4章E メスシリンダーの激闘
鋭く光る眼。薄暗い部屋。僅かな光を反射して、輝く日本刀。
境川はたった一つの目標に対して、大きな緊張を抱いていた。
「愛刀の切れ味。それは、俺が常に把握しておかなければいけない重要な情報だねえ。」
口調はいつもの境川であるが、その声色からは真剣さを感じる。つるつる頭から汗がにじみ、鼓動は高くなっていた。
「いつもこの瞬間は緊張するんだ。俺の日本刀の切れ味を正確に測るためには俺自身が、ベストなコンディションでなければいけない。」
表情は険しさを増し、構えられた日本刀にすべての神経を集中させる。
「そして、その日本刀が斬るにふさわしい物はただ一つ。水の一滴でも正確に測りきる、この世界の技術の結晶。行くぞ!」
境川は、その技術の結晶に視線を向け、切りかかった。
「うおおおおおお!」
斬撃はそれを確実に切断した。
「今日もいい切れ味だ。やはり、メスシリンダーに並ぶ、斬るにふさわしい物はない!」
境川がそこまで言い切ったところで、実は横で見ていた立津人が口を開いた。
「なぜメスシリンダー……?」
そう、境川はメスシリンダー一本を切断するために、全神経を費やしていたのだ。立津人が呆れた目で見ていたが、それも当然のことであろう。
立津人の反応を境川は鼻で笑った。
「わかっていないねえ。実にわかっていないねえ。どうしてメスシリンダー以外の標的で、切れ味が測れようかねえ。見よ、この美しい切断面を。まるで宝石のように輝いているねえ。」
境川は、大仰な口ぶりと動きで、メスシリンダーの良さを語り出す。
もちろん、その内容は意味不明かつ実際のメスシリンダーの機能とは何ら関係はない。
「まだまだ、言いたいことはあるがねえ。それよりこの俺が今まで切ってきたメスシリンダーコレクションを見せてあげるねえ。」
「はい?」
立津人は嫌な予感がした。先日、境川が、通販サイトから何かを大量に買っていたことを思い出しからだ。
「お、おい境川。通販で何買ったんだ?」
立津人が恐る恐る聞くと、境川は満面の笑みを浮かべて答えた。
「これだねえ!」
その言葉と共に、部屋にあった一つのボタンが押され、部屋の床の半分が、少しずつ開き始めた。
まるで格納庫から、戦闘機が発進するような絵面だが、実際に出てきたのは、全く違う物だった。
「な、な、なんじゃーこりゃあああああ!」
格納庫からゆっくりと上昇してきたのは、メスシリンダーを詰めたはケースを置いた大量の棚だった。部屋のまるで図書館の本棚のように整列した3列の棚。
そこに、境川によって切断されたと思われるメスシリンダーのケースが目いっぱい詰まっていた。
「これこそ、俺のコレクションだねえ。なんとも言えない美しさだねえ。」
立津人の呆れは、先ほどの比ではなかった。口は、ムンクの叫びのように広がり、目は死んだ魚の目をしていた。
境川は、そのリアクションを全く別の意味で捉え、喜んでいた。
「そうだよねえ、これほど美しく壮大なものを見ると誰だって、言葉を失うよねえ。」
そのどこまでも、バカな勘違いに突っ込みを入れる余裕もないほど、立津人は固まっていた。
「いや、いやいやいやいやいや。境川、これ頭おかしいとかそういうレベルじゃない。バカにも限度があるだろ……」
ようやく口を開いた立津人。その口から出てきたのは、最悪の評価であった。
「何だってえ!メスシリンダーは地球最高の宝石であることがなぜわからんのだねえ立津人。」
「どうやったら、こんな金と労力と土地の無駄遣いを肯定できるんだよ。お前ほど馬鹿すぎもしなければ、人間に絶望もしちゃいない。」
立津人は、これ以上の会話は無駄だと判断し、どこからともなくバズーカを取り出した。
「バカなことはやめるのだねえ立津人。もうこの本棚の代金の支払いは終わっているのだねえ!これを破壊しても赤い鳥の損害にしかならないねえ。」
「それでも基地の用地を増やすことはできる。たかが、棚3つ潰せないほど、このバズーカは伊達じゃない!」
映画のラストシーンのような、気迫のある会話が繰り広げられる。そこには、お互いの意地がぶつかっていた。
メスシリンダーを巡ってだが……
「喰らえ!」
立津人は、バズーカを発射させる。弾頭は、棚に向かって真っすぐに進む。しかし、あと少しのところで境川が立ちふさがる。
「土地の無駄遣いだと言って、何でもかんでも抹消するような人間が、赤い鳥の自由を破壊するんだねえ!それをわかるんだねえ!立津人!」
「わかっているよ!だから、赤い鳥に使える兵器を作らなきゃならないんだろ!こんな無駄な物のためじゃない。」
境川の日本刀は、弾頭を真っ二つに切断する。しかし、切断されてなお、二つに割れた弾頭は、進み続ける。
「ああああああ!」
叫びをあげた境川。しかし、もう遅い。二つの弾頭片は棚を貫き、爆発した。
当然、大量のガラスが割れる音を引き連れて。
「あ……終わった。俺のメスシリンダーコレクションが……」
「これで一見落着だな。」
膝をついて落胆する境川と、一仕事終わった心地の立津人。勝負は決し、無事、赤い鳥本部の狭い土地に居座る、無駄な物は排除された。
境川は、破壊されたメスシリンダーの破片や棚の破片を手に取り、しみじみと眺めていた。
「そんなに、大事だったの?」
あまりの落胆ぶりに、さすがの立津人も心配になったらしい。崩れ落ち涙を流している人間がいたなら、誰だって不憫に思うだろう。声にならない声で最後に境川はこう訴えた。
「やっちゃいけなかったんだよねえ!こんなんだから、立津人は俺の大事な物だって壊せるんだねえ!」
その悲痛な叫びは、基地中に遠く響き渡った。
……一体、我々は何を見せられていたのだろうか……




