⑤侯爵家当主、ダナン・ヘンリソンの疑問
王都迄の短い旅は、ライラにとっては全てが夢のようだった。
肩を貸してくれた旦那様。
食事を与えてくれる旦那様。
お姫様抱っこでベッドまで運んでくれた旦那様。
子供と戯れる旦那様。
寝た素振りで見た、難しい顔をする旦那様。
『旦那様』という文字にこちらがゲシュタルト崩壊を起こす程、ライラの脳内は『旦那様』こと、ルーファスだらけである。
『その全ての麗しきお姿を焼き付けた、この網膜を取り出し、映像化したい』と些か気色の悪い事を思い、ずっとフワフワした気持ちでいたライラ。そんな地に足の着いてない様子の彼女を、またルーファスが必要以上に心配し甘やかす……
そんなループが続いた王都への往路。
余談だが、伯爵家御一行は皆、ライラの気持ちを知っている。だが旦那様の甲斐甲斐しさはハッキリ言って意味がわからず……妙に気疲れさせられていた。
彼等には同情を禁じ得ない。
しかし、その過度な接触と近すぎる距離感のおかげで、好き過ぎてどうにもならなかったライラのルーファスへの態度は、漸く大分改善していた。
これで一先ず、ダンスは安心だ。
──ただ、気になることはまだ沢山ある。
そのうちのひとつを、ライラだけでなく、当然ながら侯爵家の皆が気にしている。
『彼女のことは、私にお任せください!』
ルーファスの、例の発言である。
「……ライラ」
「はい」
ライラの父である、ヘンリソン侯爵家当主、ダナンはルーファスが辞した後、娘を私室に呼び付けた。
「アレは、どういう意味合いなんだね?」
ふたりが上手くいっているにしては、帰るのがあまりに早すぎる。「この先の事は後日改めて」──みたいな話も一切なかった。
娘を通して以外の直接的な関わりはないにせよ、そこは貴族。社交界でルーファスの話は耳にする。
耳にしたルーファスの話は主に見た目からのいい加減な噂が殆どではあったが……それ以外に関しては、むしろ評判が良い。
今回の子供達の一件も然り。見た目とは逆なことでそのギャップも相成り、彼と接した者は概ね良い印象を抱いているようだ。
しかもそれは、男性のみ。女性の影も形も見当たらない。それはもう、哀しいくらい。
そんな『案外人たらし』となんだか中途半端な評判の、北の辺境伯、ルーファス・ブラッドロー。
彼の発した言葉の意味を、ダナンは測りかねている。
──しかしそれは、ライラもである。
『こっちが聞きたいくらいです』とも言えず……返事に窮した。
「……上手くいっているのか?」
「……おそらく……」
「『おそらく』?!」
「いえあのっ、……以前より?」
「『以前より?』?!」
「というか…………急激に?」
「『急激に?』?!?! ──全然話が見えん! 大体なんでいちいち疑問形なんだ!!?」
「そう仰いましても……」
なんでこうなっているのかサッパリわからないので仕方ない。ただライラとしては、どうあれもう少し待って頂きたいところ……折角普通、いや普通寄りに接することが出来るようになったのだから。
──そんなわけで
「まあまあお父様! 兎にも角にも舞踏会!!……舞踏会が終わってからまた報告致しますから!……ね?!!」
と、ライラは無理矢理押し切った。
どのみち言い出したら聞かない娘である。
ダナンは諦めて、経過を見守る事にした。
既に5年──今更数日増えたところで大したことではない。
ただし、それはそれだ。
ダナンとて、22の娘をこのまま放置しておくつもりはない。
「よしわかった。 ──だが場合によっては、王都にいるうちに縁談の話を進めるからな? 閣下のお心によっては……別の方と!」
「ふぐっ……!?」
釘を刺されたライラに、もう後はない。
渋々ながらも「わかりました」と返し、5年ぶりの自室に戻った。
旦那様との距離が近くなったのは間違いない。──そうは思えど彼女自身、あの言葉には違和感を感じていた。
(あれはどういう意味なのかしら?)
そう思いながら廊下を歩き、自室についたライラはまず机に向かった。机の二番目の引き出しから紙とペン、そしてインクを取り出す。
普段から書類整理が主な仕事のライラは、紙に書くことで情報を整理する癖がついている。答えが出ない時も、そうすることで多少心が落ち着くのだ。
ルーファスの言葉の意味。
予想出来るそれを、幾つか書き出してみることにした。
・私を娶る気でいる。
「…………っっ!!!!」
自分で書いたそれに、滅茶苦茶照れたライラは心の中で雄叫びを上げ、机に突っ伏した。
暫くウエディングドレス姿の自分の隣の、燕尾服をシュッと着こなす美丈夫の旦那様(※ここでの『旦那様』は意味合いが若干異なる)を妄想し……興奮からジタバタする。
が、我に返る。
「──はぁ……こんなことしている場合じゃないわ……」
全くである。
とんだ浮かれポンチとしか言い様がない。
(残念だけど……実際、こういう意味じゃない気がするのよね……)
冷静になったライラは、感じた『違和感』の理由を思い浮かべた。
社交界には一年程度しか顔を出していないライラだが、その分侍女歴は長く、様々な男性を目にしている。
熱心に口説かれたこともあるし、邪な目で見てくる男性も少なからずいた。
──ルーファスの目は、そのどれとも違う。
(どちらかというと……)
・私を養女にするつもりでいる。
……こんな感じである。
当然ながらそんな訳はないが、『こんな感じ』なのだ。
例えて言うなら……そう、今もライラの網膜に残るあのときの彼。
『子供と戯れる旦那様』。
自分へと向けられた目は、考えてみればアレにとても近い気がしたライラ。
震える手で、一番否定したい予想を書いた。
・私にいい相手を探すつもりでいる。
「────っっ!!!!」
ライラは再び脳内で雄叫びを上げ、机に突っ伏した。
無論、先程とは別の意味で。