⑫北の辺境伯、ルーファス・ブラッドローの憤懣と有能な家令、パーシヴァル・ブラッドローの煩労
パーシヴァルの後ろに立ちはだかる黒く大きな影──それは、彼の主、ルーファス・ブラッドロー。ご想像通り。
彼はにこやかには到底見えない、まるで悪魔がニヤリと笑うかのような恐ろしい顔で微笑んだ。……言っておくが、顔は問題ではない。(※地顔です)
彼の目が据わっており、えも言われぬ圧が発せられていることが問題なのである。
顔には慣れているパーシヴァルだが、こういうルーファスには慣れることはない。そもそも彼は、見た目は怖いが気質は温和だから……というのもあるが、単純に物凄く恐ろしいからである。
「な……なんのお戯れで……?」
「……『余興』だよ、パーシヴァル。 『よ き ょ う』」
──嘘だ。
そう思えど抗う術はない。
地の底から湧き出るような、美しくも耳に優しくないバリトン・ヴォイスで彼はハッキリ皆に聞こえるように『余興』と言った後。中庭へと足を運びながらすれ違い様、パーシヴァルにだけ聞こえるようにそっと耳うちした。
「……貴様にライラは渡さん……!」
明らかに怒りに満ち満ちていることが十二分にわかるルーファスの言葉とその声色に、背筋が凍りつく。
だが、『余興』と聞いた男子生徒等の期待の眼差し……
──今更『それは勘違いです』とは、説明出来ない状況。
「……っ!」
それでもどうにか回避する為、何かを発しようとしたパーシヴァルを鬼の様な眼光で一瞥すると、中庭へと出たルーファスは自らの剣を下げているベルトを外しだした。
ベルトを外しながら彼は、先程とはうってかわって柔らかな口調で、皆に向けてこう説明した。
「これは北でよく行った訓練だ。 実力が拮抗した者同士での真剣な実戦訓練は、寸止めできない事が多いのでね。── ヴィクトル君」
ベルトを外し、鞘から剣を抜くとまだ中庭で呆然としているヴィクトルに渡す。
「ふたりの剣を預かってくれたまえ」
「は……はい!」
そして徐に鞘を握った。
(──ダメだ……! 本気だ!!)
青ざめながら、パーシヴァルもベルトに手を掛け、ゆっくりと息を吸い、吐く。
もうこうなったら、気持ちを切り替えるしかない。
この国の軍人や騎士が使用する剣は通常『長剣』に該当される種類のもので、レイピアやサーベル等のように、突き刺す攻撃が主ではない。叩き斬るのがメイン。
日本刀とは違い両刃な為、峰打ちに代わる行為としては、剣の腹を使うよりない。しかし、剣の腹を使うのは面積の部分での空気抵抗から負荷がかかり過ぎる為、難しかった。
勿論勝敗が決した時、できれば寸止めはするが……ルーファスが既に述べた通り、できないことも多い。
実際に戦に出る際とは違い、華美な装飾の鞘に入れている平時、鞘は剣と同程度の重さがある。
その『鞘での勝負』──それは決して手を抜かない、『本気の勝負』を意味する。
回避が不可能と感じたパーシヴァルは『如何に上手く負けるか』を思案していたが、それも不可能……
ルーファスが本気で来た場合、本気でなければ躱すのも厳しい。一撃でやられたフリをするには、あからさま過ぎて周囲もルーファスも納得しないだろうし、上手くできない場合……酷いことになる。
重ねて言うが鞘とは言え、剣と同等の重さなのだ。寸止めが全くなされなかった場合、肋の一、二本で済めばいいが──下手すると死ぬ。
パーシヴァルはヴィクトルに剣を渡し、再びゆっくりと息を吸い、吐いた。
「馬鹿な主を持つと、苦労する……」
そう言って鞘を握る彼の構え。
半身を引き、更に引いた持ち手を上に掲げ、下向きに鞘(※通常なら剣身)を向けたスタイル──左を引いて押し出す事でテコの原理的な一撃の攻撃力を備えながら、彼の戦い方の特徴である体さばきと足さばきを活かした、防御から攻撃へと素早く切り替えるに適したものだ。
ルーファスは口角を上げ、自らも構えた。
対するルーファスは、真正面にパーシヴァルと対峙し、左手を添える形で鞘を握る。剣道の中段の様な構え。腕の長さによる有利さからの、攻撃的なもの。
「来い……!」
基本的には相手の出方に対応するパーシヴァルだが、ルーファスの発した言葉の先に続くものを感じ、攻撃に向けてやや身体を落とす。
『一撃でやられたくなければ』──
足裏が砂を噛み、じり、と音を立てた。
今は鞘だがパーシヴァルは長剣の場合、十字鍔に大きなフックの付いた物を好むのに対し、ルーファスはシンプルで柄とリカッソ(※剣身の根元の刃のない部分)の長い物を好む。前者が手元の防御を重視し、後者が剥き出しのままリカッソを握り棒術的な扱いにも用いられることからも、彼等の戦い方は対局的であるといえた。
フックがないパーシヴァルと、必然的に剣身が短くなるルーファス。使用しているのが鞘であることの不利はどちらにもある。
「……はあぁぁっ!!」
まともに打ち合っては勝てない──パーシヴァルは腰を落とし、右足を踏み出してルーファスの手元を狙いにいった。
ガアンッと響く、重く、鈍い音。
手首を返し対応すると、鞘を戻すことなくそのまま並行に打ち込むルーファス。パーシヴァルは軸の左足を上手く使い後方に身体を戻しながら、元の構えに近い形でそれを受けた。
「くっ……!」
通常、刃を重ねた状態から相手の太刀を上手くいなし、そのまま攻撃、もしくは体幹を上手く使って攻撃に転じるのが得意なパーシヴァルだが……相手が悪い。
ルーファスの攻撃は重く、しかも棒術的な攻撃にも変化する。ただ力技で押してくる相手な訳では無い。一見すると動きの多いパーシヴァルの方がトリッキーな戦い方に見えるが、実はルーファスの太刀筋の方が予測が難しく、トリッキーと言えた。
重く鈍い音を発しながら忙しなく続くふたりのそれは、まさに戦闘。
「……すげぇ」
息も吐かせぬ攻防に、ひとりの男子生徒は声を漏らした。
──全くレベルが違う。
王都の騎士の打ち合いですら、このレベルにない。
だが『攻防』とは言っても、パーシヴァルが圧倒的に不利な状態だった。
いなしても直ぐに次の攻撃に転じられ、防戦一方──得意のカウンターが、ルーファスには通用しない。いなしてからの攻撃が速すぎて、出せないのだ。
しかも全身を使わせられ息の上がってきているパーシヴァルに対し、ルーファスの呼吸は整っている。
(このままじゃ……負ける! 捨て身で行くしかない……!!)
激しい攻撃に耐えながら、パーシヴァルは少しずつ間合いを詰めた。本来の戦い方とは真逆の行為──だが、どうせこのままでは足が持たない。
いなす、躱すを封じ、敢えて受ける事を選んだパーシヴァル。勿論コレも長くは持たない。力押しでは負ける。
何度目かのバインドからルーファスの右手が僅かに強く鞘を握るその瞬間を見極め、腰を落とした。──来る。
(今ッ!!)
──ガィンッ!!
「っ!!」
深く、低く踏み込んだ彼目掛けての、ルーファスの鋭い一太刀。無謀にもパーシヴァルはそれを半身を捻りながら転がるように受け、ルーファスの足元へと滑り込んだ。
返す様にパーシヴァルの頭部に向けたルーファスの鞘と、パーシヴァルがルーファスの喉元に突き付けた鞘──
その両方がギリギリで止まっており、勝敗はわからない。
わかるとしたら、ふたりだけた。
まるで時が止まったかの様だった。
「ふ…………」
ルーファスは声を漏らし、口角を上げてパーシヴァルに手を差し伸べる。
それを機に、息を止めて見守っていた周囲から安堵とも、感嘆とも……実際に息を止めていたからとも取れる息──後に歓声。
「ルーファス……」
脱力しながら、昔の様に名を呼ぶパーシヴァルは弱々しく彼の手を取ると、ヘロっとした微笑みを向けた。
「──久しぶりだ、こういうのは」
「ああ」
クスクスと笑い出すふたり──だが、次の瞬間、パーシヴァルは冷水を浴びせられる。
「流石はパーシヴァルだ。 ……悔しいが、お前の覚悟……よくわかった」
「へ?」
本気の闘いに、がむしゃらになってしまったパーシヴァルは、そもそものきっかけなど頭から吹っ飛んでいた。
死ぬと本気で思ったのだからそれも仕方がない……
仕方がないが……
当然『仕方がない』では済まなかった。
「いや違うよルーファスコレはさぁ!」
最早敬語など使っている場合ではない。
「ふ……かくなる上は俺も腹を括ろうではないか……男の決闘だ。 異論はない」
「ホラこれ鞘だし! それにわかりにくいけど勝ったのお前だよ! っていうかね?! そもそも誤か……」
「勝ち負けの問題じゃない。 剣で語り合ったお前の真心……しかと受け止めた!」
「いや全然伝わってねーわ! 剣じゃなくて言葉で語らせて!!」
キリリとした顔でなんかを宣いだしたルーファス。
よくわからない胸の痛みを堪え、頼もしい友人へ大事なライラを託さなければならないルーファスは、決闘後の高揚もあり……既に自分の世界に入ってしまっていた。
要はパーシヴァルの話をほぼほぼ聞いていない。
周囲は止まぬ拍手に加え、ふたりの健闘を讃える軽快な音楽──やり取りの内容が聞こえていない男子生徒はふたりを見て涙ぐみ、言った。
「主従を超えて讃え合う姿……感動的だぜ!」
「ああ…………!」
彼らの脳は、筋肉でできているのだ。
その後……話を一切聞かない北の辺境伯が、ヘンリソン侯爵に
「至らない義弟ですが、ライラ様を──」
と言いに行きそうな危ういところを止めたのは、勿論家令ではない。
「旦那様ッ……!!」
ワケもわからず二度も、勝手に決闘の褒美の品とされてしまった憐れな令嬢……
ライラ・ヘンリソン、その人である。