第三十話 ゲンノジョウ、エドに着く
材木を担いだ人足たちが走り回り、あちらこちらからトンカラカンと金槌や木槌を振るう音が聞こえる。
そうかと思えば炭のように焼けた廃材を大八車に載せた者たちや、さらに弁当を売り歩く棒手振りもいて、アサクサの町は不思議な活気に満ちていた。
「まさかチバ道場まで焼けておるとは、どうしたものか」
マエナガの地では祭りのときでもなければ見たことがない熱気に当てられながら、長身で筋肉質な男が思わずぼやく。
いまやマエナガ藩でも一番の剣客と誉れ高く、各地の剣術道場巡りでさらに名を上げているゲンノジョウ、その人である。
「門人の方たちはご無事のようですから、下屋敷までお邪魔してみてはいいじゃないですか、お兄様?」
大股で歩くゲンノジョウに、ちょこちょこと追いすがる少女が口を開いた。
まるで一流の職人の手による人形のように可憐な少女の名はスイレン。
ユキヒサの元許嫁にして、アキツでも有数の術士としての才に恵まれた少女である。
「それもそうだな。チバ先生はたしかダテ藩の食客だったか?」
「はい。いくつかの藩の指南役をお勤めらしいですけれど」
スイレンが紹介状に同封された説明書きを読みながら答える。
下屋敷とは、アキツ全国に存在する藩が、幕府との連絡のためにエド市中に構えている拠点のことである。
昔は参勤交代と称して藩主自身が定期的に滞在する必要があり、財政負担が大きすぎるとして廃止となっていた。
現在では、各地の藩と幕府をつなぐ連絡事務所的な役割が主である。
ゲンノジョウたちはアサクサを後にし、ダテ藩の下屋敷へと向かった。
途中、菓子売りから買った飴玉やせんべいなどの駄菓子をスイレンがつまんでいるが、いつものことだとゲンノジョウが気にすることはない。
「お兄様、このおせんべいは甘くて美味しいですよ! ザラメがまぶしてあります!」
「甘いせんべい?」
説明するまでもないが、せんべいといえば米をつぶして焼き、塩や醤油で味付けをしたものだ。
甘いせんべいなどというものは聞いたことがない。
気になったゲンノジョウはスイレンが差し出すせんべいを食べてみた。
砂糖の甘味がまず舌に触り、続いてほどよい塩気がしてくどさがない。
辛党のゲンノジョウだが、これは後を引く美味さだった。
「ほう、これは美味いな。手土産に買っていくか」
「エドでは知られているものかもしれないですけどねー」
「ありふれていても、美味ければ喜ばれよう」
ゲンノジョウたちがもと来た道を引き返し、せんべいを買った菓子屋の前まで引き返すと、何やらむくつけき大男たちが店頭に群がっていた。
着物の上に毛皮の半袖をまとい、斧を背負った集団である。
「アヌームイモはなかとな?」
「申し訳ありません。アヌーム? というものは取り扱いがなく……」
「アクマキぐれはあっじゃろう?」
「アクマキ? ですか。それもやはり扱っておりませんで……」
「おめ、田舎者じゃち思うて馬鹿にしちょっじゃろう!」
大男たちに囲まれて怯む店員との間に、ゲンノジョウが割って入った。
「待て待て、一体どんな諍いだ。侍が町人を脅すなど、何の誉れにもならんぞ」
突然現れた闖入者に、大男たちは顔を見合わせる。
一拍挟んで、ひときわ大柄な男が口を開いた。
「おいどんらが侍じゃとわかっとな?」
「屈強な肉体に浅黒い肌、背中に負った斧。お主らはサツマ者であろう?」
「エドに来て、侍じゃとわかってもれたんなはじめてだ」
男は突然おいおいと大声を上げて泣き出した。
それにつられて、周りの大男たちも一斉に泣き出す。
あまりにも暑苦しい光景に、スイレンがたまらず顔を引きつらせた。
「あのう、アヌームイモってたぶん、サツマイモのことですよね? それから、アクマキもサツマのお菓子で。そこ、おせんべい屋さんだからどちらもなくて当たり前だと思いますよ?」
「なん……じゃと……?」
「お嬢どん、サツマん菓子を知っちょっとか……?」
「えっ、すごく暑苦しいのでこっち見ないでください」
男たちの視線を一身に浴びたスイレンが慌ててゲンノジョウの背に身を隠す。
スイレンは様々な菓子を食べるのが趣味であったため、たまたまサツマの郷土菓子も知っていただけなのだ。
「ともあれだ。侍が菓子のことなどで取り乱すなどみっともないぞ。ここがせんべい屋だとわかったなら他の店を当たれ」
「そうはいかん。知らんやったこととは言え、腹を切って詫びんなならん」
着物の前をはだけ、腹に斧の刃をあてがう大男に今度は店の者が慌てる。
「か、勘弁しておくんなさいよ、お客さん! お侍様に腹を斬らせた菓子屋なんて、気味が悪くって誰も近づかなくなっちまいますよ!」
「ならば、どう詫びをすりゃえど?」
「ええー……」
大男の鋭い眼光に射すくめられ、店の者はすっかり言葉に詰まってしまった。
詫びも何もこの場から立ち去ってくれれば済む話なのだが、そんなことを言ってもとても引き下がりそうにない。
「それじゃ、このお店のお菓子をたっくさん買ってあげたらどうですか? さっき食べましたけど、砂糖のついてるおせんべいがおいしかったですよ」
「そげんこっでよかか?」
「あっ、ええ、へい! もちろん大歓迎で!」
スイレンの思いつきが採用され、男たちは財布ごとせんべい屋に金を払った。
* * *
「お嬢どん、なかなかん知恵もんじゃな」
「いえいえ、よく言われますー」
「こらスイレン、調子に乗るな」
店ひとつ分のせんべいを背負った大男たちと、ゲンノジョウたちが並んで歩いている。
スイレンを除けば、みな町人たちよりも頭ひとつ以上は大きい。
おまけに隆々たる筋肉を身にまとっているため、何も言わずとも通行人が勝手に道を開けるほどの圧力があった。
ゲンノジョウがいなければ、どこぞの姫をさらった山賊が街を歩いていると番屋に通報されていたことだろう。
「サツマの下屋敷はここをまっすぐ行けば着くらしいな」
「礼をせねばならんど。あてらん面子にも関わっで、ぜひ来てほしか」
「サツマのお屋敷って楽しみですねえ」
聞けば、男たちはサツマ藩からエドの下屋敷に向けて急報を携えてやってきた者たちらしい。
しかし、案内役の上司が道中で病没し、道に不慣れな若侍ばかりが残されてしまったそうなのだ。
どうにかこうにかエドまでやってきたのだが、伝わりづらい方言に、山賊のような風貌が災いし、道を聞こうにも誰からも避けられるようになってしまった。
そこで菓子屋で買い物をする引き換えに道を教えてもらおうとしたのだが……見知った菓子が何もなく、馬鹿にされたと思って先ほどの騒ぎに発展してしまったとのことだった。
(サツマ者は一本気で融通が効かぬと聞くが、さすがにこれは度が越しているな)
ゲンノジョウは心中で愚痴をこぼす。
サツマの下屋敷までの道のりを教えた後はさっさと分かれてダテ藩の下屋敷に向かうつもりだったのだが、礼をしなければ腹を斬らねばならぬと言い立てる男たちに根負けし、同行することになったのだ。
「おお、おお、やっと着き申した。ここがサツマん下屋敷で間違いなか」
一軒の屋敷の門前に着き、大男がうれしげに顔をほころばせる。
ぎょろりとした大きな目に、肉の垂れた犬のような顔をした異様な面相の男であったが、笑うと妙な愛嬌があった。
「おいじゃ! サイゴウじゃ! 門ば開けて欲しか!」
男がごんごんと乱暴に通用門を叩くと、閂を外す音がすぐに聞こえてきた。