1話 縁もゆかりもありまして
人には心の強さがある。それも、人によって様々だ。一見すると屈強そうな人も、少しの失敗でなかなか立ち直れなかったりするものだ。しかし、中には強い心を持った人もいて、根気強く目標に向かって歩み続け、目標を達成しても評価されなかった人もいる。例えば、メンデルという神父は、長らく遺伝の法則を探すために、エンドウ豆とにらめっこの日々を送り、死後に初めて評価が高まったという。そして、そのような人を見るとわたしは尊敬したくなるだろう。
そんな人に会えるかもしれないと考えながらも、わたしは、書類を運ぶ雑用をしていた。こうして雑用をさせられることに嫌悪感を抱く女性もいるだろう、しかし、私としては色々な人に会えることは最高の刺激だった。
今日、書類を運ぶのは、この町の議会を行う人物の集まりといった所だ。法律を決めるほどの権力はないが、条例くらいなら決められる。そういう意味では、この狭い国の中の町の、重要な機関と言えるだろう。
廊下をせせこまと早歩きで行くと、扉が見えた。ここが議員が集まる部屋。この町では議員は基本は一つの部屋に、特別な人物だけ個別で部屋が与えられる。ここがその一つの部屋で間違いない。
お堅い人がいるのだろうと思いながらも、わたしは、
「失礼します」
と、自分では丁寧なつもりで一声かけ、扉を開ける。
中は緊迫した雰囲気が漂っていた。何人もの人物がパソコンをカタカタと打ち、わたしには少々むずかしい本はミルフィーユのように重なっている。
しかし、部屋は静まりかえっていない。今、緊迫した状況にあるのは、ねっとりとした怒りのためだった。
「キミィ、この書類、間違いが多いぞキミィ。やる気あんのかねキミィ? 」
丸いメガネではげた、いかにもイヤミそうな男の議員と思われる人物が、160cmほどと見られる女性を叱っていた。
この女性が女性だと判断できたのは、ガラガラながらも高い声と細身の体のためだ。なぜ判断しにくいかというと、スーツの他は、首をマフラーで覆い、口にはマスクをしてる肌を隠すような見た目をしていたからだ。メガネもかけていたが、その下の目はにらんでいるようなまぶたの目をしている。クマも多く、健康的な生活を送っている女性とは思えない。人によっては怖がる人もいそうだ。
しかし、女性は最初こそすみませんすみませんと謝っていたけれど、その後すぐヘラヘラしたような笑顔になると、
「その靴、いい靴デスね。大変似合っておりマス。ワタクシもあなたのようなセンスが欲しい限りデス」
と、急ターンでヘラヘラした態度でおだて始めた。
それに気を良くしたのか、イヤミ議員は、
「そうかそうか、私のセンスに気がつくとは、だが、これは天性のセンスだからねぇ」
と自分の得意分野に触れられた喜びのように言った。
「背筋がしっかりしていらっしゃる」
「実績も素晴らしいものばかりデス」
おべっかを使う様子を見続け数分、
「そろそろ仕事に取り掛からせてもらえないデスか。次はもっとうまくやりマスよ」
とその女性が声をかけると、
「そうかそうか、まあ、がんばりたまえよ」
と、議員はすっかり機嫌を良くした様子で彼女を解放した。
「おっと、お客様デスか」
その背は高き女性は、私に気づいたようだった。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
と彼女が言うと、私は彼女に自己紹介も兼ね、
「軍事部のキーリー・ウェストウッドです。こちらの書類を届けに来ました」
と言うと、
「承知しました。一が確かに受けとりました」
彼女は、そう言って書類を丁寧すぎてぎこちない手で受け取った。
すると、キンコンカンコンと十二時を知らせるいつもの街のチャイムが部屋の中にも聞こえるほどの音で鳴った。そろそろ昼ごはんの時間だ。
わたしは、この人に興味が湧いた。何故あそこまで下手に出れるのか、ある意味器が大きいんじゃと考えた。
「一さん、よかったら一緒にお食事でも」
と自分でもおかしいくらいかしこまってこの人を食事に誘うと、
「ハハハ、プライベートみたいなものなんデスから、昼ごはんに誘うときくらいそんなにかしこまらなくていいんデスよ。もっと友達といるくらいに緩くてもかまいません、そして、ワタシのことは……ゆかりさんと呼んでください」
と、下の名前で呼ぶように言った。
「ゆかりさん、昼はどこにします?」
「フッフッフ、ゆかりさんいい店知ってるんデスよ〜」
ゆかりさんは、マスクをしていてもわかるほど得意げな顔でこう言った。
*
ゆかりさんが紹介してくれた店は、こじんまりとした喫茶店だった。こんな役場前にあるのに、あまり人の入らない、いわば穴場と言える店。白い壁に木材があしらわれた、まさしくレトロと言えるような喫茶店。
わたし達は昼食が来るまでの間、二人でも姦しく話をし、そして幼なじみかのように仲良くなり、お互いのことをわかり合おうと様々な話題で話し合った。
「あの時、ゆかりさん笑いながら上司のことおだててたよね」
「それがどうしたんデスか?」
「いやぁ、うちの軍部であんなことしたらはんごろしだなって、媚びてるって言われてさ」
「へぇ〜、随分と厳しい所なんデスね軍部って。」
話しているうちに、店員さんが飲み物を持ってきた。
「お待たせしました、マサラチャイと緑茶です」
現地人の彫りが深く黒い肌の男の人だ。おそらく、出稼ぎにでも来ているのだろう。
店員さんが去るとゆかりさんは、
「しかし緑茶デスか、すこし意外というか……。 好きなんデスか緑茶?」
と探偵が怪しむかのごとく不思議そうに聞いた。
「うん、緑茶は母国にいた頃から大好きだ! 落ち着くんだ、なんていうか」
「そんな人もいるんデスねぇ」
先ほどの男の人と、ここの店主らしい現地人の歴戦の深みのありそうな女の人とが台所の近くで話をしている。アットホームな雰囲気が溢れる職場といった感じだ。
「あの常連さん? 彼氏連れてくるなんてねぇ、色気付いたものだよ。彼氏の方はイケメンだけど、ちょっと背が低いのが難点だけどねぇ」
と、店主の女性が自分の喜びのごとく語る。
わたしとしては、あまり喜べない。髪はそんなに長くないとはいえ、わたしだって女の子だ、男のように思われるのは少し複雑な気持ちになる。
すると、男の店員さんの方が間違いを指摘するかのように得意げに、
「いや、あれはどう見ても女の人ですよ。それも、とびきり美人のね。ぼくも惚れちゃいそうだなぁ」
そう言い返す。そこまで褒めちぎられるのも、少し気恥ずかしい。
「聞いてくるよ、せっかくだからさぁ」
何にでも首を突っ込むような店主はそう言ってわたし達のそばにきた。
「ねえ一さん、その人、彼氏さん?」
「わ、わたしは女の
「この子は知り合い、女性デス。彫刻を触るようなデリカシーでお願いしマス」
「ええっ、そうだったのかい!? かっこいい子だねぇ」
店主は驚いた様子で店の奥へそそくさと帰っていった。
「むしろゆかりさんの方がそう見られると思うんデスけどね。背、高いし、目つき悪いし……。」
そう言って、ゆかりさんは自嘲した。確かにゆかりさんは目つきは先述した通りかっこいいけれど怖く感じる人もいそうだし、痩せすぎてはいるが、モデル体系な身長と胸をしている。ようは胸は平らってことだ。
「そんなことないよ、細身だし……。美しいと思うよ」
私は、そうフォローした。ただ、彼女はマスクをしている。口元美人かはわからない。
しかし、すぐに口元を見る機会は訪れた。ゆかりさんが、チャイを飲むためにマスクをはずしたんだ。口元にカップが近づき、液体が唇に触れるけれど、
「まだ、熱いデスね」
と、カップをテーブルに置いてマスクをつけ直し、テーブルの上にあったスプーンでチャイをかき混ぜ始めた。
マスクの下には笑えば素敵になりそうな可愛らしい大きさの口があった。私のいた国では、くちびるは大きいほうがいいけれど、なるほど、口元は綺麗だ。
しかし、それよりも気になったのは、犬の噛み跡のようなものが口元にあったことだろう。なぜ? と思ったけれど、まあ犬を飼っているのか、道端で顔を近づけたら噛まれたとかだろう。そうなると、狂犬病とかが心配だから、
「ねえ、ゆかりさん、道端で犬に噛まれたりした?」
と、率直に聞いた。
「ああ、ゆかりさんの知り合いに犬を飼っている人がいるんデスよ。なかなかゆかりさんに懐いてくれなくてよく噛まれているんデス」
そうやってゆかりさんはやんわりと答えたので、これ以上は触れないでいいと思った。
「しっかしキーリーちゃん、日本語ペラペラですねぇ」
「ゆかりさんはカタコトだね、この国の人なのに」
「よくいわれマス、キーリーちゃんは本当によく覚えましたね、憧れちゃう」
かれこれと話しているうちに、ついに待ちわびていた料理が来た。
わたしが頼んだのはジャンバラヤとささみのサラダ。ゆかりさんは、バナナパスタ、共にやや黄金色で透明感のあるスープがついて来た。ちなみにだが、このバナナパスタのバナナはおそらくは甘くないものだろう。わたしもここに長らく住んでいればそれくらいのことはわかる。
おっと、食前は。
「我らが父よ、私と共にいてください。そのお恵を我が糧としいただきます。我が主の元にアーメン」
「いやはや本当に祈るんデスね」
「最近だとそういう人はあまり見ないなぁ」
「おっと、ゆかりさんも、いただきます」
まずは、ささみのサラダを食べ始めた。うん、いつも食べ慣れたささみと葉物野菜の味だ。次にジャンバラヤを少し食べてみる。見た目はパラパラとしていて、喫茶店でこんな本格的なものを出せるのかと少々驚いた。一口すくって口に運ぶと、香辛料と濃い味付けが口の中に展開された。まさにそれは古代のならず者の風味といった所か。そうして料理を味わっている途中、ゆかりさんの声で引き戻された。
「そういえば、キーリーは、なんというかどう見ても外国人、と言った雰囲気ですけど、なぜこの国に来たんデスか?」
あまり触れられたくない質問だ。まあ、深く掘り下げなければ大丈夫だろう。
「家出してきたんだよ。うちの家に嫌気がさしてさ。とはいえ、夜の自然の中を走っていくのは危険だから、なるべく昼に人の多いところを通って、そうしてさまよっているうちにこの国に来て、かくまってもらったんだ」
「なんて根性なんデスかあなたは、そこまで嫌だったんデスか?」
そう、ゆかりさんは聞き返した。わたしにとってはあの家が嫌だったのは当然だ。
「何が嫌だったかって、親が嫌いだったんだ。なんていうか自分の夢を押し付ける、みたいな人でね」
そう正直に言った時、妙にゆかりさんが静かな気がした。ゆかりさんが持とうとしたカップが震えているのがわかった。
「そうなんデスね」
返しの言葉も冷たい印象だ。何か気に触ったのだろうか。謝らなくては。
「ごめん、何か気に障った?」
軽い言葉のボールを投げたけれど、ゆかりさんは
「そんなことないデス」
と優しくもまるで強がっているようにボールをすぐに返した。
食べ進めているうちに少しだけ、こんな話もした。
「そういやキーリーちゃん、この辺の独立国の成り立ちは知っていマスか?」
「いや、まあなんとなくは、確か常任理事国が何を血迷ったか、土地を半ば無理矢理接収して、ありとあらゆる独立国をこの地域に限り認めたんだっけ?」
「そうデス、そうデス。」
「残酷な話だよな、こんなことしたら、商売以外の所でも争いは起きるというのに……」
そう言っているうちに、わたしは出された料理を全て完食した。米の一粒一粒だけでなく、皿についたソースまで食べたくなるジャンバラヤだった。ゆかりさんも、同じタイミングで完食したみたいだ。
「我らが父よ、その恵みに感謝します。作物、料理を作りし者からのご馳走へ感謝し、糧とします。主の元に、アーメン」
「ごちそうさまでした」
食後の祈りを終え、会計をしに行く。カウンターにいたのは、東洋系の女性だが、なんとなく雰囲気日本系の人ではない気がする。そして、ゆかりさんと……いやわたしと比べても背は低く……、出るところは出ていた。
ゆかりさんは財布を取り出し、二人分の会計をする。わたしは、先に税込含めても1セントたりとも狂いがないようにお金を渡しておいた。ゆかりさんが、信頼できると思ったからだ。普段は、こんな知らない人にお金をみすみす渡すなんてしない。ゆかりさんは手慣れた手つきで財布を出して会計を終えた。やっぱり、なれてるのかな。
外に出ると、照りつけるような暑い日差しを浴びた。おそらく、厚着の上、マフラーとかまでしているゆかりさんはもっと暑いだろう。そんな中、ゆかりさんが懐から何かを取り出す。それは、封のできる袋に入ったナツメヤシだった。
「やっぱ、食後はこれデスよね〜」
わたしも、懐から袋を取り出す。
「奇遇だな、わたしもナツメヤシが好きで、持ち歩いているんだ」
「本当デスか、いやあ気が合いマスねぇ」
お互いにナツメヤシを食べる。口の中にはしっかりとした甘みが広がる。この地域の定番の味わいだ。そう、定番の味わいなんだから別に持っていることが珍しいわけじゃない。それでもなんだか彼女とは気のおけない仲になれそう、そんな気がした。
わたしは、別れる前に試すつもりで、肘を前に突き出した。ゆかりさんは分かったか分かってないか、戸惑いながらも肘を合わせた。
「それじゃあ、ゆかりさん、さようなら! また会える日まで!」
わたしは仕事場の軍部へ早歩きで戻り出した。ゆかりさんも、今日はありがとうございましたと言って手を振ってくれた。
おまけ
ゆかり「ところであの口上、プロテスタントデスか?」
桐の字「書いてる人が宗教的な話題に深く踏み込めないだけだよ」