第二話 ユキヒサ、ごろつきを退治する之事
マエナガ藩の隣藩、ヌノイチ藩。小藩ながらも良質な漁場を抱えており、豊富な海産物で民も藩財政も比較的豊かな土地だ。
とくにコオリエビを干したものが名物で、全国に売り出しつつ、将軍家への献上品にも選ばれている。
ユキヒサは、そのヌノイチ藩の宿場町にある煮売り酒屋にいた。
箸をつけているのは干しコオリエビにすり下ろした根菜を和えたものだ。香ばしい干し海老はほどよい甘みがあり、それを根菜の辛味が引き立て、酒がよく進む。
堅物のユキヒサだが、酒豪であったと伝わる藩祖イエヒサにならって酒はよく嗜んでいた。
「ようよう、おねえちゃん。こっちで酌してくんな!」
「ここはそういうお店じゃありません!」
「硬ぇこと言うんじゃねえよ。おらっ、こっち来い」
「未通娘じゃあるめぇし、ちょっと付き合えや」
「やめてください!」
ガシャンと食器の割れる音。
ユキヒサが目を向けると、ごろつきに手を掴まれた女給が料理の載った盆を取り落していた。
ユキヒサはすっと席を立ち、ごろつきに向かって歩み寄ると、女を掴んでいる指を取って容赦なく捻り上げる。
「いでででででで! てめぇ、何をしやがる?」
「指を捻っておる」
「そんなこたぁわがっ……いででででで! やめろっ!」
「おお、痛かったか。それはすまなかったな。やめてやろう」
ユキヒサが無造作に手を払うと、どんな手妻かごろつきは三和土を転がって店の外まで放り出された。
「てめぇ! 何しやがった!」
「俺たちをオニビ一家のもんだと知ってんのか!?」
「ただじゃおかねえぞ!」
ごろつきの仲間がいきり立つが、一方のユキヒサは涼しい顔だ。
「ただじゃおかんとは小遣いでもくれるのか? それはありがたい」
「そんなわけがねえだろうが!」
ごろつきのひとりが殴りかかってくるのを半身になってやりすごす。
すれ違いざまに足を払うと、ごろつきの身体は半回転して店の外まで飛び出した。
「店の中では埃が立って迷惑だ。外に出るぞ」
「なめてんじゃねえぞ、男女がぁ!」
ユキヒサは店の外へ向かって歩きつつ、背中から殴りかかり、掴みかかってくるごろつきたちを次々に放り投げていく。
華奢な男が体格に勝る荒れくれたちを紙くずのように投げ飛ばすさまに、女給や店内の客たちはあやかしにでも化かされているのかと目をこすった。
だが、これは魔術でも妖術でもない。
マエナガ藩に伝わる柔の技法、アイキを使っているのだ。
藩祖の妻、トモエ御前が身を守る力を持たない女子供の護身のために編み出した武術である。
男に比べ膂力に劣るユキヒサは、弱点を補うためにこれをよく修めていた。
「優男だと思って加減してやってりゃあ調子に乗りやがって……」
「そのおきれいな顔をずたずたに切り裂いてやるから覚悟しやがれ!」
ユキヒサが店を出ると、ごろつきたちが手に手にドスを握って待ち構えていた。
相手は6人。しかも刃物を抜いている。
だがユキヒサに動揺した様子はいささかも見られない。
藩の巡察に加わり、流れの野盗や邪妖を退治した経験などいくらでもあるのだ。
町のごろつきに凄まれた程度でいまさら臆するユキヒサではない。
「覚悟と言ったか?」
「ああ? 言ったからなんだってんだ!」
「あいわかった」
瞬間、ユキヒサの右手が消えた。
否、あまりの速さの抜き打ちに見ることさえもかなわなかったのだ。
いつの間にか右手に抜き身の刀を下げているユキヒサの姿に、ごろつきたちが目をむく。
「ど、どういう仕掛けだ? 手妻でも見せようってのか!?」
「もう見せた」
ユキヒサが刀を鞘に納める。
すると、ごろつきたちのドスが根元から折れ、地面に落ちた。
「な、ななな、何をしやがった!」
「手妻だな。それより帯はちゃんと締めろ。見苦しいぞ」
「はぁ?」
怪訝な顔をしたごろつきたちの帯が二つに裂かれ、はらりと落ちる。
ごろつきたちは腰を抜かして尻餅をつき、がたがたと震えはじめた。
「お、おれたちが悪かった!」
「調子に乗りすぎた、すまん!」
「命だけをお助けを!」
あれだけ強気だった態度が一変、ごろつきたちは地に額をこすりつけ、両手を合わせて命乞いをはじめる。
「よかろう。命を取るほどのことではない」
「ほ、本当か? 嘘じゃねえよな……?」
「ああ、武士に二言はない」
「た、助かった……」
ごろつきたちが恐る恐る顔を上げ、ユキヒサの様子をうかがうと、氷のように冷たい視線が見下ろしていた。全身が凍りついたかのように硬直する。
「だが、またかような狼藉を行い、民に迷惑をかければ、次はその首を落とす。よいな? 武士に二言はないぞ」
ごろつきたちは再び平伏し、額を地面にこすりつけた。
「ふむ、これで懲りたであろう。騒ぎにしてすまなかったな」
ユキヒサは振り返り、別人のように涼やかな微笑みを浮かべた。
エドで一番人気の役者が錦絵から抜け出たような、否、それにも勝る美しさ。背景にサクラ吹雪が舞い散るさまが幻視される。
店の中から様子をうかがっていた女給や客たちは「うっ」と胸を押さえてその場に崩れ落ちる。
「あたい……赤ちゃんできたかも」
「おいら、男でもいける気がしてきた」
「いっそ、あっしのあっしを切り落としてほしい……」
店内の人間がばたばたと倒れていく様子に、ユキヒサは何事かと動揺する。
「む、どうした? 怖がらせてしまったか?」
「おうおうおうおう! 仮にもお侍が町人をいじめるたぁ見過ごせねぇな!」
ユキヒサは、突如聞こえた声の主に視線を向ける。
そこに立っていたのは、浅黒い肌をした女だった。
背丈は普通の男よりも頭一つ大きい。
袖がなく、丈の短い革製の胴着を素肌の上に身に着け、腹がむき出しだ。
下袴は大胆に切れ込みが入っており、歩くたびに豊満な太ももがちらちら覗く。
隆々たる筋肉をまとっており、二の腕や胸元に入れ墨が入っていた。
見たこともない柄で、喩えるならば、さしずめ黒い炎とでも言うべきか。
言いようもない不吉な感情を呼び起こす奇怪な紋様であった。
そして何より異様なのは背中に負った鉄塊だ。
背後に回って確認せずともわかるほどの巨大な得物。
どれだけの膂力があれば振るえるのか、大柄な女の肩幅よりもさらに広い戦斧の両刃が見えていた。
「見たところどっかのボンボンか。まともに叱ってくれる親がいねぇんなら、オレが代わりに世間を教えてやらぁ!」
「待て、何か誤解があるぞ」
「言い訳無用!」
巨大な戦斧が、凄まじい速度でユキヒサに襲いかかった。