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第十六話 ユキヒサ、怪異に出逢う之事

 ――どろどろ

  ――どろどろ


 離れの小屋に入ってしばらくして、外から雷鳴が聞こえてきた。

 北の雷鳴の刻だ。

 濃霧が音を妨げるのか、普段聞くそれよりもおどろおどろしく、どこか濁っているように聞こえた。


「おっ、北の雷鳴だな」

「海に近づくな、海を見るなってわざわざ言われると気になっちゃうっすよねえ」


 待ってましたとばかりに腰を上げたのはバンゾクとメガネだった。

 二人とも老婆の忠告でかえって好奇心が刺激されてしまったらしい。


 離れは母屋と同じく、一見して廃屋にしか見えない破れ屋だった。

 壁に空いた穴から外を覗こうとするバンゾクとメガネをユキヒサがたしなめる。


「おい、老人の忠告は聞くものだ。そもそも年長を敬う精神というのはだな……」


 ユキヒサが古典を引いて説教をはじめるのを二人がしかめっ面で聞いている。

 率直に言って興味はないのだが、真面目に聞いた姿勢だけでも見せないとしばらく機嫌が悪くなるのをこれまでの旅で知っているのだ。

 うんうんとうなずきつつ、心は上の空で、関心は完全に海へと向けられていた。


 ――い……あ……はす……

  ――ぶる……む……ぐ……とむ

   ――あい! あい!


 ユキヒサの説教に熱が入りはじめたころに、外からかすかに声が聞こえてきた。

 遠くで大勢が騒いでいるような、そんな声だった。


「おお、祭りでもやってんじゃねえか?」

「ひなびた漁村に伝わる秘密の奇祭……(おもむき)があるっすねえ」

「こら! 二人とも話は終わっておらぬぞ!」


 声に興味を惹かれた二人が正座を解いて板壁に張り付く。

 壁の穴から外を覗くと、不規則な凹凸の岩場の先に無数の人影が見えた。


 白くねっとりと漂う霧にさえぎられてはっきりは見えないが、篝火(かがりび)を囲んで大勢が何やら踊っているようだ。

 まるで全身の骨がないかのように身をくねらせる人影の群れに、二人はますます興味をそそられた。


「おい、若様。ちょっと見てみろよ。こいつぁなかなか見ものだぜ」

「あの老人が見るなと言ったのだ。見られたくないものでもあるのだろう。それを覗くのは武士にあるまじき不徳だ」

「ひょっとしたら大悪(たいあく)絡みかも知れないっすねえ」

「なにっ!?」


 はじめは渋ったユキヒサだったが、大悪の名を聞いて板壁に取り付く。

 ユキヒサの目にも二人が目にした奇妙な光景が映った。


「これは面妖な……」

「だろ? ちょっと近くで見てみようぜ」

「あっ、小生も行くっすよ!」

「こら、二人とも!」


 バンゾクとメガネが小屋を出て人影の方へと向かうのをユキヒサも追いかける。

 といっても、ユキヒサもすでに人影の正体を確かめたい方向に気持ちが傾いていた。

 邪妖の気配は感じていなかったが、尋常ならざる雰囲気は明らかだったのだ。


 足音を忍ばせて岩場を進む。

 ざあざあという潮騒の音と、奇妙な掛け声が入り混じって聞こえてくる。


 ――いあ! いあ! はすたあ!

  ――はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん

   ――ぶるぐとむ ふんぐるい むぐるうなふ……


 祭りの熱気が最高潮に高まったのか、人影の動きが一層活発になる。

 その光景はまるで、無数の触手を持つ巨大な生き物がうごめいているかのようだった。


 がらり、と何かが崩れる音が聞こえた。

 前を行くバンゾクが石を蹴ってしまったらしい。

 それと同時に人影の動きがぴたりと止まり、ぴちゃぴちゃとした足音が一斉に遠ざかっていった。

 そして、ざぶり、ざぶりと何かが水に飛び込む音が霧の向こうから届く。


 ユキヒサたちは人影を追い、篝火のそばまで駆けて足を止めた。

 そこは小高く平らな岩場となっており、その先は海に続く崖となっていたのだ。


「ここから海に飛び込んだのか?」

「こんな波の荒ぇ場所、普通の人間じゃ泳げねえぜ」

海女(あま)さんでもここは無理っすねえ」


 三人が崖下を覗き込んでいると、ぬるりとした風が吹き、焦げ臭いような、生臭いような不快な臭気が鼻を突いた。

 その臭いは篝火から発せられているようだった。

 メガネがそのあたりで拾った流木で篝火をいじっている。


「うひゃあ、何を燃やしてるんすかねこれ。海藻みたいな、女の髪の毛みたいな……」

「なんにせよろくなもんじゃねえよ。こんなもんはこうだ!」


 バンゾクが篝火を蹴飛ばし、海に落とす。

 篝火は複雑な岩場にぶつかりながら落ち、渦巻く波に呑まれて姿を消した。


 ユキヒサは二人に構わず、かがみ込んで足元を指でなぞっている。

 指先に生臭く、ぬるぬるとした粘液がついた。

 その指を鼻の近くに持っていき、臭いをかぐ。


「死んだ魚のような臭いだな……」

「さっきの連中の身体から出てたのか?」

「間違いなくまともな人間じゃなかったみたいっすねえ」


 岩場に撒き散らかされた粘液にバンゾクとメガネが露骨に嫌な顔をする。

 先ほどまで篝火の臭いでごまかされていたが、今度は別種の臭気を感じてきたからだ。


「なんにせよ、ここにいても仕方があるまい。小屋に戻るぞ」

「そうだな。このまんまじゃ鼻が曲がっちまうぜ」


 踵を返したユキヒサとバンゾクに、メガネがやや遅れてついていく。


「ひょっとして、さっきのが人魚なんすかねえ?」


 メガネのつぶやきに、二人は「だとしたら絶対に食いたくねえな」「まったくだ」と苦い顔で返すのだった。

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