⑬北の辺境伯、ルーファス・ブラッドローの自覚と侯爵家令嬢で侍女、ライラ・ヘンリソンの動揺
『ブラッドロー伯爵』と言いながらパーシヴァルに投げられた手袋。『ライラ・ヘンリソン嬢を賭けて』の言葉。
ライラは兎に角混乱した。
混乱の中、一番に襲った感情は『恐怖』。
ヴィクトルがかなりできるということは、家族や彼の手紙だけでなく他でも耳にする程だったが、どちらにしても挑んだ相手が悪過ぎる。彼の気持ちについてもライラの混乱のひとつだが、そんなのはどうでも良かった。
彼女は所詮、女──命を賭して無謀な戦いをする男の矜恃と起因する自分への気持ちなんかより、『ヴィクトルが死ぬかもしれない』という不安と恐怖の方が圧倒的に強かった。
しかし止めればただの不敬──逆に許されない。
わけのわからないことへの混乱、不安と恐怖、止めるべきか否か──間違えられない選択に身体が固まる。しかもその間に彼は家名を名乗ってしまったのだ。
ライラはもう、倒れてしまいそうだった。
いっそ倒れてしまいたかったが、パーシヴァルの言葉を聞いて、持ち直した。
「──まあいいや、余興ということにしておこう。 来なさい」
(!! っパーシヴァル様……!)
『余興』で終わらせてくれるつもりであることに安堵しながらも、祈るのはひとつ。
『どうか怪我をしないように──』
相手がパーシヴァルだったことは幸いだった。場の空気も壊すことなく、ヴィクトルにも傷一つなく『余興』は終わった……
筈 だ っ た の に 。
決闘を終えたルーファスの元に駆け寄ったライラは、ローズマリーがヴィクトルにしたように彼に勢いよく飛び付いた。
「ラ……っライラ!? いやヘンリソン嬢!?」
「旦那様! 旦那様! 旦那様っ!! もうっ、なんて恐ろしいことを……! もう! もう!!」
この場がどこであるかなんて関係がないかのように、泣きながらライラはルーファスの胸をポカポカと叩く。
「ライラ……」
ライラを泣かせてしまった──なのに喜びが湧き上がり、ルーファスの胸をキュンキュンと締めつけた。
それは先程の決闘での決意を揺らがせ、今にも彼女を抱き締めてしまいそうな程。
ようやく彼は自分の気持ちに気が付いた。
しかし──
(……いや、ダメだ!)
抱き締めてしまえば、もう離すなどできない。
パーシヴァルの命を賭した覚悟を見た(※そこは誤解しっぱなしの)ルーファスに、それは許されない選択。
(しかもパーシヴァルはこんな苦しい想いを抱えたまま、俺の為にライラと馬車にふたりきりにさせたのだ! 忠臣であり愛する義弟の気持ちを裏切る様な真似など──!!)
男の風上にも置けない……確かに。
それが彼の想像通りならば、の話だが。
自身の恋心の自覚と、パーシヴァルの恋心の誤解から、ここにきて今更のように、馬車のエピソードが邪魔をした。
「ああ……やっぱりヴィクトルは相手を間違えたのか……」
「しっ!」
ウッカリ口に出してしまった者がいるように周囲は皆そう思っているので、生温かい感じでパラパラとバラけて中庭から離れた。とりあえず放置である。パーティはそのままなんとなく続けられた。
(よくわからないが、なんとなく上手く行きそうだ……)
そう感じた侯爵も、静観を試みている。
男子生徒はふたりの決闘に盛り上がっているのに対し、女子生徒の反応は様々。『強い人ってやっぱり素敵♡』と思う者もいれば『やっぱり騎士に嫁ぐのやめよう……』と思う者もいた。
だがそれはそれとして、
「ライラ様は羨ましいわ……命を賭して、なんて。 私もそれくらい想われてみたい……」
「『余興』にもお怒りになられて手袋を投げるなんて、女冥利に尽きますわね……」
ルーファスの行為は『ライラ溺愛が故』ということになってしまっており、ちょっとした恋愛譚扱い。
まだ夢見がちな少女らは、胸をときめかせて盛り上がった。
──当事者はどうか、というと。
再びの混乱と白熱した闘いによる恐怖に、意味合いなんか最早見出す余裕もなく、立ち竦む形で瞬きもせず『決闘』を見詰めていたライラ。終わっても彼女の足は震えてしまい、直ぐには動き出せない程。
縺れる足でルーファスへと駆け寄り、無事を確認すると、堪えていたものが溢れるように涙が零れでた。
『旦那様』と呼んだことも含め、終始ずっと冷静では無かったライラ。
しかし──
無事だとわかってホッとすると、彼女は徐々に冷静さを取り戻してきていた。
溢れた感情が、涙と共に流れた……というと叙情的な感じだが、副交感神経の働きによるものである。
冷静さを取り戻してきた自覚をしながら、結構長い間ポカポカして旦那様の様子を窺うライラ。
最初は震えていたその手も、足も、既に震えてはいない。
目が合うと顔を赤くしたあと、苦悶の表情で逸らすルーファス。逆に彼の方が若干震えており、その震える大きな掌は、抱き締められる期待をせずにはいられない位置で止まっていた。
(これは……! ……いやでもっ!? ……ああっ、紙に書いて一旦整理したいわ!!)
ルーファスに明らかな変化が見られるものの、今まで冷静で無かっただけにそれまでの取得情報(これまでの経緯等)が全く整理出来ていない。
(今新しく取得した『旦那様情報』を過去と照らし合わせなければ!)
この経緯に及んだ彼の心境、そして今の心境を理解しなければ、また勘違いさせられてしまう──舞踏会は3日後。予測不可能なパーティの流れに何もできていないライラにはもう後がない。とりあえずポカポカを続けながら考えを巡らせる。
「──おふたりとも、パーティの席だというのをお忘れでは?」
一向に進展を見せないふたりに、焦れたパーシヴァルがようやく声を掛けた。
「「パーシヴァル」様」
「おふたりには、この後少しばかりお時間を頂きます。 い い で す ね ?」
ライラは小さく「はい」と、ルーファスは黙ってそれに頷く。パーシヴァルは涙で化粧の取れたライラに、呼ぶまで控え室で待機するようやんわりと促し、彼女もそれに従った。
(これは、チャンスだわ!)
控え室で化粧を素早く直したライラは、ホテルの従業員に紙とペンを頼み、早速考えをまとめに入る。今回は悶えたり項垂れている時間はない。
そして今後の自身の行動を決めた。
パーシヴァルは(一応はホストである筈の)侯爵に場を騒がせたことへの謝罪と、ライラとローズマリーのこの後の時間を所望した。
ローズマリーは、勿論お説教である。
「家の娘の躾が至らず、ご迷惑を……」
「いいえ、こちらこそ家の主が……」
そこにあるのは立場は違えど、同情の念だけだった。
「そもそも主がちゃんとしていればこのようなお手数も……」
「いえ……ですが心中はお察しします」
パーシヴァルがなにより苦労したのは、ルーファスの誤解を解くことだった。
結局ライラを控え室へと送った隙に、侯爵に話をしようとしていたルーファスを寸でのところで発見。その場を無理矢理有耶無耶にしてから一旦引き摺り出し、見えないところで頬を一発張って胸ぐらを掴む……まで話ができなかった。
その経緯を陰から見守っていたダナンは、伯爵家家令の苦労を偲ばずにはいれなかった。
パーシヴァルはパーシヴァルで、5年も帰らず、最近までルーファスに近寄ることも出来ずにいながら、彼のことを頭の先から足の裏まで熟知しているという、ライラの無駄(※侍女としては役に立った)な情熱を知っている。
この姉だけでなく、とんでもないジャジャ馬の妹まで。
しかもルーファスと違い、相手はか弱き女性達(※見た目的には)。手を上げることは憚られる。
彼も、主一人でも苦労するのに、自由奔放すぎる娘がふたりもいるダナンに大いに同情した。
「苦言は赤の他人に言われた方が、すんなり聞けるものです。 ローズマリー様への注意はお任せ下さい」
「お気遣い痛み入ります」
やがてふたりは年齢を超え、名前で呼び合うほどの仲になるのだが……この時の彼等はまだ、知らない。
──さて。
パーティはなんとか無事終了し、ヴィクトルとローズマリーがパーシヴァルに玄関ホールのソファに連行される中……
ルーファスとライラはホテルの中央ガーデンにいた。