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【ปรัชญา world's δημιουργία】  作者: 烏滸阿
しゃかりき桜蘭道中
1/9

【0】徒然なる未来と始まりの機

タイトル一本釣り。

というのはともかく、よろしくお願いします。

 一人暮らしに苦労は付き物だとよく言われるけれど、案ずるより生むが易しとよく言われるのもまた事実なのかもしれない。


 10畳の部屋に一人。

 やや弄び気味な広さの和室にぽつりと置かれた卓袱台。

 ぬるぬると奇妙な動きで部屋を駆け巡る自走式掃除機。

 そして、何をするわけでもなく腕を組んでそれを見守る僕。


 その光景は、一人暮らしの一般学生にとってややありふれたものだった。


 僕の場合、その体制をとったが最後、寝るまでぼーっとするところのだが、今日はなんだか頭が冴えていた。

 そこで、今時流行らない畳の部屋を一瞥して僕は、学校の課題なるものに取り組むことにした。

 言うまでもなく、今までにない一大決心だ。


(『5月13日』『課題』『混合Bクラス』)


 祈るような感覚で心内に唱えれば、間もなくして視界の隅に文字が浮かぶ。


『社会史2050年〜2500年年表提出』

『基礎物理学電子分野自由レポート』

『空間学入門② 12p〜50p』


 眼球の移動にかかわらず、視界の隅に浮かび続ける文字列(それら)を見ながら僕は、教科書を思い出す(、、、、)

 こちらも先の課題一覧同様、数秒と経たないうちに視界上、今度は卓袱台の上に現れた。思わず辟易する10と少しの分厚い教科書群。


 これらは一回『ダウンロード』すればもう忘れることはないのだから、果たして、こうして改めて脳内から教科書を引っ張り出してまで勉強する必要があるのかなどと、学生間ではたびたび議論されているが、実際問題そうもいかない。

『ダウンロード』とはつまり、簡単に言えば物凄い精巧正確なフラッシュ暗記のようなものなので、ただ単にダウンロードしただけの状態ではおよそ、新品の本をいつも取り出せるようにしたのと変わらないのだ。


 中身を知っていても内容の理解が及んでいない。


 勿論、学勉不要説を主張している学生達もそんなこと頭では理解している。なにしろ、実際に教科書が脳ミソに入っているだ。分からないはずがない。

 ただ、頭に浮かぶ映像が余りにも克明で鮮明なため、どうしようもないことなのだけれど歯がゆいような悔しさが湧き上がってきて、愚痴が出てしまうのだ。


 何を隠そう僕もそのひとりである。


 教育現場に思考加速システムが実装されてから、昔に比べて授業時間も増えたし、嗚呼、現代とは学生にとってとことん辛い時代である。


「……やるか」


 壁に立てかけられた短針と長針が最底辺でごっつんこしている時計を目の端に、呟いた。


 今となってはもう未来のことだけど。

 世界はむせかえるような程にグローバル。


 これはSFを生きる僕の物語である。



【1】



 民間個人用に調整された思考加速を使うこと三時間弱。残る宿題が面倒なレポート作りだけになった。

 レポートまで手をつけるか迷ったけれど、真面目モードが切れてしまったこともあり、まだ金曜日だからとヘタレて卓袱台でミカンを剥くことにする。今日は何事もなかったなあ、なんて思いながら剥くのだ。


 しかし、そうしてしばらく手の皮を黄色に染める作業をつづけていると、実家の父親から久し振りに電話がかかってきた。何事だろうか。


 自分の首の後ろ辺りを『トントン』と叩いて応答すると、網膜投射が行われて視界の隅──布団の辺りに父親の姿が現れた。そこは先ほどまで課題一覧が映されていた場所だった。


 投影映像(ホロプログラム)越しだとはいえ、相変わらず現実味のない容姿の父親だ。

 元気そうで何より。


「おっ、出たな」

「うん、出たよ」


 父親は片手を上げて口を開いた。

 ミカンを剥きながら応える。


 電話の内容は一人暮らしにおける心構え、生活習慣の確認とお堅くて怠いもの。自分を想ってのことだと想像がつかないほど幼いつもりもなかったけれど、なんだか照れくさい。


 普段ならそんな照れくささに耐えかねた僕が「あーはいはい」なんて適当に応対して、それに拗ねた父が頰をぷくーっと膨らませる所までがお約束なのだが、今日の父は不思議なことにただニコニコ笑っている。

 なんだかその温和な表情がやけに僕の心をささくれ立たせる。僕が胡乱げな表情を浮かべていると、父は「そういえば」と全く『そういえば』じゃない口ぶりで話し始めた。


 その胡散臭くそつのない喋り方は、父が何か言いたくてたまらない、けれどまだ言わずに隠している時のソレだった。

 経験則からいうと、残念なことにこの後の話は長くなる。

 しかも、婉曲で、皮肉的な言い回しな話が。


(うつろ)くん。人類は何百年の進化の過程で様々なものを身につけてきた。それは例えば火であったり、言語であったり電化製品であったり。非常に多様で多岐に渡るということは考えるまでもない。


「最も最近の身につけたモノは、なんと言っても『生体ナノマシン』だろう。


「ぼくたちは『時』という非常に曖昧な概念に流れに任せて『生体ナノマシン』を体に埋め込み、空間を構成する新たな要素である『空素』を発見したんだ。


「今から考えると初めて埋め込んだ人は怖くなかったのだろうか?その答えは多分、人類が今も昔も持ち続ける好奇心のなせる技だったんだろう。納豆を作り出した時のようにね。……ただ、ぼくはまた思うんだ。


「ぼくは哲学者ではないけれど、それでも哲学者を志した人間だ。


「だからこそ、今でも、いや、今だからこそ考える。今の世界は本当に進歩しているのだろうか……ってね。


「かつての哲学体系は東洋と西欧で絶対的な隔たりがあったけれど、そのどちらもが『懐疑』の道を通ってきたっていうのは、虚くんには何回も話したから知っているよね。


「そうさ、西に住む敬虔な神の信徒から東に寝る貧困な仏の使いまで。その全ての人間が自己に問い続けてきたんだ。


「目の前の世界は本当の物なのか。

「火が熱いのは気のせいじゃないのか。

「壁を通り抜けられないのはただの偶然じゃないのか。

「僕が見た赤は彼にとっての緑じゃないのか。

「輪廻転生があるならば全人類が自分の来世と前世じゃないのか。


「『哲学は美しい。しかし哲学は汚らしい』

「哲学は泥臭いし汗臭いしなにより水臭い。僕等がどんなにこの世の真理を目指そうとしても、目指せば目指すほどそのゴールからは遠ざかっていってしまう。偉大なる先達の発破掛けの言葉に『無知の知』なんてものがあるけれど、『無知の知』であることそのものが障害になってしまうなんて彼らは思いもしなかっただろう。


「疑うことが罪であるなんて随分と神学のようだよね、虚くん。……まあ、面白くもない哲学ジョークなんだけどさ。


「ものに名前が付けばつくほど悟りからは遠ざかる。

「概念が知覚されればされるほど真理からは遠ざかる。


「遂に思考の波に揉まれて酒に呑まれた哲学者達は口々に言ったよ。『哲学は罪だ』ってね。


「……さて、そんな雑談はさておいて。最近ぼくが苦節5年の末に『摩訶婆羅多』を入手したことは知っているだろう?実はその中に興味深い詩節がいくつかあってね。お陰様でここ最近はお母さんに『私に構え』なんて可愛らしく怒られるくらい研究に夢中なんだよ。


「そこでね、いつまでも手元で燻らせているのもなんだかもったいないし、ここは虚くんに一つやってもらおうと思ったことがあるんだ。


「……そんなに身構えなくてもいいじゃないか。なあに、なんてことはない。文系の中でも最も利益も生まないと名高い哲学科で働くおじさんからのプレゼントだよ。


「君にはこのゲームをプレイしてもらいたい」


 君は昔からゲームを欲しがったからねえ。ちょっと遅めの誕生日プレゼントだと思って喜んでくれると嬉しいな。最後にそう付け足すと、僕の父親は子供のような笑みを浮かべた。


「あー、ありがとう……?」


 目を細める父に戸惑いつつも礼を言う。

 ちなみに、疑問形の理由は自称おじさんの『おじさん』発言に対してだった。というのも、父親の顔は僕から見ても同年代にしか見えないほど幼い。一緒に買い物に行くと僕が父親だと間違われてしまう程度には幼い。大学で哲学科教授を務めるくらいには年くってるはずなのに、若いのだ。(教え子には化け狸扱いされているらしい)


 母親は笑顔が似合う素敵な顔だなんて惚気ているけれど、年を考えない、その『花が咲くような笑顔(父親に対する表現ではないことは重々承知しています)』は僕にこの人本当はエルフなんじゃないかと思わせるには十分なものだった。

 いや、人間の僕にエルフの血が入っているわけがないのだけども。


 しかし哀しいかな、そんな笑顔から目を逸らそうとしたところで網膜投射ゆえに父親が視界から消えることはない。

 僕はテーブルに肘をついて「あー」と発声した。

 自然発生した声は、我ながらやる気のないものだった。


「……ゲームかあ。貰えるならありがたく遊ばせてもらうけど、僕、脳トレ系ゲームは好きじゃないよ」


 ポケモンをねだった三年生の誕生日プレゼントに渡された、脳トレーニングのソフトを思い出し、僕は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 何が面白いのか、父親はコロコロと笑って否定した。


「知ってるとも。……だからこそ、これをあげようと思ったんだ。今、虚くんのナノマシンに今送ったから見てみてよ」


「今送ったの?相変わらず行動が突発的だなあ──あぁ、来た来た」


 視神経に紛れ込んだ生体ナノマシンが父親から送られてきたゲームデータファイルを視界に示してくれる。


「……あれ、随分データ軽いんだね」


 落としきりじゃなくて起動の度に専用サーバと接続するタイプのゲームはソシャゲかMMOくらいしか心当たりがない。わざわざデータを送ってきたってことはそこら辺からダウンロード可能なタイトルが多いソシャゲとは考えにくいし……。

 僕の疑問と受信データの解凍は5秒ほどで終わる。


 視界に表示された見慣れない無機質なアイコンに意識を合わせるとゲームタイトルが表示された。


「タイトル名は──ええと、【プラティアわー、る……ってこれ、すごい有名なやつじゃなかったっけ?」


 よく完売御礼の感謝CMをみる作品じゃない?なんのためにCM流したんだよ、とツッコんだ覚えがある。

 しかし、そんな僕の反応を見た、基本的に小難しい哲学書と妻にしか興味がない父親はさも意外そうに「あれ?」と小首を傾げる。


「虚くん知っているのかい?……いやぁ、お父さん生徒のレポートがコピペっぽかったからネットで梵我一如について調べようとしてたら見つけちゃってさぁ──」


 流行に疎い父親が最近の大学生のたるみを愚痴るのをよそに、僕はそのゲームタイトルを再度見直した。



ปรัชญา(プラティア) world’s(ワールズ) δημιουργία(ディミオリギア)



 以下の情報は、あやふやなこのゲームに対する自分の知識を整理する意味も兼ねて、僕が後日調べたものになる。


 どうやらこの作品、やはり超有名なVRMMOで間違いないらしい。よくわからないタイトルの日本語訳はそれぞれ『哲学』『世界の』『創造』で、日本の掲示板や攻略サイト、SNSなんかでは頭文字をとって『PWD』、転じて『基盤』などと言われることなんかが多いらしい。……ということは、父は『哲学』の文字に反応したのかな?


 詳細としては、

 商品価格は5000円。

 補助アイテム、キャラメイクには課金要素あり。

 ガチャ系の要素はなし(ないとは言っていない)。

 接続料年4000円。

 謳い文句は『残された人生の最初の日を過ごす』

 といったかんじ。


 ゲームジャンルは『セカンドライフ』と、VRとしてもMMOとしても特に目新しいものではないけれど、開発元がとんでもないビックネームだったことから発売前から大きく話題になった一本なのだという。

 発売後も、挑戦的なゲームシステムがいい意味でも悪い意味でも話題の的で、いまだに店頭に並べばその日には無くなってしまう人気ゲームであるらしい。


 どのくらい人気かといえば、パズルゲーと漢検ゲーしかゲームに縁のない僕が、発売当時から知っている程、と言ってもいいだろうか。

 現代のスーパーマリオ、ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーである。


 残念ながらダウンロード販売がなかったためやはり、自分にゲームは縁のないものなのだと改めて諦めていたのだけれど……。


「って虚くん?聞いてる?」


「ああ、うん。ありがとう。早速やってみるね」


「……明日は休日だけど、だからといってやりすぎないように。程々にするんだよ」


 お父さんはそう言って電話を切った。

 興味あるものを見つけたら一直線になってしまうのはお互い様。今の僕に話が通じないことをこれ以上ないくらいに察したお父さんは、驚き呆れた顔をしていたに違いない。


 PWDのホログラムのデータファイルと共に、手元が見える。惰性で剥いていた目の前のミカンがやけに色褪せていた。なんとなく、目を動かしてデータインストール中のゲームアイコンにミカンの皮を被せてみた。


【インストール中78%】


 偶々ネットで見つけたゲームを偶々店頭で入手できるなんて、お父さんらしい豪運だ。あの異常なまでの童顔も豪運も僕には全く遺伝子なかったからな。こんな時は猛烈に嬉しく思えてくる。

 ……いや、童顔は遺伝しなくてよかったか。


 体を動かすことに縁のない僕がどこまで通用するのかは分からないけれど、この『人間』としてじゃない自分になれるのなら。

 ……この、顔でない何かに、なれるのなら。


 それは────。


 なんて、妙に浮ついた妄想をしてみるもインストールはもどかしいほどに進まない。

 卓袱台の上のミカンの瑞々しさはすべて腹の中に収まってしまった。


 ……むむむ、むう。


 もしここに懐古的な扇風機が一つあったなら、僕はソレに向かって「あああああ」とやることで時間を潰すことができただろう。

 ハイデガーのように『現存在』と『世界内存在』の二つの単語にタンゴを躍らせて、見事に物事の存在を証明することだってできたのかも知れない。いや、できたに違いない。否、くだらない。


 ならばここは一つ、あえてもっともっと妄想を掻き立てることで意識的に自分を寝かしてみるのはどうだろうか。例えば世界に人型の動物は人間しかいない世界なんでどうだろう?


 余りにも、戯論か。


【インストール80%】


 何分待機しただろうか。

 網膜投射によって浮かぶ数字はやはり遅々として進まない。

 いや、進んではいるのだけど、待ちきれない。

 いうならば、ローディング画面でボタンを連打する心境だ。


【インストール100%】


「──あ」


 現在時刻19時12分。

 83パーセントから一足飛びに100パーセントへ。

 薄暗く点滅していたゲームアイコンはダウンロード終了と共に明度が上がり、今か今かと選択されるのを待っている。


 暇すぎて、どこまで細く割くことができないかと思考錯誤していたみかんの白い筋を掃除機の方に投げる。

 今になってこのゲームについて調べておけば良かったと思ったが、もう遅い。

 下種の後知恵だ。


「【みかん】」


 予め登録しておいたアプリスタートの起動音声を唱える。


 目眩、微睡み、陶酔。


 視界がぐるぐると回る感覚から自分がとろとろに溶けていくような快感へ。


『胎内へ還るような感覚』と誰かが称した感覚を経て。


 僕は。


 ボクは。


 ぼくは。


 落ちていった。


 あまりにも無知のままに、沈んでいったのだった。




 【セーブの空きを確認。バックアップの作成をします】



  【バックアップの作成をしました】



【空素変換及びα除去完了】



 【安全機能確認、生体ナノマシンの異常なし】



【『情報規制』へ接続しました】



 【魂核表層及びコモンマインド波の転送完了】



 【生体反応転写完了。視界表示異常なし】



  【精神的異常及び身体的不備なし】



 【・・・──・・の創造を、開始します】

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