2話 愚かに見えても構わない
「キーリー・ウェストウッド、ただいま帰還しました!」
わたしは、自身の所属の軍部に戻り、力強く報告をした。士官である上官は、おう、そうかと、くぐもりつつもそこの知れぬ威厳のある声でそういった。
わたしの所属する軍部の訓練場は随分と広く、この狭い国土に似つかわしくない。運動をあまりしない人なら、ここを2、3周走り込みしろと言われただけでうんざりするだろう。土質は他の先進国を知っている人からすると、暑い地域ということもあり、荒れ果てたカサカサのカサブタみたいな土だ。もはや生まれた時から慣れ親しんだ照りつける太陽のもと、山城士官が点呼を取った。皆張り詰めた大声で返事をし、ついに号令がかかる。
「ただいまよりぃ……本日の訓練を始める……」
山城士官は声は大きいが、随分ねっとりと巻きつくようだが乾いているようにも聞こえる、動物に例えるとガラガラヘビのような喋りをする人物だ。頬のあたりに大きく目立つ傷が歴戦を物語る。しかし、その士官の隣にいるのはみたことのない人物。
「その前に……本日はお客様が来ているぅ……。自己紹介を頼む……」
士官がそういうと、隣の男は自己紹介を始めた。
「えー、戎増科です。一応国の事務の末端やらせてもらってます。今日は、まあよろしくお願いしますね」
何というか、手足も鍛えられていない温い小太りで眼鏡で、元気のない人だった。こういう人を見ると、運動で活を入れたくなるな。
「それではぁ、本日、9月○○日の訓練を始めるぅ……。返事ぃ!」
はい! と士官の声に続き、返事をする。さあ、もうこの照りつける暑さのように当然のハードなしごきの始まりだ。
腕立て、スクワット、匍匐前進、とにかく様々な基礎体力訓練が行われた。この基礎訓練に慣れることはあっても辛くないことはない。常に体を痛めつけ、全力で挑み切るのみ。この時点で息は切れ始めていた。
そして、ここで本格的な走り込みだ。先ほど言ったように、ここの1周は運動していない人が見たらそれだけでバテてしまいそうなほどの広さ。それを何周もする。わたしは体力には自信のある方だけれど、それでもやはり一介の体力にハンデを抱えた女に過ぎない。ついていくにも大変だ。しかし、中にはわたしより体力のないやつもいる。後ろには呼吸が荒く、肩で息をする男がいる。
士官はそれを見て獣が唸るように叫び、
「伊藤ぅ……!遅ぇぞぉ……!」
と疲れ果てた男、伊藤を叱責した。
だが彼はどんどん、ゆっくりとブレーキをかけるように、速度を落としていった。そうして、完全に止まってしまったんだ。
これに痺れを切らしたか士官は走って近づき、怒りの右ストレートを彼にぶち当てた。うわぁ、あれは昔から何度も体験してきたなぁ。今も、実際に殴られた後のようにキーンと意識が飛びかけ、ズキズキと痛むようだ。
この様子を見た戎という事務員は、怒りを覚えたらしい。山城士官相手に口火を切りだした。
「ぼかぁ、軍事とかよくわからない。けれど、その怒り方は随分と旧世代的だと思いますよ。」
それに、士官が答えるには、
「ほう……、なら代案を教えてもらおうじゃないか」
「そりゃもう、口でいうのが一番でしょうよ。それでもダメなら晒せばいい」
「晒すとはなんだぁ?」
「張り紙にするんですよ。成績の悪い奴をね」
しかし、それを見た士官はかの見学者を嘲った。
「口で言ったことは喉元をすぎりゃ忘れるぅ……。晒し上げは戦場や遠征ではやってられないィ……。そしてどれも成果を上げるためには時間がかかる……。結論から言えば実践を考えない浅はかな思考だァ」
その「浅はか」という一言がシャクに触ったのかもしれない。見学者は癇癪を起こし、声の底からしゃがれたような大声で、
「なんだあんた、浅はかとはぁ! 僕が無能だとでも言いたいのかぁ!」
といい、一撃くらいなら浴びせられると思ったのか、殴りかかった。そう、一撃くらいなら浴びせられると夢想していたのだろう。
「甘ったりぃ……」
そう言って士官は拳を受け止め、素早い動きで後ろに回り、殴りかかった奴を羽交い締めにした。
「これは、正当防衛。いいな?」
完全に今まで気付いていなかったけれど、たまたまいた士官のさらに上官、東佐官もうなずき、
「ええんちゃう?」
との所存だ。わたしとしてもこれには異論はない。
「畜生ッ、畜生ッ」
革命に失敗した男は、それはもう、ひどく泣いていたが、それを無理やりすすってごまかしていた。
*
「よし、以下の者は巡回へ向かえ……(何人かの名前が呼ばれる)……桐の字、以上だ」
山城士官はそう言って午後の巡回へ向かう人を挙げた。この軍は憲兵も兼ねていて、巡回も行うんだ。そして、今言われた桐の字というのはわたしだ。もう慣れてしまったけれど、未だにそんなあだ名で呼ばれるのは少しムスッとする。士官は続ける。
「取物の準備はいいかぁ……?」
そう言われて、わたしはTバトン、日本語で言うトンファーを軍服のポケットから取り出した。守りを固めるために腕と水平になるよう持ち、突起で突いたり、長い棒の部分で殴打できるように取り回した。
「いつでもいけます!」
「よしぃ……、じゃあ行ってこい」
軍部の役割のひとつ、巡回に向かう。
*
「……っても、巡回してもそんなに犯罪に出くわす訳じゃないしなぁ、平和が一番とは言え」
愚痴のように呟く。
この国もわたしの故郷ほどではないが、ずいぶんと発展している。ヨーロッパの国で言うと街くらいの大きさで国として成立している。そのためには発展が不可欠だ。わたしは、巡回中街を見てそう思った。
この街は無理やり発展させた産物だ。地面は砂ではないとはいえ舗装されていないけれど、一丁前に近代風な建物が道に連ねる。これも、常任理事がこの辺りを買い占め、小さな国家を許したからだ。本気になってしまえば、大国というのはこんな大きな道楽もできてしまう。それは、国を持ちたいと思う者にとってはニューフロンティアを目指す、希望に満ち溢れた政策。しかし、もともと住んでいた人達にとってはとんでもない話だ。
そんな赤土を踏みしめ、巡回を続けていると、おばあさんに声をかけられた。
「ちょっと失礼しますよおまわりさん、道を教えて欲しいんだけどねぇ」
わたしはおばあさんに場所を聞いた。藍色原5番地。
「わかりました、案内しますよ!」
そう、いつも通りに振る舞った。胸に手を当て自信を示す。
*
「ありがとうねぇ」
おばあさんの待ち合わせの場所には着いたようだ。わたしは、
「どういたしまして」
といい、別れた。
その矢先、何か大きな声が聞こえてくる。騒ぎのある方向へ向かうと、そこは国境近く、柵を越えた青年を、軍部の男達が馬乗りになって捕らえようとしているようだった。どちらも、もともとこの地方に住んでいた人といった雰囲気がある。
「おうおう、てめえ、柵を越えて不法入国たあいい度胸じゃねえの」
と、軍部の男は手慣れた態度で青年を締め付ける。
馬乗りにされた青年は何やらよくわからない言語で叫んでいる。まな板の上の鯉のようにあまり強く抵抗はしていないようだ。
近くのもう一人の軍部の男は、
「おいおい、オメェとりあえず英語は喋れるか?」
と、英語で喋る。
この国含むこの辺りの国の言語は、非常に曖昧で、まず、英語が喋れることが第一条件、それと同時に、各自家で自分たちの言語、主言語を伝える努力をする。つまり、必然的にほぼ全ての人がバイリンガル。わたしは英語が主言語だったため、そんなに苦労はしなかったけど、この国、鉄芯華国の人たちの大半は日本語というまるで違う言語とともに覚えていることにただただ驚くばかりだ。
捕らえられた青年は自分が悪いことを辛いと思うように、こう、英語で話した。
「すみません、すみません」
と。
これを聞いた軍部の男は気を良くした。
「英語か……、ならばよし! 一緒に仮国籍作りに行こうじゃねえか、この国で暮らせるぜ?」
と、彼の青年を連れてどこかへ行ってしまった。
今や、亡命をする人は数多い。そして、亡命した人を確保し、把握することは、富国のためにすごく重要だ。そのためにほとんどの国で亡命者に仮国籍を取得させることが流行っている。政策を自由に決められる個人国家ゆえのものだろう。わたしも、こうして軍部に亡命したんだっけ……。
*
今は夜の21時、一仕事終えて営内舎の自室に戻ってきたところだ。とはいえ共同部屋なんだけど。もちろん軍部には希少な女性しかいない部屋だ。
わたしは、今日の無事を祈ることにした。心の中で、
(願わくば、この勝ち得た普通の日々が赦されますように)
と、安堵と不安入り混じる思いでいた。
「お熱なものだな」
同室の一人が冷笑し、嘲るようにそう言った。わからないさ、彼女には何かを信じることが、どれほど大事かは。
おまけ
ゆかり「そういえばキーリーちゃん、身長、何cmなんデスか? 」
桐の字「158cmだよ」
ゆかり「いやあなたどう見てもゆかりさんより10cmは小さいじゃないデスか。多分これだと150cm位……」
桐の字「うわぁーだめだめ、その身長の軍人は舐められるんだぁぁ」
ゆかり「そんなに低くないんデスからいいじゃないデスかー」