②侯爵家令嬢で侍女、ライラ・ヘンリソンの好機
「──私が……旦那様のお相手にっ……?!」
いつも通りの執務室で『話がある』と応接部のソファに座らせられたライラは、上座のパーシヴァルの発した言葉に声と身体を震わせた。
彼女の反応は、婦女子によく見られる反応だった。それこそルーファスが『公爵家嫡男』という肩書きで、身長も今ほど高くなかった頃から。
だがパーシヴァルは、ルーファスにしたような生温かい視線をライラにも向け、やはり呆れた声で言う。
「ライラちゃんは、本当に残念だよねぇ……」
ルーファスと対峙したときなど、婦女子によく見られる反応……それは『恐怖』からである。端からは同じ様に見えても、ライラのは質が違っていた。
彼女は『歓喜』に震えていたのだから。
ふたりが運命の出逢い(※厳密に言うと出逢ってはいない。ライラが見ただけだ)を果たしたのは6年前──
まだデビュタントしたばかりのライラは、玉座の少し下の空間で王が紹介した男に目を奪われた。一目惚れである。
新しい北の辺境伯、ルーファス・ブラッドロー。
不器用にはにかんだつもりの彼の笑顔が、上気していたその場の空気を一瞬にして凍りつかせる中……ただひとりライラだけは頬を薔薇色に染めていた。
そう、彼女は悪人面が好みなのだ。
ルーファスの顔は、直球ど真ん中のどストライク。
『如何せん若輩の俄当主……国や民の為に尽力する所存でおりますが、それ故皆様とお会いすることは少ないでしょう(意訳:領地から出る気はないんでそこんとこヨロ)』
……等という彼の挨拶に、周囲が安堵の息と惜しみない拍手を送るが、ライラの胸は切なさに軋む。一目惚れの直後に会う機会がなくなってしまったのだ。
彼は辺境伯──遠くの空の下のお方。
だが、彼女は諦めなかった。
一年かけて両親を説得し、伯爵家の侍女となって今に至る。
その際にいい縁談をいくつかぶち壊したこともあり、バツが悪くて出立してから一度も帰ってはいない。
また、侯爵家の協力をライラは拒んでもいた。
元々公爵家嫡男であり辺境伯のルーファスと縁を結ぶことは、侯爵家にとってもいい話なのだが……ライラはできれば親の力は借りたくなかった。
縁談をするにせよ、自力で想いを伝えてからにしたい……そう思っていたから。
──まさか5年もの間、ルーファスが社交界に一度も顔を出さないとは思ってもみなかったのだ。
そしてまさか5年もの間に、どんどん彼への想いが募り、毎日会っているにも関わらず、コミュニケーションをとるのが非常に困難になろうとは、露ほども。
侍女としての仕事は上手くやれているが、いざ旦那様の目の前に来ると、緊張してしまって表情が消える。
激しい動悸、息切れ。身体の震え。
自分の入れたお茶を『美味い』と言うその声──声も好みであることに気付き、足が縺れたライラは、その直後、茶を盛大にぶちまけた。
パーシヴァルに渡す書類をルーファスから受け取った時は、どストライクが近過ぎて顔が見れず……俯いていてそれに気付き、驚愕した。──少し節の出た真っ直ぐな長い指。
手も滅茶苦茶好みである。
受け渡し時に触れた右手人差し指に、即、包帯をグルグルに巻いたことで、皆から心配されて強制的に休暇を取らされてしまった。
心配してそうしてくれた侍女長には、本当のことを言い出せず……パーシヴァルに泣きながら謝って事情を話した。蛇足だが、書類は勿論ぶちまけている。
ライラの事情を知ってから、家令はふたりを生温かく見守っているのだが──
「ライラ、これが最初で最後のチャンスだと思って」
「!」
長く続く平和の中、政略的要素の強い結婚は好まれなくなったが、女性の社会進出が進んだ訳ではない。特権階級の中で多少の融通が利くようになったに過ぎず、基本的には縁談から始まって婚姻関係に及ぶのが常だ。
いい縁談はやはり若い女性に行きがちだが、ライラはもう22歳……デビュタントが16であり、そのあたりで結婚する娘が多いことを考えると、決して若いとは言えない年齢である。
いい加減、強制的に縁談を押しつけられてもおかしくはない。
押し付ける、とは言ってもまずは『ブラッドロー伯爵との縁談』からではあるのだが。
むしろその方が手っ取り早いのでは……という理屈はライラにもわかっている。わかってはいるのだが、一応自尊心なるものが辛うじて今も存在した。
「……これも、もしかして侯爵家からの?」
「いや、単に人がいなかっただけだけど」
「そうですか……そうですよね……」
安堵しつつも、ライラは自分の不甲斐なさに肩を落とした。
正直なところ、彼女の自尊心はもう虫の息である。仮に侯爵家の意向だったとしても、断る気などサラサラない。単に聞いただけだ。
そもそもその機会がなかっただけで、夜会時のルーファスの相手は土下座をしてでも自分にしてもらおうと目論んでいたライラに、『否』の選択肢など存在し得ない。
「旦那様も心配していて、『最大限ライラのいいように』とのことなんで」
「ふぇ!?」
「どうする? 先ずはドレスとかアクセサリーでも作る?」
「………………!!」
再びライラは歓喜にうち震える。
落ち着こうとして取ったティーカップの中味は、殆どソーサーへと零れた。
「そそそそそうですねっ…………」
うち震えながらも今度は侍女魂を発揮させ、テキパキと指示を出した。
辺境の地とはいえ、栄えていない訳ではない。国防の要故に人は多く、職人も多い。また、長く厳しい冬を越えるここの人間の美意識は高く、王都とは価値観が少し異なっていた。
華美でも流行に乗ってもいない、シンプルで美しく、長持ちするものを好む傾向が強い。
そんなこの地ならではのドレスと、この地でしか採れない果物を使った香水、シンプルなドレスに合わせた大ぶりのアクセサリーは雪をイメージしたデザインを。それぞれ厳選した職人から選ぶことにした。
普段からこういう仕事はライラの担当だ。
名工は熟知している。
無意識で領地アピールを考え、民への還元を必然的に行おうとするライラに感心しながらも、パーシヴァルは『やっぱり残念だ』と思わずにはいられなかった。
──今アピールすべきは、そういうことじゃないのでは。
「もう少しこう、旦那様の色を取り入れるとかさぁ……なんかないの?」
「!!!」
もっともな意見だが、暫し考えた末、己が似合うことを優先させることにした。
美貌のルーファス(※ライラ的に)の横に立つのだ。
恥をかかせるワケにはいかない。
(──はっ! 侍女になってからは、お肌のお手入れに時間をかけてない気がするわ! 昔より!!)
慌てたライラは、パーシヴァルに懇願する。
「パーシヴァル様!! 王都出立まで暫くの間、お暇をください! 心と身体の準備が……」
「ん? ああ……そうだね。 王都までは時間がかかるし」
「!!?」
パーシヴァルとしては『色々準備がある』程度に受け取って、何気なく返しただけだったが……ライラは違う意味に受け取った。
(王都まで……二人旅!!!(※違います))
「──ふぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
淑女にあるまじき声を発したライラは、両手を顔で覆いながら、ソファに倒れ込んだ。
(大丈夫かなぁ……)
家令であるパーシヴァルは、当主不在の間に家を守るつもりでいたが……他に代われる人がいないでもない。執事長のセオドアに相談して、ついていくか否かを判断することにした。
あまり過保護に世話を焼いてはいけないな、そう思っていたのだが……『そもそも早めに世話を焼いていれば、こんなことになってないんじゃ?』と、今になって反省した為である。