6-7
「遅かったじゃないか」
「少し感傷に浸ってた」
「アンタもそんなことを言うんだね。初めて知ったよ」
親子程に歳の離れた女性が二人。
間接的な淡い照明で照らされた雰囲気のある部屋で対峙している。
「教えたはずだよ?この仕事に個人の感情は必要ないと」
「それでも……だ」
「ふふ、嬉しくなると言ったらダメだね。いつの間にかヤキが回ったもんだよ」
年老いた女性がため息を吐く。
ただ、その顔には優しい微笑みが浮かんでいた。
「さ、早くしな。既に勝敗は決まった。ここからはスピードが命さね」
「分かってる」
そう答えた若い女性の手は小さく震えていた。
「いいかい、これは役目なんだ。私達の仕事は人様から褒められることじゃない。だからこそ、信念が必要なんだ。後ろ暗い仕事だからこそ、信念が無ければ私らは盗賊と何も変わらない。そうなれば遅かれ早かれいつかは排除されちまう」
「……はい」
若い女性は呟くように答える。
それが彼女の精一杯の返事だった。
「リュンヌ。アンタは良い娘だった。商品としても、弟子としても、そして娘としても最高に自慢できる」
その言葉をきっかけにリュンヌの瞳から大粒の涙が流れ出る。
決して止まらない小さな嗚咽を引き起こしながら。
「私の首をオーランドと皇帝に渡すんだよ。それで組織は存続できる。アンタが新しい頭となって。まだ若い娘達を頼むよ」
「……今までありがとう。ベリス母様」
「いや、母親失格さね。大事な娘にこんな辛い役目を背負わせてしまうんだから」
べリスはリュンヌの顔をそっと拭いてやる。
「あと、これは逃げた帝国議員たちの居場所さ。ここを叩けば邪神との戦争に専念できる。気を付けな。それにメリス教の奴らは何処へでも自由に移動する魔法を使える。アンタの推測通りさ。魔法の詳細はオーランドの王が知っている。詳しくはそっちに聞きな」
”アンタは優秀だから大丈夫”とべリスは微笑み、リュンヌの頭を撫でる。
「私はいつでもお前たちを見守っているよ」
「はい」
「辛い思いをさせてすまないね」
「はい」
リュンヌはあふれ出る涙を抑えるのを諦め、短剣を引き抜く。
「さよなら、母様」
「ああ、ありがとうね」
短い別れの言葉。
小さな声でリュンヌは呟き、短剣を振るう。
そして、魔女べリスの首は地面へと落ち、崩れる体をリュンヌは受け止める。
「ごめんなさい、少し遠回りをします」
リュンヌはべリスの体から溢れる血を避ける事すらせず上を向き、ただ涙が止まるのを待っていた。
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雲一つない夜空に浮かぶ月。
さざ波一つ立たない湖面には、空と同じ丸い月が映っている。
湖の周りからは虫の声が聞こえるだけ。
人工的な明かりは勿論、風に揺れる草木の音すら聞こえなかった。
一人の青年は飽きることなくその湖面をただじっと眺めている。
どれくらいの時間が経っただろうか。
青年の後ろから草木を踏みつけてやってくる一人の足音が響いてくる。
ただ、青年はその足音に見向きもしない。
生気を抜かれた様にただ湖面の月を見つめていた。
「探したぞ、フィス!」
背後から投げかけられた声。
それと同時に青年の体が宙に舞う。
バシャン!!
青年は湖面に叩きつけられていた。
湖面に映った月は姿を消し、ゆらゆらと揺れる波が月明かりをキラキラと反射させていた。
それでも、青年は動かなかった。
抵抗することなく全てを受け入れ、ただ湖にプカプカと浮かんでいた。
「体が動かないか!そんな状態でよくもまぁあれだけの大見得を切ったな!!この屑が!!」
青年を蹴ったのは短い金髪の女性だった。
その女性は、躊躇することなく湖に入り、水面に浮く青年の襟を引っ張り、岸まで引きずり出す。
「言ってみろ。お前はどんな目論見があってあんな大見得を切った?!魔法一つ使えばすぐにダメになるその中途半端な体で!!」
女性は青年に馬乗りになり、胸元を掴み何度となく上下に振る。
「泣いているの?リュンヌ……さん」
青年は驚き、僅かに動く手で女性の頬に触れる。
その頬には暖かい雫が止めどなく溢れ出ていた。
「……教えろ。どうしたら、どうしたらこの痛みは消える、最愛の人を自らの手で殺した痛みは何をすれば癒される……」
「わかりません。僕もまだ痛くて、痛くて堪らないから。時間が経ってもちっとも直らない」
女性の涙につられる様に、青年の目からも涙が溢れだす。
「どうして……お前は立ち直れた。どうして頑張れた。いくら自分を鼓舞しても何の意味もない、ただ苦しくて、申し訳なくて」
女性は青年の胸に顔を押し付ける。
そして小さく嗚咽を漏らしながら、体を震わせていた。
「話してください。僕も全てを話します」
「分かった。でも、お願い。時間を……」
「はい」
何もない湖岸。
一組の男女が泣き合う声が響いていた。
癇癪を起した子供の様に、ただ喚き泣き散らす。
そんな声が収まったのは、それからずっとずっと後の事だった。
………
……
…
「なるほどな。それで説得できる目途はあるのか?」
「わかりません。でも何とかします。ルーチェも協力してくれると言っているので」
「ふん」
リュンヌはつまらなそうに返事し、湖の水で体を洗う。
その姿をフィスはじっと眺めていた。
(綺麗だ……)
月明かりに照らされ幻想的な裸体を惜しげもなく晒すリュンヌ。
キラキラと輝く湖面に映える、整った体。
重力に逆らう上向きの胸や尻、神が作ったかのような小さく滑らかな横顔。そこに違和感なく添えられる艶やかな金髪。
その姿は今までフィスが見てきた何よりも美しく、神秘的な物だった。
「いたっ!」
フィスの体が小さく跳ねる。
それは外部からの攻撃ではなく、内面から蹴り上げられたような痛みだった。
「倒すべき敵のリストは私が揃える。これからは全て私の指示に従え。死ぬ場所も私が選ぶ。お前の全てを私に寄越せ」
「逃げろ……とか言わないんですか?」
「言うか。お前の全てを利用し、お前の命も駒として使わせてもらう」
「らしいですね」
「その代わりお前が背負おうとした重荷は私が全部肩代わりしてやる。お前一人で全部出来ると思うな馬鹿が」
「その通りですね」
フィスはフッと笑っていた。
それはリュンヌの言葉に一切の遠慮や嘘が無いから。
酷い事を言われているが、とても心地が良い。
ここまで素直な感情をぶつけられたのは初めて。
いや、ずっと前から、初めて会った時からこの人はそうだった。とフィスは思い直し再び笑みを浮かべる。
恐らくこんな風に笑えるのはこれが最後だと感じながら。
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「話は分かったよ。で、私が手伝うと思うのかな?」
「はい。セプト様は人との争いには手を出さないと仰ってましたから」
「うん?まるで人との争いではないみたいな言い方だね」
フィスと創造主の一柱であるセプト。
二人は向き合い話し合っていた。
この二人の話し合いは、フィスが夜中にセプトの部屋に忍び込み
それに気が付いたセプトがフィスを快く迎え入れた事で実現している。
そうでなければ、フィスの振る舞いに対して亜人達が黙っていない。
「少なくても今回の一件は人ではなく神の力が関わっています。事実、ルーチェはその力によって殺されたんですから」
「……どういう事かな?」
「ルーチェに聞いてください。気が付いているのでしょう?僕の中にルーチェがいるって」
「そうだね。それが一番早そうだ」
セプトは頷き、フィスの胸に手を当てる。
その手はフィスの体にゆっくりと埋め込まれ見えなくなる。
その状態のまま、フィスもセプトも動かず、時間だけが過ぎていった。
「君の言う通りだね。これはメリスの力。しかも君の体にもメリスの力が僅かにだけど宿っているね。これは……器にされたね?」
「はい。その中で近い将来メリスが復活する事も悟りました。恐らく別の器が出来つつあります。器にされかけた時、感覚的にもう一つあると感じました」
「……うーん、君の言う通りだろうね」
セプトはフィスの体から手を離し、両手を床に突き天井を見上げる。
「何故、私が人への介入を躊躇うのに、街を発展させたか分かるかい?」
「身を守るため……でしょうか?」
「ははっ、それもいいね」
セプトは小さく笑い、窓の外を見つめる。
目に見える遥か先、光さえ届かないどこか遠くを。
「フィス君は何処から来たと思う?」
「それは違う世界から」
「違う世界があるかという議論は別として、メリスにそんな力は無いよ。勿論私にも」
小さく首を振りながらセプトは答える。
「恐らくだけど君は遠い未来から来た。本来メリスにそんな力は無いけど転移を利用し、いくつかの奇跡が重なった結果なんだろうね。そして、未来には私たちの力は存在しない。だから私はこの町を作ると決めたんだ。残念ながら私は君たちの世界を知る事が出来ないから」
「それって」
「うん、私達も遠い未来には滅びているという事さ」
フィスへと視線を戻したセプトは少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「未来はそれでいいと思っている。だけど、邪魔もしたくはない。元々は人の進化を期待してたんだけど、先に答え合わせをしてしまった気分だね。しかし、その未来はフィス君たちが呼び出された事に大きくズレる可能性がある。私ではどんな加減をしていいかも分からない。だから、私はフィス君に賭けて力を貸すよ」
「いいのですか?」
「うん。だけど、私にそんな大きな力は無いからね。せいぜい君の持っている剣にフィス君の弱点を補う付与を行うくらいだよ。それでもいい?」
「勿論です」
フィスは頭を下げていた。
自分のやる事を理解し、手助けしてくれる。
それだけでも十分。
感謝の気持ちしか湧かなかった。
「あと、手助けをする条件として、この件が終われば君が直接戦う事を絶ってもらうよ。どんな場合でもだ。どんな形にせよ君が戦う事は影響が大きすぎる」
「問題ありません」
フィスは即答する。
未来の事などフィスにとっては考える必要のない事だから。
「本当に分かっているのかい?ルーチェちゃんの魂をその身に入れ君は魔力の制御を覚えた。いや、分担しているといえばいいかな。膨大な魔力を細かに制御するなんて離れ業を身に着けた最強の人間なんだよ。君は」
「……そんなの興味ないです。そんな力より最愛の人が生きててくれた方がずっと価値がある」
フィスは寂しそうに告げる。
自分の胸にそっと手を置きながら。
「……例外として、君自身と……君の大事な人を一人だけ守る場合は別にしよう。君は死にたいようだけど、僕は君に生きて欲しいからね」
「ありがとうございます」
フィスはセプトの好意に感謝する。
それが自分の意思とは違う物であったとしても。
他人の純粋な好意。
それがこの世界でどれだけ貴重なのか知っているから。
「そうかい。なら、早速始めよう。剣を貸して」
フィスは、持っていた魔法の剣を差し出す。
恩人の形見であり、沢山の死闘を潜り抜けた相棒。
それを鞘から抜き放てばいつもと変わらない、白いオーラを纏っていた。
「君に必要なのは、魔力の過剰消費による体への影響を防ぐ事だ。だから、君の剣には直接倒した相手の魂を砕き、分解し、吸い上げ、回復させるする機能を付けるよ」
「魂を砕く……剣。ソウルクラッシャー?」
「うん?遅めの中二病かい?実物を見るのは初めてだね」
セプトはケラケラと笑いながら、魔法の剣を床に置く。
そして、剣身を指先で何度もなぞっていく。
いつもならどんな事もすぐに完成させてしまうセプトが、何度も何度も丁寧に剣身をなぞり、自身の力を移していくような仕草を見せる。
「うん。出来たよ!この剣さえあれば戦いで打ち負けない限り君は戦い続ける事が出来る。君の力と合わせれば私達にさえ届き得る力になるかもね。人には必要ない過剰な力だから、この剣は後で返してね」
セプトは剣を持ち上げ、フィスに差し出す。
その剣はいつもの白いオーラではなく、深蒼のオーラを纏っていた。
「分かりました。必ず届けます」
フィスは剣を受け取ると、そのまま頭上に掲げ膝を付き、頭を下げる。
それはこの世界の騎士達が行う臣従の礼だった。