第二十二話 ユキヒサ、番所に捕まる之事
「ええい、吐け! 正直に言わねば一生この番屋から出られぬものと思え!」
「だから先ほどから申しておろう。拙者らは今日エドに入ったばかりで、シンジュクなどには近づいてもおらん」
「つまらぬ嘘を申すな! 貴様らを見たと証言するものがおるのだ!」
「けっ、そいつの目がおかしいじゃあねえのか?」
「貴様の格好のほうがよほどおかしいわ!」
「ンだとこらぁ!」
「わわわ、バンゾク、こらえるっす。相手は同心っすよ!」
ユキヒサたちがいるのは番屋だった。
街道を東に進み、シナガワの宿場町に入った途端に同心や岡っ引きに囲まれて連行されたのである。
何かの濡れ衣を着せられているようだが、町役人に追われるおぼえなどない。
すぐに誤解も晴れるだろうと素直についていったところ、長々とした尋問が続いてしまっているのだ。
「だいたい、どんな事件があったというのだ。それもわからなければ釈明のしようもないぞ」
「釈明だと……。やはり言い逃れをしなければならん心当たりがあるのだな!」
「なぜそうなる……」
尋問を担当している同心が訪ねてくる内容は、何日前にはどこにいたかという質問ばかりだった。
江戸市中にはいなかったので正直に答えると、噓をつくなとまた同じ質問を繰り替えされる。
いい加減、ユキヒサも相手をするのにうんざりしはじめていた。
「三人とも一緒に旅してたんすから、アリバイは鉄壁じゃないっすか」
「身内の証言など当てになるか。だいたい、貴様も戯作者の名前を騙るなど浅知恵にもほどがあるぞ」
「だから嘘じゃないっすって」
「ふん、大方わざわざ裏など取るまいと侮っておるのだろうが、版元のツタヤに確認の使いをよこした。噓とわかればもう言い逃れはできぬぞ」
「いや、むしろ早いところ連れてきてほしいっす……」
また堂々巡りの水掛け論がはじまろうとしたとき、番屋の戸が開いて一人の中年男が連れてこられた。
恰幅がよく、上等な着物を着ている。
「ああああーーーー!!!! これは眼鏡亭先生! いつまでもエドに戻らないと思ったらこんなところで何を油を売ってるんですか!」
「だからエドに戻ってきたんすよ! そこをなんかよくわからない濡れ衣で捕まったんす!」
「締め切り破りの罪でついにお縄になったんで?」
「そんな御定法はないっす! ああ、もう原稿がたまったから納めようと思ったのに……今後はツタヤさん以外のところでお願いすることに決めたっす」
「あはははは、先生、冗談を真に受けてはいけませんよ。ささ、籠を呼びますんでこんなところはさっさと出ましょう」
二人は役人そっちのけで話をはじめ、そのまま外へ出ようとする。
あっけにとられていた同心が、その背中に慌てて声をかけて引き留めた。
「ま、待て! いや、お待ちください。その……その眼鏡の女性が本当に三代目眼鏡亭幸福的結末保証得多利真千歩隈飄香管斎で?」
「だからずっとそう名乗ってたじゃないっすか。小生は間違いなく三代目眼鏡亭幸福的結末保証得多利真千歩隈飄香管斎っす!」
「これは大変失礼をばいたしましたーっ!」
同心はぱっと土間に飛び降り、地に額をこすりつけんばかりの土下座をした。
唐突な出来事に、ユキヒサとバンゾクは思わず目を丸くする。
「メガネは本当に高名な戯作者だったのだな」
「つーかよう、あのクソ長い雅号をちゃんとおぼえてるやつがいたんだな」
何が何やらいまひとつ事情が呑み込めないままだったが、詫びがしたいという同心の提案を受け入れて近場の料亭で食事をすることになった。
* * *
ユキヒサたちの前に、見たことのない料理が載った盆が置かれていた。
団子よりも少し大きく丸めた米に、色とりどりの具材が合わせてある。
まるで多様な貴石を並べたような料理だった。
薄く紅色の何かが巻かれたものを一粒口に放り込んでみる。
ほどよい甘みと酸味、米は酢飯のようだ。
それに独特の香気をともなう魚の旨味が口中に広がった。
「先生方、お口に合いましたでしょうか」
「うむ、これは面白いな。酒の肴にちょうどいい」
「うめぇけど、もっとでかく握れねえのか? ちまちましててどうもケチくせえ」
「寿司の一種みたいっすけど、小生も食べたことがないっすねえ」
「手毬寿司と言いまして、この料亭が近頃はじめた新作なんですよ」
料理の説明をしているのは同心だ。
先ほどとは打って変わって揉み手の低姿勢である。
なお、料亭で饗応を受ける面子の中にツタヤはいない。
メガネから原稿を受け取ると早籠に乗ってさっさと帰ってしまった。
なんでも眼鏡亭の新作はまだかと貸本屋や読者から矢の催促を受けて難渋していたらしい。
一日でも早く新刊を刷るために、時間を無駄にはできないとのことだった。
「それにしても、言っては悪いがこんな上等な店の代金は同心の扶持では厳しいのではないか?」
「酒も上等だしなあ」
バンゾクが、猪口に継がれた透明な酒をうまそうに舐める。
「いやはや、さすが先生方はご慧眼だ。じつはちょっとしたお願い事がございまして……」
「面倒ごとなら嫌っすよう」
「いえいえ、そんな大層な手間を取らせるものではありませんので!」
そう言うと、同心はぱんと手を叩く。
すると襖を開けて、一人の女中がするすると入ってきた。
年のころは三十前後か、同心よりもいくらか年下といった風である。
「実は拙者もこの店の若女将も、眼鏡亭大先生のふぁんというやつでして、ぜひこちらの草双紙に一筆をいただけないかと」
「なるほど、小生のサインが欲しかったんすね。そんなことならお安い御用っすよー」
「ついでに、こう、店の看板にも『三代目眼鏡亭御用達』などと書いていただけますと……」
「うんうん、『蟲毒の美食』も売れたっすからねえ。小生のお墨付きとなれば繁盛間違いないっす」
(おい、若様。『蟲毒の美食』なんて本でメシが食いたくなるもんか?)
(わからん。それがエドっ子気質というものなのだろう)
(ホントかよ。この寿司にも変な虫とか入ってねえだろうな……)
(滅多なことを申すな。食欲がなくなる)
未知の話題で盛り上がるメガネたちをよそに、ユキヒサとバンゾクは小声で話しながら、若干腰が引けつつも料理と酒を味わうのだった。