第二十六話 ユキヒサ、カンダ明神に行く之事
翌日、ユキヒサとバンゾクは小高い山の上にある神社の境内に立っていた。
ドウマンに指定されたカンダ明神である。
昨日の騒動の後、またしても番屋に連れて行かれ取り調べを受けたのだが、今回はオニガワラがいたことであっさりと解放された。
イゾウの異形を目撃していた同心もいたため、ユキヒサたちにあらぬ嫌疑がかかることはなかったのだ。
旅籠に戻って休むことができ、その後はツタヤで再び大悪についての調査。
北の雷鳴が聞こえる前にカンダ明神にやってきたというわけだった。
メガネもついてこようとしたが、二人だけの話があると言って追い返している。
ユキヒサたちがカンダ明神に到着してほどなく、社殿の後ろから二人組の人影が現れた。
一人は小柄な痩せた男、もう一人は僧形の大男。
イゾウとドウマンである。
「よくぞ逃げずに来たな。その勇気、褒めてくれようぞ」
「ひひひ、今度こそおれっちの刃で切り裂いてやる」
社殿の前まで現れた男たちに、ユキヒサとバンゾクも言葉を返す。
「三度のメシより喧嘩が好きなのがサツマっぽ気質ってやつでね。てめえらこそ、よく逃げずに来たよ」
「すまぬが斬られてやる趣味はなくてな。大悪の情報を素直に話すなら加減くらいはしてやろう」
それを聞いたドウマンが呵呵と笑った。
「ははは! 大した自信だ。それでこそ、拙僧も闘い甲斐があるというもの!」
笑いながら、ドウマンの身体がみるみると膨れ上がる。
身につけていた法衣が膨張した筋肉に破られ、もとより大柄であったドウマンの姿が、一回りも二回りも大きくなっていた。
「拙僧が大悪様より頂戴した号は闘悪! 闘争こそ人の業! 闘争こそ人の幸! 今宵は存分に死合おうぞ!」
「それじゃドウマン、頼んだぜ」
続けてイゾウの身体が変化をはじめる。
顔の真ん中が裂けて刃が飛び出し、胴と四肢が捻じくれ、一本の棒となる。
巨大な薙刀と化したイゾウの身を、ドウマンが掴んで構えた。
「それでは参られい。拙僧に勝てば大悪様について話して進ぜよう」
巨大な薙刀を振り回し、風を巻き上げながらドウマンが進み出る。
「よかろう、では拙者が……」
「待てよ若様。オレは昨日まるで働いてなくて鬱憤が溜まってんだ。ここは任せてくれ」
ドウマンに応じて進み出ようとするユキヒサをバンゾクが止める。
背中の戦斧を振り回しながら、ドウマンへと対峙した。
「こちらは実質二人のようなものだ。一度にかかってきてかまわんのだぞ」
「ああン? わざわざ二人でかかるようなタマかよ。軽く揉んでやるからかかってきな」
ドウマンの顔が赤黒く変色し、血管が浮かび上がる。
「拙僧を雑魚扱いするか……拙僧を侮ったことを冥府で後悔するがよい!」
轟音!
凄まじい速度で振り下ろされた薙刀を、バンゾクの戦斧が受け止めていた。
「ははは! この一撃を止めるとは、口だけではないよう……だ……な!?」
薙刀を受け止めたまま、バンゾクが一歩、二歩と足を進める。
戦斧をじりじりと持ち上げ、薙刀を押し込んでいく。
ドウマンの背が、徐々に逆へと反っていく。
「軽すぎんだよ。これくらいならアソのお山にいたクマオニの方がよっぽど上等だぜッ!」
「がぁぁぁあああっ!?」
「舐めんじゃねえぞ、筋肉女!」
のけぞり、いまにも倒れそうなドウマンが持つ薙刀から無数の光条が生じる。
イゾウがさらに变化を重ね、細い刃を生み出したのだ。
それがバンゾクの胸に突き刺さっていた。
「へへへ、これでもうねえさんの負けだ。じっくり切り裂いて……切り裂いて……なんで動かねえ!?」
「おいおい、鍼なら喧嘩が終わった後に頼むぜ」
イゾウが生み出した刃は、バンゾクの胸に突き刺さったままびくとも動かない。
刺さった傷からも、どうしたことか一滴の血も流れていない。
鋼鉄のような筋肉で刺さった刃を締め上げ、固定していたのだ。
「くっ、くそっ。何がどうなってやがる?!」
バンゾクは何も答えず、代わりに歯をむき出しにして凶相を浮かべる。
両腕の筋肉が膨れ上がり、圧力が増す。
ついにドウマンの膝が折れ、地響きとともにその背中を大地につけた。
「な……なぜ拙僧の無敵の剛力がかように押し負ける……」
「ジゲン流金剛術、って爺やは言ってたな。ま、要するに馬鹿力よ」
「馬鹿な、そんなものに大悪様のお力が負けるとは……」
「っつーわけで、大悪について洗いざらい吐いてもらおうか」
仰向けに倒れたドウマンの首筋に戦斧の刃を突きつけた。
――そのときだった。
「あー、勝手に僕の力が負けたことにしないでくれるかな?」
社殿の屋根の上に、何者かが腰掛けている。
大陸風の黒い服を着た、一人の少年だった。
黒髪、黒目、これだけならばよくいるアキツ人の特徴だ。
しかし、その服装が奇妙であった。
妙に襟の詰まった上着の前は金属製の釦で留められており、作りは上等だがお仕着せのような印象も受ける不思議な服装であった。
「おい、てめぇ何もんだ?」
「そんなところに遊んでおると怪我をするぞ? 気をつけて降りてまいれ」
ドウマンを地面に押し付けながら剣呑な声を上げるバンゾク。
それに対し、ユキヒサは純粋に少年を心配して声をかけた。
服装こそは奇妙であったが、十代半ばの子どもにしか見えなかったからだ。
「あー、不老ってやつは風格が出なくて困るね。本題の前に、とりあえず力を回収しておこうか」
「なっ!? 大悪様、こんなときに勘弁してくれよ!?」
「拙僧はまだ負けておりませぬ! いましばらくお待ちを」
「いや、そういうのじゃなくてさ。あくまで僕の都合でね、ごめんね」
イゾウが変化した大薙刀と、ドウマンの身体から黒い靄が発生し、少年へと吸い込まれていく。
靄が消えると、あとに残されていたのは乾ききった木乃伊のような死骸が2体だけであった。
「おいこら、てめえが大悪か?」
「うん、そうだよ」
「童子が冗談を言っているわけではないようだな。母の仇、大悪よ! 尋常に勝負いたせ!」
「あー、ごめんね。僕は直接バチバチやるタイプじゃないんだよねえ」
腰を下ろしていた少年が、屋根の上ですっと立ち上がる。
すると地面から黒い粘液がにじみ出て、ユキヒサたちの足首に絡みついた。
「む、なんだこれは?」
「ねちゃねちゃして気持ち悪りぃ……てめえ、何をした!」
「いやー、こうしておけばひとっ飛びに斬りかかるとかできないでしょ?」
ユキヒサはぎりりと奥歯を噛む。
あの少年の言うとおりだったからだ。
普通であれば、一息で屋根まで駆け上がって刀を振るうなど容易い。
しかし、このように足場を乱されてしまってはそうはいかない。
刀術にせよ、体術にせよその根幹は運足にある。
黒い粘液のために、常の動きが封じられてしまっていたのだ。
「えー、改めて自己紹介するけど、僕が通称『大悪』です。何か質問ある?」
ユキヒサとバンゾクは、それぞれの得物を握りしめて少年に視線を向けた。