45話 カチ……カチ……
なんやかんやと時は過ぎ、空実さんに招待された鉄芯華錆万装舞踏というイベントまであと3日となった。最初こそあまり乗り気ではなかったけど、人が乗り動く機械たちが踊るように争う様は、なんともロマンを感じる。正直、ちょっと楽しみだ。本当は、恋人が側にいれば……いやいや、ありえないよ。
その前に、果音さんとの約束の日が明日だ。その日には、魔王、と呼ばれるアルケーズ国の王と対談するらしい。わたしも果音さんといい茶菓子を探したり、空実さんにマナーを学び直したり、万全の準備を整えてきた。
あとは天命を待つのみだ。ガラスから闇の覗く暗い夜、わたしは部屋で祈りを捧げていた。パイパーはわたしのその様をもう気にも留めないで、同級生に薦められたらしい漫画を読んでいる。
やかましいパイパーが黙りこくると、この部屋はとても静かな空間だ。空間の一片一片から、主の面影がわたしを包み、優しく微笑んでいるようにも感じる。澄んだ心、わずかなブレすらない純粋な時間だった。
「おおい! キーリー!」
ドアを強く叩く音に、わたしの安寧は阻害された。大丈夫だ、落ち着け。
鍵が開いた音がする。そして、すぐにまた閉まる音がすると、なだれ込んできたそれはわたしの部屋まで駆け込み、わたしに訴える。
「頼むよ、かくまってくれないか」
わたしを強く揺さぶるそれは、アイシャであることはわかっていた。となりにモニーがぼうっとして寄りかかっている。今は夜中、こんな時間にアイシャが起きているのも珍しい。けど、今はそんなのどうでもいい。
「おーまーえーなー!」
人の祈りを邪魔した罪は重い。それをわかってもらわないと。口先だけの返事程度じゃあ、許さないからな!
「祈りっていうのは大事ってことは、習わなかったか? 決して邪魔しちゃいけないと……」
「緊急時は別だろう!」
「それでも、もうちょっと申し訳なさそうにとかできるだろ!」
モニーはパイパーが本を読む隣で、トランプをいじっている。モニーには長いこと相棒を説教して悪いかもしれない。
けど、アイシャの頭に残るまで、何度だって言い続けてやる。そう思ってた、けど、
「アイスミッドちゃん、ここにいるんでしょ? あの甘い言葉は嘘だったのー! 開けてよー」
どうやらそうもいかないらしい。その夜闇に響く甲高い声の主をお目にかかろうと、わたしは念のため扉に鎖をかけてからドアを開けた。
「ああ、だめだキーリー!」
しかし、それはうかつだった。普段の生活に、危機感がなまっていたのかもしれない。防犯性から考えても、覗き窓を覗いてからの方がよかっただろう。
その鎖に掛けられたのはなんと錆びに錆びたノコギリ。いや、これは刃先がまっすぐになっている。聞いたことあるぞ、中華料理にこういうのを使うって姚さんから。これは、もはや乱暴に断つことしかできないほど切れ味の落ちた中華包丁だ!
そして、その包丁を本当にノコギリでも使うかのように、その取物を引きだした。最初は、こんなので壊れるはずない、と高をくくっていたが、鎖の傷が深く、真ん中の穴まで届きそうになるとうかうかもしてられなくなり、扉の隙間の前に立ってしまった。
鎖の上、彼女と目が合う。黒い髪の中くらいのストレートと言った真面目そうな学生といった感じで、その目は大きく、漫画のような雰囲気だ。
そして、赤いマフラーを首に巻いていたけど、そのマフラーとの隙間から見えたその首には巨大な切り傷のようなものがあった。その傷はまるで、首が丸ごとちぎれたことがあるかのようだ。
「誰よ、その女……!」
その彼女は、わたしのことが気に入らないか、途端にこちらに包丁の尖った部分を突きつけてきた。わたしは、さっと身をしりぞく。しりぞいた後もわたしのいた空間を執拗に突いている。
そして、わたしが遠ざかると切れないことに気づいたか、鎖を執拗に叩き出した。まずい、鎖がもう限界を迎えている! というか、あんな錆びた刃物で切れるものなのか!?
ガシャーンと連なる鎖の落ちる音がした。鎖は扉の横で振り子のように揺れている。すかさず扉を開けた彼女は、わたし向いて太い包丁で切りかかってきた。
「アイスミッドちゃんは、渡さない!」
殺意に満ちた刃物がわたしを掠める。何か、打開策をひらめけ!
「落ち着け! わたしはアイスミッドの姉だ! そこのモニーとパイパーと同じで!」
わたしは妹たちを指さす。すると、相手は急に包丁を下ろすと、先程までの態度が嘘のように大人しくたおやかになった。
「ああ、お姉さまでしたか。私、アイスミッドちゃんと付き合わせて頂いてます、『アケミ』っていいます」
*
アケミと名乗るその女性は、ごく平然としてわたしの部屋に居着いている。うろうろと歩き回り、しばしば様々なものに触れて、整理をしているみたいだ。
こうしてゆっくり見てみると、彼女の髪は肩くらいまでに伸ばしていて、黒く、前髪が空かれていた。良くも悪くも、今時の学生って感じだろう。
「なんかぐちゃぐちゃな部屋ー。片付けてくれる人とかいなかったんですかー?」
うぐっ、そう言われると弱い。確かにわたしも片付けてはいる。部屋も人には見せられる程度にはなっているだろう。けど、年頃の女子の部屋か、と言われると口をつぐんでしまう。前は、嫌でも整理整頓してくれる人が居たんだけど……今は知っての通りだ。
「そういえば、アイスミッドちゃん。最近、彼岸花の夜、っていうドラマ、流行ったよねー」
「あ、ああ」
彼岸花の夜? それはだいぶ前のドラマのはずだぞ。そもそもこのドラマは……、
「キーリー、できればこのドラマの詳細を教えてくれるかな? 昨日からずっとこの話題が繰り返してるんだけど、いかんせんあたしが来る前のドラマでわかんないんだ……」
そうだ、アイスミッドが知っているはずがない。しかも、この口ぶりからすると、だいぶこのことについて話し、それでいてまだ話しているように見える。さてはオタクか?
「そういえばさ! 最近暑いよね!」
わたしはとっさに話題を振ってみた。なんてことはない、日常の話題だ。ここ最近は特に暑く、水不足も心配されている。これは誰でも答えられる、鉄芯華の鉄板話題だ。
「そうだね、たしかに面白いよね!」
おかしな反応だ。暑いことのどこが面白いというんだ? 拭えない違和感が、貼り付いて離れない。
アケミは足元の漫画を拾うと、ゴミ箱に放り込んだ。わたしは、はっとして彼女の腕を掴む。妙に骨張った硬さが、手のひらに残る。
「それ、ゴミじゃない」
この本の持ち主、パイパーは気づいていないが、そんな無神経にゴミかもわからないものを捨てる様子には流石に納得がいかなかった。
相手は無視だった。そして、次に何か探しに歩くけど、そこでふと夜の静寂に包まれるこの空間に、異質な音がすることに気がついた。例えるならそれはガタガタになったプラスチックの家具が、揺れてその部品同士が当たる時の音のような、カチカチとした音で……いやいや気のせいだ。変なことばかり起こっているから気が立ってるんだろう。
彼女は高い所の棚を漁った。そこには、わたしがいつも手に取れるようにと置いてある聖典があった。それを読んだ彼女は、
「えー、キーリーお姉さんこんなの読んでるんだ。ちょっと引くかもー」
と笑いながらペラペラとページを捲る。そして、そのページを荒く引っ張った結果、ページが折れたりもした。
わたしには我慢ならなかった。彼女の背後から近寄り肩を強く叩く。
「おい、あまり人のことを笑うなよ」
これは牽制のつもりだった。ただちょっと、注意するために肩を押した、それくらいの気持ちだった。けど、彼女はやじろべえのように足元を崩すと、やじろべえとは異なり床に強く顔を打ちつけた。彼女のしていたマフラーはふわりと空を舞う。そして何かが破裂するような音も闇夜の中照らされている部屋を響いた。
「いてて、何するのさー」
立ち上がった彼女は、何かがおかしかった。その首は明確にずれている、いや、外れているとしか見えなかった。わかった、こいつは人間じゃない!
そして、彼女は手元の包丁で、わたしの指を小突いた。指には錆がつき、血もわずかながら垂れた。わたしは覚悟を決め、アイシャの方を向いた。彼女も頷いてくれた。
「モニー、パイパー!」
振り向いた妹たちに、わたしは宣言する。
「逃げるぞ、全力で!」
そう言ってわたしは、手元にとってあったトンファーで、この人外の頭を思いっきり殴ってやった。首は勢いよく飛ぶ。さらに、その根元をくっつかなくなるように徹底的に殴りつけた。その首元はヒビが入り、所々崩れ落ちた。まるで、無機物のように。
「あれ、どうなったんだろう……」
そんな奴を尻目に、わたしはパイパーの手を引っ張り、全力で玄関扉を開け、走り去った。隣にはアイシャも、バディの手を引いている。突然の砂漠の夜の寒い風は、わたしにさぶいぼを立たせた。
「なーに♪ キーリー? 急に外に連れ出しちゃってさー!」
パイパーは様子を把握できていないみたいで、これをおでかけか何かだと勘違いしているらしい。
わたしたちは角を曲がる、曲がる。とにかく相手の予想できないように走った。解決法、そんなものはわからない。けど、逃げ切れば、何とかなるかもしれない。こういうちょっと思い込みがちな子の対応……。昔は得意だったんだけどな……。
何やら叫びながら走る声が、すでに走ってきた角から聞こえる。それは足音を聞くだけでも、あまりに速くこちらに向かってきた。走ってるだけでは、どうしようもないかもしれない。
もうだいぶ走ったろう、と振り返ると、なんとその姿が後ろに包丁を持った奴がチラリと見えた。その目元は、確かにわたしの本気のトンファーで破壊されていて……いや、まさか、まだ10分と走ってないぞ! わたしは、手元から取った機械を奴に向ける。
「ええい! 持ってきてたんだ! 縛手!」
奴に向けて飛んだ縛手は、しっかりと腰に巻き付いた。しかし、
「むんっ!」
彼女はそれを力だけで引きちぎった。いやいや、軍人どころか錆万装を纏った相手にすら解けない縄だぞ! 獣の捕獲にも使われることすらあるのに! このままだと、追いつかれる!
「パイパー! ルールの狩人に命令を! 内容は、生物の走る速度を抑えるように!」
あいつも多分生物だ。そうでなくても、どのみち追いつかれるなら正体に近づいたほうがいい。そのためのこのルールだ!
「りょーかい♡ ルールの狩人の命ず、あたしより速く走る生物は転ぶ!」
「ちょっ!」
まずいぞ、こちらの速さも落ちてしまう。しかも、足並み合わせるのってけっこうむずいんだ! わたしとアイシャたちは拙い足取りで、走ろうと思えばやめるように、下手なスキップのように走らざるを得なかった。
「間違えた、パイパーの速さじゃなくて、20kmとかで指定できるか!?」
「無理ー♡ みんなの同意がないと解除できないし、最初から決めておかないと数分は解除できませーん!」
不恰好に逃げている間、横切ろうとした家猫が転げて倒れてしまった。影響は本物らしいけど、なんか申し訳ない。
「アイスミッドちゃん! やっぱり、あの女なんかといて毒されてたんだよねぇ! 大丈夫、ひと想いにやってあげるから!」
後ろからは奴が、包丁を打ち合わせる音がする。錆がかかって、とても鈍い音が。わたしだけでなく、アイシャもどうなるか……間違いなく、捕まるわけにはいかない!
アイシャもなんとしても逃げようと前に出るその時、ルールの狩人がアイシャの足元に鎌をかけた。こけた彼女は、後ろに、後ろに遠ざかった。そして、それと共に彼女とあの無機物的な怪異との距離も、近寄った。ついに、身長ほども離れないほどに。
「アイシャ!」
「ねぇ、返事、聞かせてほしいなぁ!」
彼女はあきらかな興奮の色を見せている。包丁がガタガタ震えていることからもそれがわかる。その目のない彼女は、本当に相手へも目のないようだ。
「あいすみっど、きいちゃだめ」
モニーは鼻の先の怪物を一瞥すると、アイシャの目をまっすぐ見すえる。こんな時に限って妙に理知的だ。本能、だろうか。
逆にアイシャは腰がすくみ、地面に座り込んで後退する。しかし、恐怖を覚え声に詰まりながらも、口を開いた。
「あたしはセニョリーナになら恨まれたって、結構……! セニョリーナ同士の喧嘩だって、あたしのことを想ってくれるならかわいいもんさ……! けど、けどさぁ」
その語気は、徐々に、徐々に荒くなる。
「それであたしの家族やセニョリーナたちを傷つけるっていうなら、そんな相手はお断り、お断りだ……バカ!」
これを聞いたアケミと名乗る奴、どんな反応をするのか、正直恐怖していた。おそらくは激昂して襲いかかりでもする、そう思っていた。
だが奴は、急に世界から隔絶されたかのように止まってしまった。アイシャを上から覗き込むような姿勢で。そして、開きもしないような口で、小さく、
「なんで……」
こう呟いた。
すると彼女の下の顔に大きなヒビが入った。それは、陶器の食器の使い古したようにも、子供が壊したおもちゃのようにも見えた。
そして音を立て、顔の上半分どころか、いや顔どころか、全ての体がいきなり崩壊を始めた。崩れ落ちたその積もった残滓は、ゴミ捨て場に打ち捨てられたガラクタのように見えた。
「おい! うるさいわ! 何時だと思っとるんじゃ……!」
通りかかったその頑固な声には聞き覚えがあった。白万を研究していた東福三さんの父東密、その人だった。
「ああ、東さんちょうどよかった。今、大変なことがあって、このガラクタにも見えるこれ、これに過剰に愛されて追いかけられてたんです。けど、それはもっと人間のようにも見えて、しかも相手を撒こうとしても何故か見つかって……そして最後にはこうやって崩れ落ち……何かわかりますか?」
アイシャのこの説明に密は不満気だ。
「もっとわかりやすく説明できんのか……。けど、こいつの正体の予想くらいはつくわ。こいつは、多分白万じゃな。そして、見つかった理由じゃが……右のポケットが膨らんでおるな、触ってみい」
言われたままにアイシャはショートパンツのポケットを触ると、そこにはガラクタと同じ材質でできた細長い指のようなものが出てきた。
「これは?」
「これはもなにも、これを辿ってきたんじゃろう。そして、崩れ落ちたことに関してもなんとなく予想はつく。お前さん、白万を傷つけるようなこと言ったんじゃろ」
「そんなことは……」
これをパイパーは指差してからかっていた。
「アイスミッド彼女振ったじゃーん!」
「いや、そんなつもりは……」
「振ったとかでも同じじゃ。生きた白万は信じていたことを裏切られたり、プライドが崩れたり、要は存在意義を失うと消滅する。もっと言えば……白万は愛されないと死ぬんじゃよ」
「そう……だったのか……彼女には悪いことしたな……」
アイシャは落ち込んで地を見つめた。その太ももを、モニーが寂しげに引っ張っている。
わたしはこの経験で、明日のことが一つ楽しみに、一つ不安になった。白万はこんな難儀な体質をしている。そして、それを統べる魔王、きっと相手に従う白万も、それに触れる相手もナイーブなはずだ。魔王と果音さんとの関係をうまく取りもてるだろうか……。




