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ウェストウッド家に栄光あれ!――君に家督を譲りたいっ!  作者: 青瑪瑙ナマリィ
第4章 魔界を廻ろうと気圧されないっ!
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36話 異説 アタランテ

 これは、強く無骨な女性を堕とした者の話でございます。


 時代は、いや、話すのも野暮でしょう。あなたは知っているんじゃないですか? 


 舞台は、この広い荘です。ここは、オーナーの意向で女性ばかりを住まわせた屋敷となっています。その中は団地のごとく様々な人がいて、皆、協力をしておりました。


 しかし、お年頃の娘は、何かしら恋焦がれるものです。そんな乙女の一人、リタルも恋する乙女でした。彼女は廊下で、木星半周りほども歳の違うそばかすの目立つ少女に向け宣誓します。


「ラミエリーお嬢様。突然ですけど、私、マルファお嬢様の恋人になります!」

「え、え、え? えっ、あ、ああ、おめでとう……?」


 話に出てきたマルファ。彼女はどこからつっけんどんで、作法の行き届かない娘でしたが、弓の名手で、脚もまた速く、何よりその美しさから、屋敷の外で告白をする男は数知れませんでした。しかし、彼女はそれらを全て断ってきました。理由を述べさせれば男は苦手、信用ならないからと突き放し、それでも足掻く者は威嚇射撃で脅しました。今思えば、よく通報されていなかったものです。そして、彼女はリタルと共通の知人を通じて関係があったのです。


「いや、まだ告白してないんですよ」

「なーんだ、予定か」

「彼女はどう思ってるかわからないけど、胸の奥に銘じて付き合わなきゃと思っているんです」


 これを聞いて、ラミエリーと言われた少女はガッツポーズと言えるような感じに手を体の正面に出して力むその顔は素晴らしく燃える笑顔でした。


「おおっ! 素晴らしく熱い恋だね! 応援する……」

「師匠に料理の極意を教えてもらうために!」

「……は?」


 笑顔はいきなり冷め、痛々しい人を見るかのような目に変わりました。


「ほら、マルファお嬢様って師匠の実の娘じゃないですか。あ、ラミエリーお嬢様から見たら師匠のウルスラさんは養母でしたね。とにかく、そんな可愛い娘からのお願いなら、断れないと思うんですよ。だから、外堀を埋めて、絶対教えてもらうんです」

「リタル、正直気持ち悪いよ。政略だけの恋なんて、薄っぺらくてわたしは好きじゃないな」

「まっさかー、恋はしてますよ」

「何に?」

「料理に」


 ラミエリーはハァー、と大きくため息をつきました。


「料理を極めようと努力するのは、素晴らしい目標だよ。けど、そのために目の前の人を弄ぶっていうのは、どうしても納得できないな」

「ああ、もう、我慢できない! 告白してくる!」


 リタルはそう言ってスタコラとマルファに会いに行きました。


「……行っちゃった」



 マルファは、今も弓の鍛錬をしていました。矢を引き、射って、その射った矢は、的の真ん中に金属バネのように揺れながら刺さりました。けど、その顔に笑顔はなく、あくまで真剣でした。


 空気は静寂としていて、風の音すら聞こえました。けど、その風の音は、やかましい足音にかき消されたのです。


「マルファお嬢様! 探しましたよ!」

 リタルが、あの目的のためにドタドタと走ってきたのでした。集中を乱されたマルファは、仏頂面ががさらに渋くなりました。


「用がないなら帰れ」

「いやいや、用は大ありですよ。マルファお嬢様、私と付き合ってくださいっ!」


 手を差し伸べ、エスコートでもしようかというリタルの姿に、マルファの顔はムスッとしたままでしたが、どこか口元が緩んだ気もしました。


「……頭は大丈夫か?」

「本気です!」


 この時のマルファは、きっと彼女を嫌ってなかったでしょう。昔から男にはトラウマがあり、あまり近寄れませんでしたが、彼女なら、大丈夫かもしれないと思っているかもしれなくて、きっと何も知らない少女にするよりは、この告白は建設的だったかもしれません。


 だからか、マルファは珍しく威嚇しませんでした。


「何ならできる? 弓か、走りか。ボクと共に、なれるものはあるか」


 これは、フェアにお互いに得意なもので勝負しようと言いたいのでしょう。


「ふっふっふ、今回はマルファお嬢様は、なーもしなくて構いません!」

「勝負にならないな」


 マルファのこの発言も、決して見捨てた訳ではないはずです。そうして、リタルは意を決して言いました。


「私の料理を一食食べて、それを評価してもらいたいのです!」


 意外にも、マルファは、俯き、考えるようなそぶりを見せました。こんなやり方は初めてだったからでしょうか。とにかく、これにリタルは好感触と、心でガッツポーズを取っていたでしょう。


「勝負の基準はなんだ」

「簡単ですよ、私の料理に惹かれたら、付き合ってほしいんです。なに、そうなった暁にはいつだって作ってさしあげますよ」


 マルファは俯いたまま、珍しく微笑むと、すっと顔を上げました。


「面白い、ボクは受けようじゃないか」


とはっきりと宣言すると、じっと彼女を見つめると、弓を持って去っていきました。


 きっと、これはOKだ。間違いない信頼をしてくれたことに、リタルも嬉しくなりましたが、問題はこれからです。マルファは、何が好きなんでしょう。


 好きなものが分かれば、自然、この告白は有利に進みます。けど、マルファのよく食べるものなんて、わかりません。普段は皆一緒に食べてるし、完全に上辺の関係のリタルには、マルファを観察する時間すらない、突発の行動で告白してしまったのです。


 リタルは、今からでもマルファの食べてるものを見よう、と決心しました。とりあえず、今のマルファをもう一度見よう、まぁ、何か食べてるはずもないけど、と、一応振り向いたそうです。


 すると、彼女は何かをかじっていました。大きさは手のひらいっぱいくらいの球の形。真っ赤で、齧るたび甘酸っぱそうな汁が垂れる。これは、間違いなくりんごでした。


「薄い……」


 独り言でりんごの感想を述べたマルファでしたが、きっと、それを見てリタルが喜んでいたことは、知らなかったでしょう。



「ええっと、やっぱりアレは夜から作ったほうがいいかな……。朝までにやっておいて、それまでに浸かれば大成功だ……」


 おやおや、リタルは、夜中の調理場で料理の試作をしているようです。寝る間も惜しみ、研究する様は美しいですけど、当日、体調を崩さないでしょうか。



 ついに、マルファに料理を振る舞う当日になりました。勝負の時は朝食。食堂のマルファの周りには、すでに美味しそうなパンとポタージュ、それとちょっとしたサラダとミートローフが並べられています。


 そんな中、マルファの前にはまだ皿すらなし。彼女はさぞかし心中穏やかではなかったでしょう。


 まだか、まだか。その理由も明らかです。


 厨房では、今、ようやくリタルが走って、息を切らしてきたところです。


「やばい! 寝坊した!」

「こんな大事な日に寝坊たぁ感心しないね」


 ワルスラの叱責に、彼女は胸の痛む思いでした。


 しかし、その言葉の後、ワルスラはふと呟きました。


「まだまだ初々しい学びの多い娘っ子だねぇ」


 リタルは全てを読み取りました。これはヒントだ。この言霊には重大な意味が込められている。それが分かる、娘にふさわしい人間か、試していたんだ。そう、考えました。


 そうとしたら、息を整える暇もありません。フライパンを持ち、一品、仕上げようともう片方の腕で卵に手をかけました……。


 それから、マルファの前に料理が出されるまでは、決して長くはありませんでした。待ちくたびれたマルファは、表情筋の固いムスッとした顔のまま皿の上を覗きます。


 それは、料理というには、あまりにあっさりとしたものでした。ミートローフやポタージュは他の人と同じ、そして、違うのは他のものの代わりに皿に乗っていた、大きなパンで挟んである豪勢ながら質素なサンドイッチと、異様な存在感を放つ台の上に乗ったそのまんまの形の卵、それくらいでした。


 あきれた、マルファはきっとそう感じたでしょう。このくらいで、料理だと騒ぐなんて、馬鹿らしいとも思ったでしょう。


 そうして、サンドイッチを口の中に入れてみる、すると、どうでしょうか。中からはベーコンと焼いた卵が顔を覗かせました。


 ベーコンは、あえてカリカリに焼いておらず、やわらかな感触を残していました。それは、肉の油の新鮮さを感じさせ、喉に滴ります。


 それに対して、卵はむしろ少々硬めに焼いてあり、それでいて、むしろ非常に舌触りがよく、なめらかなのです。


 そして、ベーコンをやわらかに、卵をなめらかに焼いたからか、どちらの邪魔もせずむしろ素晴らしい連携プレーを見せています。


 マルファは、そのサンドイッチを食む時、厨房の様子を不思議と想起できました。自らの母であるワルスラが、叱咤激励をしながら、成長過程のリタルと共に料理に励む。それは、東洋では、阿吽の呼吸とでもいうのでしょうか。その様子を思うと、不思議と目頭にまで喜びが伝うのです。


「おー、マルファ、泣くほど嬉しいんだ」


 金色の髪を後ろに編んで一つに結んだ同い年の少女、名前はミラがその様子を見てからかいます。彼女は意地悪をしているのではないのはわかっていますが、


「違う、そんなんじゃない」


と首を振って、突き放してしまいました。けど、その様子を見たミラは、余計にニヤニヤしました。マルファは、ちょっとだけ恥ずかしくなり、顔を前に傾けました。


 そういえば、ここに何かあまり馴染みのない台に乗った卵もありました。この台の正体をこの屋敷に住んでいる気品のあるお嬢様なら知っていたかもしれませんが、食に無関心で、年頃の女子の好む甘いものですらりんごくらいしか興味のない彼女には、思い出せないものでした。


 とりあえず叩いて割ろうか、そう思った彼女は肘を曲げ、腕を振り上げました。しかし、その腕を掴んで止めたのが隣の席にいたミラです。


「だめだよ、そんな乱暴にしちゃあ」


 ミラはひょいと卵を奪い取ると、また台の上に載せました。


「いい? これは、こうやって開けるの」


 ミラはマルファの使っていないスプーンを軽い手先で取り、柄の先っちょを持つと、コツコツと卵の上からスプーンの背で、扉でもノックするかのように叩きました。


「これを、ひび割れるくらいの力でやればいいの。できる?」

「ヒントはないのか」

「大丈夫、出来るから!」


 マルファはスプーンを返してもらうと、卵に疑うような目をしました。本当は、そうじゃなかった。力加減なんて弓で慣れてる。この中身が何か、教えて欲しかったのでしょう。


 けど、それを伝える語彙力のない無骨なマルファは、スプーンで叩いて中身を確かめるしかありませんでした。同じように、スプーンの背でその卵にヒビを入れました。


 中身をくり抜くと、そこにあったのは、まるで黄金郷の温泉のような、美しき黄金がとろけていました。しばし見惚れたその黄金の正体は、半熟の卵黄でした。


 感傷に浸っている場合じゃない、これは、あくまでも食だ、味を確かめなければ。マルファはそれに塩をかけると、黄金の泉の中に固い匙を落としました。


 すると、匙はたちまち黄色くなり、絡みついた黄金色が、キラキラと反射するではありませんか。細かに混じる小さな塩粒は、まるで、砂金のようでした。


 口に含めば、素晴らしい加減に火の通された卵の強い風味を柔らかな白身があっさりとさせ、マルファはシンプルなものの素晴らしさを、噛み締めました。


 告白を受けるかは別でしたが、すでに、マルファは大満足でした。しかし、食事が終わってなお、料理を作った彼女は姿を見せません。


 一体どうしたのか、その答えはやがて明らかになりました。


 厨房から出てきたリタル。その手には大きな皿が、湯気を立てながら運ばれてきました。


 上に乗っていたものを見たマルファは、思わず息を漏らしました。


 そこには、蜜のかけられた鱗の鎧の如く燦然と輝くパイ生地と、その奥にいても決して色褪せない、琥珀のような色になるまで漬けられたりんごが、びっしりと敷き詰められているのでした。


「これは、私ができる、最高のアップルパイ。りんごも最高の金色りんごを3つも使いましたし、パイも、素晴らしく繊細になるよう、研究してまいりました。どうぞ、ご賞味あれ」


 もはや、それは神聖な域を造り、到底フォークを入れることすら許されないようでした。遠慮のかたまりと呼ばれる最後の一つのおかずを取るかのようです。しかし、なんとか、勇気を持って一刺し。その瞬間のパイの綺麗に崩れること。しかし、それに見惚れず一口。


 口の中に広がったその空間に、なんと名付ければよいか。りんごの甘味、それだけでは語れない瑞々しさの残しつつも、甘い蜜につけられ、酸味とのバランスの美しい中身、パイのほろりと解ける、和紙を重ねたような柔らかさ。その歯は奈落のように沈み、歯切れは大変良いのでした。これは、まるで、天からの授かりもののようでした。そして、この授かりものを食べるにあたり、一つの感情が浮かびました。


「これは、ボクが食べるのはよくない」


 この言葉が発せられた瞬間、リタルの頭の中は真っ白になりました。どうして、計画は完璧だった。これは、一種のプロポーズの手紙のような、素晴らしいメッセージだったはずだ。それが、なぜ。もう、目は上の空で、膝からたおれてしまいそうだったその時でした。


「ああ、これは、多分、みんなで分けて食べたいって言ってるんだよ。さっきの言葉に付け加えるなら、ボクひとりで食べるなんて罪深いから、ってね」


 話し出したのは、あの時彼女に怪訝な対応をした二つ結びにそばかす面のラミエリーでした。


「なぜ、ラミエリーが話す」

「マルファ、じゃあ心の底ではどう思ってるの?」


 ラミエリーが明るいながらも問うと、


「いや、その……それでいい」


と、マルファは目を逸らした後、再度ラミエリーに目を合わせ、心の底から正直に伝えました。


 その言葉に立ち直ったリタルは、すっかり立ち直りました。


 こうして、みんなでアップルパイを分けることにしましたが、困ったことに全員分は切れません。だから、一欠片、指の上に乗るくらいの大きさをみんなで分けて食べました。


「わあっ、なんて甘い。それでいて、後味はさっぱりとして、すごい美味しい」

「それだけじゃない、このコクとわずかな苦味。ピール酒か? とても美味しい。これを作れるまでには、相当な努力があったんだろうな」


 確か、あなたもこのアップルパイを食べましたね。上のような言葉を述べて。きっと、今もその味を心で覚えているでしょう。


 食後、ふと、疑問に思ったリタルはラミエリーに聞きました。


「あのとき、私のことを気に入らないっておっしゃいませんでした? なぜ、わざわざ助け舟を?」

「いやぁ、助け舟ってほどじゃないよ。マルファ、口下手だしね。それにさ、マルファも本当に気に入ってくれたみたいだよ。あなたの不純な動機でも、向こうが愛せばそれは愛。そして、彼女のことを思ったなら、きっとあなたの心にも火を灯したはずさ」


 そういえば、さっきから、いやこの料理を作っている間も、ずっとマルファのことを思って、心が熱く、体も熱を帯びていました。これが、心に灯された火でしょうか。不思議と、リタルはその灯火を消さず、燃焼させ続けたい思いでしたと、彼女は後に言っていました。


 そして、愛の答えは、すぐに返ってきました。座っていたマルファは、側に立つリタルに何かを伝えようと、もじもじしていました。隣では、ミラやラミエリーたちが、彼女の喋りたいことを喋らせるために、勇気づけています。そして、ついにそれは言葉になりました。


「ボクに……ボクに料理を教えてくれ!」


 リタルにとって、それは想像を超えた答えでした。


「ボクは、人の心がわからないみたいだ。けど、こうやって人の心を揺さぶりたい。人の心のその反響を聴きたい! だから、お願い……します」


 リタルは、これに、返したくなかった、冷たくも熱くもない、ぬるい温度の言葉を送りました。


「ごめんなさい。私は、まだ教えられません」

「そんなことはない!」

「いや、私はまだ、あなたの母、ワルスラさんに、料理の極意を教えてもらってないんです。生兵法のまま、教えるニワカな真似はできません」


 そう、緩く突き放すと、これを見守っていたワルスラに、こう訴えます。


「ほら、私は、ここまでやれたんです。ワルスラさん、どうか、秘伝の極意を教えてください!」


 ワルスラの答えは単純でした。


「秘伝なんて……ないよ」

「そんなっ!」

「あなたが見て盗んだ分で全てさ。後は、何度も料理をして、試行錯誤を重ね、自分で学んでいくだけだよ」


 その言葉を聞いた、リタルは認めてもらったことが嬉しくて、涙まで見えました。それを拭った彼女は、改めてマルファの願いを受け入れ、そして付き合うことになりました。大団円を皆が祝福しました。


 射手の心を射止めたのはりんご。そして、恋のレースに勝るもの。ああ、なんて、アップルパイのように甘い話なんでしょうね。

 

 



 

 

 

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