12,河童大復活! その名はダイカッパー・コンゴウッ!! 《前編》
永遠に明けない夜の帳に閉ざされ、満天の星が常に煌き続ける夜空。綺麗ではあるが、三日も見続ければマンネリ感は避け難い仕様。その星たちの眼下には、まるで墨汁で濁したような真っ黒な水が静かに流れる大きな川があり、川を挟む様にして両岸に広大な赤い花畑が広がっている。すごく広い。
ただそれだけの場所。ただそれだけの世界。
そこに、とても筋肉質な少年が独り佇んでいた。
「……ここはどこだ。俺は――誰だ?」
分からない。何も、思い出せない。いや、そもそも思い出せるような過去が存在するのか?
そんな事すらも曖昧で、少年はただただ呆然と立ち尽くす。
何をどうすれば良いのか分からない……はずだったのだが。
何故かふと、黒い川に目がいった。何故だか分からないが……無性に、この川の向こう岸に渡りたい気分になってきた。しかしそれと同時に、向こう岸に渡ったら取り返しの付かない事になりそうな気がして、足が動かなくなる。
何かが向こう岸で呼んでいる気がする。
それと同時に、誰かが「行くな」と叫んでいる気がする。
『誰かじゃあ――い。俺はマカ――名乗った――が――いや――どうでも良――れは三途の――渡――なバカ!!』
「マカ……? 誰だ……? バカ? それが俺なのか……?」
『キミ――名は――っ、く――、示祈歪己の源――生命力――残滓すら――もう――』
頭の中に響いていた声が、小さなノイズになり、やがて完全に消えた。それと同時に、少年を足止めしていた感覚も消えた。ふらつくような足取りで、少年は川に向かって進み始める。
「ダメよ」
その声は、向こう岸から。いつの間にか、黒い川を挟んだ向こう岸に女性が経っていた。
優しそうな雰囲気を纏ったおば……お姉さんだ。小学生くらいのお子さんと並んで歩いていそうな年頃に見える。
ママみがあるお姉さんは静かに手をもたげた。掌をぱあにして……まるでハイタッチでも要求するような仕草。
その動作を見た瞬間、少年はとくん……と心臓が僅かに跳ねるのを感じた。思えば、今の今までまったく心臓が動いている感じがしなかった。
「これは、この感覚は……何だ……俺は……忘れているのか……大事な何かを……」
「【良い男】が約束を忘れるなんて、ダメじゃない。『私の分も長生きしなさい』……あなた、絶対に長生きするって言ったでしょう?」
「……約束、その、約束は……確か……」
掌が熱い。少年は慌てて自らの手に視線を落とす。瞬間、記憶が弾けた。
「――母上!?」
少年――皿助は急いで顔を上げたが、もう対岸にあのママみお姉さんはいなかった。
「っ……そうか、思い出した。すべて。俺は美川皿助ッ……天狗姫の術中にハマり倒し、腹からドリルで裂かれて――死んだのか!! そしてここはウワサに聞く三途の川か!!」
本当に在ったんだな、と感心している場合ではない!
「まずはアレだ、母上、ありがとうございます! もう少しで俺はあの世に逝く所だった! まだ死ぬ訳にはいかないぞ俺は!!」
母との約束もあるし、このままでは晴華を天狗姫から護り切れない!!
どうにかして、現世に戻らなければ。しかし戻る方法なんてあるのか?
皿助は自身の胸を押さえる。鼓動は確かにある。ものすごく小さくなってしまっているが!! そして、先ほどの母の口ぶりや、今は途絶えてしまったマカの必死な声から察するに……向こう岸にさえ逝かなければ、まだ何かしらワンチャンあるはず!!
冷静に考えてみれば、機装纏鎧状態で受けたダメージは感覚以外は皿助の生身に影響しないのだから……ダイカッパー状態で腹から裂かれようが八つ裂きにされようが死ぬ訳がないのだ。
だのに三途の川に直面してしまっている現状――おそらく、ショックによる仮死状態!!
母のおかげでほんの僅かに心臓が動き始めたものの、本当に僅か……この程度の鼓動では生命活動なんて実質不可能。かろうじて脳へと少量の血液が送られ、一時的に記憶を読み込めるようになった程度。おそらくこの僅かな鼓動もいずれまた止まる……そしたら皿助は再び記憶を読み込めなくなり、まさしく亡者として盲目に向こう岸を目指してしまうだろう!
だが……逆に言えばっ。どうにかしてこの鼓動を通常時まで引き戻せば……皿助は蘇生できるかも知れない!!
皿助は躊躇いなく、「んーっ!!」と自らの拳でパッション屋良的胸打……しかし、痛みも無ければ、鼓動に変化も無い。
「……そうか。俺は今おそらく霊魂っ……少なくとも肉体は現世にあってここにはない!」
どういう原理かは不明だが心臓の鼓動は感じられても、そもそもここに心臓は存在していない……つまり心臓マッサージは無理。どうすればいい!?
「……あら? あらあらあら?」
不意に、のんびりとした雰囲気の女性の声が背後から聞こえて来た。
その声に、皿助は聞き覚えがある気がしたものの……中々記憶の照合が完了しない。誰の声だが、半ば思い出しつつはあるのだが、ズバリッと思い出せない。それもそうだ。心臓の鼓動が再び衰弱し始め記憶の読み込みに支障が出始めている事に加え、彼の記憶に印象強く残っている【その女性】の声は、こんなのほほんとした雰囲気ではないのだから。
しかし、さすがは皿助。数秒の間を置いてピィンッと来た。
「この声は……幽子さんッ!?」
勢い良く振り返った先に立っていたのは、予想通りの人物。黒ずくめの修道服に身を包んだ、シックな修道女のお姉さん。先日、皿助と晴華を殺して仲間にしようと目論んだ地縛霊・冷体井幽子。その人(?)だ。
皿助の記憶が正しければ、シン・ダイカッパーによって天高くへと吹っ飛ばされたはずだが……。
「あらあらあら。やっぱり、皿助くんだったのね」
ほんわかした笑顔かつのんびりとした挙動で、幽子はふりふりと手を振っている。「やっほーおひさー」的なノリを感じる。圧倒的親戚のおばちゃん感。飴玉をくれそうだ。
「飴、食べる?」
くれた。笑顔で飴ちゃんを手渡してくるその姿に、先日の邪気と狂気は皆無。
「ありがとうございます……あ、ハッカ味――って、えぇッ!?」
「あらあら、ハッカは嫌い?」
「そうじゃあないッ!! ちなみにハッカ味は割と好きです!! 俺が今『えぇッ!?』ってなったのは『好き嫌いが結構ハッキリ分かれるハッカ味を配り歩くのって結構ギャンブルじゃあないだろうかッ!?』と言うニュアンスではなくて……幽子さん!? 何故、ここにッ!?」
飴玉を胸ポケットに収めながら、皿助が疑問を叫ぶ。
「あらあら? 何を言ってるの。貴方が私をここまで吹っ飛ばしてくれたんじゃあない。忘れちゃったの?」
「!!」
確かに、皿助は幽子を天国的な場所へと送るつもりで吹っ飛ばした。
地縛霊としての悲しい時間に終止符を打ち、新たな生を獲得して幸せになって欲しいと、切に願って。
どうやらその祈りの想いが通じて、幽子はこの三途リバーへと来れたらしい。
「あの時、貴方にド突き回されてから、私の思考はすごくクリアなの。地縛霊だった頃の陰鬱な気持ちなんてこれっぽちも残っていない……きっと、貴方の誠実な張り手に乗った想いが、私の邪気や毒気の類を全て吹っ飛ばしてくれたのね」
「お役に立てたのなら、光栄です。あんな荒っぽい手段しか取れなかった事を、少し恥じる気持ちではありますが……」
「あらあら。別に良いのよ。むしろあそこまでやってもらえるとスカッとするわ。もしかしたら私、生前は結構ハードなプレイとか好きな性癖だったのかもね」
うふふふ、と幽子はほんわかしたお花エフェクトが出そうな感じで微笑。
「それに、あの刺激のおかげか、ちょびっとだけ生前の記憶が戻ったのよ」
「俺の張り手にそんな効果まで……!?」
浄化するわ記憶は戻すわ、皿助の張り手には彼自身が思っている以上に良い感じの効能が詰まっているようだ。
「本当にちょびっとだけなのだけれど……生前の私が示祈歪己を発現した時、何を祈っていたのか……それを思い出せたの。正しい自分の【願い】を思い出せた……だからこそ、こうして正常に戻れたのかも知れないわね」
生前に抱いた強い願い。パッション……それは脳ではなく魂に刻まれるもの。幽子はそれを取り戻せた。故に、生前はそうだったであろう穏やかな雰囲気が戻ってきたのだろう。
「さて、私の話はこれくらいにして……今度はこちらから聞かせて。何故、皿助くんがここにいるの?」
「実は……」
皿助は晴華の事と、そして天狗姫との戦いについて幽子に話した。細かく話すと割と長くなるので、所々端折って。
「――と言う訳、なんです。幽子さん、こんな相談を持ちかけられても困るだけかも知れませんが……この状況、どうにかする手立てはありませんか……!?」
「うん? まぁ普通にどうにかできると思うわよ? その話通りなら」
「………………………………へ……?」
皿助が全く予期していなかった回答が、幽子の口から放たれた。
「要するに、現世にある貴方の心臓にパワーを送り込めれば良いのよね?」
「は、はい。おそらくそれで復活できる……と見込んでいるのですが……できるんですか?」
「さっき、私が生前に示祈歪己を発現した時の祈りを思い出したって言ったでしょう? 当然だけれど、地縛霊になった時とは違う理由……そして示祈歪己は、祈りを叶えるための力」
「まさか……」
「私は今、生前の示祈歪己と地縛霊としての示祈歪己、その両方を使える。そして――その二つを使えば、貴方を助ける事ができるわ」
「本当ですか!?」
幽子が笑顔で頷き、説明を始める。それを聞き終え、皿助は「確かにそれなら……」と納得したのと同時に「それはダメだ」と表情を歪ませた。
「あらあら、どうしてそんな顔をするの?」
「当たり前です。だって、その方法では、幽子さんも現世へ戻る事に……!」
せっかく成仏し、三途の川まで来たというのに……三途の川システムはよく分からないが、またすぐここに戻って来れると言う保証は無い!
「きっと、向こう岸に渡れば天国へ行ける……その後は、いわゆる転生だってできるはずだ。それだのに……」
「あらあら……別に良いのよ。だって私、現世に【未練】があったのだもの」
幽子には生前の記憶がほとんど残っていないはずだのに……?
「私の未練は、貴方への恩返しよ。貴方には、すごく感謝しているの。貴方が、私を私に戻してくれた。淋しさに狂い泣き、本当に狂ってしまった私を、貴方がその張り手で目覚めさせ、救ってくれた」
「……!」
もし、皿助に救われなければ、幽子はあの場所で、永遠に淋しさと狂気を叫び続けていただろう。
「貴方の意思を汲むのなら、転生して、新たな生を全うすべきなのかも知れないとも考えた。でもね……それじゃあ、どうにも気が収まらない感じがしていたの、ずっと。後悔してしまう気がした。後悔を来世に持ち越してしまうんじゃあないかって、ずっと不安だったの」
だから、皿助より先にこの場所に辿り着いていながら、幽子はずっとこちらの岸で迷っていた。
だが、今まさに。その迷いを吹き飛ばす出来事が起きた。決断するに迷う必要が無いほどに、状況が変わった。
「皿助くん。どうか私に恩返しをさせて。貴方を守り助ける【守護霊】に、私がなってみせる」
幽子が皿助へと手を差し出した。この手を取るんだ、さぁ。と主張する様に。
――古の時代から、「情けは人の為にあらず」と言う。
善意は必ず巡り還る。綺麗な感情は、伝播を止めない。そうして、世界は少しずつ素敵な方向へと進んでいく。
「……その恩返し。有り難く、受けさせていただきますッ!!」
有り難く、そして力強くッ!!
皿助はしっかりと、幽子の手を掴んだッ!!
「あらあら、死にかけとは思えないパワフルさ……じゃあ早速、行きましょうか」
「はいッ!! よろしくお願いします!!」
さぁ、反撃開始だ。




