25話 8×8
88-5-5階
ゆかり含む、白万関係者とそのお目付役は、東の家に招かれていた。ゆかりが立って入った部屋からは、すかさず犬が前足を上げて跳ねながら、興奮しているようだった。
「あら、かわいいデスー」
ゆかりには、敵対心はなかったが、取り憑いている犬の人食い白万、末期丸は、急に出てくるやいなやその犬を睨みつけた。グルルルルという、怒りのの喉を鳴らして。
「こら、茶太夫。そいつは仲間じゃないぞ。ほら、伏せじゃ」
そういうと、聞き分けの良いその犬は寂しそうな鳴き声をあげ、座り込んだ。
「なるほど、確かにこれは憑依系じゃな」
ゆかりが出した末期丸を見て、密は確信していた。わざわざ露出した腕の噛み跡が痛々しい。
「どうデス? 何かわかりマスか?」
「聞かなくてもわかるわい。こいつは相当人を食ってるのう。とんだじゃじゃ馬じゃ」
そう言って密は、なんと腕をおもむろに末期丸の口に突っ込んでみせた。
「ちょ、ちょっと! 知らないデスよ!」
ゆかりの予想通り、末期丸はその逞しい腕にかぶりついた。離さないようにがっちりと。
「なるほど、やはりいきなり食いちぎるほどの力はないか」
密は、犬の耳のあたりを押さえた。すると、末期丸は、腕を噛んでいるのに噛みきれないようで、唸りだした。
「すごい! 何したんデスか?」
「なぁに、白万にも大体急所があるんじゃよ」
もう一度、末期丸の耳を強く押すと、なんと腕を吐き出してしまった。
「なるほど、面白い相手じゃのう。しかし、今、肉は足りておるのか?」
無論、これは隠語だ。ゆかりに聞いたのは、人を最近食わしたか、それを聞いているのだろう。
「そうデスね、実は」
それを聞いた途端、隣の部屋から果音が滑り込んできた。
「実は! 人造白万を食べさせているんです!」
「ほう、人造白万とな?」
密の眉は動いた。そして、険しい表情になる。挨拶をわすれた果音が、胸に手を当て、挨拶をする。
「わたし、深華果音と申します。わたしは、実はこういうものでして」
果音は、信頼できると判断して、圧縮された白万を緩めた。うぞうぞと気持ち悪いくらいの肉感の腕が現れる。
「ほう、それも白万じゃないか。鉄芯華国では白万は迫害されていると聞いとったが」
「えっ、なんデス、その話!?」
ゆかりは、知らない話に驚き、身震いした。迫害、そんなことはまるで知らなかった。白万とは、殆どの者に知られていない、細々と生きる異端、そういう思い込みだったのだ。
「そうですね、本国では、粋世教が幅を利かせていますから……」
俯いた果音は寂しげだった。白万のことは相談したくても、それに狙われる危険が伴うのであればできない、そんな状況に置かれていたからだろう。
「とにかく、わたしのこの白万は肉を大量に必要とします。それも、人間の肉に近いものが。昔からわたしはこの力を万が一の時のために活かしたくて、鉄家に相談をしていました。そして、鉄家はついに完成させたのです。人の筋肉をもった白万を」
「鉄家……、やはりあいつらは外道の集まりじゃのう」
密の思ったことは口から漏れた。実際問題、このような白万を作り出すことには、密は反対の姿勢だった。
「これは移植手術などにも応用できる、素晴らしい技術です」
「もうよい、それが最良ならそれでよいじゃろう。これ以上とやかくいうつもりはない。じゃがの、鉄家の奴らに忠告をしておいてくれ。イカロスになってはならんとな」
密は、このイカロスの部分を特に強く発音して、釘を渡した。しかし、果音はおぼろげにつま先を見るように斜めに俯いてこう答えた。
「もう、堕ちましたよ……」
*
88-14-5階
キルケー・カンタレッラは、田舎漬けと呼ばれる大根をつまみに、昼間っから酒を嗜んでいた。そんな奴は本当に珍しいのか、店はガラガラである。こんなところにいるのは、自営業か、働いていないか、あとは物好きくらいだろう。
「ほうほう、この漬物いいねぇ。ピクルスとはまた違った感じで本当にいい。どこかで売ってるかな」
音の鳴るような漬物を噛み、飲み込むとすかさずワインを口に運んだ。その様は、見た目だけなら優雅だ。中身を知らなければ。やがて、浅いグラスのワインはすぐに無くなった。そうとなれば、先ほどからずっとじろじろと見ているあの感じの悪いマスターに注文をする。
「マスター! カクテル、この、よろず屋仕立てってのを!」
キルケーは何気なく頼んだだけだ。よろず屋仕立てとはどんなものか、それを試したかっただけだ。しかし、マスターはじっくり、その顔色を伺い、下に目を落とした。舐めるような視線がキルケーの体を伝うようだ。
「その死んだような虹彩を失った赤い眼、そこからかすかに垂れては蒸発する赤い涙、そして、じっくり見ればわかる蠢くような肌……。あんた、蠢き病だな?」
「おっ、わかる? 実はこの蠢き病って、私が名付けた稀有な症状で……」
「じゃあ、いつまでしらばっくれる気だい? 白万、知ってんだろ?」
「ああ、この蠢き病ってのは表向きの名前、本当は」
二人は、お互いに声を発した。
「遷白万」
マスターは、全てを察したかのように、キルケーをカウンターの奥へ誘う手の動作をした。
「えー、酒飲みたかったんだけど」
「そんなものは、後だ。あんたなら、もっと気にいるものがある」
付いてきた物珍しい客に対し、店主は今更見ない金属で出来た頑丈そうなハンドル式の地面の扉をゆっくりと開けた。
*
83-7-5階
先程もらったチラシの店は、大団円踊という店。インドカレー専門店らしく、今はランチタイムのようだ。ランチはドリンク、サラダ、スープ、カレーとナンが付くAセットに、ナンがチーズナンになるBセット、お待ちしていますという後書きと、バッテンの書かれた葉っぱのマークが添えてある店名表記がある。
わたしは、これならAセットを頼もうか、と思案をし始めた頃だ。
「ちょっと見せてくれ」
英二さんは、見ていたチラシを目にも止まらぬ速さで奪い取り、残ったのは持っていた手だけだ。奪い取られたチラシを、彼はいつ買ったのかというライターで炙った。
「な、何すんだよ!」
「ちょっと違和感を覚えた」
炙った箇所は、葉のマークのところだった。すると、果たしてその予想は当たり、なんと文字が浮かび上がってきたのだ。わたしは、それを見て息を呑んだ。なんてそそられる仕掛けだろうか、心の奥をくすぐられるようだ。エンキュリスは、尚更驚きを隠せないようで、空いた口が塞がらなかった。
英二さんは、紙の上のヘリを持って、わたしたちに見せつけた。葉っぱの上の文字は、
matai、
そう書かれていた。
ようやく口が塞がったらしいエンキュリスが問いかける。
「m……a、t、ai? なんじゃそりゃ? そもそも何で隠す必要があるんすか? そりゃすげー仕掛けだけどさ」
「隠す理由、としたら秘密にしたいことでしょうね」
リクは、首をわたしの後ろからぬっと出した。
「そうだな、やっぱり犯罪とかか? 葉っぱを炙る、ってことは薬とかか?」
「いや、その可能性はかなり低いと思う」
英二さんは、問いかけにそう答えると、指をバッテンの場所に指した。
「単に葉を炙るんだっていうなら、ここでは黙認されている。桐の字も見ただろ」
「ああ、確かに」
「何より、もしそうなら、ここにバッテンなんかつけない。これは予想だが、バッテンは乗算、つまり、かけるの意味もある。ついているは葉っぱ。つまりこの意味は」
一瞬の沈黙、わたしも理解して別の意味で息を呑む。
「発破をかける」
沈黙を破ったその一言は、空気を一気に冷やした。エンキュリスは、慌てて右往左往した。
「なんてことだ! えらいこっちゃ!」
「エンキュリス、ここじゃこれくらい普通か?」
「治安悪いっつってもここまでじゃないっすよ!」
わたしは、この場を治めるために、両手で二人の間を払いながら割り込んだ。
「そうだとしたら! この謎の解決の方が先決だろ! この文字! 絶対これは発破をかける場所を指しているに違いない!」
英二さんは、書類を持つような手にして、全員にこの紙を改めて見せた。先程の持ち方より、明らかに見せる持ち方だ。
「そうだとしたら、このアルファベットの意味はわかるか、桐の字?」
「いや、まあ、わかってはいないんだけど……。m、a、t、ai、マタイ!?」
そうか、そういうことか! 間違いないぞ!
「今気づいた! これはマタイと読める。マタイとは十二使徒の名前。つまり! これは、教会に爆弾を仕掛けたってことだよ! まったく卑劣な!」
しかし、英二さんの顔はどうも納得のいかない様子だった。
「なんか、納得いかないんだよな。だってよ、マタイはマシューだろ? 英語ならスペルも全然違うじゃないか」
「そんなん、これは日本人相手に書いていて、馴染みのあるローマ字を使って書いたからだろ!」
「それに、なんでよりによって、マタイなんだ? 他にも候補はいるだろうに」
「たまたま、思いついた聖人の名前を書いただけだよ!」
全く、ばからしい。これで間違いないというのに。ほかにどういう考えがあるっていうんだよ。
「よし、エンキュリス! 案内してくれ! 教会はどこにある!」
「わかった! この路地をまっすぐだ! ついてきてくれ!」
わたしは、一刻もこの事件の早く解決をするため、全力で駆け出した。後ろから、かすかに画面の中とその画面の持ち主の声が聞こえる。
「可愛らしいですね。あなたの恋人」
「言わずもがなよ」
「しかし、謎解きは合ってるんですか?」
「いや、おそらく間違ってるわ。あたし、仕掛けとかではなく、このチラシそのものに違和感を覚えたのよ……」
*
店が色々立ち並んでいる。けど、詳しく見ている暇はない。酒場マッブ、電化製品ロキロキ、眼鏡屋じんぼ、熊歯科医院、生鮮オボボの店、中華料理秦喜楼、居酒屋陣、サルーン酩酊の森、大衆浴場バッシアヌス……。店の名前だけは見えた。この辺りは居酒屋ばかりが並んでいて、どうやら飲み屋街のようだ。
「なあ! エンキュリス! 教会ってどこだよ!」
「もうすぐ、200mってとこっす!」
まったく、卑劣な奴らだ。教会は神聖な場所だ。それを傷つけるなんて言語道断、許してはおけない。わたしは、足を痛めつけるような走りをしてでも爆破の阻止に間に合わせるため、エンキュリスに後ろを走ってもらい、言葉で道案内をしてもらっている。
「着いた! そこのチョコレートドアっすよ!」
その声を聞き、わたしは普段なら手でゆっくりと推すような重い扉を、壁につきそうなくらいに全力で開けた。見ると、牧師のような人物が長椅子に座っているところだった。わたしは、勢い余って、彼の首根っこを掴む。
「牧師! この辺りに怪しい者は居ませんでしたか! 何かこそこそとしたり、重そうな荷物を持ったり! 爆弾が仕掛けられたかもしれないんです!」
ああ、しかも大声になってしまった。
「わぁっ! もっと静かにできないのですか! 神聖な場所ですよ!」
向こうも、普段の牧師のイメージとは明らかに違う声が出た。爆弾が仕掛けられているなんて分かったら無理もない。
「とにかく! 緊急捜査を致します! 失礼しますね!」
椅子の下から、ピアノの中まで、テキパキと隅々まで探した。わずか10分くらいの間だけど、この教会の隠された所まで全部見れた。しかし、
「どうしてだ、それらしいものがない!」
まさか、精巧に作られていて小物と見分けが付かない? そんな、そんなまさか!
「牧師! 何か普段から見慣れない物はありますか!」
また、牧師の首根っこを掴み、ぶんぶんと前後に振り回す。
「ああ、なんて荒んでおる。悔いなさい、悔いなさい!」
振られる向こうもバテてグロッキーになってきている、そんな時だった、また、扉が開いたのは。
「桐の字! ようやく追いついたぞ! 全く、ここは迷いやすい土地だな!」
英二さんが、リクを連れて駆け込んできたんだ。随分と迷い走ったようだったが、英二さんの方は全く息はきれていない。
「全く、先走りすぎだ! 桐の字、この謎には、陸の字が気づいてくれたんだ」
そういうと彼はあのチラシをまた出した。そんなこと言ったってあれ以外答えはありえないじゃないか。
「ねぇ、ケリィ。このAセットってふりがな必要かしら?」
そうか、Aなんてふりがなをわざわざ振らない。Bセットにふりがなが振られてないことがそれを裏付けている。
「つまりだ、この読みはマタイではなく、メエイトエイイ、つまりメイテイと読めるんじゃないか?」
メイテイ、なるほど。全く分からなかった。しかし、リクはこういう細やかなところで冴えている。逆にわたしは、勉強に熱心でなかったツケが回ってきたんだろう。金勘定のことなら自信があるのだけど。
「酩酊ですかい。しかし、酩酊なんてつく店は履いて捨てるほどありますぜ。全くどこやら検討もつかねえっす」
エンキュリスは、店の名前の例を挙げた。その中に、先程の酩酊の森もあった。
「桐の字さん、あなたはわかりますかい?」
「そんなん、こっちに聞いてもわかるはずないだろー! あと、桐の字じゃなくて、キーリー・ウェストウッド!」
いくらなんでも、知り合ったばかりの相手に桐の字なんて呼ばれるのは我慢ならない。ただえさえ桐の字と呼ばれること自体あまり好きではないのに。
英二さんは、なにやらぶつぶつ言って、堂々とした立ち姿をしている。話の内容を聴くと、やはり考え事だろうか。
「matai、日本語読みをするなら、なぜわざわざアルファベットで書いた? プロテクトのためだけとは考え難い。となると、英語で使われる文字であること自体に意味が……」
その瞬間、英二さんの顔色が明らかに変わった。何か、悪寒を覚えたような血の気のない表情だ。
「まずい! 行くぞ!」
そう強く叫んだ英二さんは、素早く駆け出して行ってしまった。わたしも、とりあえずは彼を追いかけた。
「ちょっと! どこ行くんですか!」
ふと、クラッカーを鳴らしたような、ポップコーンの破裂したような音が聞こえた。しかし、その音源は遠く、本当はもっと、もっと大きな音だとわかる。
「……っ、遅かったか!」
英二さんは奥歯を噛みながら、駆ける。
おまけ
ゆかり「また遊びに来たデス!」
子供「うわっ、妖怪濁点グールだ」
ゆかり「なんデスか!」
同僚「そんなことないよ!」
ゆかり「なんでここにいるんデス?」
同僚「彼女はどっちかっていうと、妖怪濁点デスグールだって……」
ゆかり「末期丸、甘噛み」
バウッ
画面が白黒になる
次回、さらば同僚! 旅の途中に強制送還 乞うご期待! 続いてたまるか




