32話 さらば、愛しき日々よ
英二さんも、リクリッサも、クオリアさんとジョニーの相手に必死だ。わたしは、今は動けない……、いや、そうか?
腿、凍っている。足の付け根、動かない。けど、膝は曲がる! 走る、走ってなんとか少しでも! そう言ってようやく羽交い締めから解放された英二さんの方に走る。叫んで、力を込めて、渾身に走れ! 足の関節を曲げ、膝から先だけで!
「うおおおおおおお!」
「あっ」
エンキュリスはわたしの姿を見て声を出そうとしたが、すぐに引っ込めた。意図を知ったんだろう。こうやって叫ぶだけなら、腿の氷を引き剥がそうと無駄な抵抗しているように聞こえるはず。けど、現実はちょっと違う!
「おいおい、叫喚して力を入れたってクオリアの凍てつく氷塊は崩れやしないぜ? だからキーリー、静かにし……」
こっちを向いたな! ジョニー! 一発喝してやる! ドロップキックを喰らえ!
「ほげっ」
尻に強い衝撃。もう立ち上がれないくらいに痺れる痛みが臀部を襲う。けど、あいつにとっても相当大ダメージのはずだ! 実際、奴は頭から倒れ、ピクリともしなかった。
「エンキュリス! 生存確認!」
「あ、ああ」
エンキュリスは倒れた輩に恐る恐る近づき、手首を触る。
「大丈夫。脈はある」
「へへ、一泡吹かせてやった……」
クオリアさんは、争いの最中に、こちらの異変を察知し、リクリッサへの攻撃の手を止める。リクリッサは足元を凍らされつつも、つるを使って上手いことクオリアさんの攻撃を受け流していたらしい。けど、霜のついたつるからは、激戦がうかがえる。
「やはり……早めに保護して帰路に着くべきでしたか」
ブーツを鳴らし、早足でこちらにクオリアさんが近づいてくる。つかつかと響く音は、もはや抵抗の余地のないわたしにとって、頭の中を引っ掻き回すには充分だった。わたしは、ここで、本当に全ての食事がちゃぶ台とともにひっくり返される映像を再生した。
「あ、あ……」
「させないわ! キーリー! 今助ける!」
リクリッサは動けないながらもつるを伸ばす。それはクオリアさんの前に雁字搦めになって立ち塞がり、壁を作り出した。しかし、クオリアさんは氷玉がある。簡単につるなどまとめて砕けるだろう、と思っていた。
「おっ、臆面もなく盛り上がってるなあ」
しかし、見通しは甘かった。さらなる絶望はこの空間を覆う。その絶望は、ぬるりと粘りつき、わたしの体には苔が生えたようだった。声の主、それはこの状況に置いて最悪だ。見えたのは巻かれた高貴なる髪。
「なぁ、ウチも混ぜろよ」
エウリュディケ・ウェストウッド! 彼女の異性に恋させるフェロモンの白万、確か名前は『love to get her』! これはちゃぶ台返しどころじゃない、家ごと壊れるが如きだ!
その予感を当てるかのように、彼女の後ろに構えていたのは、この騒動の最中ほとんど気にかけていなかった周囲の通行人の男たちだった。いつの間に、凄まじいまでの兵力を相手に与えてしまっていたんだ。そして、妖艶に、陽炎のようなリディの目は怪しく光った。
「ほら、そこのコロンボもウチに近づいて跪きな!」
「ううぅうう、あいつは敵だってのに!」
エンキュリスは悔しさに哀哭し、体を捩らせ、抵抗しているようだけど、体は少しずつ歩くよりは遅い歩幅でリディに吸い寄せられて行く。やっぱり。リディなら、恋させる白万の力込みなら簡単に従えさせてしまう! 男である限り、この白万は危険だ!
「ほら、そこの串持った奴もな!」
また、目が光る。しかし、予想外のことが起きた。
「おい、なんかしたか? エンキュリスも、なんでそいつについて行くんだ? そうか、恋ってやつか!」
英二さんはこの白万の本質は分かっているみたいだったが、あのリディを前に平然としていて抵抗すらしていなかった。
「おい、おかしいなぁ。もう一度、そらっ!」
またまた目が光る。しかし、
「あいつの目が光った? 病気かもしれん。いい病院でも紹介してあげようか。幸い、オレは世界栄鎮だ! どこの病院だって行けるさ!」
結果に変わりはなかった。リディは口を抑え、
「ゲッお前ゲイかよ!」
と言い捨てる。
「違うな。これは……意志の強さだ!」
英二さんは足を踏み鳴らし、強かに背筋よく仁王立ちした。
「……仕方ねぇ。おい、お前ら! まとめてあいつらを叩いちまえ!」
しかし、思ったより早くリディはすぐに切り替えた。英二さんを指を差し、次にリクリッサ、と交互に指差してその先に大勢をを向かわせ、数の暴力で圧す作戦のようだ。その一声にうおおおおと唸り声をあげた男たちが、英二さんに襲いかかる。
「問題ないな! 全力でかかってこい!」
串を持ち変え、来た男をぶっては投げ、ぶっては投げ。相手が大勢にも関わらず臆する様子はない。
その時、伸びる竿が見えた。その根元にいたのは
、忘れられぬ寒気を覚える存在だった。
「これは、微力ながらお嬢様への力添えの必要がありそうですね。将を射るならまず馬を射よ、というものでしょうか。今、メイドではなく、エージェントとして私が全力で貴方にお相手します!」
叩き下ろされたその竿は、頑丈な槍に一撃加えた。竿は折れたが、この竿に叩き下ろされないために防戦に回った英二さんは、近くの男の右ストレートを顔に受けた。だが、どっしりとした体感で倒れない。
「ビアンコアクィラ、アンタはそりゃあすげぇんだろうな。さっきの嬢ちゃんほど、力じゃあ堪えなかったが、今の判断からも実力は伝わるぞ。だがな、あんたにも目的があるように、オレにも今成すべきことがある!」
そう言ってまずわたしの方に向かい、走ったまま倒れた体を救い上げ腰に持った。腰の冷えと抱えられた部分の命あるものに触れた暖かみは安心が出来る。
「次は陸の字! 今助ける!」
目先にはなんとかつるで抵抗できているだけの半リンチ状態のリクリッサがいた。全く、恋というのは理性すら狂わせ、こうも紳士性を失わせるものか。
「……っ。全く、屈辱だわ。こんな野蛮人に助けられるなんて」
「御託は後だ。このままじゃ飯も食えねぇだろ!」
しかし、その言葉を聞いてなお、英二さんは助ける気を捨てなかった。わたしを足元に寝かせ、リクリッサの氷で固まった足元を槍で突っつく。割れてもろくなったら、彼女を肩から掴み、
「ちょっと、我慢しろよ!」
そう言って勢いよく引き抜いた。氷が割れ、崩れるのを音だけでも感じる。そうして、二人、まとめてひょいと抱えた。
「霜焼けになっちゃったわ……」
リクリッサの愚痴に少々苛立ちを覚えた。そうして、心の中のわだかまりに気づいた。なんで、こいつは今平然としているんだ、わたしを助けてくれた。大切な存在だ。しかしだ、なんでマルファを思ってもいなかった奴が反省の面もせずに我儘でさ……。
駄目だ、こんなの今考えることじゃない。その間にも、奴らは袋叩きにしてくる。全身にも殴打による痛みを伴った。英二さんはそんな中でも槍を握って離さない。白き悪夢はじわりと距離を詰める。なにせ、あいつらの大元の目的はわたしにある。一瞬の油断でさらわれ連れていかれたりして逆転されかねない。
「どうする? オレはエンキュリスをなんとか説得したい。陸の字、先に逃げるか?」
「そおですよ、逃げちゃいましょうよ! 三十六計逃げるに如かず、ですよ!」
「嫌よ」
リクリッサは抱えられた脇の横で首を横に振り、同意しなかった。
「あいつ相手に敗走なんてプライドが許さないわ。ちょっといい考えがあるの。普通に喋ろうと思うけどあなたの耳、自信あるかしら?」
なるほど、この喧騒で話すことは相手にバレないという良きにも、聞き取れないかもしれないという悪きにもなるだろう。全ては英二さんの耳にかかっている。
外からの痛みが走った。ぐえぇ、脇腹に一発もらっちまった。とはいえ辛い日や訓練、実践に比べれば、なんてことはない。それに、マルファ、彼女はどれほど辛い思いをしたか、こんなことで折れてられない!
リクリッサは戦術を話し始めた。
「まず、相手を一直線に集める。蛮族の足ならなんとかなるでしょう? そして、あなたのグングニルって技、あるじゃない? あれであたしを槍のように扱ってほしいの。できれば、その軌道にあの男引き連れたビッチを入れて。なに、遠慮はいらないわ、蛮族。結果は……見たらわかるもの、いいわよね?」
どうだ、わたしにははっきり聞こえたが。ふとクオリアさんを見る。微笑んでいた。聞き取れているのか? いや、もうそんなことは考えなくていい、英二さんは!
「りょーかい、お望みのあればやってやろうじゃねえかよ!」
聞き取れたみたいだ。
早速、実行のためか強烈に近くの男にタックルをかます。かの屈強な体格なら、2人3人くらいは、と思ったけど、思った以上の威力。ドミノを倒すかのようにまとめて10人以上がのしたように平べったくなった。
脇の空いた隙間を英二さんは駆け、瞬く間に凄まじい距離を取りだす。時折起きあがろうとした奴が英二さんに足蹴にされ、また倒れたりもする。
そうして走り続け、今、すぐ後ろにいた男が立ったけれど、それが最端だ。もう、包囲は抜けた。
「なんてことはない、また囲え! 囲え!」
エウリュディケの命令が届き、男たちが鬨の声をあげまとめて動き出した時にはもう遅い。英二さんがリクリッサを槍の代わりに構え、もう突きに移行する頃だった。
「さあ、この一撃をくらえ!」
その瞬間、見えたのはまとめて人が押されていく様だった。この様子は言葉にするにはわたし自身の語彙が足りないけど、あえて例えるならブルドーザーで押される石たちのよう、というのが近いだろうか。
一箇所にまとめられた男たちに圧されたリディは、さぞかし暑苦しいだろうだけど、その様子は何かおかしい。焦りのあまり、体を横に縦に動かして落ち着きが見られない。
「おい、離れねぇじゃねぇか! 何しやがった!」
リディのその怒りに槍のように持たれたリクリッサ・シャハトは悪魔の如く嘲笑っていた。
「ふふ、あたしの生体操作を舐めてもらっては困るわ。あたしの手の触れた箇所を貫通接合したのよ。服の繊維も貫いて一つの肉体になっているもの、離れるはずもないわ」
「おおー! これがいわゆる、因果応報ってやつ?」
アシェンの悪戯な目に反し青ざめるリディ。しかし、クオリアさんはどこにいたのか、腰に手をかけられ、持ち上げられた時全てを察した。後ろだ……いつの間に後ろに回り込まれていた!
「わずかな力で大きく戦況を変える、素晴らしき白万の利用です、リクリーシャ。これは私もエウリュディケお嬢様の身を案じないわけにはいきません。そのために今保護したキーリーお嬢様との交換、とはいかないでしょうか」
「……それでいいのかしら? あなたの目的はケリィを捕らえることでしょう?」
「僭越ながら、修正させていただくと、捕らえるではなく保護です。今は、早急を要する方を優先させていただきました」
「そう」
リクリッサ、あいつは本当にネジの飛んだ存在だ。この強者からの良心的な交換にすら応じない可能性がある! 強い顔をしながらも、心の底の怯えは絶てなかった。一体、どんな言葉が飛び出すか……。
「いいわ、乗ってあげる」
答えは存外シンプルなものだった。
「えー! いいんですかリクリッサ!」
アシェンが携帯の中からわざとらしい驚きの反応をとる。
「何せ、今あたしが早急を要するのはケリィの安全だもの」
心の底がざわめいた。そうだ、分かりきっているんだ。彼女にはわたししか見えていない。けど、それはそれ以外の全てを切り捨てるあまりに残酷な存在だ。けど、思いは本物で……。わだかまりは大きくなるばかり。
「ご配慮、感謝致します」
クオリアさんは不気味ささえ感じる奇麗な笑顔で応じた。しかし、その目は未だに鋭く、こちらを見据えているように感じる。
「しかし、私も諦める訳にはいけません。お嬢様、いずれ、お迎えにあがります」
そう言って、クオリアさんは使えない左手に代わり右手で端末を持ち、業務連絡を入れる。よかった、これで終わったんだ……。腰はボロボロで立てやしないけどさ。
「いやー、一件落着ですね! ワタシは見てるだけでしたけど」
本当だ。アシェンは冷やかしてただけだろう。
「おい、エンキュリス、大丈夫か」
「へっ、なんとか大丈夫ですぜ、兄貴」
エンキュリスは全身を痛めていて、支え込みでなんとかという所で立ち上がった。
「随分と派手なことやっちまったが、オレとしては、ビアンコアクィラの正体を知れただけでも収穫だな」
「英二さん」
「なんだ? 桐の字」
「わたしも、起こしてや、くれません?」
いや、まだ終わってなかった。わたしが、自分で、終わらせなくてはいけないことがある。
*
ここは、とある商店街の外れ、商店街の人通りは多く、このちんまりとした外れだけが人の少ない場所だった。英二さんたちは、ゆかりさんたちの白万研究のグループを迎えつつ先に行ってもらい、今はリクリッサと二人きりだ。行きの時に使った車は駐車場に停めてたらしく、それをあらかじめ決められた場所に停めてもらっている。その場所は軍部で使われている暗号で伝言した。だから、リクリッサにはわからないはずだ。
「おお、修羅場?」
アシェンは携帯の中で調子に乗った声をしていたが、
「少し黙っててもらえるかしら? 今度勝手に喋ったら、この端末ごと捨ててやるわ」
すぐに電源を落とされた。けど捨てるなんてのは、どうせ、はったりだろう。
人通りは増していく。今だ、今しかない。わたしの妹のことについて問いたださなくちゃあ。
「マルファのことは、どう思っている」
「ああ、あの子ね。悲しいことよ。このようなことが二度と起こらないことを祈ってるわ」
ああ、癪に触る。もうすでにわたしの中で彼女への憐憫の思いが薄れていく。
「なら、彼女の白万の詳細は、思い出せるな?」
「無論よ。あれは憑依系。でも、白万としての姿を現すことはなく、持ち主の姿を変える形で現れる、半分移植白万と変わりないような白万よ。再生を得意とし、また獣化による身体強化もできる。けど、再生や獣化の長期利用で体を覆いつくすと、憑依系としての本性を現す、そうだったわね?」
「大した答えだよ。けど、それは白万に対しての知識を持っていただけだよな。あんなに一緒にいた家族のことすら、気遣ってあげられないのか」
……図星のようだ。彼女は黙りこくってしまった。うつむいたその唇を噛んでいるのが見える。
「……でもっ!」
急に一言発した。
「でもっ、悪いのはあいつじゃない! あいつが、ケリィを殺そうとしたから! 殺されそうになって許すとか、狂ってるわ! それに、あのお屋敷だって、あんなにたくさんの人がいたら誰が誰とかわかるはずないじゃない!」
そうして、唾の飛ぶような勢いで、啖呵を切りはじめた。こんな風に言われていても、あそこにいる姉妹は、一人一人が大切な家族なんだ。ああ、もう駄目だ。今は前にいる、家族を軽んじる女を、赤の他人としか見れない。
「そうか」
わざとらしいくらいに明るい口調で、顔も電気ストーブのような作られた暖かさの満面の笑みを浮かべる。その方が、わたしも後腐れしないと信じて。そうして、わたしの嫌いなイクスマグナを思い浮かべて、一言。
「残念だ」
この声を合図に人の川の中に潜伏し、人通りを縫い、逃げる。大丈夫だ。あいつは運動神経を強化するっていっても身体に相応の負荷がかかる。対してこちらは先ほどの無茶で腰がガタガタとはいえ、運動に慣れている身体をしている。呼吸のリズムだってバッチリだ。おまけに、逃げるのに向いた小さな背丈。こんなところで役に立つとは思わなかった。
「待って、待って! ケリィ!」
もう、こんな馬鹿に対して構っている暇はない。とにかく、あいつから離れて、遠くへ! 大丈夫、軍部にいたから方向感覚には自信がある! あんな人について回るしか能のない奴とは違う!
……数十分と本気の本気で逃げ、この烏窟城の出口の一つも近づくと、もう、声は聞こえていないことに気がついた。正直、わたしは安堵していた。絶対逃げ切れると鼓舞して走ってはいたが、ボロボロの体も相まって、本当に振り切れるかは、五分五分くらいと心のどこかで思っていたからだ。しかし、普段だったらほぼ100%振り切れただろうとも思う。外に出て1キロほどのところに、英二さんの車は待っていた。運転席には元々運転していた灰城ではなく、
「へっ、あのお馬鹿娘か。本当は乗せたくないんじゃがのう!」
「あああ、あの時の!」
白万に詳しいと自称していた東さんの父、密だった! ああ、こっちはこっちで嫌いだ! けど、選り好みはできない!
「桐の字! いいから乗れ! 帰ってきたら急いで乗せてくれって、言ってただろ!?」
言われなくともそのつもり。瞬く間に後部のドアを開け、滑るように入りながらその扉を閉じた。
「おい、陸の字は? もうすでに先回りか?」
「……」
車は砂漠を駆けていく。遠ざかる烏窟城とともに、あの時の記憶は過ぎていく。
おまけ
アシェン「なんか、ワタシの出番取ってつけたようなのが多くありませんでした?」
お気づきになりましたか(作者が忘れがちなため)




