(5) 趣味の裁縫
「無事戻ったか。よくやった」
スネイルは満足そうに言った。一真は怪物の爪を渡した。
「この爪で何するの?」
「売って金にする。良質な武器の素材になるから重宝されている」
「そういうことかい」
「何にせよ、お前は合格だ」
「……よし。じゃあ俺は町にいく。一瞬妙なバイラフトを感じた」
「そうか。今のお前なら死にはしない」
話しながらスネイルは爪を眺め回していた。
「その前に頼みがある。そのマントをくれないか?」
「——気が付いたようだな。こんなボロで良ければいいが」
一真はマントを右半身を覆うように付けるとスネイルに頭を下げ、歩き出した。
*
「ずっと後つけてたの?」
春奈は尋ねたが、広須はマークを見ていた。
「逃げたと思わせておいてずっと追ってた。そんな事より田辺、もう死ぬよ」
マークは全身から血を流し、意識はなかった。
広須は淡々と言い、続けた。
「傷口が多すぎる。私たちの回復力でも流石に無理。傷が塞がる前に出血多量で死ぬね。かわいそうに」
春奈は袖をちぎり、傷口に当てた。
「無駄無駄。もう間に合わないよ」
春奈にもそれは分かっていた。だが何をすればいいのか分からなかった。医療知識など皆無である。
無力感に襲われ、春奈は唇を噛んだ。
今までの人生が不意に蘇って来た。
いつも自分は無力だった。教室内では上位の存在だった。しかしそれに意味などなかった。
何かないのか、自分に誇れるものは。
ふと、最近やらなくなっていたある事を思い出した。
「縫う……傷を」
春奈は呟いた。自分のか細いバイラフト。先端は鋭く人体を貫ける。
「そうだったんだ。私のバイラフトはもう出来上がってたんだ。これは蔓じゃなくて糸」
春奈はマークの傷にバイラフトを刺した。バイラフトの糸は無駄のない精密な動きで傷口を縫い合わせ始めた。
「へえ。やるじゃん」
広須が覗き込みながら感心していると、春奈は話し始めた。
「私はクラスで上位のイケてる存在だった」
「は?」
「正直少し、いえかなりいい気分になってた。でもそんなの何の意味もなかった」
「あんたねえ……」
「教室なんて小さい世界、今はもうどうでもいい」
「言うようになったね。あんた顔だけのクソつまらない人間だと思ってたけど、ちょっと違ったみたいだね」
マークの傷はすべて縫い合わせられた。糸は切り離された後も光り続けていた。
やがてマークは目を開いた。
「こ、これは? あれ、広須?」
「真野に感謝しなよ。とりあえずそろそろ動いた方がいい。鮫都が戻って来る前にね」
広須はぶっきらぼうに言った。
「あなたたちも来た方がいい。奴が戻ってきたら殺される」
春奈は盗賊の女と子供に言った。二人は少し考え、頷いた。
「痛すぎて動けない……誰か」
弱々しく言うマークを広須はおんぶし、走り出した。
「ありがとう広須さん。何で私たちを助けてくれたの?」
春奈が問うと、広須は面倒臭そうに口を開いた。
「どっちの味方になろうか考えたんだけど、鮫都はイカれすぎてた。あんな奴の味方になってもね」
想定内の答えで春奈は安心した。心を入れ替えたなどと言われても信用出来ない。
*
町の門を出て森の中を進んで行くと、マークは黒い騎士を見つけた。
「いたいた。騎士がいた。で、一真は?」
「修行を終えて町に行った。お前たちを探しに」
「マジかよ、タイミング悪い。修行の成果見たいなあ」
「お前たちこそなんだ。見覚えのないのが三人いるが」
春奈が慌てて答える。
「新しい仲間です。信用は……できないかも知れないけど。とりあえず少し休んだら一真を探さないと。鮫
都たちに会ったらまずい」
「同郷の奴に会ったか。戦ったのか?」
「はい。あなたの言う通り三日の差は大きかった——マークが負傷しました。訓練した一真でもあれには……」
春奈は苦しげに言い、俯いた。
「そうか。そこの女はなんだ?」
「彼女も私たちと同じ世界の人間です。すでにバイラフトを使いこなしています。戦力になるはず」
「なるほどな。そしてあの二人は盗賊といった所か」
「はい。殺されそうだったので連れてきてしまいました」
「ではマークは寝ていろ。探しに行くのは俺と女二人だ。そこの盗賊二人は見張りでもしておけ」
騎士のぞんざいな物言いにも盗賊二人は小さく頷くだけだった。
巨木の根が無数に重なり合い出来た空間の中で、マークは一人寝かされていた。
「くそ、もっともっと強くならないとな。鮫都以上の化け物の田端に勝てないと——」
マークが呟くと、盗賊の子供がやって来た。マフラーのようなもので隠れていた口元が見え、女だという事が分かった。
「やあ。何か用?」
「あんたはどこから来たの?」
少女は無表情で質問した。
「とっても遠いとこさ。ええと、君はずっと盗賊やってるの?」
「クエルだよ。半年前くらいかな。二人に拾われた。本当の親は死んだよ」
「俺はマーク。そうだったのか。こっちの世界もいろいろ大変だね」
「生きるのに精一杯だった。でもあんたたちとならこの国を元に戻せるんじゃないかって気がしてくる」
「それは無理かなあ……まあ目の前の人を助けるくらいは出来るけど」
「それでもいい。その魔術の力はすごい」
クエルはそう言うと早足で去って行った。
*
「随分流されたな」
川から這い上がった鮫都は震えていた。体が濡れていたからではない。怒りが抑えられないからだ。
「三人目がいたとはなあ。誰だか分からんが絶対に許さねえ」
鮫都はバイラフトで木をなぎ倒すと、上流に向かって歩きだした。