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第十七話 ユキヒサ、祈祷を聴く之事

 その翌日、ユキヒサたちは濃霧の中を老婆について歩いていた。

 急な客人で食料の蓄えが乏しくなったので、買い出しの手伝いを頼まれたのだ。


 買い出しと言っても町のように商店があるわけではない。

 漁師の集まる集落まで行き、必要なものを譲ってもらうのだ。

 流れの行商が来ることもあるそうなのだが、このように霧が濃い日にやってくることはないという。


「それにしてもよ、昨日のアレは何だったんだろうな?」

「考えたところで詮無いこと。また同じ怪異があれば見極めればよい」

「またあるといいっすねえ」


 三人は老婆に聞こえないよう小声で会話をしている。

 対価は渡しているとはいえ、一宿一飯の恩人の言いつけを破って海に近づいたのだ。

 正面から昨日目撃した事態を話せるわけもなかった。

 あるいはまた、老婆もあの集団と関わりがあるものかもしれないのである。


 霧に身体を濡らしながら細い道を進んでいくと、やがて建物がまばらに見えてきた。

 いずれも老婆の家と変わらぬ破れ屋で、知らぬものには廃村にしか映らない。

 白くねっとりした霧の中で、幾人かの人影が漁具の手入れをしているようだった。


「この村のもんはよそ者が嫌いでな。お客さん方はあまりうろちょろせんように頼むよ」


 三人は老婆の言葉に素直に従い、黙って老婆の後をついていく。

 先ほどからあちこちから盗み見るような視線を感じていたが、排他的な田舎では珍しくもないことだ。

 気持ちの良いものではないものの、取り立てて不快ということはない。


 やがて一軒の家の前に立ち、老婆が戸口を叩く。

 引き戸がずるりと開いて、中から男がひとり姿を現した。


「なんだ。ばあさんか。飯はまだアったろウ?」

「急な客でね。足りなくなっちまったんじゃ」

「ふウん……」


 背後を指し示す老婆に、男は興味なさげに答える。

 鼻と顎が前へと妙に突き出た異相の男であった。

 それが原因なのか、酒を飲んでいる様子もないのにろれつの怪しい話しぶりだった。


 男は小屋の奥に姿を消し、すぐにまた戸口へと出てきた。

 両腕には大きな袋がそれぞれ抱えられている。


「片方はコメ、片方は干物だ。これだけあリャ、しばラく足りルろ?」

「ああ、ああ、十分じゃ」

「代金」


 袋を足元に置いた男が片手を差し出すと、老婆は身をかわしてユキヒサに視線を送る。

 ユキヒサは黙って品物に見合いそうな銭をその手に載せた。

 男はやはり興味なさそうに手のひらの銭を見ると、また小屋の奥に姿を消した。


「さて、この婆じゃこんなには持って帰れないからね。頼んだよ」

「あいわかった」

「こんなもんなら楽勝よ」


 バンゾクが割り込み、袋を掴んで軽々と両肩に載せる。

 それを見て老婆が「ほう」とため息をついた。


「大した力持ちだね。そのへんの漁師も顔負けじゃ」

「鍛え方が違うんだよ、バアさん」


 褒められたバンゾクは素直に上機嫌になり、2つの袋をお手玉のように代わる代わる放ってみせたりした。

 とても人間業とは思えない剛力に、老婆は目を丸くしてしゃしゃしゃと笑う。


 霧が晴れるまでは薪割りでも手伝ってもらおうかねえ、などとつぶやく老婆を先頭に、ユキヒサたちは霧の道を戻っていった。


 * * *


 その日の北の雷鳴の刻が過ぎた頃。


 ――い……あ……はす……

  ――ぶる……む……ぐ……とむ

   ――あい! あい!


「おい、またアレが聞こえてきたぜ」

「何かの(まじな)いっすかね?」

祈祷(きとう)のようにも聞こえるな」


 今回は小屋の中でしっかりと待ち構えていた。

 確証はないが、大悪(たいあく)の枝のひとつであれば、大悪そのものに近づく手がかりになるやも知れないのだ。

 そうなればユキヒサにも否応(いやおう)はない。


 大悪は悪心を持つ人間や、邪妖に自らの力を分け与え、また大悪もそうして手先にしたものたちから力を得る。

 大悪は人々の負の感情を力の根源としていると言われている。

 宿場町のオニビも、代官に取り憑いていた金悪も、人々に害をなすことで大悪の力となっていたのだ。


 ユキヒサは漁村の寂れた様子を思い浮かべる。

 ひょっとすると、あの村の人々を霧で苦しめ、そこから力を得ているのかもしれない。

 そう考えると、斬雪の鞘を握る手に知らずしらず力がこもった。


 そっと戸を開け、足音を殺して篝火へと向かう。

 昨日と同じ轍を踏まぬよう、あらかじめ進む道を決め、音を立てそうな障害物は取り除けておいた。


 近づくにつれ、篝火を囲んで人影の姿がはっきりしてくる。

 呪文とともに、ぬちゃぬちゃと湿った足音まで聞こえてくる。


 ユキヒサたちの目が捉えたものはまさしく異形であった。

 輪郭はおよそ人間と同じであるが、衣服は身に着けず、てらてらとした鉄色の鱗が全身を覆っている。


 その眼にはまぶたも白目もなく、ただ漆黒の円であった。

 いや、正確には眼球の有無さえわからない。

 ひょっとしたら眼球そのものがなく、空洞があるだけなのかもしれなかった。


「あのような邪妖は書物でも見たことがないな……」


 ユキヒサのつぶやきに二人がうなずく。

 水霊の力が強いアキツ周辺ではそもそも海に棲む邪妖がまれなのだ。


「しかしどうする、若様。斬り込めば何匹かは倒せるだろうが、ほとんど逃げられちまいそうだ」


 バンゾクの問いに、ユキヒサは腕を組んで考え込む。

 すぐそばは海なのだ。

 そこへ飛び込まれてしまえば追いかけようがない。

 また、仮にこの儀式に集まっているものを一網打尽にできたとしても、他に仲間がいる可能性も否定できないのだ。


「1匹生け捕りにしてみるっすかね。……言葉が通じるかわかんないっすけど」


 どこからか取り出した細縄を取り出したメガネにうなずき、ユキヒサは身構えた。

 そして息を合わせて身を隠していた岩陰から一斉に飛び出す。


 闖入者に驚いた異形たちは海に向かって逃げ出す。

 想像以上に素早く、ユキヒサもバンゾクも得物を振るう隙さえなかった。


 だが、岩場には1匹の異形が取り残されていた。

 メガネが縄を投げつけ、足に絡みつけて捕らえたのだ。


「ちょっ、こいつすごい力っす!」


 反対に引きずられそうになるメガネの身体をユキヒサが支え、バンゾクが縄を掴んで一気に手繰り寄せる。

 そのまま縄で縛ろうとするが、めちゃくちゃに暴れる上にぬるぬるとした粘液にまみれていて上手く取り押さえられない。


「ええい、しゃらくせえ! 大人しくしやがれッ!」


 苛立ったバンゾクが大声で一喝すると、異形は泡を吹いて動かなくなった。

 エンキョウによって意識を奪ったのだ。

 大人しくなった異形をメガネが縛り上げ、バンゾクが縄を掴んで片手でぶら下げる。

 小屋へ戻ろうとすると、陸の方から震える声が聞こえてきた。


「あああ……客人たち、なんと恐ろしいことをしてくれたのじゃ……」


 声の主は、真っ青な顔を引きつらせた老婆だった。

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