15話 それはまるでヴィーナスのようで
モニーを救い出したあの後、他の憲兵とは別れ、わたしは、モニーとともに気絶したアイシャを家に置いていき、コーヒーショップに寄って、帰ってきたところだった。彼女は、機械的な左手でカップを持っている。
「しかし、モニー、そのコーヒー随分と大きいよね」
「忘れたか? ワタシはゆっくり休める時はできるだけ大きなサイズのコーヒーを頼むようにしている。自分は2つ小さなサイズを頼むより安価な大きなコーヒーを飲めて得、店側は原価的に考え、利益が大きく出て得、そう考えている。食べ物となると話は別だがな」
「伊藤も同じことを話してた。伊藤の場合は食べ物も同じだって言ってたけど」
「しかし、むしろキーリーが普通サイズの方が驚いた。てっきりワタシと同じかと」
「大きいサイズだと一口一口が雑になると思ってさ。なんでも大切に思う気持ちが大事だよ」
「相容れないな、ワタシたち」
「そうかもな」
お互いに椅子にかけ、ゆったりとした態度だ。契約書はもうすでにある程度厚い紙で、目が回るほどしっかりとした内容のものを作った。だから、安心していられるんだ。
「そういえばさ、さっき言ってた話って本当? イクスマグナと連絡がつなげるって」
「本当。ワタシは参謀と呼ばれるほどマジェストに信頼されていると自負している。パソコンはある? そこに、ここにあるマスターキーを入れて、時間が合えば、今日の19時なら予定は空いていたはず。おそらくはマジェストに繋がるはずだ」
パソコン、か。リクが持っていたはず。以前どうしても欲しいって鉄芯華国に来てから買ったんだった。たしかこの辺に……、と部屋の角にあるタンスをごちゃごちゃとあさる。まずいな、見つからない。今は18時40分、もう時間は残されていないというのに。
鍵の開く音がした。
「ケリィ、帰ってきたわよ」
「大人げなーい、シャハトさーん」
勝手口には、リクがパイパーの襟首を持って帰ってきていた。リクはその首元をさらに強く握る。
「この子、あたしがいないのをいいことに脱走を企てたのよ。探すのに2時間もかかっちゃったわ。全く、子供がそんな無茶できると思わないでよね」
「えー。でも、あの時は一人できたよー♪」
「嘘おっしゃい、送ってもらっているくせに。ウェストウッド家にヘリがあることは分かってるのよ」
そういうことだったのか。年齢が2桁にも満たない子供が異国に来れるわけないとは思っていたけれど、真相はラミィと同じ方法で送ってもらった、ということだったらしい。しかし、だとしたら迎えに来ないのは不自然じゃないか? あそこにいたのはパイパー一人、リクとパイパーとの契約は向こうには漏れていないはずだ。いったいなぜ?
「リク、パソコンはどこだ?」
「じゃあ、お願い聞いてくれる?」
「何さ?」
「おかえりのチュー」
「わかった。ちょっとこっちに来てくれ」
わたしは、特に理由もなく、しゃがんだ長身の彼女を腕で覆うようにして、彼女を手繰り寄せる。そうして、その唇が重なり合う。この街のように乾いておらず、丹念に湿らせたやわらかな肉感が、たしかに伝わってくる。20秒は経っただろうか、わたしは、魔性のその唇から自らの唇を離す。パイパーは冷やかすような笑みを浮かべ、モニーはただ、じっと、じっと見ていた。リクは満足そうに笑い、
「探してたタンスで合ってるわよ」
と、回答をし、わたしが探していたタンスを、さらにごちゃごちゃとあさると、子供の膝にちょこんと乗ってしまうほどの小さなノートパソコンが出てきた。
わたしは、このノートパソコンを四角いこじんまりとしたテーブルの上に乗せ、マスターキーを刺す。その手はそういう病気のように震え、刺す時もうまく刺さらない。なにせ相手はイクスマグナ、なんだかんだでウェストヒッポの最高責任者だ。緊張しないわけがない。
19時になった。先程マスターキーを刺して飛んだ専用の通話ソフトを起動した画面がぱっと明るくなった。画面に映っていたのは、イクスマグナではなかった。映っていたのは何か、次元の違う存在、バーチャル空間に存在する3Dレンダリングされたキャラクターが白い背景の中に存在していた。そのキャラクターは明るい、可愛げのある声で、話し出した。
「こんにぶー、いや初めまして、かな? ワタシは今をときめくバーチャルスター、アシェンルクスです! 訳あってウェストヒッポの広報を任されてます!」
モニーは不満そうに画面を覗き込んだ。イクスマグナに繋がるはずなのに、繋がらなかったことに憤っているんだろうか。
「質問だ。なぜ、その広報がいまここにいる? マジェストはどこだ?」
アシェンと名乗るキャラクターは頭を少し下げ、照れくさそうに頭を掻いた。
「いやー、モーンレッドさん、ウェストウッドCEOは予定がだいぶ後まで埋まっちゃったんですよ。だから、ワタシが代理です」
しかし、モニーはこれ以上の感情を表にすることはなかった。
「キーリー、何か話したいことはあるか。今のうちだ」
「え、キーリーさんがいるんですか? なら、伝言があります」
アシェンは、この時だけわざとらしく真面目に、口元も引き締めて画面越しのわたしたちを見つめた。
「もしよかったらでいいんですが、パイパーちゃんの身柄を引き渡してくれませんか? いくらなんでもか弱い子を危険な場に置いておけないので」
「やったー! アシェン、ズッ友だよー♡」
やたらと喜び、歓喜の声をあげるパイパーをよそ目に、
「何と引き換えに引き渡す? 無償はいくらなんでも受け付けないぞ」
「えー、モーンレッドー、みみっちーい♡」
モニーは交渉に出たようだ。実際、常識的に考えればパイパーを安全に地に置くこと自体がこちらへの利なんだろう。けど、奴らは幼な子のパイパーをわざわざ危険な異国に送った相手だ。今更惜しくなったってもう遅い。ただで返すのは都合良すぎ、外交カードとして最悪だろう。しかし、パイパーは気の毒だ。一度の過ちでずっと、タトゥーの様な契約でリクに使われて、だめだ、同情はいけない。
アシェンは、あくまで明るい、スター然とした口調でありながらも丁寧に話し続ける。
「もちろん、条件を提示します。これは、断腸の思い、とウェストウッドCEOはおっしゃっていました。これ以降、キーリーさんを傷つけないし、無理に連れ帰りもしない、そのかわりキーリーさんもウェストウッド家に手出しをしない、という条件でどうでしょう?」
「まだ足りないわ」
リクは、唐突な声を上げた。その顔は、いつも以上に気難しそうだった。彼女も、本気なんだろう。
「この条件には、ケリィを本人も知らずのうちにこっそり当主にできるかもしれない。そうして、建前だけケリィをトップにした後、摂政のように後ろから操ることも可能なはずよ。そんなの絶対許さない。だから、お互いの同意なしに当主の座を譲らない。これを条件に加えて欲しいわ」
「……わかりました。検討します。キーリーさんはどうでしょうか?」
画面上の彼女の声は、急に怪訝になった。しかも、想定もついていないようだった。
リクは、顔だけはにわかに軟化して、わたしの顔を覗き込んだ。
「これで、幸せになれるわね」
誰にも聞こえないよう耳打ちしたその声はほがらかだった。
しかし、わたしの腹は既に決まっていた。その腹の底からねじり出した、わたしの答えを述べる。
「悪いけど、その条件は飲めない。わたしは、ウェストウッド家に置いてきた姉妹、使用人のみんなを解放しないといけないんだ。自分だけの幸せなんて考えるわけにはいかない」
「ケチクサー♡ 偽善者ー♡ 器の大きさおちょこ並ー♡」
パイパーは煽るような口調で茶化したが、その顔からは涙が流れているのがはっきりわかった。まだ小さな妹を泣かせるなんて、わたしは姉失格だな。けど、ほかの妹も苦しんでいるんだ。一人の涙に構うわけにはいかない。
「ちょっとケリィ、本当にこれでよかったの?」
リクは慌てて、肩を揺すって問いただした。
「リクには、迷惑かけるね」
「そうじゃなくって……」
リクは悲しげに言い淀んだ。
「随分、奥手だな、キーリー」
「なんでさぁ……」
わたしには、モニーにそう言われる心当たりがなかった。だって、わたしのわがままで、リクには迷惑かけるじゃないか。
この様子を見ていたアシェンからは、
「そうですか、残念です」
との返答があった。その声はむしろ抑圧から解放され、喜んでいるかのようだった。そして、急に明るく、うきうきとした、昂った口調になった。
「でもですね、ワタシは実はどっちかっていうと、キーリーさんの方に味方したいんですよー! なんせ、ここは冷たい空気でやんなっちゃいます。その点、キーリーさんがいれば、みんな仲良く、笑顔に満ち溢れそうです。だーかーらー」
そう言って、画面内の彼女はややかがみ、腰に手を当て指を立てた。
「わたしも仲間にしてくださいよ。あなたとウェストウッド家の中継役として役立ちたいです。マスターキーを使ってとあるアプリの認証をしてください。それを端末に移していただければ、そこにいる時は、ワタシが応対しますよ。大丈夫、配信とは別に枠取っときます。なにか情報が入ったらこちらからも連絡することもあるので、そこんとこよろしくお願いしますね」
枠とは時間のことだろうか。とにかく彼女は、時間が合えば手助けしてくれるそうだ。
「じゃあ、わたしの端末に……」
その時、ふっと悪寒がした。もし、これで万が一、万が一にでも位置情報なんかを掴まれたらまずいんじゃないか。誰か、誰か別の人の端末に押し付けなければ。
「リクの端末に入れるよ」
リクはふっと真顔になり、
「あたし、そういうの興味ないんだけど」
と、真反応で呟いた。
「いいじゃなーい、見れば面白いかもよ♪」
涙を拭ったパイパーは面白がっていたけれど、それは、わたしにとって思いがけない追い風になった。
リクの端末に入れることにしたのは、何も無策ではない。もしも、これで居場所がバレたとしよう。奴らはわたしとリクはいつでも一緒にいると思ってるだろう。しかし、それは基本的に夜と休日だけ。夜まで待つなら何かしら気配を感じられるはずだし、休日なら迎え撃つ気まんまんだ。昼の仕事中は、リクを訪ねても、わたしの居場所は正確にはわからない。ただ、夜寝ている時を襲撃されるとまずいけれど、その場合は常闇を走る姿が逆に目立つだろう。完璧ではないけれど、有利な条件を示す意味では悪くない選択だと思う。
そもそも、これで場所がバレるなんてことは単なる妄想に過ぎないんだ。念のため、念のために過ぎない。
「ありがとう、じゃあ、ダウンロード準備お願いしますね」
アシェンは、営業用のピースを振ると、ダウンロード画面を出してきた。なるほど、これは、この話を切り出すとこまであらかじめ準備してきたんだなとすぐにわかった。
リクは、無言で端末と専用の端子を繋ぎ、ダウンロードしようとしている。しかし、そこでふとアシェンに聞き直した。
「これ、妙に容量が大きいじゃない、通信量だけでなく、データ容量まで圧迫しようっていうの?」
「せいぜい映画数本分じゃないですか。ワタシは映画より退屈させませんよ」
アシェンは、はつらつとした声を崩さなかった。正直、楽しませるとか楽しませないとかじゃないとは常識的には思う。けど、これもエンターテイナーのサガなのかと思うと、彼女は輝いて見える。それはまさに一番星のごとくだろう。
ダウンロードも終わる、という時に、ふとモニーが頭を押さえた。ふらふらとさまよい、調子が悪そうな雰囲気がある。しかし、わたしにはこの状態がどういうものかは分かっていた。
「ああ、アイシャが目覚める。ごめん、ワタシはこれまでだ。忘れてないとは思うが、もし、アイシャが目覚めている時にワタシが動いていても、ワタシと思わないでくれ。どうも、ワタシは、夢遊病らしい」
そう、忠告すると、彼女は部屋の角に座り、すん、と俯いた挙句、目の光を失ったように暗く、死んだように大人しくなった。
横になって気絶していた、明るい髪のアイシャが目を覚まし、ゆったりと起き上がる。
「おはよう」
「ああ、おはよう。まあ、そろそろおやすみの時間だと思うけどね」
「いやぁ随分と眠ってしまったよ。自在に気絶できても、その時間までは調整できないねぇ」
ははは、と笑っていたけれど、実はまだ心の中で1つのわだかまりがあった。ゆかりさんは、どうなるんだろう。あの後、しばらく尋問されて、場合によっちゃ裁判にかけられるかもしれない。そうなったら、彼女が反乱軍にいたこと、ほとんど死体とはいえ人肉を貪ったこと、それがどれほどの罪になるのか分からない。そう思うと、血液が過剰に感じるほどに心臓が鳴動する。
今度、ウェストウッド家と対立するかもしれないという国の一大事を伝えるため、空実さんと王宮に行くことが決まっている。その前に、空実さんに相談しておこう。あの人は真面目な堅物だけど、情には厚い人だろうしね。
おまけ
取調室にて
ゆかり「すみません、本当にすみません。生きるために仕方なかったんデス」
憲兵「そうか。そろそろ夜も深いな。何か食べたいものはあるか?」
ゆかり「そうデスねぇ。こんな日は酢↑もつが食べたいデス」
憲兵「供物の言い方じゃねぇか。酢も↑つだろ?」
ゆかり「こ、これは日本でいうとこの関東訛りデス!」




