第二十五話 ユキヒサ、辻斬りにあう之事
ユキヒサとバンゾクは人気のない町を歩いていた。
時刻はもう北の雷鳴が聞こえてからかなりたつ。
ツタヤの資料から大悪の手がかりを探っていたところ、すっかり時間がたってしまったのだ。
メガネは今後の打ち合わせがあるということで居残っており、ユキヒサたちはツタヤが手配した近隣の旅籠に泊まることになった。
「それにしても、とんでもねえ量だったなあ」
「ああ、まるでエド中の……いや、アキツ中の悪事の背後に大悪がいるのではないかと勘ぐってしまうほどだ」
「ひょっとしたら、本当にそうなのかもな」
ツタヤの資料は膨大だった。
斜め読みにも関わらず、かなりの時間をかけても10分の1も目を通せていない。
また、当然のことながら資料に目を通して終わりというわけではないのだ。
現地に出向き、大悪の手先を倒さなければ意味がないのである。
重要な手がかりが得られたことは間違いないのだが、途方もない量を目の当たりにし、何か効率的なやり方を考えなければならなかった。
ああでもないこうでもないと話しているうちに、ニホン橋に差し掛かる。
ニホン橋とはニホンバシの地名の由来となった橋のことだ。
まだエドが発展途上であったころ、太い丸太を2本渡しただけの橋があった。
それが自然とニホン橋と呼ばれるようになり、やがて周辺も含めた地名となったわけだ。
もちろん現在ではただの丸木橋などではなく、立派な欄干を備え、大人が十人横に並んで歩けるほどの大橋となっていた。
橋の反対から、2人の男がこちらに向かって歩いてくる。
その2人組はユキヒサには見覚えのある人物だった。
「お、また会ったねえ。兄さん方」
「昼間は失礼をいたしたな」
爬虫類のような目つきの小柄な男と、僧形の大男だ。
「たしかイゾウ殿とドウマン殿と言ったな。もう気にしてはおらぬよ」
「むしろあんたらの方がオレたちに用がありそうに見えるけどな」
ユキヒサたちが足を止めて返事をすると、イゾウとドウマンも立ち止まる。
「さすがだねえ、不意打ちでズバッてわけにはいかねえか」
「歯ごたえのない相手ばかりで飽いていたのだ。やはり闘争とはこういうものでなくてはのう」
イゾウが刀を抜き、ドウマンが袖をまくって錫杖を構える。
錫杖の金具が立てた乾いた音が人気のない町に響き渡る。
ドウマンの右肩には黒い炎の如き奇怪な入れ墨が入っていた。
「隠すつもりは毛頭なしか。貴様ら、大悪の手先だな?」
「ついでに言えば、連続辻斬りの下手人ってとこみてえだな」
ユキヒサも斬雪の鯉口を切り、バンゾクも戦斧を構える。
「2対2ってのはややこしいなあ。おれっちが兄さんを殺るからよ。ドウマンはねえさんの方を頼むわ」
「よかろう。貴様が斬られたら闇神様の御下へ迷わず逝けるよう、念仏ぐらいは唱えてしんぜよう」
「誰が斬られるかよッ!」
その言葉とともに、イゾウが地面を蹴る。
一瞬で加速し、ユキヒサの間合いへ飛び込んだ。
その刹那、イゾウの体を逆袈裟に斬閃が走る。
ユキヒサがその神速の抜刀により、イゾウを迎え撃ったのだ。
常在戦場を旨とするマエナガ流刀術には、不意打ちに備えた居合の技も当然あるのだ。
「ひゅー、速ぇ」
「お主、何か着込んでおるな」
常人なら両断されているであろう一撃を身に受けたにもかかわらず、イゾウには堪えた様子もない。
着物の下に鎖帷子か、鉄板か、何やら防具を仕込んでいるのだろうと当たりをつけたのだ。
「いや、なんにも着込んじゃねえよ。ただ生えるだけだ」
「生えるだと?」
「こういうことだよッ!」
現れたのは、無数の刃であった。
イゾウの着物を内側から突き破り、数え切れないほどの刀身が姿を表したのだ。
「おれっちが大悪様から頂いた号は『斬悪』! 人間どもを斬り裂く刃をこの身からいくらでも生み出せるって寸法よ!」
文字通り、全身を刃と化したイゾウがユキヒサに向かって突進する。
無数の刀身が不規則に伸縮するため間合いが読めない。
とっさに欄干に飛び乗り、そこからさらに身を捻って宙を舞う。
「どうした、兄さん。曲芸を見せてくれたのか?」
頭上を飛び越えて着地したユキヒサに振り返りつつ、イゾウが挑発を口にする。
その顔面からも刀身が四方八方に伸びており、頭部の守りとなっていた。
「曲芸を見せているのはお主であろう」
「へっ、何を負け惜しみを!」
三度、イゾウがユキヒサに向けて突進した。
それに対し、ユキヒサは遠間から斬雪を振るいながら飛び退っていく。
「そんな遠くで刀を振っても当たらな……げぇっ!?」
走るイゾウの足元の板が割れ、足を取られて派手に転倒する。
先ほどユキヒサが斬雪を振るっていたのは、イゾウを狙ったわけではなく、橋板が壊れるように切れ目を入れるためだったのだ。
全身から生えた刀身が橋に刺さったために、イゾウは転倒したまま動けない。
ユキヒサはそれにゆっくりと歩み寄り、無数の刀身の隙間から首筋に向けて斬雪を伸ばした。
「そのような異能に頼って剣の基本を忘れるからこのような搦め手に簡単に引っかかるのだ。潔く降参し、大悪について知ることを話せ」
「馬鹿野郎……誰が降参なんてするかよ!」
そのとき、町の彼方から甲高い笛の音が響いた。
続いて、多数の人間が走る音と、武装がぶつかり合う音が聞こえてくる。
「御用だ、御用だ!」
「南町奉行所である! 神妙に致せい!」
通りの向こうからやってきたのは完全武装の同心や与力の群れだった。
騒ぎを聞きつけ、辻斬りの警戒に当たっていた者たちを集めたのだろう。
怪しい二人組みを見たことは、ユキヒサたちがツタヤの丁稚を使って番所に通報済みだったのだ。
ただの町人からの連絡であれば本気にされなかったかもしれないが、相手は大店にして情報の玄人であるツタヤである。
南町奉行所総出の警戒態勢が取られていたのだ。
橋の両端に刺又や梯子などの長物を構えた同心たちが並ぶ。
その中にはシナガワで出会ったオニガワラの姿もあった。
「ふむ、残念だが今日はここで切り上げねばならんようだ」
「おうおう、いまさら逃げられると思ってんのかよ?」
バンゾクの言葉に、ドウマンがにやりと笑う。
「明日、貴様らだけで北の雷鳴の刻にカンダ明神へ来い。そこで我らと闘うなら、大悪様についてよいことを教えてやろう」
「ああン? そんなまどろっこしいことはしなくても、この場でぶんのめして吐かせてやるよ!」
バンゾクが戦斧を振りかぶり、ドウマンへと襲いかかる。
だがその一撃が届く前に、ドウマンが錫杖の石づきで橋を思い切りついた。
凄まじい振動。
橋板が弾け飛び、橋全体がぐらりと揺れる。
バンゾクも思わず足を止めて踏みとどまった。
二撃、三撃。
ドウマンが錫杖を繰り返し叩きつけ、橋を破壊していく。
「くそっ! この野郎、橋をぶっ壊すつもりか!」
「では明日、楽しみに待っておるぞ」
仕上げとばかりにドウマンが足元を踏みつける。
橋はついに崩れ去り、橋の上にいた全員を巻き込んで落下した。
「ふははははは、愉快、愉快!」
橋の残骸とともに川に落ちたユキヒサたちの目に映ったのは、元は橋桁に使われていたのだろう1本の丸太に乗って川を下り去っていくドウマンの姿であった。
いつの間に拾ったのか、器用にも錫杖の先にイゾウを引っ掛けている。
「畜生……逃げられた!」
「不覚……!」
後に残されたのは、悔しさに顔を歪めるユキヒサたちと、橋の崩落に巻き込まれて負傷した同心たちであった。