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6-5



全方位から降り注ぐ狂気にも似た熱気。

蜜蜂の巣と見間違う程の群衆。


懐かしい。

全然変わってない。


この場所を俺は知っている。

いや、忘れられるわけがない。


剣闘士として初めて立ち、沢山の命を奪った場所。

この世界で初めての仲間が出来た場所。


そして、何より大事だった命の恩人を殺した場所だ。


目をつぶれば、その光景が今でも鮮明に浮かび上がってくる。


あの日も今日と同じ。

抑えきれない興奮が、嵐の様に降り注いでいた。


全てがあの時と変わらない。


この場所。

帝国内最大の闘技場。


ここに俺とルーチェ、そしてリティの3人で立っていた。



「お久しぶりですね。フィス君、ルーチェさん、そしてクリティア姫」



正面から立つローブを纏った男が話しかけてくる。


名前はディエス。

確かに顔には覚えがある。

メリス教の司祭。


リティが攫われた町。

トゥテレの町で俺と会っている。


俺が別の世界から来た人間だという事を知っている人物。


そんな事を考えている間に、ルーチェが俺の前に出た。



「ディエスさん。昔フィスを救ってくれた事。それは凄く感謝してる。ただ、こうなった以上遠慮はしない!」

「ええ、勿論です。お互いの役割をこなしましょう」



ルーチェの言葉にディエスは優しく微笑んで答える。


気持ち悪い……いや、それを通り越して不気味だ。

こいつの笑顔。


それは偽りじゃない。

本心から楽しみ、プレゼントを待ちきれない子供の様な笑顔を浮かべている。


殺し合いをするこの場所で。

肌が逆立ち、俺の全身が危険だと言っている。



「ああ、フィス君。一つ言うのが遅れてしまいました」

「なんだ?」

「お子さん生まれたそうですね。おめでとうございます」



最低な気分だ。

祝いの言葉がこれほどまでに気持ち悪いと感じだ事は無い。



「殺し合いがお祝いとは随分だな」

「確かにその通りですねぇ。ですが、これは私の本当の気持ちですよ?」

「なら、ここで負けてくれ。それが何よりの祝いだ」

「うーん、最早止められませんからねぇ。これは国を賭けた戦いです。これで八百長してしまえば荒れますよ?」

「はっ、ハナからそんなつもりなど無いだろうが」

「あ、わかります?」



フフッとディエスは楽しそうに笑っていた。

最悪な人間だけど、その度胸は大したものだと思う。


これから殺し合いを行うのに、まるで友達と語らっている様にしか見えない。

自然体の姿は熟練の剣闘士よりも場慣れしているように感じる。



「あ、始まるみたいですよ?」



そのディエスの言葉と同時に一人の男が声高々に宣言を始める。


内容は既に決めてある事を繰り返すだけ。

この戦いで帝国が負けるか、オーランドが撤退するか。


そのどちらかしかないと高らかに宣言される。

さらに、一枚の紙を掲げ、その内容がオーランドと帝国の代表者印まである事が告げられ、ここにいる全員が証人だと念押しまでされる。


その宣言を聞いた観衆は、大きな歓声が上げていた。

帝国の民衆からすれば、どちらが勝とうと被害はない。


帝国が勝てばそのまま、オーランドが勝っても皇帝が戻ってくるだけ。

むしろ逆境を覆し帝都まで戻ってきた皇帝の方が帝国を治めるのにふさわしいと感じている者が大半だ。


そんな理由もあってか、民衆はオーランドの代表である俺の名。

”フィス”や”奴隷王”と叫ぶ歓声があちらこちらから聞こえてくる。



「ルーチェ、俺はこの足ではうまく動けない。任せられるか?」

「ああ、大丈夫だ。奴等の狙いはリティかもしれない。フィスはリティを守ってくれ」

「わかった」



嬉しそうにルーチェは頷く。

なんでそんなに嬉しいのか分からないけど、ルーチェから緊張は感じられなかった。


いつのまにか、ルーチェも頼りになる戦士に成長していた。

本当に皆強くなった。


先ほどまで試合の宣言していた男が手を上げる。

すると、周りからあがっていた歓声が一気に止まる。


時が止まったかのうような静寂。


それがしばらく続き……男が手を振り下ろす。


その瞬間、体の芯まで届く銅鑼の音がが鳴り響く。

国を賭けた戦い。


それが今始まった。






「ルーチェは左に、リティはこのまま俺の後ろに!」



全力で声を張り上げ、指示を出す。

一人の声など簡単にかき消されてしまう状況で。


二人からの返事は聞こえない。

ただ、指示通りルーチェは左に、リティは俺の後ろに隠れるように動いていた。


俺は剣を抜き、地面に刺す。

立つ位は杖無しでも出来るが、抜身の剣を支えにしていた方が動作は早い。


敵は一人は左に動き、もう一人はディエスの護衛をしている。

左の敵はルーチェに、ディエスともう一人はただこちらを見ているだけだった。



(魔法か?あいつら……少しも動かない)



不気味だった。

相手の方が有利なのに、何も行動を起こさない。


もし、ルーチェが1対1に勝てば相手の絶対的な優位は無くなるのに……



「「おぉぉぉ!!!!!!」」



次の瞬間、体を芯から揺らすような声の嵐が巻き起こる。

ルーチェと敵の一人が戦いを開始したせいだ。



(この熱気……、尋常じゃない)



昔俺が戦った時も凄かった。

蜜蜂の巣の様な群衆から発せられる嵐の様な声。


でも、今回は全く次元が違う。


どんな感情なのかすら分からない、ただただ魂を揺さぶられるような

塊が押し付けられて続けているようだった。



「フィス!」



後ろから微かに聞こえる声。

それはリティが全力で叫んだ結果だった。


リティは他にも何か言っていたが、聞き取る事は出来なかった。

ただ、俺の背中を掴み、震えていた。


無理もない。

こんな状況、殺し合いすら経験していていないリティなら動くことすら無理だろう。



「そのままでいい、立っているだけでも立派だ!」



俺は叫ぶ。

聞こえたかどうかも分からないが、言わないよりはマシだ。


すると俺の左腕にリティの手が伸びた。

そして、俺の腕と体の間にリティはその細い体を割り込み、俺を支え始めた。



「何を?」



リティは何か言っていた。

この距離ですら聞こえなかったが、その意思は伝わってきた。


自分も戦う。

その意思がリティの震える体から伝わってくる。


俺は口を噤み、一言だけ答えた。



「頼りにしてる」



聞こえてないだろう。

ただ、そんなの関係ない。


本当にリティは強くなった。

リティに負けないように、俺も気合を入れ敵の動きを注視する。



「何を……してる?」



敵の一人が突然地面に膝をつき、大量の血を吐いた。


ディエスだ。

敵のリーダであるディエスがいきなり苦しみ始めた。


理解できない。

何をしてるんだ?


それは見ている観客も同じだったのだろう。

観客は動揺し、今までの歓声が鳴りを潜めザワザワと戸惑った感情が闘技場を包んでいた。



「フィス!」



ルーチェが戻ってくる。

ルーチェと戦っていた敵は、ディエスを守る様に陣取っていた。



「気を付けろ、何かある……」

「ああ、分かってる」



ルーチェは頷き警戒する。



「リティ、俺達から離れて。一か所に纏まれば危険だ」

「わ、わかりました」



もし魔法による一撃が来れば全員がやられる。


ルーチェもそれを分かっているのか、魔力を魔法の盾に込める。


ただ、相手の動きが分からない以上、動けなかった。

このままディエスが死んでくれれば……そんな思いが過ぎるが、そんなに上手く事は無かった。



「やはり、聞くと実践するのではまるで違いますね……本当に信じられない。これでも尚生き続けるとは」



ディエスはゆっくりと立ち上がる。

周りが静かになったせいか、呟いたディエスの言葉がしっかりと聞き取れた。



「ですが、準備は整いました」



意味が分からない。

ついさっきまで、ディエスは地面に膝をつき、何か出来るような状態じゃなかった。

なのに今は顔色こそ悪いが、自分の足で立ち上がっている。

その両手にはいつの間にか取り出した黒いナイフが握られていた。



「皆さんの献身、感謝します」



ディエスはそう呟くと持っていたナイフを自分を守っている黒いローブを着た男達の首に突き刺した。



「なん……なんだ?」

「2つの魂を捧げました。これでメリス様のお力を借りる事が出来ますね」



ディエスは微笑みながら告げる。



「!!」



あいつがやろうとすること。

それを俺は誰よりも知っていた。


周りから発せられる異常な感情のせいで気が付くのが遅れた。

ディエスの体から発せられる膨大な魔力。


あれは俺と同じだ!


油断していないつもりなのに。

なのに、遅れてしまった!


ほんのわずかな時間。

それが命取だった




「全員離れろ!!すぐに!!」



声の限り叫んだ。

ルーチェやリティだけじゃない。


ここにいる全員に向かって



「……遅いですよ」



ディエスの抑揚のない声、それと同時に生暖かい風が俺の頬を撫でた。

直後、全身の肌が沸き立ち、体が硬直する。


俺だけじゃない。

リティも、ルーチェ、いやここにいる全員が俺と同じようにピクリとも動かない。



「動かないで下さいね」



静まり返る闘技場にディエスの声が響き渡る。



「皆さんには少々、制限をかけさせていただきました。ここから一歩でも動けば体が石化し死に至る呪いです」



ディエスは、優しく告げる。

内容は笑いながら話せる内容ではなかった。



「ですが、ご安心を動かなければなんの問題もありません」

「う、嘘だ!俺は逃げるぞ!!」



観客の一人がそう叫び、会場から逃げ出そうとする。


変化はたった一歩で現れた。

一歩踏み出した足がパキリと音を立てて固まり、逃げようとした男はバランスを崩し倒れこむ。


倒れるまでの僅かな間。

そのほんの一瞬で、男の全身は石へと変わり地面へ打ち付けられ四散した。



「「ひぃ」」

「た、助けてくれ!!」



その姿を見た観客は悲鳴を上げ硬直してしまう。

中には恐怖に負け膝から崩れ落ち、石化する者も現れていた。



「安心してください。皆さんが動かずにこの戦いを見届ければ皆さんは無事に元の生活に戻れます。なんの心配もいりません……って、聞こえてないですね」



会場は一気にパニックになっていた。

安全な位置から見下ろせるはずだった殺し合い。


それが、自らの命も危うくなった瞬間、冷静でいられるものはほとんどいなかった。



罠……。

想像はしていた。


だけど、こんな罠が仕組まれているなんて予想しなかった。

いや、出来なかった。


こいつは。

ディエスは、ここにいる全員を人質に取ったんだ。


でも、俺には関係ない。

ここにいる観客がどうなろうが知ったこっちゃない。


ルーチェとリティ。

二人が無事であればいい。


それを叶える方法はある。

威力が強すぎて観客も巻き添えにするけど、迷う必要はない


この剣を一振り出来れば、それですべてが終わる。



「それは……困りますね」



ディエスと目が会う。

微笑みながら、こちらを見ている。


ただ、ディエスは手に持っていたナイフを捨て、ローブの中からゆっくりと武器を取り出す。



「クロスボウ?」

「ええ、フィス君の国の知識を活用させていただきました」

「……嘘だろ」



この動けない状況でクロスボウ?

冗談じゃない。



「嘘じゃないですよ?本当です」



ディエスはクロスボウを構え、引き金を引く。

たったそれだけの動作で、俺の足元に一本の矢が突き刺さった。

それは人が放つ矢よりも何倍も早かった。


始めて見る。

元の世界の武器がこんなにも凶悪だなんて想像すらしなかかった。


恐らく全神経を集中させても矢を弾く事が出来るかどうか。

この世界の武器とは一線を画す凶悪な武器だった。



「どうするつもりだ?」

「そうですね、こんなのはどうでしょう」



ディエスは散歩するように少し歩き、クロスボウをリティに向けた。

そして、一切の迷いなくリティに向けて矢を放った。



「!!」



俺は即座に持っていた剣を投げた。

その剣は、何とか矢に当たり一撃を防ぐことが出来た。


だがそれだけだった。

もう防ぐ手段どころか、状況を覆す一撃すら封じられた。


もっと何か出来たかもしれないが、それを考える思考の隙間さえ与えてはくれない。



「やめろ……」



情けない。

何も出来ない。

ただ相手を静止する言葉を吐くだけ。



「うーん。確かに、これではつまらないですね」



ディエスは顎に手をやりわざとらしく考える振りをする。


気が付けば、痛い位に拳を握っていた。

このままじゃ、ルーチェとリティを守れない。


今できる事は黙って見るだけ。

それが情けなくてたまらない。


何のために強くなったのか。

何のために地獄の様な環境で努力してきたのか。



「では、こうしましょう。次の攻撃を止めなければ、みなさんの勝ちです。ここにいる全員の安全を保障しましょう、防げなければあなた方の負け、シンプルでしょう?」

「ルーチェとリティの無事を約束しろ」

「いいでしょう。勝敗関わらずに約束しますよ。我が主神メリスに誓って」



信頼できるか?


はっ、出来る訳がない。

俺はもう人を信用しない。


なら、やる事は一つだ。


考えろ。

今おれの出来る事はなんだ?

何ができる?今の状況は?

最後の一秒まで考え抜け!


魔法は使える。

ただ、身体強化をしても一歩でも踏み出せばすぐに石化する。


なら攻撃魔法は?

いや、制御の出来ないバカみたいな威力の魔法しか使えない。

最悪、ルーチェもリティも巻き込んでしまう。


どちらも使えない。

有効的な手段なんて皆無だ。


そういえば、さっきディエスは苦しそうにせき込み、血を吐いていた。


これだけの魔法だ。


絶対にリスクがある

強大な力は、それ相応の対価が必要となるのだから

……必ず何処かに活路はある。


俺は腰に差したナイフを確認する。

アィールさんからもらった初めての剣。


それを打ち直した短剣。

俺はそのありかを確認する。


僅かで良い。

この命にかけて、僅かな隙にこの短剣をねじ込んで見せる。



「なら、好きなようにすればいい」



不思議と心は落ち着いていた。

覚悟は決まった。


命を賭ける事なんて、今までに数えきれない位経験している。



「約束通り、次の攻撃が最後ですよ」

「ああ、そうだな」



ディエスが油断する時。

それは自分の最大の攻撃が成功した後。


その瞬間を逃がさなければ活路は見えてくる。



「ふふ、好きですよ。他人に命を預けないその姿勢」



ディエスは微笑み、手を俺に向けた。

その瞬間、体を押しつぶすような魔力の塊が降ってきた。



「こ……れ……あ”ぁ”ぁ”ぁ”!!!」



俺は地面に膝をつき、それでも体を支える事が出来ず倒れこむ。

あまりにも一方的な力だった。


体は石化すらしない。

石化した方が楽だと思える


俺の心を……魂を、上書きするような激しい痛み。


抵抗するなんて無駄。

どんなに抗っても勝ちなんて見えない。


ただ苦しい時間が増えるだけ

そんな絶望的な戦いだった。



「あぁぁぁあ”あ”あ”!!!」



哀しい。

信じた者に裏切られ、大事な人を凄惨な方法で殺され、心が壊れていく。


俺じゃない。

誰かの想いが入り込んでくる。



(人など生きる価値が無い)



フッとそんな感情が湧き上がってくる。

その言葉を否定する事など出来なかった。


俺も同じ気持ちを持っているから。

ほんの一部を除き、人は救えない存在だ。


その気持ちは痛い程共感できる。


できてしまった……。



「貴方は既にこちら側の人間です。歓迎しますよ。フィス君」



そんな俺を見てあいつは……

ディエスは微笑んでいた。



「お前は……お前だけは……」



俺は重い体を叱咤し、腰に差したナイフを引き抜く。



「ゴフッ」



口から血が溢れる。

自分の意思で体を動かそうとするだけで、魂がそれを拒絶する。


魂が消される激しい痛みが俺の全身を駆ける。



「ダメですよ。その体はもうメリス様の物。勝手に動かせば拒絶されますよ。でも安心してください、器であるあなたはもう二度と石化しませんので」



これか……

これが本命の罠か。


ヒントは沢山あった。


セプト様だって言ってたはずだ。

俺がメリスの器になる可能性があると。


俺に、俺の中にメリスが降臨する。


そうなれば、世界は終わる。

ルーチェとリティだって助からない。


それにシャールも……


人は救う価値など無い。

それは同意する。


だけど!

それでも……

シャールには幸せに生きて欲しい。


それは俺の偽らざる気持ちだった。



(約束……破ってしまうな)



迂闊だ。

迂闊だった。


だけど、一つだけある。

ルーチェとリティを救い、メリスの復活も防ぐ手立てが。


俺は握られたナイフを何とか上に向ける。

もう頭すら上げられない。

でも、あと少しで良い


俺の体が少しだけ動いてくれればいい。

手を少し動かし、持っているナイフを心臓の下へ。


体を全力で押し付ける。

そうすれば……ここでメリスが復活する事は無い。



「フィス!!!!」



ルーチェの声だ。


前に死ぬときは一緒だと約束したけど……


ごめん。

それは果たせそうにない。


約束破るよ……。

今ならルーチェの気持ちが分かる。


ルーチェは、前に俺を……いや、僕を裏切ったけど。

あれは大事だからなんだ。


自分の矜持や命よりも、僕が大事だから。


嘘つくよりも、大事な人が傷つく方が辛いんだ。

遅すぎたけど……それが今分かった。


ごめんね……僕は先に行く。

どうかシャールと幸せに。


僕は最後の力を振り絞りナイフを縦にする。


これで終わりだ。

そう思った瞬間、体がフッと軽くなった。



「えっ?」



幻想じゃない。

本当に体が軽くなった。


なんで?

理解が追い付かない。

そう思って顔を上げた瞬間、その理由が分かった。



「ごめんな、フィス」

「ゴフッ、どう…して、うごけ……」



ルーチェだった。

ルーチェが、ディエスの首に剣を突き立てていた。



「俺が……二つの命を宿しているとは思わなかったのか?」

「……なる……ほど。もう一人子供が……」



ルーチェは剣を離し、ディエスと共にそのまま倒れる。

ルーチェの足はゆっくりと石化し始めていた。



「ルーチェ?!ルーチェ!!!」



気が付けば駆け出していた。


動かない足のせいで地面に顔をこすりつけ、這いつくばり。

僕は必死でルーチェの元まで駆けていく。


そして、倒れたルーチェの体を右腕だけで抱き上げる。



「誰か!誰か治療を!!」

「無駄です……よ……解除など出来ま……せん」



こいつやっぱり嘘つきやがった!!!!

なんだよ、最初から全員殺すつもりだったのかよ!!!



「頼む!!だれか!!だれか!!!」



周りを見渡して叫ぶ。

だけど、誰一人その場から動こうとしなかった。



「……ごめん」

「とまれよ!止まれよ!!」



僕は無力だった。

ルーチェがゆっくりと石に変わっていく。

それをただ、見る事しか出来ない。


なんで、なんでいつも僕はこうなんだ。

大切な人を救う事が出来ない。



「フィスの子供、殺しちまった……」



ルーチェの声は震えていた。

僕はその言葉の意味を理解出来なかった。


ただ、その間にもゆっくりとルーチェの石化は進んでいく。



「俺を……僕を置いていかないでよ!ルーチェ!約束したじゃないか!」

「約束破る。ごめんな」



ルーチェは申し訳なさそうに笑った。

僕はその事を責められなかった。


ほんの少し間まで僕はルーチェと同じ事をしようとしていたから。



「なんで!なんでみんな僕を裏切るんだよ!!」



もう僕はその答えを知っている。

大事だからだ。


自分の命よりも、何よりも。

ルーチェにとって、僕が何よりも大事だからだ。


だから……アィールさんも、ルーチェも!!

僕の大切な人はみんな僕を裏切る。


理由は分かる。

分かるけど……残されることがどれだけつらいのか。


それを知る人はここにはいないじゃないか……。



「……フィス」



小さく優しい声。

その声と共に僕の頭が引っ張られた。



「これからは……ずっと……」



唇に感じる柔らかい感触と生々しい鉄の味。



「ルーチェ……?」



ルーチェは涙を流しながら優しく微笑んでいた。

……何をしたの?


いや、僕は知っている。

過去に経験している。



「……愛してる」

「嫌だよ!ねぇ!まって!まってよ!!」



僕を置いていかないで。

その言葉が出る前に、優しい爽やかな風が僕の頬を撫で、ルーチェの体は崩れていく。


石化した足もまだ無事な体も、グズグズと空気に溶ける様に白い灰に変わっていく。



「ルーチェ?ルーチェ!!!!」

「シャールを頼んだ……ぞ」



その言葉を残し、ルーチェはいなくなった。

僕の腕にはいくらかに白い灰が残り、そして消えていった。



「なんで……なんで」



ルーチェの最後。

その姿を僕は両方の目で見届けていた。


見えなくなったはずの左目。

動かくなったはずの左手と左足。


その全てが元通りになっているのが分かる。


……ルーチェがした事。

それは奇跡だった。



直らないと言われた僕の体を直し、ここにいる全員の呪いを解いた。

理由なんて分からない。


でも、それがはっきりと分かった。


ルーチェは命を……自らの魂を犠牲にして。

ここにいる皆を救ったんだ


……なんだろう

哀しいのに。

何よりも辛いのに。


涙が出てこない。

あれだけ痛かった心も


今は少しも痛くない。

ただ、何かの線が切れた様に心が反応しなくなっていた。


ゴッ!


その時、僕の頭に衝撃が走った。



「ざまぁみろ!!!!」



目の前にコロコロと転がる石。

その石は赤い液体に濡れていた。



(僕の血か……)



石にベットリと付いた液体。

それは紛れもない僕の血だった。



「どうだ!苦しいだろ!もっと苦しめ!この殺人鬼が!!」



僕に向けられているのは、ただの憎しみの感情だった。

観客から石が投げられ、そのいくつかが僕に当たる。


痛い……はずなのに。

何も感じなかった。



「あの女もクソ野郎だ!俺たちを危険に晒しやがって!」

「そうだ、天罰だ!天罰で死体すら残らなかったじゃないか!!」



みすぼらしい服装をした観客。

同じ様な恰好をした観客が席の最前列に陣取り僕に言葉と石を投げかけてくる。


石はどうでもいい。

だけど、言葉は何よりも鋭い剣だった。


僕の心を薄紙の様に簡単に切り裂いていく。


それが痛くて堪らない。


こいつらはルーチェに救われたはずだ。

なのに、なんでルーチェに悪態がつける?


救ってもらってなんでそんな態度が出来る?


ねぇルーチェ。

本当にこいつらは救う価値があったの?


皆殺しにした方がよかったんじゃないの?


自分勝手に物を言い。

命もかけず、安全な立場から人を責め。

救ってもらったことにも気が付かず、ただ自分の鬱憤を晴らしてく。


こいつらに価値なんてあるのか?

……無いでしょ。



「先の戦いであれだけ殺しておいて、自分だけ幸せになれると思うなよ!!」

「俺の家族を、父と兄を返せ!!」



ああ、そうか。

こいつら先の戦いでの戦った兵士の家族達か。


……理解した。


そうだ。

こいつらの言う事は正しい。


僕は責任を取らなきゃいけない。

なんで僕は兵士だけじゃなく、その家族を皆殺しにしなかったか?


戦いは殺し合い。

遠慮はいらない。

勝ったのなら相手の全てを奪い去るべきだったんだ。


間違ってた。

中途半端な事をした。

だからこんなことになる。


悲しみや憎しみは連鎖する。

だから、誰かが断ち切らなきゃいけない。


その責任を僕は怠ったんだ。


甘すぎた。

こんな簡単な事を、初めて気が付いた。



「やめて!!」



その時、僕の頭を柔らかい何かが包んだ。

リティだ。


石が投げつけられる中、リティはぼくに駆け寄り庇っていた。


それでも石は止まらない。


リティの体に。

傷一つない柔肌に、石がぶつかり、真新しい傷を作っていく。


だからなんで……。

僕を恨むのは理由がある。


だけどリティはなんだ?

どんな理由があって石を投げている?



「っ!!」



痛みを堪えるリティの声。

僕の腕に真新しい赤い液体が零れた.


僕の血じゃない。

リティの血だった。


なんでだよ。

なんでこんなことが出来る?


こいつらは一人では何もしない。

いや、出来ないただの弱者の癖に。


安全な所で群れた途端、自分の力を過信して、誰よりも強いと錯覚する。


こんなの魔物以下だろ。

いや、どんな生物よりも価値が無いだろ。



「人は生きる……価値……など……ない」

「フィス?!」



心の底から湧き上がる、黒い感情。

それが堪らなく悲しくて、心地いい。


前にもこんなことがあった気がする。


でも、あの時とは決定的に違う。

全てが僕の意思だから。


制御できなくなってる訳じゃない。

自分の湧き上がっていく想いを止めていないだけだ。


いや、止める理由がない。


もういい。

全て委ねよう。


どうせここにいる全員。

生きて帰すつもりなど無いのだから。



………

……



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