14,終章ッ!! そう、エピローグッ!!
藍色に移ろいつつある茜色の空を見上げ、天狗姫・天跨は小さく呻いた。
河原に体を投げ出したまま、動けない。ぴくりとも。
――余は、負けたのか。こてんぱんに。
ダイカッパー・コンゴウによるラッシュの途中から意識が無かったが……こうして機装纏鎧を解除して倒れていると言う事は、そう言う事だろう。
天跨に取って、生涯で初めての敗北であった。
「これが負けか……惨めなものよ」
負けた……つまりもう、晴華を諦める他にない。口惜しい、あのおっぱいを、太腿を、柔らかなすべてを諦めなければならない。「勝負の結果など知るか」と全てを反故にしてこれからも晴華を狙い続けたい……だが、それでは余計に惨めではないか。勝ち組強者がやるからこそ、嘘や卑劣な手段は「効率的で賢い一手」になるのだ。やろうと思えば正攻法でも勝てる者だけが、卑劣な手段を是にできる。負け犬弱者が卑劣を働けば、それはただただ「下衆な行い」だ。天狗の姫として、悪辣な自分は許せても、下衆に堕ちた自分なんて受け入れられない。
「……ちくしょう」
姫として如何なものかと自分でも思いつつ、そんな言葉を零さずにはいられなかった。
「…………ッ」
不意に、天跨の表情が歪む。その原因は、腹。ギュルルルルル……と、轟音の唸りを上げ始めた。
「しまっ、た……禍弄魔か……!!」
使用時間はおそらく問題無かったはずだが……追いつづら生成の時や、最後のラッシュの最中、天跨は状況を打破するために全力で踏ん張った。無意識に禍弄魔の出力を上げてしまっていたのだ。よって……想定よりも、禍弄魔の副作用が大きくなってしまった!!
一刻も早く、トイレへ駆けこまねば――しかし、天跨はぴくりとも動けない!!
「のじゃ、はははは……そうか。これが業。これが報いか……!」
さんざ好き放題にしておいて、負けたのだ。ツケを払うのは当然。
惨めな悪党を綺麗な尻のまま終わらせてくれるほど、世界は甘くない。
――良いじゃろう、好きなだけ見るが良い。
為す術なくクソを漏らす自分を見て「ざまぁみろ」と嗤えば良い。
それが勝者である皿助と晴華の権利であり、敗者である己の末路。
全てを受け入れる覚悟を決め、天跨が瞼を下ろそうとした――その時だった。天跨の体が、浮いた。
「……は?」
皿助が、天跨の体を優しく抱き上げ、そして全力で走り出したのだ。
「その腹の音、禍弄魔の副作用が出ているんだな!? 少しだけ我慢するんだ、すぐそこに公衆トイレがある!!」
「オヌシ、何を……何をしておるのじゃあ!?」
「俺は今、お前を助けようとしている!!」
「馬鹿が!! 余の悪行を忘れたか!?」
天跨は己の性欲を満たすためだけに晴華を襲い、何度も刺客を差し向けた。
その過程で、皿助はどれだけ危険な目に遭ったか、どれだけの苦痛を味わったか。
「忘れるものか。絶対に。俺はとても記憶力が良いからな」
「であれば、何故じゃ!? 気でも狂ったかァ!!」
「確かにお前の事は憎い――だが憎しみは、救いの手を引っ込める理由にならない」
「――っ」
「お前に必要なのは、恥辱に塗れる絶望じゃあない。『どんな強者であっても悪行を働けばいつか必ずその報いを受ける』と言う教訓だ!」
だから、皿助は絶対に許さない。
「今日の敗北から得るべき教訓を、恥辱や絶望の記憶で塗り潰す事を……絶対に許さない!」
――その目はどこまでも真っ直ぐだった。包み込む筋肉は温かく、その皮膚の下で力強く血潮が脈動している。まるで春の小川に浸かっているような心地。温かく穏やかな川の流れが、天跨にこびりついていた何かを洗い流していく。
「っ……ぅぅ……ああああ……」
天跨の目からぼろぼろと涙が、その口からは掠れるような呻きが零れる。
……本当は、とても怖かった。はしたなく糞を撒き散らし、誰も助けてくれない世界でただただ惨めさに打ちひしがれる……そんな未来を想像して、内心の奥深くで震えていた。
しかし、そんな未来は訪れない。訪れるはずがなかったのだ。
何故なら天跨が戦っていた男は――どうしようもなく【良い男】だったのだから。
「……ごめん、なさい……ごめんなさいなのじゃ……ぅ……あぁあ……」
皿助はその小さな体を優しく抱き寄せ、天跨の顔を胸板に沈めさせた。
間違っても、気高き姫君の泣き顔が誰かに覗かれてしまわぬように覆い隠したのだ。
◆
足を攣った河童のように時は流れ、半年後。年が明け、四月半ば。春麗らか。晴天に恵まれた朝の河川敷には、色取り取りの花々が咲き乱れている。まぁ、鮮やかな花々よりも圧倒的に花を成さない雑草の青の方が多いが。
「ふむ。本日も世界は清々しく素晴らしい」
この世界に生まれて来て良かった。河川敷で深呼吸に胸を膨らませ、しみじみと両親に感謝する学ラン姿の男子高校生。相変わらず筋骨隆々とした逞しき男児、我らが皿助である。半年程度では衰えない。むしろ以前よりハツラツとしている感さえある。
「……しかし、俺はまだ未熟だな……始業式は明日だったとは」
学校まで足を運んでから「そもそも今日はSUNDAYじゃねぇの」となってしまった。道理で一緒に登校する約束をしていた幼馴染はいくら起こしても起きてくれない訳だ。せめて「あんた馬鹿なの?」を連呼する前に始業式は明日である事を教えて欲しかった。
「まぁ、良しとしよう。おかげでこんなにも晴れ晴れとした気分を味わえているのだからな」
転んだ後にタダで起きやがってやる義理は無い。それもまた【良い男】の流儀。
「…………ふむ。にしても、懐かしいな」
この河川敷に足を運ぶ度に思い出す。この場所から始まった、奇妙な妖怪たちとの日々を。
――天狗姫・天跨との戦いの後の事を、少しだけ話しておこう。
あの後、問題はつつがなく解決した。天跨はとても速やかに「二度と晴華を性的な目で見ない」と言う妖怪誓約書を妖怪保安局に提出したのだ。これにより、天跨が晴華に妙な事をすれば、妖怪保安局が動ける。
そうして心を入れ替えた天跨は、毎日善行に励むようになった。
週に一度、皿助の元には天跨から手紙が届く。この一週間、自分がどれほど善行を働いたかと言うアピールが便せん狭しと書き連ねられた手紙だ。皿助はそれをすべて熟読し、善行ひとつひとつ全てピックアップして褒め千切る返答をしたためるのがライフワークになっていた。
冠黒武から聞いた話だと、天跨は皿助からの返信をすべて大切に保管して、暇さえあれば何度も読み返しているらしい。自身の行いを認められるのがそれほどに嬉しいのだろう。
分かる、分かるぞと皿助は頷く。皿助だって「よっ、良い男。カッチョいい!」と言われたらその音声を録音して保管しておきたいと思う。
……ちなみにこの件の補足として冠黒武から「夜道では娜游さんに気を付けるんだぜい」と言う謎の忠告を受けた。
ともかく、だ。天跨の野望は潰え、晴華や皿助の生活にはすっかり以前の平穏が――その時ッ、皿助はピィンッと何かを直感した。この感覚、覚えている。半年前にも感じた。
「きゃああああああッ!?」
ザッパァァンッ!! と水面が弾けるのと同時、実に聞き覚えのある少女の悲鳴が響いた。
水面を突き破って飛び出した大きめの影が、ロケット弾めいた速度で皿助へと飛来する。
「やはりか、想定済みッ!!」
皿助はその影を、その胸と両手で見事に受け止め、そして受け入れた。お姫様抱っこ的抱擁で川から飛び出してきた【それ】……いや、【心友】をしっかり、それでいて優しくホールドする。見事ッ!!
「ほ、ほぇ……?」
皿助の腕の中「あれ? 覚悟してたお尻の痛みが無い……?」とキョトンとしている少女。緑地の着物に収まった発育良い肢体。そして頭に乗った不思議な醤油皿……間違い無い。
「半年ぶりだな、晴華ちゃん」
「え、あ、あーッ!! べーちゃん!! お久しぶりです!!」
皿助の心友、河童族の姫君・河童の晴華だ。
天跨撃退後は時折手紙のやり取りはしていたが、顔を合わせるのはそれ以来である。まぁ、身分も住んでいる世界も違うのだ。本来は知り合えた事だけでも奇跡に近い。会う機会などほとんど無くて当然。
「再会の喜びは少し後に回して質問だ。一体、急にどうしたんだ? 何か人間界に忘れ物でもしたのか?」
「あー……いやー……そのですねー……」
「……む。もしや、またしても何か有事か?」
「……はい。恥ずかしながら……」
半年前にあんな騒ぎの中心に引きずり込まれて、またしても何やら面倒事を抱えている様子。
「うぅ……我ながら、やれやれって奴です……昔からトラブルメーカーな感はありましてけど……最近は顕著な気がします」
「何が起きたかは知らんが、災難だな」
本当、やれやれだ。心友の困っている姿を見ては、皿助は居ても立ってもいられなくなるに決まっているではないかっ。
「晴華ちゃん。今さら言うまでもないだろうが遠慮は無しで言ってくれ。何か、俺にできる事はあるか?」
美川皿助と妖怪たちとの奇妙な物語は、まだまだ終わりそうにない。




