9話 モノトーンの世界に彩られた色
「ケリィ、帰ってきたわよ」
リクが息を切らし、効率の悪い走りで帰ってくる。わたしはこの時をどれほど待ったか。この妹は本当に道徳がなっていない。わたしも今の今まで、椅子にされていたくらいだ。だから、帰ってきた時は拘束具から解放された気分だった。
「ああ、リク、おかえり」
「遅ぉ〜い♡ で、何買ってきたの?」
リクは、袋の中をガサゴソと音を立てて漁ると、中からはサイコロが出てきた。
「これよ、ダイス。今まで使ってきたやつとは違うけど……、まあいいでしょう」
「へぇ〜、そ、そう。何に使うの?」
明らかにパイパーの余裕の石は削れている。もうすぐ彫刻にでもなってしまいそうだ。
「まずパイパー、そのダイス、貸してもらえる?」
「ふふ、ダーメ♡ すり替える気でしょ」
「じゃあ、イカサマね、ケリィのことなんて置いて帰るわ」
ハッタリだ。そもそも、おそらくだけど、ウェストウッド家はわたしを家に帰らせようとしているんだ。置いていったら、向こうにとって、好都合以外の何ものでもない。しかし、もしリクが負けたら自分には手下が増える、その誘惑にパイパーは負けた。
「まあ、いいよ。 どーせなーにもないだろうけど♡」
「ちょっとケリィ、あと、そこのメガネの東洋人、頼みがあるの」
そう言ったリクリッサは、そこののタイミングでゆかりさんを指刺した。
「何か用か?」
「っ……、癪に触りますけど……。ワタシデスよね? なんデスか?」
わたしとゆかりさんに声をかけたリクは近寄ってきて、
「手で器を作って」
そう指示して、2人にサイコロを一つずつその細い手から落とした。
「ここにメモがあるわ。これに3人で間違いないようにダイスを振って出た結果を書き込みなさい。わたしのダイスはあの子が持ってたもの、あなたたちに渡したものが買ってきたものよ。いい? 確認は怠らないようにするのよ」
リクは、メモを足元の地べたに置いた。わたしとゆかりさんはお互いに了承し、3人で同時にサイコロを振った。
「1」
「2だな」
「4デスね」
声を響かせ、わたしたち三人は自身のサイコロ、人の振ったサイコロを確認する。確かにその通りだ、間違いはない。けれど気になることがある。
「これさ、いつまで振るのさ」
「そうね、百回は振らないとわからないかもね」
「そ、そんなー」
わたしは遠いあまりにその目標に呆然としてしまった。
*
「いつまで振ってるのぉ〜。 おっそ♡」
あれから何分がだっただろう。今、私たちは99回を振り終えたところだ。幼年の少女からは煽りが止まらない。あと、一回。一回振れば! そう思い、力一杯、それでいて飛びすぎないようにサイコロを振った。なぜって、さっき、確か15回目付近だったはずだ。わたしが強く振ったサイコロはコロコロと転がり、どこかへ行ってしまったからだ。これを探そうとしたけれど、リクから、予備があるのだからこのサイコロはなくなってもいい、そう言われた時、わたしはパパとの会話を思い出した。
――
「キーリー、うちの農場のトラクターを変えることにした」
「え、なんで? まだうちのトラクターは動くじゃないか」
「動くといっても、何十年と使っているんだ。もうオンボロ、動かしてもエンジンはかからんし、進む時はゆっくりだし、あげく燃費も悪いしな」
「でも、変えたらお金がかかる。動くものを捨ててまで、そんな無駄使いはできないよ」
「キーリー、もし新しいトラクターが燃費良く、素早く進めたら、それは効率がいい、時間の有効活用だろう。時は金なり。損しないことよりも、得すること。それはお金もそうだけど、時間もそうなんだよ」
――
時は金なり、そう心に命じ、しぶしぶ探すのをあきらめた。
とにかく、今振ったサイコロはどうなったか。
「1よ」
「6デス」
「わたしは……1だ」
この結果をリクはしっかりとメモに書き込む。しかし、どうも妙なところがある。
「気づいたかしら?」
リクは得意げな顔をして、不敵に笑っている。
「なんとなく、ゆかりさんもわかるデスよ」
「そう、リクの振ったサイコロは」
「「「1がやたら多い!」」」
そう、本当に1が多かった。わたしがバックギャモンでパイパーとゲームした時も、なぜか進めないとは思ったんだ。こうして振ってみて1の割合を比べると、わたしのサイコロが100回に20回、ゆかりさんのサイコロが100回に15回、リクの振ったサイコロはなんと100回に47回も出ている。これは明らかにおかしい。しかも、前半だけでも50回のうち22回、つまり比較的均等な頻度で1が多めに出ている。これは、間違いなくイカサマだ。
「さて、この結果、どう説明してくれるのかしら」
リクは怯みきった少女に問い詰める。確かに、先ほどからこのサイコロを使っていたなら、それはイカサマ判定になる。しかし、わたしはこの時、リクがパイパーに譲歩していることに気がついたんだ。
「ああ、それね♪ 面白いでしょ♪ 1ばかり出るサイコロ♪ まあ、こんなの実戦で使うわけないけどね♪」
まあ、しらばっくれるのも当然。さっきの試合は終わったんだ。もう結果は出たんだ。試合中にイカサマに気づけない時点で負けだ。しかし、リクはあえて試合前にイカサマを暴いた。そう、あえて。
「それじゃあ、普通のサイコロで、ゲーム開始といきましょう。よろしくね、クライネスキンド(ちびっ子)」
*
そこからのリクの快進撃はまさに圧巻だった。コマを固めながら、じわりじわりと追いつめ、相手のコマをヒットし、もはや、逆転の切れ目はごくわずかになった。
「ここでダブルを仕掛けるわ」
リクはダブリングキューブを手のひらを上にして指の先に見せびらかすように持った。
「もちろん、のった♪」
パイパーは当然のような声を発した。
「ふふ、それでいいのかしら? 定石がなってないわね」
勝ってもいないのに勝ち誇ったような声をあげたのはリクだ。実際、このパイパーの手が悪手ということはわたしにも理解できる。ダブルに乗るのは、自分が勝てる自信がある時だ。ここまで追いつめられて乗るのはいけない。
「あなたの番よ」
サイコロが振られる。
「えーっと、出目は2と3」
「それじゃ、進めないわよ。残念ね」
「ぐぬぬ〜」
パイパーは歯を喰いしばった。悔しさが顔によく現れている。
「じゃあ、私の番ね。出目は2のぞろ目。あら、これはヒットできるわね。あなたのコマは番外よ」
リクは2マス先にあったパイパーの白いコマをヘリの部分に乗せた。
「ぐぬぬぬ〜」
「所詮子供ね。兄なら、こうならない立ち回りを心がけて、むしろあたしを罠にはめるわ」
そこからは逆転の目を潰した状態、パイパーがダンス、動けない状態を繰り返す一方的な展開が続いた。
そして、あれから5回は出番が回った後、
「はい、最後に3が出たので3マス前のコマがベアリングオフ、つまりゴールしてあたしの勝ち、2ポイント、あと1回どんな方法でもゲームに勝てば勝負にも勝てるわね」
まだ、パイパーは諦め切れないようで、手をしきりに組みながら、リクを睨みつけている。リクは、まだ勝ってもいないのに余裕な笑みを浮かべ、手を口元に近づけている。その様はわたしにはできなかった、子供に本気を出す大人げない人の姿であった。
「それじゃあ、次のゲームと行きましょう」
*
ゲームの進行について、今更言うまでもなくリクが場数を踏んでいる分有利だ。コマは先程の試合よりダイナミックで尊大な進軍、というべきか多くのコマを進めるように動かしている。彼女自身はおしとやかに座っているように見えるけれど、良く見れば膝の上で手をいじっているように見える。よほど油断しているのだろうか。
対する妹、パイパーは先ほどより慎重な動きに見えるが、どんなゲームでも子供に好まれ、かつ勝利を掴める戦略、速攻を仕掛けるように前へ前へと数個のコマを動かす。
「1と6、ヒットは……できない。なるほど、さっきよりは堅実ね」
「ま、まあね〜♪」
この様子を見る限り、パイパーにも成長が見られる。けど、このままいけば、リクが勝てる。万が一負けてもまだ相手は3点も取らなくてはいけない。パイパーにとっちゃまさに窮地だ。
窮地で彼女はどうしたか。彼女が求めたのはクールタイムだった。
「そうだ! そろそろ休憩取らな〜い♡ 休んでる間お花摘んだりしてさ♪」
きっと、休憩している間に作戦でも練るのだろう。休むことで妙案が浮かぶこともある。それにわたしは今は問題ないけど、リクとゆかりさんはパイパーも言った通り、トイレ休憩が必要かも。しかし、リクはその提案を飲むか。
「いいわよ、あたしはちょっとトイレ行ってくるわ」
そう言って、盤に背を向けてしまった。それに、ゆかりさんが追い越し、
「ちょっと! ゆかりさんにも行かせてくだサイよ! あー、まずいデス!」
全力で走っていった。
暗く人もわたしたち以外いない路地。張り詰めたような空気は、そのままの冷たさを残したままがらんどうになった。
その時、真空のような空間に何か別の空気が流れ込んだ。動いた、パイパーが動いた。それもコマを動かした。大胆に、おそらくは自分に有利になるように。
「うわっ、イカサマっ、むぐっ」
わたしは彼女の小さな、とても小さな手で口をふさがれた。
「おーっと、ダメよ、そんなこと言っちゃ♡ 悪いのはあの大人げない人。これはそのおかえし♡」
そのまま、パイパーは緊張したようにかたくなり、呪文のようなものを唱え始めた。
「不正を喋ろうとしたものは即座に口を縫い付けられる、これはこの試合が続くまで持続」
それは、脅迫にも聞こえる命令だった。おそらくはその命令は白万に対して言っているのだろう。すると、実際にわたしの口のそばに鎌を持った例の白万が針と糸のようなものをチラつかせる。
「そう♡ この能力があたしの能力、ルールの狩人♪ 相手が命令を理解した時、白万も命令を理解し、それがルールになるの♡ これには命令を理解したものはあたしも含めぜーったいに逆らっちゃダメ♡ 逆らったものにはおしおきよ♪」
彼女は全て話してくれた。これは余裕か、それとも全部言いたいお年頃か、はたまた頭が悪いのか、それはちょっとわからない。
「やってる相手にバレなきゃイカサマじゃないのよ♡ バラしたくてもバラせないって、本当悲しー♡」
やがて、2人が帰ってきた。リクは盤の前にに座り、じっと、盤面を見た。頼む、気づいてくれ。
リクは、対戦相手に睨みを効かせ、話し出す。
「これ……、誰かコマを動かした?盤面が変わっているわ」
パイパーはこの状況を好機と見たか、
「えー? 証拠でもあるのー♡ 根拠なんてなーい♡」
と強気に出る。
「え、どこがおかしいんデスか? さっきと変わらないじゃないデスか」
ゆかりさんは、どうやらよくわかっていないようだ。
「はぁ……、あなた本当に何も考えてないのね。盤面の記憶をする頭もないのかしら」
リクは本当に余計なことばかり言う。ゆかりさんは、声には出さず、訴えるような目で自分より上にある目を睨みつけた。
しかし、たしかに実際のイカサマを見たのはわたしだけ、しかもわたしはそのことを喋るそぶりを見せただけで口を縫いつけられる。いや、もしかしたら一回くらいは言えるかもしれない。けど、もしリクが聞き逃してしまったら? それに、わたしが言ったことは決定的な証拠になるのか? どうする、言ってしまおうか?
「言っておくけど、証拠ならあるわよ」
「……えっ……?」
何だって!? それは本当か! しかし、いったいどういう……。
「あなたのその手、ちょっと見せてもらえるかしら」
リクは、幼き子の手をたぐり寄せ、わたしたちに見えるように開かせる。その手には紅色のペーストのような半固体がねっとりとくっついていた。パイパーはゾッとしたような顔をして、緊張が走っていた。
「ケリィ、ちょっとこのコマの側面を触ってほしいわ」
リクはそう頼み込むように言ったけど、そんなことして何になるのか、とにかく触ってみた。すると、わたしの手にもその半固体がくっついた。いや、これは、この感触は間違いない。
「……口紅?」
「そう、これは口紅。それも間違いなく」
リクは自分の口紅を懐からひょいと出し、少しだけ爪で削り、自分の手の甲に塗った。
「このあたしの口紅と一致するはずよ」
そうか、もしや、全てのコマに触るようにしていたのって、そういうことか。
「この口紅をあらかじめ塗ることによって、あたしがイカサマをする際にメリットはないわ。そもそも、あの時席を離れていたから、イカサマのしようがない。けど
あなたにはそれができたはずよ。このイカサマ師」
「う、うっうっ」
彼女は泣き出してしまった。その首元には、鎌を持った白万が刃を近づけ、脅しているようだった。
「それじゃあ、命令するわ、あなたの下の手下を全て開放しなさい。あたしとあなただけの関係にするのよ」
パイパーは泣きながらも、死にたくないためにしぶしぶ解放の印をした。そうした結果、少なくともわたしのそばにいた口を塞ぐ白万は去ったようだ。
「しかし、モチベーションが下がってもかわいそうね……。そう、特別に一日の命令は3回にしてあげるわ。3回命令を使った後は自由、その中のルールは自由に設定できる、いいでしょう? もちろん拒否権はないわ」
「あ、悪魔……」
おそろしさに顔が歪むパイパーを見たリクは
「いやぁ、本当に」
そう言った後、笑顔を、それも支配の喜びを知った独裁者のような顔で、
「シャーデンフロイデ(愉悦)」
こう、彼女を悦びの滲み出た声で嘲笑った。それは、泳がせておいた魚をいけすの中から掴み取るかのように見えた。
*
「いやー、助かったデスよ。やるときはやるんデスね、彼女も」
裏路地から出て強い日差しの中、ゆかりさんは伸びをする。この軟禁状態は、わずか数時間であったけれど、それよりもっと長く、丸一日くらいに思えた。しかし、パイパーはこれからずっと拘束される羽目になった。覚悟してきていたから自業自得とはいえ、少々気の毒だ。
「おにー! デュラハーン! さでぃすとー!」
パイパーは、リクに、あらんかぎりの罵声を浴びせている。しかし、リクは普段なら気に留めそうなものだけど、今日は特に何も言わなかった。その顔には勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「そういえば、キーリーの友達さん、あなたには少し言いすぎたとわたしは思っているわ、ごめんなさい」
その謝罪の言葉に、ゆかりさんは笑顔でリクを見る。
「いいんデスよ。ゆかりさんがちょっと怒りっぽかっただけ……」
「特別にあなたたちの呼び方は先程も言ったように東洋人にランクアップしてあげるわ」
「なーんで、こう、謙虚じゃないんデスかねこの人は」
先程までの笑顔は、少し膨れてしまった。
「さて、ちょっとリラックスしましょうか」
リクは、手元から袋を取り出す。それは、密閉できるようになっていて、中には真黒な塊がいくつも転がっていた。それは、間違いなくリコリス菓子で間違いない。その風味は薬の如くで、正直、わたしは好きじゃない。好き嫌いは少ない方と自負しているけど。しかし、彼女は、随分とそれが好みのようで、初めて食べているのを見た時、わたしが驚いて、なぜ好きなのかを聞くと、キャラ付けよ、リクリッサをもじったリコリスが好きなの、と、ジョークを言われた。
「そうだわ、ケリィ、久々にあなたも食べてみない? この菓子を」
と、わたしの口元に指で摘んだ丸っこいリコリス菓子を近づけた。
「いや、遠慮しておくよ」
「食わず嫌い? 今は食べれるかもしれないわよ」
たしかに昔と今とでは味覚が違うこともあるかもしれない。しかし、そんな急に好きになるわけでは……。
「むぐっ、もごもご」
口を強引に開けられ、その中に石炭の如く黒い塊が突っ込まれた。噛んで、口の中に広がる不快感。なんとも表現し難い味。わたしは、うっとえずきそうになるけれど、笑みを浮かべたリクを思い、ぐっとがまんして悪意を煮詰めたような存在感を放つそれを飲み込んだ。
「ほら、やっぱり問題なかったじゃない」
リクはさもわたしが自分で食べたかのような口ぶりでいった。まだわたしの舌には痺れた感触が残る。
「ちょっと! ミスシャハト、キーリーちゃんに対して強引デスよ! キーリーちゃんの顔しわしわじゃないデスか!」
「そうね、強引かもしれないわ。けど、あなたは所詮友人、恋人のあたしには叶わない関係よ。それでもあたしたちの関係に口出しするのかしら東洋人?」
「だーかーらー、ゆかりさんはその東洋人の一人でしかないんデス!ゆかりって名前で呼んでほしいデスよ!」
苦々しい顔をするわたしとゆかりさん、それをあしらうような態度で、
「あ、そうだ」
そう、リクは思い出したかのようにわたしに近づいて吐息が当たるような距離で耳打ちした。
「先日の熱い夜、すごく良かったわよ。お゛っとうめいたり、フーッフーッってこらえたり、正直、そそられたわ」
「もうっ!」
まったく、こんな人前で、デリカシーがないんだから。
おまけ
桐の字「リコリスか……。わたしは苦手なんだけど、好きだって言ってる人がリク以外にもいたな。故郷の味を思い出すって」
ゆかり「マヂデスか? あれ食べたことあるデスけど、クッソエグい味デスよ。なんて名前なんデス?」
桐の字「キエロ・アホカス」
ゆかり「は? 喧嘩売ってるんデスか?」
桐の字「だから! キエロって名前で、アホカスって苗字なんだよ!」
ゆかり「プッ、面白いデスね。気持ちはうれしいデスけど、冗談も大概にしてほしいデスよ!」
桐の字「本当だって!」