(2) 闇夜の襲撃
精神状態がおかしくなり始める者もちらほら現れはじめます。
緑の光はいったいなんなのか。蛇人はなんなのか。
一真たちがバスの中に入ると、担任の古関は目を見開いた。
「あなた達どこに行ってたの。他の人は? どうしたの、ねえ」
もはやパニック寸前だ。
「他の人は現地の人と仲良くなって、ついて行きました。もう帰って来ないと思います」
一真が平然とでまかせを言うと、古関は頭を抱え、声にならない声を発していた。運転手は「俺のせいじゃない」と呟きながらうなだれていた。
重たい空気が満ちた車内を歩き座席に座ると、クラス一の美形男子、山田竜助が何があったのか訊いてきた。
マークが大まかに説明すると、山田は神妙顔をして目を閉じた。
「なるほど……それはやばいな。先生に全部言わなかったのはいい判断だったな。今の先生じゃショック死しかねない」
「はは……それは言えてる。でも先生の立場なら無理もないか」
マークは笑ったが、山田はまじめな顔をして続けた。
「お前たちがいない間に話し合ったんだけど、下手に動き回るのは危険という事で、とりあえず一晩バスで過ごす事になった。菓子を分け合って過ごすんだ。先生は救助が来るまでずっと留まるべきって言ってたけど、救助なんて期待できそうにないな」
山田の説明を聞き、三人はすぐに了承した。代案など思いつかなかった。
*
すっかり日が暮れ、車内は真っ暗になった。しかし寝ている者はいなかった。誰かがすすり泣いている。
「なにあれ。やばくない?」
最初に気付いたのは須藤綾だった。一真が外を見ると、提灯のような物を持った人影が四つほど見えた。一真は目を凝らし、光に照らされた人影に長い首が生えているのを確認した。
「久住、紙本。あれ蛇人だよね。どうする?」
田辺マークが近づいて来て囁いた。蛇人というネーミングに違和感を覚えつつも、異議を唱えることなく一真は立ち上がった。
「戦うしかない……俺はこれでやる」
一真がナイフを取り出すと、マークは驚きの声を上げた。
「え、何それナイフ?」
「騎士の遺体を埋める時に腰に付いてたのをくすねといた」
「へえ、やるね久住。じゃあ外出るか」
マークが窓を開けると、背後からか細い声が聞こえた。
「俺も、行くべきだよね……」
紙本が泣きそうな顔をして立っていた。
「無理するなよ。紙本はここに残って、俺たちが死んだら戦ってくれよ」
マークは冗談めかして言った。紙本は俯うつむき、手を震わせた。
「うう……分かった……二人共ごめん」
蛇人がやって来るのとは逆側の窓を開け、二人は飛び降りた。
「回り込んで後ろから攻めよう」
一真の提案に、マークは笑みを浮かべた。
「異議なし。その作戦で行こう」
二人は草むらの中を進み、蛇人たちの背後に回った。
「ふう、ばれてないな。さてどうするか。十匹はいるな」
「まず俺が一人倒して、武器を奪って渡す。いずれ気付かれるだろうけど一人一人仕留めていこう」
一真が言うと、マークは頷いた。
蛇人たちは警戒しているのか、バスの三メートルほど手前で止まり様子を伺っていた。
一真は一番後ろにいる蛇人に狙いを定め、ゆっくり近づいた。
(やってやる……これができないようじゃ渋賀たちには……)
しかし、指が震えていた。もしかしたら彼等は友好的な蛇人かも知れない。そんな考えが頭をよぎった。
(もう少し様子を見るか……うん)
一真は腰をかがめたまま動きを止めた。しばらく見ていると、ガラスが割れる音が響いた。蛇人が窓を割ったのだ。
蛇人はジャンプし車内に上半身を突っ込むと、一人の女子生徒を引きずり出した。提灯の灯りに照らされ、女子生徒の顔が見えた。
(あれは……真野さんか)
真野春奈はクラスで一、二を争う美人で、一真は一度も会話したことがなかった。
真野は逃げようとしたが、その長い黒髪を掴まれてしまった。
一真は最初に会った蛇人の言葉を思い出した。
“俺はいたぶってから殺すのが好きなんだ”
「くそっ!」
一真は無心で走った。一番後ろにいる蛇人が振り向くと同時に、躊躇なく腹部にナイフを刺した。
ナイフは深く刺さったが、蛇人は一真の頭に噛み付いた。
一真はナイフを抜き、今度は首元に刺した。頭に噛み付く力が弱まり、蛇人は体重を一真に預けた。
頭に食い込んだ歯を引き抜き地面に倒すと、蛇人の手に握られたままの槍を取り上げた。
「おい見ろ! やられてるぞ」
襲撃に気付いた一匹が叫ぶと、残りの蛇人たちが一斉に振り向いた。一真はマークに槍を投げ渡した。
「おい頭大丈夫? 血が出てるよ」
「痛がるのは後だ」
「あ、ああ……こうなったら大暴れするしかないね」
マークが覚悟を決めた顔をし、槍を構えた。
「おい、あいつら二人で大丈夫なのかよ?」
誰かが声を上げた。車内には恐怖が充満していた。
「あああ、もうおしまいだ!」
「誰か助けてよ!」
騒然とする車内で山田は息を呑み静観していた。
「久住、マーク。頑張ってくれ……」
二人目を仕留めた一真は、柄の長い斧を拾い構えた。飛びかかってきた蛇人の棍棒を避け、頭に斧を叩き込む。頭が裂け、倒れる蛇人。
一真は自らの力に戸惑った。マークを見ると、彼もまた槍を自在に振り回し、蛇人を倒していた。
一真が勝利を確信し、蛇人を斬り捨てた時、異変が起こった。身体から力が抜けた。
「え?」
目眩に襲われ、一真は膝を着いた。身体が熱い。
「久住? 大丈夫か!」
マークが戦いながら呼びかけてきたが、一真は答えられなかった。蛇人に棍棒で殴られ、一真は倒れた。
(毒があったのか……)
蛇人は何度も一真に蹴りを入れた。毒が効いているせいか痛みはあまり感じなかった。
マークは四人の蛇人に囲まれ身動きが取れなくなっていた。
(人前で使いたくないけど仕方ない……)
一真は手から光を出した。鞭状になった光を振り回すと、蛇人たちはなす術なく薙ぎ払われていった。
「ハア、ハア……やったぞ……あれ?」
一真は倒れた。体が全く動かなかった。
(今度こそ駄目かーー)
一真は意識を失った。
*
『一真……ごめん。ほんとにごめん。』
声が聞こえた。かつて友達と呼べる存在だった者の声。
(なんで今あいつの声が……)
一真は混乱しながら暗闇の中でもがいた。
「おい久住が動いたぞ。久住、聞こえるか?」
一真は重いまぶたを開けた。山田竜助が視界に入った。整った顔にいくつも傷が入っていた。背中には毛布の感触がある。
「生きてるのか——俺は」
呟くと、山田とマークが覗き込んできた。
「良かった、本当に。治療のしようがなかったから見てることしか出来なかった。血は一応吸い出したけど」
山田が安堵した表情で言った。
「血を吸い出した?」
山田が親指をマークに向けた。
「ああ。マークが頑張ってくれた」
「俺で悪かったね。ちゅーちゅー吸い出してやったよ」
「……それはありがとう」
一真は強張った顔で感謝を述べた。
「でもやっぱり俺たちの体は何かが違う。回復力がすごい」
山田が手に顎を乗せ言うと、マークが頷いた。
「俺なんかこの世界来て花粉症治ったっぽい。鼻がめっちゃ通るんだ」
「それで何があった? 蛇人は?」
ゆっくりと上半身を起こしながら一真は聞いた。
「一匹を生け捕りにしてそれ以外は全員倒したよ。俺と紙本が加勢してな。お前が倒れたのを見て紙本が窓から飛び出したんだ。それで俺も後に続いた」
「そうなのか——ありがとう山田。紙本」
一真が頭を下げると、紙本は遠慮がちに頷き、自分の掌を見た。
「お、俺があの怪物を倒したなんて……俺たち本当に選ばれし救世主なのかな」
相変わらず気弱な顔をしていたが、手は緑色に光っていた。
「そ、その光は……」
一真は驚いた。すると山田とマークも手のひらから光を放って見せた。
「久住が光る鞭出した時はびっくりしたよ。でも俺も出したいって思ったらすぐ出せた。そしたら山田と紙本まで出し始めたもんだから驚いたよ。これなんなんだ?」
皆が手から光を発している。一真は脱力感に包まれた。
「いや……俺も分からない。最初蛇人に襲われた時に出せるようになった」
「そっか。まあいいか便利だし。にしても久住凄いよ。あいつらに一人で向かってってさ」
マークは心から感心した様子で言った。
「真野。礼言いなよ」
山田が呼ぶと、真野春奈がうつむきながら歩いてきた。ゆっくりと顔を上げ、一真の目を見た。
「久住君。あの、ありがとう」
真野が頭を下げると、長い髪が揺れた。
「真野さんが捕まったの見た途端久住、作戦も忘れて突っ込んでったからね」
マークがいたずらっ子のような顔で笑った。
「あ——どういたしまして」
一真はどういう表情をしていいか分からなかった。昨日まで誰とも会話がなかった自分が今、人から感謝されているという事実に戸惑った。
(心を許すな……いざとなれば簡単に裏切られるんだ)
一真は密かに自分に言い聞かせた。
「それで、捕まえた蛇人はどうする?」
マークが後ろに目をやると、縄で縛られた蛇人が一真たちを睨んでいた。
「俺達の毒を食らったら三日は目覚めないはずだ。それがなんなんだお前」
蛇人は静かに言った。
「さあね。それより、お前の仲間は後どれくらいいる?」
一真は毅然とした態度で聞き返した。
「百人程度だ。もうすぐ俺たちを探しに来てくれるだろうぜ」
蛇人の口角が僅かに上がった。
「どこまで本当の事か分からないけど、食料もなくなるしどっちにしろ移動した方がいい。先生と話そう」
山田が言うと、マークは「そうしよう」と答え、一真は頷いた。
*
「私は反対です。ここで救助を待つのが最善よ」
山田が提案すると、古関は即座に却下した。
「追っ手が来るらしいですし、食料もすぐになくなります。移動した方がいいかと」
「危険よ。間違ってる。助けを待つべきです」
「そうですか……じゃあ移動したい人だけ集めて俺たちは行きます」
皆を集め、移動したい者は挙手するよう山田が言うと、担任以外全員手を挙げた。無論そこには運転手も含まれていた。古関は頭を掻きむしった。
「もう知りません! 私は残るわ」
古関は意思は固く、山田は説得を諦めた。
「しょうがない。先生はバスに残そう。バスで行っても道が悪いからどっちみちすぐ歩かなきゃいけなくなるさ」
山田が皆に言い聞かせたが、
「一人の教師のためにみんなが迷惑するのは間違ってる。殴って黙らせよう」
河岸範人かわぎしのりとが眼鏡の位置を直しながら言い放った。
「ギッシーお前危ない奴だなあ。頑張って歩こうぜ」
マークが馴れ馴れしく肩に手を置くと、河岸は露骨に嫌な顔をした。
「蛇人を惨殺した君に言われたくないね」
「酷いこと言うなあ! 正当防衛とはいえ罪悪感はあるんだぜ」
マークはわざとらしく傷ついて見せた。
一同は荷物をまとめ、バスから降りた。
「先生。武器置いときます。あとこれ、提灯みたいなやつも。暗くなると中にある特殊な石が光るって仕組みらしいです。あと、気が変わったら追いかけて来て下さい」
一真が言うと、古関は虚ろな顔を向けた。目にはクマが出来ていた。
「私は止めましたからね。後はすべて自己責任よ」
「……はい。お元気で」
一真は頭を下げバスを降りた。
結局、渋賀たちが向かったアーメイ家の都を目指す事になり、一同は出発した。
「古関先生一人残すのは気がひけるな……」
紙本が呟くと、山田はため息を吐いた。
「しょうがない。あの人は現実を受け入れられないんだ。ここが異世界だという現実をさ」
山田が遠くを見据えたまま言った。いつのまにか日が昇り、すっかり明るくなっていた。