30話 Kill"Keeley"
73-40-6階
やれやれ、今日も色々あった。普段から鍛えているから疲れはそこまででもないものの、こうやって宿のベッドにありつくと、やっぱり安心感のあるもんだ。
「リク、足とか大丈夫? 疲れているなら、揉みほぐすか?」
リクは、ベッドに座り、自分の股の辺りをずっと見ていた。見せ物小屋での一件もあったからか、ひどく落ち込んでいるように見える。
「悪かった、無神経だった。けど、救いたい思いは、きっと間違いじゃないよ」
「ありがとう……」
いつになくしおらしかった。そんな中でも、画面の中のアシェンは、貼り付けられた屈託のない笑顔を崩さなかった。
「さあ! もう明日も早いでしょうし、寝ちゃいましょうよ! そうしたら嫌なことも忘れられてますよ!」
そうだな、明日も早いし、ここはさっさと眠って……。
なんだ、視線を感じる、リクは気づいていないのか? わたしの勘が言っている。この部屋は、もう二人ほど居る!
視線の端、こうもりが飛んでいるのが見えた。いくら、ここがスラム街とは言え、部屋の中のこうもりを放置するとは考え難い。そのこうもりは、飛んで部屋の端の不自然に付けられた柱のダクトに逃げていった。この時点で、察しがついた。
「ミラ、出てきたらどうだ?」
すると、柱はグラグラと揺らめき、ハリボテが倒れた。アシェンはびっくりした表情に変わった。中からは、よく目立つサスペンダースカートを履いた、ピンクのシャツの編み金髪の妹、ミラが出てきた。まくってある袖の裏には、リストバンドが輝かしい。
「ビンゴ! ますます冴えわたってるんじゃない、キーリーィ?」
「お世辞をいうない。そういうところは変わんないな、ミラ。ほら、誰か分かんないけどもう一人いるだろ? 例えば、ベッドの下とかにさ」
「ええー! この下、下にですか?」
アシェンは、リアクションをしっかり取ってくれる。それは、彼女なりのエンタメ魂なんだろう。
ベッドの下、わたしの足を掴んで藪から蛇が出るように、小さな影が引っかからず出てきた。その藪蛇は、どうにも小柄なナミヘビのようだった。
「すばらしい慧眼ですねぇ、キーリーお嬢様。完全に図星ですよ」
その小柄な子供のような体型には、見覚えがあった。確か名前は……、なんだったっけかな。昔はしっかり覚えてたんだけど……、あの人に悪いなぁ。
「ほら、ネイト。退散の準備」
「待ってくれ!」
そうか、ネイトと思うより先に出た感情、わたしは、ミラと話したい。それが例え一言でも! そう思い、その手首を掴んだ。
リストバンドはズレ、手首がむき出しになった。しかし、その下にあったものは、理解の拒むものだった。ミラのその手首には、線があった。何かで切り刻み、それを日常とした傷があった。少し前、ゆかりさんは言っていた。ゆかりさんは、リストカットとかするタイプのメンヘラに見えるデスけど、それは誤解デス! って。けど、これは間違いなくそのメンヘラな系統の傷だ。なんで、明るかったミラにこんな傷があるんだ!?
ネイトさんは、白万で巨大なホーンスピーカーのの形を作り、小さな体でしっかとホーン部分の取っ手を握っている。アシェンはそれを見て慌て出した。
「まずいですよ! ネイトは友達だから分かります。あれは音響攻撃! すごい音波で攻撃する気です! できる限り離れて耳を塞いで!」
「リク!」
部屋の奥を向いて気づいていないであろう彼女に大声で呼びかける。その一言が終わった時にはホーンは大地を壊しそうなほどの大きな揺れを見せた。しかし、音は何一つとして聴こえてこない。
ただ、リクは倒れた。何があったのかもわからないけれど、とにかく、リクが気絶した。わたしは、またリクの名前を呼び、側に駆ける。大丈夫だ。脈はある。
「な、なんて凄いエンタメ性……」
アシェンは、呆気に取られ、画面の中で腰を抜かしている。そりゃあ、音響攻撃かと思いきや、気絶させるさらに凶悪なものを魅せられたのでは無理もない。
しかし、リクが無事ならば、ミラを追いかける余裕もあるというもの。開いたドアに向かって、前傾姿勢で駆ける。少しこけそうになったが、思いだけで立て直した。なんとしても、伝えなくては、せめて、言おうとした一言を!
「ミラ!」
彩られた廊下のはるか奥、逃げる親指程度のサイズに見えるミラが立ち止まった。走ればまだ間に合うかもしれない。けど、それよりも、立ち止まって物音を立てず、確実に!
「凛々しく……なったな」
彼女はあの時、ふざけているだけに見えて、本当に一皮剥けた顔をしていた。けれど、その顔をもう見せることもなく、夜の暗闇に去っていったんだ。何かを呟いていた気もしたけれど、それは聞かせない声だった。
*
73-38-6階
セメントに生えた苔のように湿っぽい朝。贖罪と視察の旅も、そろそろ終わりを迎える。今回、謝らなくてはいけなかった密のところへ、ゆかりさんや果音さん達を迎えに行けば、この旅は本当に終わりだ。宿の前、土産物を取り扱ってそうな店がつらつらと並んでいるその前で、英二さんは点呼をとった。
「よし、全員居るな! スラム街は、こういうことでも油断できないからな。それでは、迎えに行こうじゃないか、姉王、果音を!」
「あいさー、兄貴。ところでさあ」
「なんだ、エンキュリス」
「このたびの後、兄貴らについて行ってもいいかなぁ? あんたのカリスマもすげぇし、リクお嬢も、随分と面白い人柄っす! あんたの元は飽きそうにない!」
それを聞き、英二さんは、エンキュリスの方を向き、
「エンキュリス! お前は、ビッグか?」
そう言い放った。返答は、
「ああ、おれはビッグっすよ! この烏窟城のことはしゃぶりまくった! 今度の国にも、馴染んで見せらぁ!」
こうだった。
「……OK! 一緒に切磋琢磨して行こうじゃないか! エンキュリス!」
二人は、拳を上に、肘を交わした。その様は、国籍の壁を越えた、兄弟のようだった。
リクは痛そうにかがんで耳を押さえる。
「まだ、耳がギンギンするわ」
「大丈夫、リク?」
「心配してほしいほど心細いから、口に出すのよ。あの時の音、聴こえなかったとは思えないけど」
やっぱり、昨夜のスピーカー、何かあったらしい。しかし、わたしの戦場で磨いた聞き耳ですら、音は聴こえなかった。白万なのは事実、音響の能力だってことも知っている。けど、まだわたしの知らない何かが……。
「ちょっと、お手洗いに行くわ。気分も悪いし……」
「うん、わかった。気をつけてね。リク」
リクの背中を見届ける最中、ふと傍を見ると、路肩で、値切り交渉が行われている。どうにも、店主が頑固で、マフラーと帽子を被った客がやきもきしているようだ。
「だから、このトムヤムペーストはそうでもないだろ!」
「そうでもないとはなんだい、このお代にふさわしいものだよ! 品質もばっちりさあ!」
「やはり、汚い猿だ」
「なんだいなんだい! 本当に性格の悪い子だね!」
店主も、客もカンカンだ。
しかし、わたしはこの時、魔が差した。もし、このトムヤムペーストを買って、お土産にしたいと考えたんだ。無論、わたしは和食派なので、トムヤムペーストが大好きなわけではない。けれど、帰ってから、トムヤムスープで夜を暖めるってのも悪くない気分だろうな。最近はリクと暮らす部屋もあるし、ある程度は自由だ。早速、マフラーの後ろに列をなす。
前の人物の髪が見えた。赤く、血で染めたようなぼさっとしたくせっ毛。その長さは短く、かつ揃えられている。どっかで見たような見た目だ。多分女性だとは思うんだけど。
彼女は振り向いた。一瞬で分かった。そして、差別的意識、食物の購入、話の下手さ、その行動の全てを理解した。彼女は、わたしの姉妹、マルファ・ウェストウッドだ! マフラーの下から見える妹の口元はハッとした表情をして、すぐに、顔の中心に向かいシワがよった。それが表すものは間違いない。揺るぎなく、煮えくられた怒りだ。
帽子は打ち捨てられた。瞬間、わたしは床に打ちつける勢いで押し倒された。受身をしたから、頭は無事だ。前には、足を開き、跨るように足を広げ立ったマルファが、いつ出したのかもわからない取手矢を引いていた。弓は強く張り、その指先は震えていたこともあり、何かの間違いで射られてしまいそうだ。けど、その矢先は、わたしをまっすぐ指していた。死ぬ。銃弾の雨の中よりもそう感じるほどに、強くぬるりとした殺気だった。
「キーリー・ウェストウッド。赦しておけない存在だ。今、ここで殺す!」
なんだ、わたしはマルファにも久々に会ったんだ。何もやましいことなぞ……。
「何があったんだ、わたしが何をした! 話してくれ!」
「人生を奪った!」
訳がわからない。こんな抽象的な表現では理解のしようもない。もっと、もっと問いただす!
「マルファだけじゃない人生だな! フィアンセのことか!」
マルファの顔はなおも怒りに震えた。目は開かれつつも、その頬には涙が流れた。
「リタルを、2人の人生を奪ったんだ。死んだからって許されない!」
「だから、あれは誤解で……事故なんだよ!」
「ふざけるな!」
彼女の息づかいが、間近に聞こえてくる。明らかに興奮している。それも、悪い方面に。こういう時は力で解決するというのが憲兵龍だ。悪い! マルファ!
「くっ!」
刹那の時でトンファーを抜き、彼女の右の肘関節の内側に強烈に打ち込む。弓はあらぬ方向に飛んでいく。大衆は驚き、ようやく逃げることが頭に浮かんだみたいだ。
「あぶねっ!」
エンキュリスはまた何かを避けている。
しかし、肝心のマルファのその腕はなんと折れ曲がってしまった。
「ああ! ごめん!」
ごめんで済んだら警察はいらない。けど、警察組織は、やむを得ず攻撃を加えることもある。その際は力加減は定めなくてはいけない。しかし、それが軍的な憲兵だと、防衛のこともあり力加減を見誤りやすい。現に、今がそうだった。
その時のわたしは、マルファの白万を考慮してなかった。その腕は獣の毛のような繊維質に覆われる。そうして、肘の関節を振り回したと思うと、元の位置に腕が復活したのだった。
「再生……」
「臭うな、ウェストウッド家らしくない!」
その言葉の意図はなんとなく察せる。帰ってこい、そうじゃないかと推理してみた。しかし、その語気はなお強まっていた。そうして、猫のようなかぎ爪を作ると、わたしの右腕に刺した。身体の中に熱い異物感が残る。
英二さんは、さすがに助けようと駆けつけたみたいだ。串を逆に構え、いかにも田楽刺しを柄で加減して再現しそうだ。
「桐の字に何しやがんだよ! 叩け、『柄・グング……』」
その時、体内の異物が、乱雑に抜き取られた痛みを覚える。音もなく、マルファが英二さんのそばに移動していて、その槍をすでに叩き飛ばして、遠くの壁に刺さる様子が見えた。技名も言い終わる前に。
「うそだろ……?」
英二さんは、勢いあまり、前傾に倒れてしまった。
「ドローヴァ、よくやった」
帰ってきて、マルファは爪を同じ場所に刺し直した。その肌からは、小さな指ほどの猫が見えた気がした。たしか、こいつがドローヴァ。向こうに住んでいた時もあまり見たことはなかった奴。また痛みが伴う。弓もまた、構えられた。そのマルファの長靴下と短パンの間に覗く肌は、さっきの腕と同じ、獣の毛が生えていた。その毛は、腕の毛と違い、ふわりと抜けた。
「遺言はなんだ? 答えろ!」
周囲にすぐに動ける味方はいない。もう、お手上げだ。せめて、せめて最期に願いを……。
「マルファの味噌汁、また飲みたかったなぁ……」
それは、わたしがマルファに抱く、最期の感情だと思った。次の瞬間にはきっとあの世行きだろうと。
現実は違った。マルファの弓はプルプルと震えていた。しかし、それは、怒りによる震えとは異なる、矢先のブレる、弱々しい震え。涙が、わたしの顔にも垂れ出した。
「ダメだ……。やっぱりダメだ……。ボクには、できない!」
その顔はくしゃくしゃに歪み、紙を丸めたかのようだった。彼女は、爪を抜き取り、弓を引っ込めると、ゆっくりと背筋を伸ばした。
「リタルは誰が殺した。リタルはそう簡単に死なないだろう。誰がやった。頼む、教えてくれ」
その声の震えは、微かな希望の糸にしがみつくかのようだった。けれど、わたしはこの事故の詳細を知っている。この事故を起こした人は、ひどく気を痛めているんだ。また傷口を抉りたくない!
「ごめん、友達は、売れないよ」
「そうか……」
時間が経ったからか知らないけど、マルファの顔は少しずつ、ほんの少しずつだけどやわらぐ。興奮もどうも、落ち着いてきたみたいだ。
「もしも、もしもリタルの無念が晴れることはないのなら、ボクはキーリーの方がいい。キーリーは、正直で、明るくて、いつも希望を与えてくれた。キーリーと一緒に、歩きたい」
少しずつだけど、心を開き出したみたいだ。感情も、よりわかりやすくなっている。いくらわたしの命を狙ったからって、本当はそんなことしたくないはずだ。答えは、もちろんYES……。
「騙されてはいけないわ。ケリィ」
後ろを振り向くと、リクだ。リクが、お手洗いからハンカチで手を拭きながら歩を進める。そうして、マルファの前に立ち塞がり、わたしの目線を邪魔した。立ち塞がられ、話の邪魔をされたマルファは機嫌を悪くした。
「何がしたい』
「何が目的かはなんとなくわかってるわ。恋人を殺した犯人に目星がついたから、そうでしょう? やっぱり、あなた、おかしいのよ。けど、恋人に狂わされたのはあたしも同じ。理解してあげられると思う。だから、ほら、身体を預けて……」
リクは腕を大きく開き、受け入れる姿勢を見せた。マルファの顔は、打って変わってリクを認めたように見える。落ち着きを取り戻したとはいえ、マルファに、その言葉は甘美だったみたい。抱擁はあっさりと受け入れられた。よく見ると、抱擁は神経蔓を使い、全身で行なっている。
「辛かったわよね。恋人が死んで。けどね、それはあたしの恋人を傷つけていい理由にはならないわ。あなたはケリィの痛みを知りなさい。そして、ケリィを騙して悲しませようとしていること、恥を知りなさい、畜生が!」
リクの語気は最後にいきなり強くなった。すると、神経蔓が蒸気を上げだす。何だ! 何があったんだ! リクが横にのけ、マルファの姿が目に映る。
な、なんだよ、赤く爛れていて、筋肉がむき出しになって、蔓もないのに神経が剥き出しで、なんで、リク、やりすぎだ! そう言おうと思っても、衝撃の大きさに口がうまく回らない。マルファは、自らの獣の腕になっていなかった左腕を見る。一瞬で顔は恐怖に引き攣った。
「うわぁああああああ!」
涙を落とす器のような手の形は、絶望そのものだった。
「なんです? どうなったんです?」
リクのポッケの中のアシェンは、この状況に興奮気味だ。わたしは、ようやく口が回り出す。
「リク! やりすぎだ!」
リクは、痛みに泣くマルファのことなど気にも止めず振り向いた。
「ケリィはやりすぎって言うと思ったわ。けど、あたしはあなたの牙。これくらいしないといけないもの」
また、悲鳴を上げ続けるマルファの方を向く。マルファのその肌は皮膚も無いのに毛が全身に生えていた。
「痛いでしょう、辛いでしょう。でも、今までのことはすべて私が悪いです。一生、あなたたちに従います、といえば治し、許してやらなくも……」
「ぐ」
おかしい。マルファの様子が変だ。その姿は人の形すら保たず毛玉のようになり、毛すら丸まって脈打つ心臓のようになった。最期に、爛れた手が生えると、持っていたマフラーを投げ捨て、震えながら心臓のような塊に沈んだ。
「ドローヴァ……、憑依系……」
全てを理解し、もはや、それはマルファではないと分かっていても、認めたくない。
塊は脈打ち、パンをこねくり回すようにしきりに形を変えている。その中身に、人の肉体は残っていないだろう。それは、止まったかに思えた。わたしも、今更手を伸ばしてもどうしようもないと感じている。けど、せめてもの償いに手を伸ばした。
「GGGGG、AAAAA!」
その肉塊は、うめき声のような鳴き声と共に、猫が飛びかかるように塊のまま飛び、忍者のように壁を横跳びして逃げていった。
わたしは、その恐ろしい様子を、ただ、他人事のように見つめるしかできなかった。そうして、床に落ちた大切にしていたマフラーと、変装用の帽子を拾い上げた。やっぱり、だめだ。涙が、止まらない。声にも、できない! わたしは、まだ彼女の残滓を探して、視界の端の肉塊を目で追った。
「リクリッサ・シャハト、こうなることは! 分かっていたか……!?」
怒りだけが滲み出る。リクリッサには、人の心がないのか。マルファの能力を知ってから知らずか、こんなことを起こした。わたしは、きっと、どっちだったとしても、許し難い!
「し、仕方なかったのよ……」
「ほらほら、怒らないでください。笑顔、笑顔!」
アシェン! こいつは、本当に空気を読む気がないのか!? ポケットの中では理解できないとしても、雰囲気くらい掴めないか!
そんな、汚された大事な話の途中だった。肉塊が、何者かに拾い上げられ、ハンバーグに空気でも含ませるように、叩きつけられた。そうして、何か冷気を帯びた塊をぶつけると、たちまち肉塊は冷凍された。すると、なんとそいつは、踏み潰したんだ! 丈の短いブーツで! 肉塊は繊維質ごと粉々になった。ああ、もう、マルファは二度と、戻ってこない。
そのブーツを履いた奴は誰か、見上げてみるとそこには、神経質さの伝わる、汚れなき白を基調とした、メイド服の女が立っていた。クオリア・シビリル……。その名前が頭をよぎると、体を冷め切った恐怖が撫でた。なんだ、恐ろしい、あんなにも、笑顔なのに、こいつは、ヤバい! そのメイドは、口角をさらに上げ、最初の声を響かせた。
「久しぶりですね、リクリーシャ」
おまけ
アシェン「マルファさんのこういう末路あれですね、ちょっとエッチじゃないですか?(小声)」
リク「さすがにやめときなさい。人の道に戻れなくなる(小声)」
アシェン「中の人の話ですか? 居るわけないじゃないですか! だからセーフ!」
リク「……夢見てんじゃないわよ灰色頭」




