第二十七話 ユキヒサ、大悪の語りを聞く之事
「ま、急に『僕が大悪です』なんて自己紹介しても信じられないよねえ。そこについては信じてもらうしかないんだけど」
黒づくめの少年は、社殿の屋根を棟伝いにふらふらと歩きながら言葉を続ける。
ユキヒサたちは、その一挙手一投足を油断なく見つめる。
「質問どうぞ、って言われてもぱっと出てこないよね。わかるわかるー。そんなわけで、質問が思いつくまでは自分語りをさせてほしいんだよね」
少年はその場でくるりと回ると、再び腰を下ろした。
「いやー、エド幕府。長く続いちゃったね。もう三百年以上だよ。三百年、わかる? 予定より何十年も長くなっちゃった。こっちとあっちで時間が同じ長さかわらかないけどさ」
少年は顔を覆い、ため息をつく。
「とりあえずアレだよねえ。三代将軍の時点で公武合体を果たしちゃうとか、トクセンはどれだけ先を見越してたんだよとか……。がんばって公家と武家を分けたのにさ。これじゃ維新の大義名分がなくなっちゃうじゃない」
トクセンというのは将軍家の名であった。
それを直接呼ぶのは無礼として、将軍家、あるいは将軍と呼ぶのが通例である。
「それからねえ、サツマが牙を抜かれちゃったのが痛いよね。自治権くらいで大人しくなっちゃってさあ……天下への野望とかないわけ?」
「ああン? サツマに文句があんのか!?」
「あるあるー。大ありだよ。なんで幕府を倒してくれないのさ?」
「はあ?」
意図のわからない少年の質問に、バンゾクは思わず片眉を上げる。
「あー、ごめんごめん。お姫様に言ったところで難癖だよねえ」
「姫?」
「おいこらてめえ、いますぐそのぺちゃぺちゃ口を閉じやがれ!」
少年の言葉にユキヒサが疑問を挟もうとすると、バンゾクがすぐにさえぎった。
少年は悪びれた様子もなく、けらけらと嗤う。
「ごめんごめん、個人情報は勝手にしゃべっちゃダメだよね。もう言わないよ。あとねえ、やっぱり外敵がいないのがダメなのかな? って、最近思うんだよねえ。あ、外敵って言っても、あの巨大イカみたいなのはよくないよ。ああいうのはめちゃくちゃに壊していくだけの災害だから」
「お主、あれが何者だったのか知っておるのか?」
「知ってるけど、説明はむずかしいね。あれは完全に他所から来たものだよ。……ああ、そういう言い方をすると僕も一緒なのか」
何が面白いのか、少年はくふくふと忍び笑いをする。
「なんでもかんでもゴミ箱みたいに突っ込まれちゃうっていうのもホント、迷惑な話だよね。僕は正しい歴史をたどりたいだけなのに」
「てめえ、さっきから何を言ってやがる!」
「あー、ごめんごめん、わかんないよね。まあ、こっちの人にわかられちゃうのも困るんだけど」
「煙に巻いて逃げようと言うなら、甘い考えだぞ」
「あはは! 逃さずに済むのなら、もう斬りかかってきてるでしょ。挑発は僕には通じないよ」
思惑を見透かされ、ユキヒサは唇を噛む。
いまの足場では必殺の間合いにはほど遠い。
挑発をして、向こうから近づいてくるよう企んだのだ。
「それでね、話は戻るんだけど、エド幕府が倒れるためには、外敵が必要だと思ったんだよね。エドと他の親藩が弱くなればさ、外様の大名なんかは野心がくすぐられちゃうでしょ」
少年が口角を上げ、楽しげに笑った。
「でも、大陸は瘴気領域やら魔王やらの相手でわざわざアキツまで攻めてこようっていう国がない。そういうわけでね、僕自身が黒船になろうって思うんだよね」
「クロフネぇ? なんだそりゃあ」
「さっきからお主の話していることはさっぱりわからぬぞ」
「ごめんごめん。自分語りって言ったでしょ? そもそもわかってもらおうとは思ってないんだよ。君たちは僕の枝をいくつも倒してくれたし、意趣返しってやつだね。せいぜいおちょくってやろうと思って」
「この野郎っ!」
激昂したバンゾクが戦斧を投げつける。
大木をもなぎ倒す勢いで放たれたそれは、空中で失速し、少年の足元の瓦を砕いて突き刺さった。
黒い靄に絡め取られ、勢いを殺されたのだ。
「うひゃー、怖い怖い。君たちはアキツ中を見渡したってめったにいない達人だよ。正面からやりあったら僕だって危ない」
「それは何よりだな。いままさに正面から向かい合っておる」
「申し訳ないけど、これ以上近寄るつもりはないよ。逃げる算段もちゃんとつけてるから、下手なことは考えないでほしいな」
少年は笑い、さらに付け加える。
「これから大事なことを言うからさ、余計なことをして聞き逃すのはもったいないと思うよ」
「いちいち回りくどい話し方をしているのは貴様であろう」
「本題があるならとっとと話しやがれ」
「うへえ、昔の人ってこんなに短気だったのかなあ。まあいいや、そろそろ重要な点を話すよ」
少年の細い指が、ぱちんと弾かれた。
すると東の方から轟音が響き、大地が揺れ動く。
「なんだァ?! こんなときに地揺れか?!」
「いや、違うぞバンゾク! 東を見ろ!」
ユキヒサの言葉に、バンゾクが東の方に視線をやる。
そこには、青空に向かって立ち上る一筋の黒煙があった。
驚く二人の様子にかまわず、少年が言葉を続ける。
「これまで僕の枝を気持ちよく刈ってくれたけれど」
再びの振動。大地が揺れる。
「枝を育てるのも、結構苦労するんだよ」
東の空に、黒煙がまた一筋増える。
「根を差し向けたくらいじゃあ、君たちみたいな達人はびくともしなそうだ」
再び、振動。
「だから、虎の子を出そうと思うんだ」
黒煙が、また一筋。
「悪を為せば罪を得る。悪を積み、罪を積みに積みに重ね、罪そのものになったもの――」
――七大罪
振動、黒煙。
わずかに聞こえてくる人々の悲鳴。
「第一ボス、『暴食』のおでましだ。とりあえず、生き残ってたらまた話をする機会もあるかもね」
黒煙にまぎれ、町並みを蹂躙する巨大な昆虫のような影が目に映った。