第五話 ユキヒサ、炎を斬る之事
(焦げ臭い……? 誰か朝餉でも作っているのか? いや、これは食材を焼く臭いではない)
ユキヒサは、異臭を感じて目を覚ました。
場所は煮売り酒屋の2階にある座敷。宿を取るにも遅い時間であったので、結局泊まることになったのだ。
届け出をした宿以外でおおっぴらに客を泊めることは御法度であるが、飲み過ごした酔客を泊める程度のことは目こぼしされている。
「おい、なんか焦げ臭くねえか?」
バンゾクものそりと起き出し、鼻をひくつかせている。
「たしかに変な臭いがするッスねえ。それになんか暑くないッスか?」
少女も起き出して眼鏡をかけている。
座敷で眠っていたのはこの三人だ。
女給と調理場にいた主人は住まいとなっている3階で、ごろつきたちは店の三和土に寝転がっている。
ユキヒサが座敷の襖を開け放つと、強烈な熱気が顔を打った。
店内のあちらこちらで炎が巻き上がっている。
「まずい、火事だ! 早く逃げろ!」
そう叫びつつ、ユキヒサは階段を駆け上がる。
女給と主人はどこかと目を凝らすが、煙が充満しており視界がきかない。
すると、轟と風が唸って煙が吹き散らされる。
「おうおう、若様ひとりじゃ二人は助けられねえだろ。手伝うぜ」
「すまぬ、恩に着る」
「オメェが着る恩でもねえだろうに。ほら、急ごうぜ」
ユキヒサに続いて階段を駆け上がってきたのはバンゾクであった。
戦斧を振るって煙を散らし、視界を確保する。
ついでとばかりに襖もぶち壊すと、右手の一室の隅にぐったりと倒れ込んでいる女給と主人の姿が見えた。
「拙者は女給を。バンゾクは主人を頼む!」
「合点承知よ!」
ユキヒサは女給を背負い、階段へ戻ろうとする。
しかし階下はすでに火に巻かれているようで、黒い煙の隙間からちらちらと赤い炎が覗いていた。
(拙者ひとりならどうとでもなるが……)
背負った女中の意識がない。おそらく煙を吸いすぎたのだろう。
この状態で煙の中を進んでは命に関わるやもしれない。
「窓から飛び降りるぞ!」
「承知した!」
店の主人を俵のように肩に担いだバンゾクが再び戦斧を振るう。
襖が弾き飛ばされ、煙が二つに裂かれ、窓までの道ができた。
ユキヒサとバンゾクは並んで走り、ためらいもなく3階の窓から飛び降りる。
「ふう、危ないところであった」
「それにしてもどうして急に火事になんぞ。火の不始末でもあったのか?」
「いやー、どうもこれは火付けみたいっすよ」
女給と主人を下ろしてほっと一息ついたユキヒサたちに、一足先に脱出していた眼鏡の少女が話しかける。
「どうして火付けだとわかるのだ?」
「だって、あっちに下手人がいるっす」
少女が顎で示した先を見ると、見るからにヤクザものの集団がいた。
中心には炎のように赤い髪を逆立てた奇妙な髪型の大男が立っている。
片頬に奇怪な入れ墨が入っており、にやにやと笑いながら燃える店を眺めていた。
「一家に恥をかかせた生意気な店はこれでなくなったぜ」
「さすがはオニビの親分だぜ。見事な燃やしっぷりだ!」
「生き残りがのこのこ出てきたがな。ま、あいつらもまとめて消し炭だ」
「その前に焼きを入れなきゃいけねえやつらがいるみてえですよ」
オニビと呼ばれた大男の前に、三人の男が拾った棒きれを構えていた。
顔面蒼白でぶるぶると震えており、向かい合っているのがやっとという風だ。
ユキヒサたちと酒を酌み交わしたごろつきたちである。
「流れもんの侍ぇにボコされた上に、仲良く酒を飲んでるなんてよう。こいつぁ恥だよな、親分?」
「ああ恥だ。恥は燃やして消さなきゃならねえ」
「は、恥はてめぇらの方だ!」
「ゴンキチ親分の仇、今日こそ取ってやる!」
「燃やせるもんなら燃やしてみやがれ!」
ごろつきたちが勇気を振り絞り、棒きれで打ち掛かる。
しかし、オニビは避ける様子も見せない。
棒きれが頭や肩に命中するが、どういう仕掛けかそのまま身体をすり抜ける。
「そんな棒きれで殴るなんてよう、俺を舐めてンのか?!」
オニビの身体が突如炎に変じて膨れ上がる。
ごろつきたちは炎に包み込まれ、苦痛の叫びを上げた。
一呼吸するとオニビは元の姿に戻っており、ごろつきたちがいた場所には黒焦げの何かが3つ、地面に転がってるだけだった。
「てめぇ、何をしやがった!」
「見ての通り、きれいさっぱり焼いてやったのよ。俺に恥をかかせたやつぁ誰でもこうよ」
「殺すほどの恥か!」
激昂したバンゾクがすさまじい形相で怒鳴り、オニビへと向かっていく。
「眼鏡の娘、主人と女給をなるべく遠くへ頼む」
「まかされたっすよー」
バンゾクに続き、ユキヒサもオニビへと向かっていく。
ごろつきたちとはもう酒を酌み交わした仲だ。
浅い縁とはいえ、それを目の前で殺されて見過ごせるユキヒサではない。
「邪妖のたぐいが憑いているようだ。身体を炎に変えられるらしい。気をつけろ」
「ふん、そんな小細工が関係あるかよ」
向かってくる二人をにやにやと笑いながらオニビが待ち構える。
そして二人に向かって両手を伸ばした。
「刀が得意らしいがよぉ」
オニビの両腕が炎へと変じ、渦巻きながら二人へと殺到した。
「炎が斬れるもんなら斬ってみやがれ!」
近づくだけで身を焦がさんばかりの熱気とともに、炎の渦が二人に襲いかかる!
――チン
と鍔鳴りの音。
素早く身をかわしたユキヒサは、炎の腕を真ん中から断ち切っていた。
「焔断ちなど初歩の技。妖かしの術を身に着けた程度で増長するな」
――轟
と突風が吹いた。
バンゾクは真正面から炎の腕を迎え撃ち、戦斧を振るって吹き散らしていた。
「火なんざこうすりゃ消えるだろうが。なんなら水でもぶっかけてやろうか?」
人の姿に戻ったオニビに向かって、二人が淡々と歩みを進めていく。
右腕は肘から先がなく、左腕は傷だらけで、ねじれて垂れ下がっている。
大量の血が流れる両腕を腹の前で抱えるようにして、がっくりと両膝をついた。
その様子を見たヤクザものたちは悲鳴を上げて逃げていく。
「な、何なんだてめぇらは……。大悪様に頂戴したお力がただの人間に破れるはずがねえ……」
「大悪だと?」
「てめぇ、いま大悪っつったか!?」
ユキヒサとバンゾクが同時に詰め寄る。
ユキヒサの見立てでは、すぐに血止めをすれば命は取り留めそうだ。
そう考え、懐から取り出した手ぬぐいを細く裂いて止血帯を作る。
大悪に関わる者ならば生かして情報を聞き出さねばならぬ。
「触るんじゃねえ! 人間ごときに負けるなんて恥は許されねえ。道連れにしてやる!」
オニビの全身が炎へと変じる。
先ほどまでの赤い炎ではない。青みを帯びており、発せられる熱は先ほどとは比較にならないほど強烈だった。
「こやつ、自爆する気か!?」
「あぶねえっ! 下がるぞ!」
――パァン
何かが破裂したような音が響き渡った。
早くも自爆をしたかと、ユキヒサとバンゾクは咄嗟に身を伏せる。
しかし、熱波も衝撃も届いてこない。
顔を上げると、人の姿に戻ったオニビが膝をついたまま、生気のない視線を虚空へ投げ出していた。
その額には、黒々とした穴がうがたれている。
「いやー、危なかったっすねえ。これがなかったらヤバかったっすよ」
やってきたのは右手に鉄製の何かを持った眼鏡の少女だった。
中心あたりでくの字に曲がっており、先端には穴が開いている。
「それはもしや、新式のタネガシマか?」
「そうッス。女ひとりの旅じゃ物騒っすからねえ。大枚叩いて買った甲斐があったっす」
「よく知らねえが、邪妖にタネガシマはきかねえんじゃなかったか?」
「普通の弾ならそうっすね。いまのは破邪の魔印を刻んだ特別製の弾丸っす!」
便利なもんができたんだなあと言いながら、バンゾクがオニビの死体へと向かい何やら検分をはじめる。
とくに頬の奇怪な入れ墨を念入りに調べているようだ。
その黒い炎とでも表すべき紋様は、そういえばバンゾクの身にある入れ墨とよく似ているとユキヒサは思った。
「よっしゃ、間違いねえ! こいつぁやっぱり大悪の手先だ!」
バンゾクはそう叫ぶなり、唐突に胴着を脱ぎ捨てた。