎用回復薬ですニャン。河童の妙薬ほどではないですニャンが、人間如きの単純な体細胞ならめちゃんこ効くと思いますですニャン」


 水無しでイケるタイプですニャンと補足する丹小又。

 一方、皿助は彼女の意図が読み取れず、「回復薬……?」と首を傾げる。


「皿助さん、貴方、まだ少しお腹に痛みが残ってるんじゃないですニャン?」

「それは、まぁ……よくわかりましたね」


 皿助の言葉に、丹小又は袖で口元を隠し少し怪しげな笑みを見せた。


「先ほど言ったですニャ~ン。ボスは全てお見通しですニャン。河童の妙薬は軟膏、表面的損傷であればちょん切れた腕すら元通りにくっつける奇跡の薬ですニャンが……唯一の欠点、体の深い所には効き目が薄いのですニャン。でもこの薬は飲むタイプ。余裕で患部にすぐ届くって寸法ですニャン!」

「おお、それは実に助かります!」


 ふと、皿助の脳裏を過ぎる疑問。


「……つまり、お二人は……俺の怪我を完治させるために来てくれた、と言う事ですか?」

「その通りですニャン。『妖怪に関わってしまった人間の諸々アフターケア』が私たちの所属する対人間課の職務領域ですニャン」

「ヴォヴォ」

「手厚いな……」

「まぁ、善意と言うより打算の上での手厚さですニャン。人間を雑に扱うと【陰陽師】の連中がうるさいですニャンから」

「陰陽師……」


 先日ちょうど、テレビで映画が放送されていたのを思い出す。

 確か、平安時代頃から妖怪やらなんやらと戦っている人たち、だったか。

 今まで妖怪同様、フィクション的存在だと思っていたが……丹小又の口ぶりから察するに、これまた妖怪同様実在する様だ。


妖界(ようかい)史上、連中とガチって痛い目を見た妖怪は少なくないですニャン。妖怪保安局は妖怪同士の衝突の処理はモチのニャン、妖怪と人間の関係性にも細心の注意を払ってる訳ですニャン。種族を問わず、大きな揉め事は誰も得しないですニャンからね」

「苦労しているようですね」


 まぁ、それはともかくとして。

 皿助はありがたく錠剤を受け取り、迷わず口に放り込む。そしてすぐに「おお……」と声を上げた。一瞬で、腹の痛みが消え失せたのだ。


「ちなみに私と大鱈のコンビは『妖怪同士の争いに巻き込まれた人間や人間界の土地へのアフターケア』がメインですニャン。支給されている機装纏鎧(きそうてんがい)の特性もそっち系ですニャン」

「機装纏鎧の特性?」

「機装纏鎧が持つ個性、まぁ独自の特殊能力ですニャンね。貴方が使ったダイカッパーなら【超膂力】。相対したウルトラテングは【風の操作】」

「ダイカッパーにそんな特性が……」


 確かに、すごいパワーではあったが。


「私の機装纏鎧【戯伽寝虎(ギガニャンコ)】は記憶や精神の操作で、妖怪同士の過激な戦闘を見た事によるショックを取り除きますですニャン」

「ヴォオ、ヴォヴォヴォウヴォヴォヴォ」

「大鱈の機装纏鎧【萬拿楽保地(マンダラヴォチ)】は簡単に言うと地形が操作でき、どんな激戦の痕跡だろうと綺麗さっぱり隠滅しますですニャン」

「ヴォ~」

「それはすごいな……」


 この二人は後処理のプロフェッショナルと言う事だ。


「と言う訳で、貴方が望むのであれば、先日の件……貴方の記憶から削除する事もできますですニャン」

「……? いや、そんな事は絶対に望みませんが」


 そんな事をしてしまったら、晴華の事まで忘れてしまう。

 付き合いの長さなど小事。皿助に取って、晴華はもう大切な友だ。


「そうですニャンか。まぁ、ですニャンよね」


 おそらく、ボスとやらから皿助と晴華の関係性、そして皿助のある程度の性格や行動思想は聞き及んでいたのだろう。

 予想通りですニャン。と言わんばかりに、丹小又は話を進める。


「では、ここでひとつ。忠告ですニャン」


 不意に、丹小又の声のトーンが一段階落ちた。

 真面目だ、至極真面目な話をするぞ。そんな意気のトーンだ。


「我々妖怪保安局対人間課がケアするのは『妖怪に関わってしまった』人間のみですニャン。『妖怪に自ら関わる人間』は対象外……例えば『妖怪に関する記憶を望んで保持し、自発的に妖怪に関わる人間』に対しては、規定に従い、その人間のケアは行わない。いえ、行えないのですニャン」


 昨日の一件、皿助はあくまで成り行きで巻き込まれただけ。

 だから丹小又達は皿助の怪我をケアするべく、今ここにやって来た。


 だが、もしこれから皿助が晴華のために自分から妖怪に関わるのであれば、もうケアはしない。

 どんな怪我をしても……そう、例えばまた天狗族の追手的な者と戦闘し、致命傷を負ってしまっても、妖怪保安局は皿助を見殺しにする。


「おそらく、あの河童姫はまた貴方の前に現れますですニャン。現状、唯一の助けである貴方にすがるでしょうニャン」

「………………」


 皿助は反射的に「望む所だ」と口走りかけるが、丹小又の真剣な雰囲気から軽い気持ちで発言すべきではないと判断。言葉を呑み込む。


「……正味な話、人間が妖怪と関わるとロクな事にならないですニャン。生物としての性能に差があり過ぎるため、妖怪側に貴方の命を奪うつもりはなくとも、貴方は死んでしまう事が充分に有り得ますですニャン。現に、それは体験済みと聞いてますですニャンが?」


 確かに、皿助は晴華の飛びつき抱擁で重傷を負った。

 当然、あの時の晴華は皿助を傷つけたかった訳ではないだろう。


「河童姫の事情も聞いてますニャン。肩入れしたくなる気持ちは充分に理解できるので、私としても河童姫を応援したいですニャンが……今回の件、公的には『河童族の内輪揉めの解消に、天狗族が手を貸しているだけ』。残念ながら我々妖怪保安局は介入できないのですニャン」


 今回の件は「河童・天狗両族長の決定に、河童族の姫である晴華が不満を持って家出した」事に始まる。そして天狗族はあくまで「河童族の代理として晴華を連れ戻しを請け負っている」だけ。言ってしまえば河童族の御家騒動のような物であり、天狗族はそれに助力しているに過ぎない。

 公的には、事件性が極めて低い案件と言わざるを得ない。


 そして先ほど丹小又が言った通り、妖怪社会は種族ごとの自治権が強い。

 事件性が低い種族内の騒動とされる本件には、介入できないのだ。


「貴方がこの問題に介入すると言う事は、貴方個人が天狗族と事を構えると言う事になりかねないですニャン」

「ヴォヴヴヴォオオオ。ォォォオヴォ、ヴォオオオ」

「大鱈の言う通り。天狗族は恐ろしい。その軍事力は妖界最強の【鬼】族にも並ぶ……それらを承知の上で尚、あの河童姫と友達であり続けたい、記憶を保持し続けるのであれば。今後、妖怪との、特に天狗族との関わり方は充分に熟慮してくださいですニャン」


 晴華と友達でいたいと言うのならそれで良い。是非そうしてあげると良い。

 でも、天狗族に喧嘩を売るような真似は避け、危険の無いように気を付けろ。

 私たちはもう、貴方を助けてあげられないのだから。


 丹小又はそう忠告しているのである。


 皿助はそれをしっかりと理解した上で、丹小又をまっすぐに見据えて頷く。


「承知しました。忠告に感謝します。当然、善処もします」

「……では、用件は以上になりますですニャン。もう関わる事は無いかと思いますですニャンが、またご縁がありましたら」

「ヴォヴヴヴォオオオオオオオォォォ」


 それだけ言うと、丹小又と大鱈はさっさと窓際へ移動。

 丹小又が窓を開けると、大鱈はまるで軟体動物のように体をグニャグニャと畳んで窓の外へ。丹小又もそれに続く。


「ごーきーげーんーよーでーすーにゃぁ~ん」

「ヴォォオーオーオーオーオーオォォォ~ン」

「……天狗との関わり方、か」


 丹小又たちに手を振りながら、まだ薄暗い遠くの空を見つめ皿助がつぶやきを漏らす。


 晴華と友達でありながら、晴華に害を成す天狗族とは揉めないようにする……。


「……かなり難しそうだな」


 ……この件に関しては、今後どうなるかが予想するのが難しい。

 何か考えようにも、妖怪に関する情報が少ない。


 理想としては、次に晴華に会う頃にはこの問題が綺麗さっぱり解決している事、か。


 今はとりあえず、目下、朝の身支度を優先するとしよう。



   ◆



 皿助には非常に付き合い長き友人がいる。そう、幼馴染だ。


 その名は平良(たいら)月匈音(ツクネ)。当然ながら皿助と同じ高校一年生である。

 深い紺色の冬仕様セーラー服を着こなす様はまさに立派女子高生。成績優秀。その三つ編みのお下げと瓶底をくり抜いて作ったような眼鏡はあらゆる意味で伊達に非ずと言う事。そしてスタイル……主に胸部について言及するならば、物足りないほどに健全である。ラーメンで言えば極めてあっさり。月匈音の実家は八百屋を経営しているため、幼少期から健全な栄養には困らなかったはずだが……いかんせん、肉の官能的栄養が足りず、健全が過ぎてしまったのだろう。悔やまれる。


「………………………………」


 朝八時間近。学校へ向かう支度を済ませ、皿助が迎えに来るまで実家の八百屋の開店作業を手伝っていた月匈音は少々戸惑っていた。


 店頭、道路を挟んだ向こう側の電柱の陰。

 何やら弩助平な豊満恵体を和装で包んだ少女がそこにいたのだ。


 更に妙な事に、その少女、頭に小さな醤油皿を乗せている。

 ファッションは自由だが、流石に衣類・装飾品とは完全に別系統の文化である食器を組み込むのは如何な物だろうか。


 まぁ、そうは言っても、月匈音としては正味そこは百歩譲れる。

 月匈音が戸惑っているのは、あのイカれたファッションセンスを憚りなく晒す少女の『視線』である。


 あの少女、ひたすらこっちを見ている。とてもとても見ている。凝視している。瞬きくらいすべきだ。

 もし視線に物理エネルギーがあったのならば、月匈音は胸を貫かれて死んでいただろう。

 あの少女の視線は、月匈音が抱きかかえたダンボールの中身……大量のキュウリにロックオンされているのだ。


「…………………………」


 何なんだろう、アレ。不審者にしては妙に可愛らしいが……。

 そんな疑問が、月匈音の絶壁めいた胸の中でうずまく。


「おはよう月匈音。朝からお店の手伝いか。実に殊勝」


 と、そんな所に大柄学ラン野郎であり月匈音の幼馴染、皿助が登場した。幼馴染らしく、月匈音と共に登校するためだ。小学生の頃からの習慣である。


「おはよう、皿助。ちょうど良い所に来たわね」

「何だ、有事か。任せろ」

「あ、べーちゃん!」

「え?」

「む。その声は……」


 何が一体どう言う事か。

 月匈音が抱くキュウリに熱い視線を送っていた少女が、電柱の影から飛び出し、トテトテと言う間抜けな足音を伴ってこちらに駆け寄って来た。まるで飼い主を見つけた子犬のような、とても無邪気な笑顔を浮かべていると言うオマケ付きだ。


「キミは……晴華ちゃんじゃあないか」

「はい。昨日の夕方ぶりですね!」

「……皿助、知り合いなの?」

「ああ、河童の晴華ちゃん。俺の良き友だ」

「河童って……いえ、そんな事よりも、友?」

「うむ」

「はい。昨日会ったばかりですが、気分的には心の友です!」

「ところで心の友よ。何故こんな所に?」

「あ、実はですね……」


 と、ここで突然、辺り一帯に地響きのような怪音が響き始めた。


「……え、なに、敵襲?」

「いや、違うな」


 警戒し殺戮態勢(キルモード)に入る月匈音に対し、皿助は非常に冷静。どころか、その表情には少し呆れ色が見える。

 その呆れた視線を受け、晴華はお腹を押さえて沈黙。


「……察した。逃亡生活を始めたは良いモノの、よくよく考えると人間社会に置ける先立つ物、金銭を持っておらず、食料の調達が困難な状況に陥り……ズバリ空腹か」


 まぁ、昨日の今日だ。

 天狗との騒動が解決している訳もなく、晴華は予定通り逃亡生活の只中なのは確実。

 その状況で腹を豪快に鳴らすとあれば、それくらいしか想像できない。


「はい……まぁ、河童は水さえ飲んでいれば半年は生きられるんですけど……お腹は普通に空く物で……そんな中、キュウリの香ばしい匂いがして……いつの間にかここに導かれし河童」

「ああ、さっきまでの異様に灼熱な視線はそう言う……」


 やれやれ、と月匈音は溜息ひとつ。

 抱えていたダンボールを下ろし、その中から色艶の良いキュウリを選び、晴華へと差し出した。


「はい」

「えっ……も、もしかして、くれるんですか……?」

「この動作にそれ以外の意図があると思う?」


 さっさと受け取れとぶっきらぼうな催促をするように、月匈音はキュウリの先端で晴華の頬をつつく。


「で、でも、あなたは察するにべーちゃんの仲良い人みたいですが……私とは何の関わりも無いのに、そんな厚意を……」

「皿助は私の幼馴染、つまり私の物よ。だったら皿助の友達も私の物。自分の物は大事にする。厚意とかじゃなくて当然の行為でしょ」


 晴華が赤の他人だったならば、月匈音だってこんな施しはしない。「その乳でも取って食って自給自足してろ」と吐き捨てて終わりだ。だが、皿助の友達とあれば別。別次元。母が我が子を慈しむように、無償の愛すら惜しみはしない。さながら聖母(マリアァ)ッ。


「大丈夫だ晴華ちゃん、遠慮はいらない。何故ならこいつは俺や俺の関係者に不思議と非常に優しいからだ」

「ぅ、ううう……感動ですっ。ツクネさんでしたね、親愛を込めてツッキーと呼ばせていただきます!」

「なら私は……確か、晴華ちゃんだったわね。パッチーと呼ばせてもらうわ」

「ツッキー、今こそ感無量のハグをッ!」


 そして晴華は「とりゃぁぁああああああああ!!」と言う威勢の良い掛け声と共にジャンプ!


「なるほど、親愛のハグね。上等。バッチ来いパッチー」

「あ、待てっ、月匈音! 晴華ちゃん! ストッ――」

「はぁ? 皿助、何を慌てげぶるぁッ」

「あっ」

「月匈音ぇぇぇぇええええええええッ!?」



   ◆



「ご、ごめんなさい……皿助さんに飛び付いた時よりは、かなり加減したつもりだったんですが……」


 まだまだ加減が足りなかった、それだけの実にシンプルな話だろう。河童恐い。


「あー、死ぬかと思った……肋骨にヒビ入るってあんなに痛いのね……一瞬完全に意識飛んだわ」


 河童の妙薬で復活した月匈音。「やれやれ」と言った調子で口から溢れた吐血の筋を拭う。


「本当にごめんなさい……キュウリを食べる体力が残る程度にお腹切ります」

「店先を汚されると掃除が面倒だからやめて」

「ですが、この失態は……」

「良いから、さっさとキュウリ食べなさい。可能な限り美味しそうに能天気な笑顔を浮かべて食べなさい。それが八百屋の娘に対する何よりの償いになるのだから」

「そ、そんな素敵な償いの文化がっ……で、では早速!」


 と、晴華はキュウリを掴むと……何故かそれを、豊満の胸の中央、素敵な深淵へと繋がる谷間にスポッと差し込んだ。


「……何をしているんだ、晴華ちゃん」

「キュウリを人肌に温めているだけですが……何か不思議が?」

「いや、だから何故?」

「キュウリをいただく前には、まず懐に入れ、感謝の心を以て人肌に温めるのが当然の礼儀じゃ……あ、もしかしてこれ、カルチャーギャップと言う奴ですか!?」

「まぁ、私達にはそんな文化は無いわね」


 どうやら、河童に取ってキュウリはとても神聖な食べ物らしい。

 食す前には懐に収め、「私の元へ来てくれてどうもありがとう」と言う思いを込めて温める、と言う習わしがあるようだ。


「感謝の念を込めて懐で人肌に温めた後、キュウリの表面を丹念にしゃぶりねぶり回して皮の味を存分に楽しんでから、豪快に、しゃくっ……と。これが私たち河童のキュウリをいただく作法なんです。なのでその……必ず最後はすごく美味しそうに食べると約束しますので、少々お時間をください!」

「いや、まぁ別に急かしはしないわよ。自分のペースで食べなさい」

「ありがとうございます。本当に優しい!」

「うむ……むっ」


 幼馴染と友人のやり取りを微笑みながら見守っていた皿助が、ふと自らが登校途中であった事を思い出した。


「おい月匈音。そう言えば学校だ」

「あ、いけない。どうでも良すぎて忘れてた」

「晴華ちゃん、すまないが俺たちは学校がある。またいつか、ゆっくり話をしよう」

「あ、はい。じゃあ私も逃亡再開します!」

「ひもじくてしょうがなくなったら、いつでもウチに来なさい。キュウリくらいなら分けてあげるわ」

「ま、マジですかツッキー……私、結構お言葉に甘える系の河童ですよ……?」

「バッチ来い。自家農家持ちの八百屋の懐事情の豊かさを舐めんな」

「ツッキー大好きっ。今度こそ適切なハグを! どりゃあ!!」

「ふん……今度こそ受け止めてやるわ、バッチ来げぶるぁっ」

「月匈音ぇぇぇぇええええええええッ!?」



   ◆



 某所。暗くて何も見えない場所。

 室内なのだが、蛍光灯が完全に切れてしまっているらしい。


「……ふぅむ。あの若い烏天狗、しくじったようじゃな」


 声色は幼い少女だのに、口調は非常にゆったりとしていて、老成した余裕に満ちている。

 そんな典型的とも言えるのじゃロリ声が、闇の中に響き渡った。


「はっ。機装纏鎧もまともに起動できないような河童の姫君だけならば、奴で余裕充分と考えていたのですが……」


 淑やかな幼女の声に応えたのは、対象的なお姉さんボイス。暗闇なので声の主の姿は見えないが、キリっとした秘書的女史を彷彿とさせる。


「どうやら、河童の姫君に与し、代理として機装纏鎧を使用し戦う奇特な人間が現れたようです」

「ほう、人間……」

「トルノーズの小隊副隊長補佐と言えど、支給されている機装纏鎧は量産機。一種族が誇る特機をまともに相手にしては……手も足も出ないのは当然の結果と言えるでしょう」

「それもそうじゃのう……しかし、それはひとまず置いといてじゃな」


 のじゃロリの声に溜息が混ざる。


「替えの蛍光灯はまだなのか。オヌシの顔も見えないレベルで暗いんじゃが。そしてこの状況で普通に報告始めるオヌシの神経も中々のもんじゃのう」

「お褒めに授かり光栄。恐悦至極。蛍光灯はストックが切れていたため、至急調達に行かせている所です。どうか、もう少々ばかりお待ちください」


 幼女は闇の中「褒めてないんじゃが?」と呆れ果てる。


「話を戻すが……どうする気なのじゃ。次はトルノーズ小隊副隊長でも動かすか」

「いえ。相手は特機。機装纏鎧に不慣れな人間が操縦しているとは言え、おそらくトルノーズ小隊隊長クラスのカスタム機では手に余るモノと予想します。しかし、隊長格以上を動かすのもスケジュール的に容易ではない」

「……では、やはりどうするのじゃ。まさかオヌシがゆくのか?」

「それも考えましたが、私には姫さまへの御奉仕がありますので……ここは我が古巣、【MBF】を動かそうと考えております」

「ほう。あのゴロツキ共を……」

「ゴロツキと言えど、戦力的価値は確かであると保証いたします。我ら……いえ、彼らは特機を擁し、それを用いた戦闘にも慣れている。相手がかの河童族の特機と言えど、操縦者が未熟ならば充分に対抗できましょう」


 ただ……、と秘書的お姉さんボイスは少し間をあけ、


「血の気が多い連中ですので……河童の姫君の協力者、その人間の『命の保証はできない』と言うのが少々難点ですね」


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