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第十八話 ユキヒサ、老婆から話を聞く之事

「ご老人、事情を聞かせてもらえぬか」


 ユキヒサたちは、老婆の住む母屋で囲炉裏を囲んでいた。

 捕らえた異形は縛り上げたまま土間に転がしてある。

 老婆は震えながら、ぽつりぽつりと話をはじめた。


 * * *


 老婆がこの漁村――印州升(いんすます)村――に住みはじめたのは、もう何十年も前のことだった。


 近隣の農村からいまは亡き夫に嫁いできたのだ。

 はじめのうちは慣れない海の仕事に苦労をしていたが、親切な村人たちに教えられ、数年も経つうちにすっかり馴染むことができた。


 当時はこの漁村も寂れておらず、なかなかの活気だったらしい。

 このあたりの海は豊かで、質の良い海の幸が獲れたのだ。

 それを求める人々が集まり、周辺の村や町とも盛んに行き来があった。


 しかし、この霧が出るようになってだんだんと様子が変わっていった。

 まず穫れる魚介が奇形や見たことのない種類のものばかりとなった。

 見るからに不気味なそれを買いたがるものはなく、村を訪れるものはめっきり少なくなった。


 村人たちとて食べたくはないが、外から食料を買う金もない。

 漁のかたわらに営んでいた田畑からの収穫と、奇形の魚介が村の食事となった。


 ――それからだ。村で生まれる赤子の顔が奇妙になったのは。


 鼻と顎が妙に前に突き出て、目が丸い。

 まるで魚のような顔をした赤子ばかりが生まれるようになったのだ。

 老婆も二人の子どもをもうけたが、やはり同じような顔つきであったそうだ。

 そんな子どもたちが増えると、村はますます周辺から気味悪がられた。


 ――印州升の魚を食うと、印州升面(いんすますづら)の子どもが生まれる。


 こんな噂が立つと、村は坂道を転げるように衰退していった。

 たまに獲れたまともな魚まで誰も買わなくなってしまったのだ。

 追い打ちをかけるように霧が発生する日も増え、漁に出ることさえおぼつかなくなる。


 しかし、不思議なことに印州升面の子どもたちは霧を苦にしなかった。

 まるで霧の向こうを見通しているかのように、濃霧の中でも平気で遊び、迷わずに帰ってくるのだ。


 やがて子どもたちが成長し、彼らが漁をすることで村が成り立つようになった。

 快適な生活とは言い難いが、なんとか食べていける。

 当てもなく見知らぬ土地に移ったところで暮らしていける保証もない。

 そうなると住み慣れた村からわざわざ離れようとも思えず、多くの村人はそのまま村に留まった。


 そうして何十年もするうちに、村の者たちはみんな印州升面になった。

 普通の顔をした人間はいまや老婆のみ。

 村の中心近くには住みづらく、やがて隠居のように村外れの廃屋を手直ししてそこに住むようになり、いまに至るという。


 * * *


「なかなか興味深い話っすねえ。あれ、バンゾク、なんで青い顔してるんすか?」

「うるせーな。こういうまどろっこしい話は苦手なんだよ」

「あっ、もしかしてお化けとか苦手なんすか? 可愛いところもあるんすねえ」

「ば、馬鹿野郎! オレに怖いもんなんてあるか!」

(かわや)にひとりで行けなかったらついてってあげるっすよ」


 老婆の話を紙束に書き付けていたメガネが、様子のおかしいバンゾクをからかう。

 それを聞き流し、瞑目して話を聞いていたユキヒサが口を開いた。


「なんとも面妖な話だが、肝心のこやつらの正体がわからぬぞ」


 と、老婆に問いかける。

 老婆はじっと黙った後に、絞り出すような低い声で言った。


「こやつらはな……元はこの村の者たちだったんじゃ……」

「これが人間!?」


 驚いたユキヒサが思わず尋ね返してしまう。


「信じられないじゃろうが、本当じゃ。この村の者は歳を取るごとに顔が変わっていってな。そのうちに鱗が生えはじめて、三十か、四十になるころには海に行ったきり戻ってこなくなる」

「なんという……」

「それも、ひょっとするとわしの息子かもしれん」


 老婆が土間の異形を指差した。

 三人は絶句して改めてそれをまじまじと見る。

 見た目は魚に人の形を与えたような姿だが、指の間にはヒレがあり、脇の下には(えら)のようなものまである。

 到底これが元人間だとは信じられなかった。


「こんな霧の濃い日にはな、北の雷鳴の後に海岸へ来て恐ろしげな儀式をしておるのじゃ。昔も一度、旅人がそれを見に行ったことがあっての。それきり帰って来んかった」

「それでご老人は我らに北の雷鳴を過ぎたら海には近づくなと忠告をされたのか」


 ユキヒサの言葉に、老婆はむっつりとうなずいた。


「とても見過ごせぬ怪異だが……」

「こんな見た目でも、元が村人って言われちゃあなあ……」


 ユキヒサとバンゾクは、腕を組んで眉根を寄せている。

 民に害をなす邪妖であれば迷いなく斬り捨てられるが、元が民だと言われてはそう簡単に割り切れない。


「原因が霧なのか、食べ物なのかわからないっすけど、そんな風に人間を作り変える邪妖っていうのは小生も聞いたことがないっすねえ」


 メガネも同じく、腕を組んで首をひねっている。


「いや待て、邪妖ではないが、大陸のある国で神霊を使って人を人ならざるものに変える試みがされたことがあるはずだな」

「おお、なんすかそれ! 気になるっす」


 人間を作り変えると聞いて、ユキヒサはかつて読んだ書物の内容を思い出した。

 大陸のある国では「勇者」と呼ばれる特別な戦士たちを創り出し、精神も肉体も通常の人間を超えた()()にするのだという。


 それに用いられるのは特殊な薬物と信仰だ。

 一般にはあまり知られていないが、神は人々の願いや想いが折り重なってできる常の生き物とは異なる(ことわり)を持つ生き物なのである。

 薬物によって洗脳した狂信者を使って人工的に神を創り出し、その神の加護によって狂信者を強くするというのが「勇者」という仕組みであった。


「となると、この辺の神社なんかにヒントがあるかもしれないっすねえ。おばあちゃん、なんか知らないっすか?」

「ずっと参る者もいない廃社(はいしゃ)ならあったと思うんじゃが……」

「ならば、そこを調べてみるか」


 メガネとユキヒサが立ち上がろうとするのを、バンゾクが引き止めた。


「その前にこいつを起こして話を聞いてみねえか? 元人間ってんなら言葉は通じるんだろうよ」

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