⑭北の辺境伯、ルーファス・ブラッドロー及び侯爵家令嬢、ライラ・ヘンリソンの焦慮
このホテルの敷地面積は広くいくつかの美しい庭があるが、大きな噴水と背の低い草花で構成されているここは、未婚のふたりが話し合うにはうってつけの場所である。
ベンチに座るのを促すルーファスの顔は赤く、強ばっていた。左頬だけ異常に赤い気がしたライラは、その経緯も含めてなんとなく察した。
(やっぱりパーシヴァル様とのことを誤解なさっていたのね……)
紙に書いたことのひとつ。
★何故決闘をパーシヴァル様に挑んだのか?
考えた結果。
・私を好きだから。×
・パーシヴァル様が私に相応しいかを試す為。〇
書いた時はまだまだ考えることが沢山あったので、感情に揺さぶられないようにしていたライラだったが、ルーファスを目の前にしてそれを思い出すと怒りが湧き上がった。
(改めて考えると酷いわ! ……大体人の気持ちを無視して、賭けるだなんて)
──だが、今までの自分の行いにも原因がある。しかも、大いに。
それに理由がなんであれ、ルーファスが自分を想い身体を張ったのにはやはり嬉しくもあった。
ベンチに座ることなくゆっくりと頭を振ると、ライラはルーファスをじっと見詰めた。
(いつの間にか、こんなにしっかりと旦那様を見れるようになっていたのね)
「旦那様……」
夏の夕日に合わせる様なやや緩慢なスピードとしっかりとした強さで、彼女は切り出す。──過去の自分を後悔しながら。
「私、侍女を辞めようと思います」
「──っ何故だ?! ……今回のことは、その」
「舞踏会には出ますが……頂いたお品はお返し致しますね。 どうぞこれから奥方になる方にでも差し上げてくださいませ。 ある程度でしたら直せるようになっております。 もっとも、そうなっては王の御前で着るにはやはり相応しいとは言えませんが。……良いもの」
「っライラ!!」
ビクリ、と身体を揺らしたあと、ライラはルーファスから視線を逸らし俯いた。
次の言葉を待つ間が永遠のように長く感じる。こうすると決めたのに、耐えきれなくなりそうだ。
「俺は」
ライラはルーファスの話し出すタイミングで淑女の礼をとると、精一杯令嬢らしい笑顔を向けた。
「それでは御機嫌よう、伯爵様」
「!!……っライラ……」
「──」
力無く呼び止めるとライラは一度だけ足を止めたが、振り向くことは無く去っていった。
帰りの馬車から伯爵邸まで、ルーファスは周囲に人を寄せ付けない(※怖くて近寄れない)負のオーラとしか言えないものを纏いながら、項垂れていた。
それはもう、通常彼の見た目など関係なく、怯えたりなどしない馬が怯える程。
「旦那様! 馬が怯えるからなんとか気を確かに! いつまで経っても家に着かんでしょーが!!」
「パーシヴァル……俺はもう、駄目だ」
「何を言われたんです?!」
異様にゆっくりとした馬車の中、ルーファスは今にも死にそうな声で家令に説明する。
パーシヴァルはライラの行動の意外さに驚きはしたが、少し考えてから、真面目な顔と口調でこう返した。
「怒るのは当然です。 ライラが侍女を辞めることはこの際置いといて、ちゃんと考えたら良いのです」
「……考えている」
「それは『ライラのことを』でしょ? そうじゃなくて『ライラが何故怒っているかを』です」
「何故……? それは……決闘の」
「深く、じっくりと、ですよ。 答えの更に先まで。 それとご自身の気持ち」
「俺の……ライラは何故……」
──彼女はどんな表情をしていただろう。
「──あ」
窓に目を向けたパーシヴァルは、口許に笑みを浮べ、誰に言うでもなく言った。
「ようやくちゃんと動き出しましたね」
しかし、伯爵邸に着いてルーファスは再び激しいショックを受ける。
「なんだ……これは……」
「は。 ヘンリソン侯爵家から今しがた送り届けられました」
「…………!!!!」
「──あっ旦那様!!?」
ルーファスは膝から崩れ落ちた。
宣言通り、ライラは舞踏会用のドレス一式を送り返していた。帰り始めでモタついたせいで、荷物の方が早かったらしい。
「流石決めたら行動が早いなぁ……」
パーシヴァルはヒュウ、と口笛を吹く。
彼はルーファスと違い、ライラの気持ちが離れたのではなく何か考えがあるのだろうと思っているので、彼女のことは全く心配していない。
心配なのはルーファスがそれに気付くかだ。
膝と手を床につけたまま、ルーファスはキッとパーシヴァルを睨みつけた。
「お前はっ……!」
「おっと、俺のせいじゃないよね? 責任転嫁イクナイ!」
「ぐっ……!!」
「……まあまあお話はお部屋で致しましょう? アルフレッドさん、お茶を」
「畏まりました」
家令の立場的に言わせて頂けば、ドレス一式を無駄にはしたくない。ライラに似合うデザインで、しかもヘンリソン侯爵夫人が強いのだから尚更。
(ここは主に是非とも気付いて貰わないと。 ……だが流石はライラだ)
行動は、早ければ早い程良い。
なんせ、舞踏会の日までまだ中二日あるのだ。
──一方その頃。
「ああああああああぁぁぁん!!!!!」
侯爵家の自室で、ライラは悶絶していた。
「はぁぁぁぁ我ながらよくもったわあんな旦那様見たことないものもう心臓が口から飛び出るかと思ったわ!!」
ライラのメモは、別にアレひとつではない。
アレはあくまで決闘を挑んだ時点でのルーファスの心情の考察──その後の彼とは違う。
もともとこのパーティの目的は、『旦那様に女性として意識してもらうこと』。
ポカポカ時にそれを達成、いやそれ以上の成果を得たと見たライラ。
たたみかけるのは今──一瞬そう思ったものの、揺さぶりをかける方がより効率的だと思ったのだ。『あまりいい顔ばかりしてはこちらに旨味の薄い結果になる』というのは、パーシヴァルの元で学んでいた。
じっくり見れるようになったことで、今までの5年間に勿体なさを感じながら、旦那様の表情に悶えるのを耐えつつ発した『侍女を辞める』。
実は大したことではない情報。
ライラは22なのだ。侍女としてずっと生きる予定で伯爵家には入っていない。
そして『ドレス一式を返す』の後の『舞踏会には出る』。
これはフラグであり、パーシヴァルのルーファスへの助言も期待できた。
まずは揺さぶりをかけ、相手の出方を待つ。
たたみかけるのはそれからでも平気な筈だ。
──だが、不安はない訳では無い。
「……まだ3日あるのだもの!」
そう言い聞かせるように大きく独り言ちたあとは、今日の諸々を思い出しながら、じたばたすることにした。
ときめきがやまないのもあるが、それ以上に大丈夫だと思いたい為だ。
なんせ、まだ自分の想いをはっきりと伝えたわけではないし、ルーファスの気持ちもはっきりと聞いたわけではないのだから。
数々の心をときめかす、ルーファスのそれっぽい表情を思い出しては悶えるが、どの表情も最後には結局 (本当にそうかしら) と不安に思い、だんだんと (こんなことなら最初から縁談を通してもらったら良かったのでは……) という気持ちになった後、最終的にルーファスのそれっぽい表情が、全くの勘違いである気すらしてきた。
(──はあぁぁぁ……っ! 舞踏会でもし何も出来なかったらどうしよう! よしんば旦那様の気持ちが本当に動いていたとしても、ドレス一式を返してしまった私を呆れ、既に見限っているかもしれないわ!!)
ライラはここにきて、再び冷静さを失った。
それはルーファスが王都までの馬車でライラに対して思ったのと近く、自分が相手から愛されるということへの自信があまりに無かった為だ。
事象としては『そう』だと思っているのだが、確信をもてないまま考えていくうちに、不安から考えが迷走しつつあった。
そして考えの迷走が、また不安を呼ぶという悪循環。
(そうだわ! 舞踏会前にやっぱりお父様に頼んで縁談の話を……!!)
そこに自尊心や冷静さなど、最早一片も残っていない。
──誠に本末転倒である。
決めると行動の早いライラは、父ダナンの元へと行こうとベッドから立ち上がり、扉を開けた。すると血相をかえたダナンが目の前に立っていて、とんでもない事を言い出した。
「ライラ! 今伯爵邸から先触れが!!」
「……ええっ?!」
「今すぐ用意しなさい! これからいらっしゃる!!」
「いらっしゃるって……だん、伯爵様が!?!? ──無理無理無理無理! お父様! これからライラは病気になります!」
「何を言っているんだライラ! ……ボニー! ボニー!!」
ライラは侍女ボニーにより、拘束され気味にルーファスを迎える準備をさせられた。
蛇足だがボニーの趣味は庭仕事と日曜大工。
お陰で侯爵家は使い勝手がいいが、彼女は侍女服の腕がパツンパツンになる程ムッキムキである。
※尚、ボニーの再登場の予定はありません。