7話たったひとりキーリーに愛されたくて
あの凄惨な事件から一週間が過ぎた。狂犬が大暴れし、生きたまま人間を喰い散らかしたなんて事件は少しずつだけどなりをひそめつつある。けれど、今日はそんな重いことは忘れて楽しまないと。
わたしは出かける前、最後の確認に鏡を見る。うん、どう確認してもわたしだ。これがわたしなんだ。わたしの国ではよく居るブロンド染め、アニメかというくらい長いもみあげ、縦方向に流れた前髪、毛量多めに見える左の前髪と、直してもすぐ跳ねるから諦めかけている右に跳ねた横髪、一見するとポニーテールかのように見える上の方が広く下に行くと小さく長く伸びるショートの後ろ髪、ルネサンス期ならもてはやされたであろうメリハリが少しだけある上半身と下半身、この国基準で言えばやや低い、わたしの故郷基準で言えばかなり低い身長、そして、自分で言うのもなんだけど目はキリッとしてはいるけれど大きく、あどけなさを残した顔、なるほどやっぱりわたしだ。
今日の服はあまり服をもってないなりに悩んだけれど、昔から着ていた、交差した紐のついたネイビーの服をシャツの上に纏うことにした。下はいつも履いているようなカーゴパンツではなく、スカートにした。
さて、もう準備万端だ。今日はリクに会う日、そう、わたしの彼女だ。
わたしは扉を勢いよく開け、しっかりと戸締りをして駆け出した。
*
「さて、そろそろ来るかな」
リクとは待ち合わせをしている。いつもの店、リリーフリーフの前で。人の歩く姿の中に、彼女を探してしまう。しかし、その中に見覚えのある顔がいた。
「あれ、桐の字じゃないか。なにか用でもあるのか?」
東佐官だ。彼は今仕事中ではないのだろう。上官である以上普段は随分忙しいはずだけど。
「いやちょっと人を待っていましてね。恋人、なんです」
「おー? 彼氏かい。どんな奴だろうな、見てみたい」
「いや、彼氏ではなく……」
まだ話し始めた最中という時、噂をすれば彼女、リクの姿が見えた。こちらに向かってずかずかと歩いてくる。わたしはその足を見て相変わらずの美しさに息を呑んだ。とにかく彼女の姿は本当に無駄がない。すらりとして、まっすぐ、そしてわたしよりほぼ頭ひとつぶんくらい身長の高い彼女は、まさにモデル体型と言えるだろう。
長い髪は黒くしなやかで、そこだけ外国人然としている。後ろを妙なところで2カ所結んであるだけ、何の意味もなく垂らしただけの結び髪と、前髪につけたヘアピンがトレードマークだ。
目つきはわたしとは違い、大人っぽく涼やかだ。さらに、泣きぼくろもまた美しさに磨きをかける。
服装は一見普通の上着とスカートとの組み合わせに見えるけれど、上着はなぜか脇だけが空いている。これは、彼女からも聞いたけれど、ケリィ、つまりわたしに欲情を覚えさせるための罠、らしい。
とかく、声もなく店の前まで来たリクは、わたしの後輩と言われても、信じてくれる人はどれだけいるか……。それほど身長差も顔つきも違う。
「久しぶりね、ケリィ。あたし、寂しくて辛かったわ」
口を開いた彼女の声は低めのアルトボイス、わたしが忘れられない声だ。人によっては、この声に美しさを感じる人もいるだろう。少なくともわたしには心地いい響きだ。
「ちょっと待て、まさかこの子が恋人っていうのか? ちょっくら意外だな。桐の字は信仰深い奴だと思ってたから」
「はい、そうです。けど、待ってください、ちょっとおかしい」
そう、リクは何故だか店の前には来ても、わたしに近づいてこない。だいたい数mの距離を保っている。寂しい思いをさせたはずなのになぜだろう。
「そう、本当に寂しかった。一ヶ月に一度しか会えないなんて。それでも、心の中を空っぽにすることは許されず、いつもあなたが頭にいるのよ。こんなの生殺しよ、だから」
彼女はいきなり大画面の携帯端末のスリープモードを解除して、天に掲げ、決心したように叫んだ。
「これで全て終わらせる」
画面に何かが映っている。なんとか見ようと凝視する。東佐官は目を泳がせ、
「お、おう、大胆な、いや違う、何をする気だ!」
と、自分の心に嘘をついたように途中から彼女に声を荒げた。
何が映っているんだろう。随分と肌色が多いみたいだけど、そうして、わたしは見てしまった。それが何かを知ってしまった。間違いない、これはリベンジポルノだ!
「キャー! キャー! やめて、そんなの人前に見せないでバカァ! リク、やめてよ!」
わたしは、そのひどい有様に泣き喚くしかできなかった! 恥ずかしい。叫べば叫ぶほど、周囲からはその画面に注目が集まり、状況は悪化する。まさに鬼畜の所業! 東佐官には、今すぐにでも見たことを忘れて欲しい。
リクは泣きそうになりながらそれを堪え、
「そうね、これを送信するわ。世界中にね。そうしたらあなたはもう目が怖くなるわ。世界中に裸を見られるのだもの。プライバシーもあったもんじゃない。けど安心して。今、わたしと国連民族保護区ゼノン支部に戻ってきてくれる、ウェストウッド家の家督を継ぐなら、富も名誉も約束される。わたしも」
そういうと、本当に一雫、悲しい雨が降った。
「こんな、残酷なことをしなくて、すむのよ」
「キャー! 東佐官ンン! 今すぐやめさせてぇ!イヤー!」
柄にもない悲鳴をあげ、なりふりかまわない態度しか今はとれそうもない!
「いや、一瞬でも隙が有ればいいんだが、ありゃ送信ボタンに手をかけてやがる。あとから地道に送信先を通報する方が」
「それだと誰かに見られるかもだし、アーカイブ取られたりしたらおしまいだよ!キャー!」
もう、どうしようもない、わたしの裸は全世界に知られてしまうだろう、ああっ。
「そうね、3分間だけ待ってあげるわ。よく考えて、本当に選ぶべき道を進むことね」
タイムリミットまでつけられてしまった。どうすれば、一体どうすれば。
その時、さらなる絶望が襲った。店から出てくるあれは、誰だ、いや、間違いない、ゆかりさんだ! どうしよう、彼女に見られたら、絶対距離を置かれる。ただの親友でいれなくなる。心の底から頼むからこっちに来ないでくれという思いが溢れた。
隣の東佐官に目を向ける。何かハンドサインをしている。左手を揉むように動かし、何かを持っているようにも見える右手に手を近づけ、叩き落とすように左手で叩きつけた。右手は下向きになり、何か、持っているものが落ちるようだった。一体どういうことだろう。
このハンドサインを見たと思われるゆかりさんは、うつむいた後にうなずいた。何を理解したんだろう。わたしに今の状況で理解しようする余裕なんてない。
しかし、どうやらゆかりさんは勇気が足りないのか、オロオロしている。東佐官も急かすようなハンドサインをする。ああ、こんなことしていたらタイムリミットが来てしまうのに。
もう、いっそのこと諦めてしまおうか。母は気に食わないけれど、リクがいれば乗り越えられるような気もする。
「もう負けだ……。こうさ……」
敗北宣言をしかけた後だった、ゆかりさんの手から末期丸が飛び出し、素早く携帯端末を持つ右腕に体当たりをした。
あ、いたとリクは声をあげ、携帯端末はその瞬間床に叩きつけられた。いまだ、今しかない。わたしは全力で走り、末期丸が作ってくれた隙を生かす。リクは床に落ちた端末を拾おうと屈む、だけどね、特にしゃがむ訓練もしていない素人と、瞬発力を鍛える訓練をしており、いつでも突発的に走れるわたしとなら、どちらが速いかな。もちろん、わたしの方が速い。この数mを屈んだ姿勢で端末に近づき、拾い上げた。この間、わずか3、4秒といったところか。
「よくやった! ナイスだ2人とも!」
東佐官がグーサインをゆかりさんに向かって送る。
ゆかりさんを見てみると、マスクもマフラーも脱いで、照れたような笑顔をして頭を掻いていた。こう見るとやっぱりちょっと変だけど、素敵な笑顔だ。
「残念だけど、もう脅迫はできないな」
端末をちらつかせたわたしのこの言葉はもはや勝利宣言だろう。なにせ、ここからのリクは絶対的優位を失い、逆ギレで動かなくてはならないからだ。
「そんな、何よあれ!? あんなの聞いてないわよ! あたしは、何としてもケリィに戻ってきてもらいたいだけなのに、もう、あれがなくなったら」
そう嘆くと、かろうじてクールな雰囲気を保っていた彼女の顔は涙で崩れ、悲しい、弱い少女のようになった。
「あたしは、どうすればいいのっ。うう、ずるい、ずるいわよ」
うずくまって、洪水に苦しむような彼女にわたしはうつむきながら近づいた。
「ずるいのはそっちだ、あんなもの持ってきて脅すなんて最っ低っ」
これは事実だ。わたしが酷い思いをしたのは言うまでもない。
「そんなことしなくたって」
わたしはそう言った後、彼女を上から屈むようにして抱きしめた。
「わたしはいつだってここにいる。別れたくなれば一緒にいていいんだよ。ずっと、ここで」
これもまた、わたしの本心だ。今まで、なんでこんなことが言えなかったんだろう。おかげで彼女には寂しい思いをさせてしまった。リクは相変わらずおんおん泣いているけれど、何か、先ほどとは違ったような雰囲気だ。
ゆかりさんは、自分の成果に喜んでいるようだった。
「いやー、万事うまく行ってよかったデスよ。キーリーちゃんも恋人と仲直りできて、ワタシもうまく白万を扱えて、モーニングの食後最高って……、あれ?」
しかし、何かに勘付いたらしい。
「よく見たら、始業まであと5分じゃないデスか! いや、ギリ走ればいけマスか、とにかくゆっくりしてる暇はないデス! じゃ!」
ゆかりさんはすたこらと、早足でこの場を去っていった。
涙も少しずつ引っ込んできたリクは、
「決めたわ、わたしはケリィ、あなたと住む。住居とかは決めてるの?」
もう、揺るぎはないようだ。しかし、よく考えなくても今のわたしは寮暮らしだ。新たに住む場所の当ては、この町だ、たくさんあるかもしれないが、それ以前に寮を勝手に出ていいものか。わたしは、東佐官に歩み寄る。それについてくるように、リクも歩く。
「すみません、東佐官、私事ではありますが、その、なんですか、寮の外で恋人と暮らすってできますでしょうか」
少し恥ずかしくて、口籠ってしまった。東佐官は、
「ああ、いいぞ。俺が許す」
と、二つ返事だった。
「恋人同士は何より2人の生活が大事だ。そんな中で寮じゃちょっと空気悪いだろうしな。それに恋人同士イチャイチャされちゃ、周りまで巻き添え食って士気が下がるかもしれない。まあ、俺には白万研究があるから全然羨ましくなんかないけどな!」
東佐官のその説明は、明らかに終盤は早口になっていた。私怨を感じる。
リクが、東佐官に向かい、低くも艶やかな声で、
「念のため、自己紹介しておくわ、あたしはリクリッサ・シャハト。ケリィ、キーリー・ウェストウッドにはリクと呼ばれているわ。キーリーのこと、よろしく頼むわね。まあ、猿に言っても理解できないでしょうけど」
明らかに舐めた態度で話した。それは、ペットと戯れる時のようだ。
「はっはっは、それは俺でも怒るからな、間違っても怖い人には言わないようにするんだぞ」
東佐官はそう言った後、わたしに向かい耳打ちし、
「うちの山城みたいな奴な」
となじった。確かに、かの士官は昔で言えば准士官といった所、叩き上げであり、その見た目は、見る人によれば侠の者にも見えるだろう。顔についた銃創なんかまさにだ。おそらくは、わたしに対しての命令、というには柔らかい注意だろう。
「ふふ、じゃあ住む場所を探さなくてはね。でも、即入居っていったってすぐには住めないわ。ホテルでもないかしら」
「ああ、それならあてが」
「ダメよ、あたしに探させて欲しいの。」
「そりゃまたなぜさ」
「あたしが探したいのはホテルはホテルでも愛の巣、もうわかるかしら?」
わたしは冷や汗をかいた。今日の夜に何が起こるか、すでに察したからだ。確かに今日はお互いに都合がいい日だ。彼女が、わたしのスカートに上から手を突っ込む。
「ちょっと、こんな人前でこんなこと……」
「そうね、だから場所を選ぶのよ。今夜はやすやすとは寝かさないわ」
おまけ
リク「ケリィはなんていうか、トムで受けね」
ゆかり「ああ、猫のトムってそういう……」
リク「あの夜は本当に素晴らしかったわ」
ゆかり「あら^〜ビアンナイトッ!」