古代の秘境で達人に会った
Vnityのデフォルト状態そのままの“空”。
テクスチャすら貼っていない板が果てしなく広がる“地面”。
だが殺風景ではない。
真っ白い床いちめんに、数えきれないほど多くのアバター立像が整然と並べられているからだ。
「……これ全部で何体あるんだ?」
バケツラバー氏に招待《invite》された先のワールドに降り立つなり、俺は思わず呟いた。
立像は触れて使用《use》することでアバターを試着できるオブジェクトだ。
つまり、いま視界を埋め尽くしている数だけのアバターがここには在るということ。
この風景は壮観を通り越して不気味だ。
「何体だと思うかね?」
男の低い声がした。
ペデスタルの影から現れた声の主は、薄桃色の長い髪に金色の大きな瞳が印象的な少女のアバターだ。
チャイナ服とレオタードを折衷した露出度高めの白装束には中華風の模様が刺繍してある。
スレンダーな上半身とは対照的な肉付きのよい太腿にも、装束と同じような意匠の赤いタトゥーが入っている。
「君がルミナちゃん、じゃな」
俺の頭上、ネーム表示を確認して名を呼ぶ少女。
本当に“お婆ちゃん”なセイバー夫人とちがい、実年齢はおそらく20代~30代くらいの成人男性とみた。ジジイ口調は軽いロールプレイだろう。
俺は“彼”の頭上に表示されたネーム表示を見て、おおまかなことを察することができた。
「もしかして、あなたが」
“sennin”と書かれた橙色のネーム表示を頭上にいただく老人風少女は、俺が問いを吐ききる前に口を開いた。
「……さきほどの答え、教えてしんぜよう」
「ペデスタルの数?」
「左様。このワールドに置かれているのはすべてワシが作ったアバターじゃ。その数は――昨日でちょうど千に達した」
そんなに、と呟く俺にsenninは落ち着き払った低音ボイスで言葉を次ぐ。
「わからんか? 千のアバターじゃ。アバターが千人――アバター仙人じゃよ」
「……そうですか」
いや、わからんか? ってもまあ、なんとなくわかってたし。
最後まで話を聞いてみたが特にひねりはなかったな。
「うむ、可愛い女の子の姿はトクじゃわい。その反応のしょっぱさすらご褒美よ。せっかくじゃからもう少し話をさせてくれ。何しろ久しぶりに人と話すんでこう見えてテンション上がっとるんじゃよワシ」
すげえなこの人。
初対面の人間に微妙なリアクションされてもここまで淡々と自己紹介を続けられるのか。
「アバター1000体作るまでは“名無しさん”で通す――そう決めていたワシはようやくアバター仙人のコテハンを名乗れるようになったのじゃ」
「コテハン?」
「固定ハンドルネームという意味だよ」
耳慣れない単語に首をかしげていると、バケツラバー氏がペデスタルの間からスイと現れ解説してくれた。
ラバー氏に続き、先にこのワールドに到着していたドリルばんちょうとメッくんも顔を出した。
「特定のハンドルネームを名乗らないのが基本だった匿名掲示板文化でぇす」
「アバター仙人はあの頃の習慣がなかなか抜けないのだよ。というか現役の“住民”でもある。言ったろう? 古い友人だとね」
「藁だの核爆だの口にせん程度にはわきまえとるわい。それに、あそこはまだ生まれたばかりの掲示板じゃからセーフじゃよ!」
深淵寄りの人だったか……馴染みの無いミームで喋る人って、話してるだけでなんかよその家に来てるみたいで落ち着かないよな。
「ふぇふぇふぇ、それより嬢ちゃんたち、ちょっとよいかな?」
アバター仙人がわざとらしくいやらしく笑いながら、薄桃色の髪の中からひと振りの杖を取り出す。
先端にはめられたダイヤモンドが濃緑色の光を放ち始めた。
「ワシは新しいアバターを見るとな、我慢できんのじゃよ。特にお嬢ちゃんたちのような可愛い女子を見るとな――!」
杖が俺たちに向けられ、ダイヤの光線が身体を照らす。
いきなりだったのでかわす暇はなかった。が、ダメージもステータス異常もない。
その代わり、濃緑色の光線が当てられている部分だけ緑色のワイヤーフレームで表示された。
「サイバーで面白い」
「もしかして、こういうのもシェーダーを使ってるんですか?」
「左様。ちょいとライトに組み込めば、この通りよ。ワシはポリゴンの線構成に目がなくての」
仙人はルミナとバケツちゃんの腕や服を順番に光線でなぞって見せてくれた。
そして、光線は感心して声をあげる俺たちの隣を照らし。
「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ(音割れ)!!!」
ポリゴン照身霊波光線を浴びたドリルばんちょうは、引っこ抜かれたマンドラゴラみたく断末魔の悲鳴をあげた。
「ふぇふぇふぇ、良い曲線をしとるのう」
「あぁぁぁぁぁぁやめてぇぇぇぇぇぇぇ! 恥ずかしいでぇぇぇぇぇす!」
「なかなかの手前じゃと褒めておる。減るものでなし、気前よく見せておくれ」
「減りまぁぁぁぁぁぁす! 私の正気度がぁぁぁぁぁぁぁ!!」
本気で恥ずかしがり体を両腕で抱いてしゃがみこむドリルばんちょうを見て、アバター仙人は「すまんすまん」と杖を引っ込めた。
「お前もともと正気度ゼロじゃん」
「裸見られても平気なのにアレが恥ずかしいんですか……?」
「うう……ジュニアハイスクール時代の創作ノートを音読された時みたいな気分でした……」
既成品の改変やミキシングビルドでアバターを作る俺とメッくんとは違い、一からフルスクラッチしているドリルばんちょうなりの線引きがあるらしい。
「詫びといっては何じゃが、ワシの作ったアバターたちも見ていっておくれ」
「え、あ、はい。じゃあせっかくだから――」
「ルミナさん! みて下さいこれ。頭が伸びるんですよ!」
秒速で緑色の半魚人みたいなアバターを身に着けたメッくんが、嬉々としてスキンヘッドの頭頂部を伸ばしたり縮めたりしてきた。
向こうでは両腕と頭と股間にインコの頭がついたムキムキの何かになったバケツラバー氏と、音声ギミックで絶叫ボイスを爆音で再生するケモ耳のカワイイ女の子アバター(inドリルばんちょう)が向かい合ってグルグルとステップを踏んでいる。
俺も手近なペデスタルに触ってみる。
インベントリから姿見を出して確認すると、真っ白いネコみたいなキャラクターになった。
「こいつの顔、顔文字みたいだな……」
「それはアスキーアートを立体化したものじゃよ」
「アスキーアート? ああ、文字で絵を描くあれですか。ところで仙人」
いくつかペデスタルを触り、登録されたアバターの情報を閲覧して気になったことを製作者に訊いてみる。
「どうして全部のアバター説明欄に“お借りします”って書いてるんスか?」
「これはアップロードする時に欠かせぬ礼儀、いや、儀礼のようなものじゃ。やっておかんとどうにも居心地が悪くてのう……」
「深くは聞かないでおきます(掘り下げると面倒くさそうなので)。あと、これは感想なんですけど――――どのアバターも、普通に強いッスね」
「ほう! わかるかルミナちゃん」
俺はうなずきながら、次々とペデスタルに触れてアバターのステータスを確認する。
舌を巻く。
姿形やギミックはワケわかんないのが多いが、アバター仙人が作ったアバターはいずれも実用性に関しては堅実なものが揃っていた。
純粋なヒューマノイド型をしたものを試着して少し動いてみたが、実に着心地がいい。
「動かしてて違和感がほとんど無いや。追従性すごいからアクションもばっちりイケちゃいますね」
「そう言ってもらえると嬉しいのう。秘訣はリギングじゃよ。|The Universeの|インバース・キネマティクス《IK》にアーマチュアを最適化し、メッシュのウェイト設定も丹念に行うことで機動力や剛性、反応速度を高めておるのよ」
急に言葉の圧みが増した!
この人、本当にアバター作りが好きなんだな。
「だから私は君たちをアバター仙人と引き合わせたかったのだよ」
「他人の思考読めるんスか」
「どうだい、ルミナくん。メクサコくん。彼にインストラクターをしてもらうというのは」
ラバー氏が「構わないだろう?」と目配せ(顔面はラバーで覆われているが)すると、アバター仙人は「やぶさかでない」と腕組みしてうなずいた。
「私はのけ者ですかぁ!?」
「いや、ドリルばんちょうくんは既に高い技術を持っているからね。釈迦に説法という日本語はご存知かな?」
「高評価! ありがとうございまぁす! しかし――他者の技術に触れること自体が有益な刺激ですよ。私は常に上を目指したい」
こんな風に声のトーンを落としたドリルばんちょうは初めて見た気がする。
真剣な人なんだな、といまさら思う。
そりゃそうだよな。真剣じゃなきゃ、今までに見たロボットも、こんなキレイな横顔も作れないだろうから――
「決まりじゃな。皆を別室に案内しよう。“ひみつ☆の部屋”へな!」
「ひみつ☆の部屋!?」
「そう、仙人流アバター製作の極意を授ける試練の間じゃ!」
アバター仙人は再び杖を取り出し前方の空間へ光線照射。
何もないように見えていた場所に、ワイヤーフレームの“扉”が現れた!
ドアのマテリアルを完全透明のシェーダーで作ってあったのだ。
「さあ入るがよい。パスワードは“今日の8”じゃぞ」
そう言い残してアバター仙人は扉の向こうへ消え、俺とメッくんは途方に暮れた。
「……今日の8、って何ですか?」
「何だろう。ここから既に試練が始まってる、みたいなアレかな」
「……いや、彼はああ言えば通じると思っているのだよ」
マイク越しに苦笑しながら、バケツラバー氏は俺たちにパスワードを教えてくれた。
*
扉をくぐると、真っ白い壁に全方向を囲まれたやたら広い空間に出た。
相変わらず飾り気のない床壁天井。
でっかい立方体の内側、という表現がしっくりくるだろう。
そして、この“ひみつ☆の部屋”の中心部分には巨大な女の子が浮かんでいた。
「これは……」
「ケモミミ巨女ですねぇぇぇ!」
ウェーブのかかった紫髪から狐耳をピンと生やした女の子はセントラル並みの大きさだ。
ノースリーブのブラウスにミニスカートの出で立ちの“彼女”を、俺たちは下から見上げている。
下から。見上げている。
「うう、目のやり場に困りますね」
「目を逸らしてはならんぞえ!」
巨大ケモ少女の足元で、アバター仙人がメッくんを一喝。
「今より立ち向かう試練から目を逸らしてどうする!」
「これが試練?」
「何をどうするのか全然分からないんですけど……」
困惑するメッくん。
どうしてもチラチラ頭上を気にしてしまう俺。
一人だけ「もしや!」とか言って何かに気付いたっぽいドリルばんちょう。エスパーかよ。
「何をやるかじゃと? 当然! “脱衣ブロック崩し”じゃあッッッ!!」