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第二十四話 ユキヒサ、ツタヤを訪う之事

 料亭での食事を終えたユキヒサたちは、シナガワの宿で一泊したあと、ニホンバシにあるツタヤの店へと向かっていた。


 ツタヤは草双紙の版元というだけでなく、瓦版も手掛けている。

 瓦版というのは耳新しい出来事や事件などを1枚の半紙にまとめたもので、エド庶民の娯楽のひとつとなっていた。

 紙質は悪いがそのぶん価格も安く、飴玉ひとつと同じ程度という手軽さも人気の理由である。


 その瓦版のネタにするため、ツタヤは専門の記者を雇ってあれこれと噂話を収集するほか、一般から持ち込まれたネタの買取もしている。

 つまり、ツタヤにはエド中の情報が集まっているのだ。

 情報の中には大悪につながるものもあるだろう、というのがメガネの見立てである。


 ニホンバシに差し掛かろうというときだった。


「おやぁ、おねえさん面白い得物を持ってるねえ」


 小柄な男がバンゾクに突然声をかけてきたのだ。

 二本差しの侍で、髷を結わずに総髪を後ろに流しているあたり、浪人だろう。

 細面の顔は美形といえるのだが、怜悧を通り過ぎて酷薄な目つきがそれを台無しにしている。

 バンゾクが背負っている巨大な戦斧に興味を持ったらしく、背中に回ってじろじろと眺め回そうとしてきていた。


「いきなり気持ちわりいな。なんなんだ、てめぇは」

「こちらは用があるのだ。面白半分に付き合える暇はないぞ」


 男の不躾な態度にバンゾクがあからさまに不快感を表す。

 ユキヒサは男に注意をするとともに、バンゾクが怒って喧嘩にならないよう牽制する意味もあって言葉をつないだ。


「いやいや、このへんで戦斧なんて滅多に見ないんでね。つい面白くってさ」


 男は両手のひらを広げてみせ、おどけて笑う。

 そのさまは爬虫類が無理やり笑っているようで、なんとも言えない不気味さがあった。


「そっちの兄さんの腰のものもなかなかの業物みたいだねえ。ちょっと見せてくんない?」

「武士の魂を往来で、しかも初対面の相手に軽々しく見せるわけがなかろう」

「そう堅いこと言わずにさあ。見料くらいは払うよ」

「あいにく金には困っておらん」

「なんだよ、つれないなあ。こうしたら抜いてくれるかな?」


 ――チン


 と鍔鳴りの音がした。

 男が腰の刀の鯉口を切ったのである。

 ユキヒサもとっさに刀に手をかけ身構えた。


「バカモン、西の雷鳴も聞えんうちから何をしておる」


 男の背後からもうひとり、大男が現れた。

 一体どこに隠れていたのか、この瞬間までユキヒサもバンゾクも存在に気がついていなかった。

 大男は白い頭巾をかぶった山伏のような姿をしており、片手に錫杖を持ち、もう片手で小男の襟首を掴んで宙にぶら下げている。

 いくら小柄な男とはいえ、それを軽々片手で持ち上げるとはただならぬ膂力であった。


「だってさあ、こいつら面白そうなんだよ」

「面白そうでいちいち突っかかっていてはろくに道も歩けんぞ」


 大男はそう言うと、小男をぶら下げたままユキヒサたちに向き直り、軽く頭を下げた。


「拙僧はドウマンと申す者。連れがご迷惑をおかけしたようで謝り申す。どうかお許しくだされ」

「いや、かまわぬ。無礼はあったが、貴殿のおかげで結局は何もなかった」

「そう言っていただけるとありがたい」


 貴様も謝れ、とドウマンは小男をぶらぶらと左右にゆする。


「はいはい、謝りますよ。兄さんたちがちょっとばかり強そうだったんでね、気になっちまったんだ。悪かったなあ」


 小男の爬虫類のような笑いに、ユキヒサは背筋をすっと撫でられるような悪寒をおぼえた。

 それはバンゾクも同様のようで、隠す様子もなく露骨に顔をしかめている。


「それではこれにて失礼致す」

「おいらはイゾウってんだ。また会うことがあれば、そのときは頼んだぜえ」


 ドウマンはイゾウと名乗った小男をぶら下げたまま背を向けて遠ざかっていく。

 ユキヒサは無意識のうちに、ふうとため息をついていた。


「あの連中、只者じゃあねえな」

「ああ、かなりの手練だ。それに――」


 ――血の臭いが、した。


 * * *


「やあやあやあ、眼鏡亭先生。昨日の今日でよくいらっしゃいました」


 ツタヤに着くと、店の奥からツタヤの主人であるツタヤが揉み手をしながらにこにこ顔で姿を表した。

 ややこしいようだが、この時代のエド商人は屋号を通称としていることが多いため、このようなことがしばしば起こるのだ。


「校正が上がってきてますんでね、先生にはちょいとそちらの確認をお願いできますか?」


 そう言うと、丁稚に命じて紙束を持って来させる。

 メガネの原稿を清書した上で、そこに朱い墨で疑問や確認したい点などが書き加えられているようだ。


 メガネは歩きながらくずし字で書きつけるため、どうしても判読しづらい文字が出てしまう。

 それを確認するために、このような工程が挟まっているのだった。


「じゃあ、ちょいちょいっと確認しちゃうんで、ツタヤさんは二人の相手をお願いしていいっすか?」

「ええ、ええ、それはもう喜んで。眼鏡亭先生のお仲間でしたらこのツタヤにとってはもう先生と同じようなもの。上にも置かない歓迎をさせていただきますよ」

「あいや、拙者らは一介の素浪人。話を聞かせてもらえればそれでよい」

「そう遠慮なさらず。ささ、こちらへ」


 ツタヤは丁稚に茶と茶菓子の用意を言いつけて、ユキヒサとバンゾクを奥の座敷へと招いた。

 床の間に立派な掛け軸と、大きな絵皿の飾られた立派な部屋である。

 これみよがしに華美にするのではなく、落ち着いた佇まいの中にところどころ美品を置くのがツタヤの好みであった。


 茶と菓子を馳走になりながら、ユキヒサたちは要件を伝える。

 大悪というのはエド幕府の成立前後から何百年と伝わり続ける大妖怪だ。

 無数の手下を操り、アキツの各地で悪事をしては人々を苦しめている。


 タカシマでは代官が大悪に魅入られていたが、過去にはそれ以上の重大事も起きている。

 あくまで噂であるが、藩主が大悪の手先となり、幕府への反乱を企てたということまで伝わっている。


 そのような存在であるから、大悪は草双紙や芝居の敵役としても常連だ。

 一般庶民にもその名は知られており、瓦版のネタとなることも多かった。


「なるほど、未だ討たれていない大悪の枝や根の情報を探しておられると」

「大悪本体の居場所がわかりゃ、それが一番なんだけどよ」

「ははは、御公儀でも見つけられないものが一介の版元にわかるわけがございませんよ。ただ、ご想像の通り大悪絡みのネタは多いですね」


 ツタヤは再び丁稚に命じ、分厚い帳面を持ってこさせた。

 それをユキヒサたちの前に広げる。


「これは私どもに寄せられた大悪関連のネタの目録でございますな。あまりにも多すぎるもので、買い取っても瓦版にならないまま寝かしているものも多くございます」

「なに、そんなにも多いのか」

「すべて瓦版に仕立てようとしたら、アキツ中の版木職人をかき集めても難しいでしょうなあ」


 ツタヤの話を聞き、また目録を見てユキヒサは思わず顔をしかめた。

 重大な手がかりであることは間違いがないが、あまりにも数が多い。

 しらみ潰しに当たっていては、ユキヒサの魂が10回生まれ変わっても足りないだろう。


 どうしたものかと考えていると、襖が開いてメガネが部屋に入ってきた。

 手にした紙束をツタヤに渡す。


「お待たせっす。一通りチェック終わったっすよー」

「これはありがたい。少々拝見しますよ。……ふむふむ、これで版木の作業に入れそうですな」

「小生はデキる女っすからね。これくらいはちょろいもんっす」


 胸を反らして威張るメガネに、ツタヤは「いつもそうならありがたいんですが」と言いかけて咳払いをした。


「ともあれ、華奢な良家の美男と野蛮な大男同士の付かず離れずの恋、というのがなんとも新しいですな。これは売れますぞ!」

「なにぃ?」


 バンゾクがツタヤの手から紙束を取り上げ、ばさばさとめくって内容を調べると、筋骨隆々の男の背中を、繊手で撫でる細身の美男の挿絵が書かれていた。

 どう見てもユキヒサとバンゾクが手本となっているのは言うまでもない。


「おい、メガネ。これはどういうこった?」

「すまぬがツタヤ殿。この原稿には大幅な直しが必要なようだ」

「え、そんな困り……あ、いや、はい、わかりました!」


 殺気を放つ二人の迫力に押し切られ、ツタヤは反射的にうなずいていた。

 そして立ち上がった二人がメガネの前後を塞ぐ。


「メガネよ。このようなものは書くなと確かに申したと思うのだが」

「誤解っす! 他人の空似っす! 創作界隈じゃよくあることっす!」

「そんな言い訳が通じると思ってんのかコラ!」

「ペンは剣より強し! 言論の自由を守れっす!」


 未だ客も多いツタヤの店の奥から、メガネの悲鳴が響き渡るのだった。

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