6-3
「フィス君の容態は?」
「左足が動かなくなりました」
「だろうね……いくらなんでも彼に頼り過ぎた」
オーランドの王子であるヴェルナーはフィスの容態を聞き、ため息をつく。
「片目に、左手、そして左足か。もうこれ以上彼に戦いを強いるのは無理だね」
「ええ、もうこれ以上は……」
クリティアも首を横に振って答える。
フィスはもはや独力では歩けない程疲弊していた。
それはどんな魔法でも改善する事は無い。
「我ながら思うよ。フィス君に酷い役目を押し付けてしまったと」
「誰かがやらなければいけない事です……、戦線が伸びすぎ我々はギリギリの生活を強いられています。これでは捕虜も取れません。そういう意味でもフィスは自ら進んで恨まれ役をやってくれました」
「戦意を失った敵への攻撃……味方からもかなり非難されているね。そこまでして手柄が欲しいかと」
「ええ、フィスは手柄なんて欲してないのに」
「まいったね。これは彼に対する嫉妬だよ。本当に帝国は嫌な所をついてくる」
ヴェルナーは何度目か分からない溜息をつく。
帝国が突然仕掛けてきた戦い。
最初は陽動かと思った。
しかし、数、兵士の士気、どれをとってもこちらを上回る本格的な物だった。
恐らくあのままであれば勢いに押され負けていただろう。
だからこそ、切った。
いや、切らねばらなかったフィス投入というカード。
その効果は凄まじく。
フィスたった一人で戦況を変えていた。
結果だけ見ればオーランドの圧勝。
全てが上手くいっている様に見える。
しかし、実際は帝国の方が上手だった。
敵の部隊は本来使い物にならない帝国の奴隷。
それを死をも恐れない部隊に仕立て、挙句、こちらが勝てば瓦解してしまうような数の捕虜が発生する2段構え。
いや、帝国に与えた損害は極わずか。
それを考えれば、3段構えの策と言っていい。
その事情を知っていたフィスは一人、戦意を失った敵へ止めを刺していた。
ただ、それはプライドの高い騎士達からみれば侮蔑されるような行為だった。
「帝国には本当に嫌な指揮官がいる。奴隷をあそこまでの兵士に変えるなんて聞いた事がない。しかも、その忠誠を誓った兵士の命さえ駒として扱う最悪の人間だよ」
「フィスを庇う事すら出来ないのですね……」
「ああ、こちらが内部分裂すれば、帝国は容赦なくついてくるだろうね。帝国の議員達は十分な戦力を持ったまま逃げだしている。迂闊な真似は出来ない」
敵の動きがわからない現状では、余計な軋轢を生みたくない。
それがヴェルナーの本音であり、内心ではフィスを称えていても、それを表立って口に出すことは出来なかった。
「知っているかい?独力で歩く事さえ出来ないフィス君を戦場に送ろうとしている人が大勢いることを」
「まさか……いえ、ありうる話ですね。フィスが邪魔なのですね」
「うん、フィス君の名声と武勲はもうかなりの物だ。それ相応の地位をフィス君が得ると危惧しているんだろうね。もう戦争に勝った後の事を考える人間が出始めている」
「……フィスはそんな事求めてはいないのに」
「ああ、父上が今までどれだけ大変な思いをしてきたのか、痛感するよ」
「私が言えたことではありませんが、本当に……なんのために戦っているのか。わからなくなりますね」
「うん。本当にね」
クリティアは肩を落とし俯き、ヴェルナーはクリティアの肩にそっと手を当てる位しか出来なかった。
「ヴェルナー様!!!帝国から!帝国から!!」
「どうした、騒々しい」
兵士が鉄箱と手紙を携え、慌てて部屋に入ってくる。
態度こそ無礼ではあるが、兵士はそんな事を咎めている状態でない程に焦っていた。
「これを…これを…!!」
それだけ言うと兵士は鉄箱を地面に置き膝から崩れ落ちる。
ヴェルナーは何も言わず、急いで床に置かれた鉄箱を開ける。
鉄箱を開けたヴェルナーの目は一度大きく見開き、すぐにきつく閉じられる。
そして、暫くの間を開けゆっくりと立ち上がる。
「……やってくれたな!!帝国!!!!」
ヴェルナーは叫び、怒りに任せ近くの壁をに拳を叩きつけた。
「あ、兄上?」
ヴェルナーの豹変ぶりにクリティアは驚き、慌てて原因である鉄箱の中身を覗く。
「うっ!……これは、お兄……様」
クリティアは目を背け、手巾で口を抑える。
鉄箱に入っていたのは、首だった。
クリティアの兄
ヴェルナーの弟
エルハルトの首。
「オーランド本国からも知らせが届いております。突如、オーランド城内に敵が現れ、国王様を強襲。エルハルト様もその毒牙にかかり」
「父は……国王はどうなった?」
「申し訳ありません。ローゼル氏を始め陛下の側近は全て討たれ、陛下も何処かに連れ去られました。あまりに一瞬の出来事で町に出ていた騎士達でさえ間に合わない状況で情報も混乱しており……」
「そんな、ローゼルも……」
「もう一度聞く。王は何処へ連れ去られた?」
「こちらを読んでいただければ、帝国の使者が持ってきた手紙です」
兵士は持ってきた手紙を差し出す。
それを奪うようしてヴェルナーは読み始める。
「狂ってる」
ヴェルナーの手に力が入り、手紙がクシャリと歪む。
「なんと書いてあるのですか?」
「読んでみるといい」
乱暴に差し出された手紙。
それをクリティアは受け取り、読み始める。
その内容は、想像もしない物だった。
オーランドの王を捕えている事。
それを盾に軍を引けと要求するかと思えばそうではない。
ある人物と闘技場での戦いを要求していた。
3対3の変則試合
観客を大勢入れ、どちらかが全滅するまで殺し合う。
勝者がオーランドであれば帝国を無条件で差し出す。
勝者が帝国であればオーランドは国境まで軍を引き停戦する。
それも2年前。
過去の戦争よりも前に定められた国境へ。
今の様に酷く浸食された国境線ではない。
昔のオーランドが返って来る。
そんな内容だった。
普通ならありえない。
現在も疲弊し続けるオーランドにとって、引き分けはあっても負けは無い有利な物だった。
「私とフィス、ルーチェの3人で戦えと?」
「ああ、何故その人員なのか、それは分からない。ただ、戦いさえすれば結果を問わず、父を……王を無事にこちらに返すそうだ」
「理解に苦しみますね……。父を人質にすればいくらでも我々を抑え込めるのに」
クリティアは怪訝な表情を浮かべ困惑する。
何度考えてもこの手紙の目的が見えてこない。
何故見世物の様な戦いで大国の行く末を決める?
過去にも聞いた事が無い。
ただ、この試合を受けないという選択肢はない。
オーランドの王が人質となっている以上、断るという選択肢は最初から存在しない。
例えオーランドにとってかなり不利な条件であっても。
「この差出人は帝国に興味すらない。帝国の主要な議員たちは私兵を連れて撤退済だ。戦いは終わる事など無い。ただの余興としてこの戦争を楽しんでいる」
「理由は……分かりますね」
「ああ、戦争を長引かせるこの点においてこれ以上の策はないよ。それはもう確定したようなものだ。それに」
「それに?」
「この戦い絶対に罠があるだろうね」
「間違いないでしょうね」
クリティアは目を閉じ、ゆっくりと深呼吸する。
2度、3度と大きく息を吐き、覚悟を決めた様に目を開く。
「私は戦います。戦わない事はオーランドの終焉を意味しますから」
真っすぐヴェルナーを見つめ、クリティアは言い放つ。
ここで逃げれば、オーランドは間違いなく二分される。
「辛い役目だがお願いするよ。出来る事なら代わりたいがそれすら叶わない」
言い放つヴェルナーは悔しそうに手を握る。
それに気が付いたのか、ヴェルナーはさっと手を隠す。
「お兄様……」
「笑ってくれ。しかし、驚いたよ。私にこんな気持ちが残っているなんてね」
「大丈夫です。お兄様の想い必ず紡いでみせます」
クリティアは兄に近づき、そっと抱きしめる。
「クリティア?」
ヴェルナーは妹の突飛な行動に驚き、固まってしまう。
「私は知っています。お兄様がいつも感情を殺し、国や皆の期待に応えてきたことを。本心でなくて辛い役目を引き受けてきた事。今回だけでいいです。どうか少しでも私に背負わせてください。お兄様の役目を。今まで好き勝手言ってきた妹としてのせめてもの贖罪です」
妹からの優しい言葉
普段であれば、それをヴェルナーは受け入れなかった。
ただ、今は別だった。
自分の感情さえ隠しきれなくなっていたヴェルナーには、その言葉を跳ね付ける事は出来なかった。
「本当にすまない。本当に……」
ヴェルナーは妹を力強く抱きしめ静かに涙を零す。
クリティア最初こそ戸惑っていたが、次第に嬉しくなり負けない位強く抱き返す。
心の底から嬉しいとクリティアは感じでいた。
兄から頼られる。
それはクリティアにとって生まれて初めての経験だったから。
■
「では、彼女を頼みますよ」
「確かにメリス様は再生を遂げるでしょう。しかし、これではディエス様が……」
黒いローブを纏った男たちの前で、ディエスはただ優しく微笑んでいた。
「いいのです。これは私が撒いた種。責任を取るのは私だけで構いません。何より貴方達は組織を再編し、メリス様の復活に備えてください。その為の時間稼ぎです」
「……分かりました」
ローブを纏った男達は皆一様に頭を下げる。
中には涙を零している者もいる。
永遠の別れ。
ディエスは目的の為に、最善かつ確実な方法を実行しようとする。
例え自らの命を散らす事になっても。
それをここにいる全員がそれを理解していた。
「何人もの同胞が同じ経験をしてきたはずです。今回その役目が私に回ってきただけの事、悲しむ必要はありません」
「ディエス様……」
「皆さんのおかげでここまでこれたのです。後は皆さんに託します。今まで困難が報われる時が来るのですよ。もっと嬉しそうな顔をしてください」
ディエスは優しく微笑む。
その言葉に、ローブの男たちは一人一人頷き、決意をより硬い物へと変えていく。
「今までよく仕えてくれました。私は結果を見届ける事は出来ませんが、後はお願いしますね」
ディエスはゆっくりと頭を下げ、ローブを纏った男たちの前から立ち去る。
残された男達はその背中を見送りながら、ただただ頷いていた。
「ディエス様!!」
「俺たちに何か、何か出来る事はありませんか?」
建物を出たディエスに大勢の人が詰め寄ってくる。
それは元奴隷。
戦争に行き、帰ってこなくなった元奴隷達の家族だった。
「いいのですよ。貴方達は全てを忘れて幸せになりなさい。この帝都は炎に焼かれることはありません。オーランドの軍には皇帝がいます。皆さんは反旗を起こさなければ元の生活位には戻れるはずです」
ディエスは集まってきた人々にそっと微笑みかける。
これから起きる出来事は、帝都に住むものであれば全員が知っていた。
大々的に宣伝されていたから。
例え、結果どうなろうが帝都が炎に焼かれることはないとも付け加えて。
それに安堵した住民達は1人や2人ではない。
少なくない人間が帝都を実質的に支配するディエスに感謝していた。
「出来る訳がない!!!親父を……兄ちゃんをあんな風に殺されて、俺はのうのうと一人生きていられる訳がない!!」
ディエスの言葉を一人の少年がかき消す。
その少年はディエスと共にオーランドとの戦争を目撃した一人でもあった。
「……皆さんもですか?」
少年の後ろに佇む人々は皆一様に首を縦に振り答えていた。
「やめなさい。復讐は何も生みません」
ディエスは小さく首を振り、奴隷達の元を去ろうとする。
そんなディエスの裾を少年が力強く掴み、引き留める
「それでも!俺はあの奴隷王に一矢報いたい!服わなきゃいけない!!!」
そう叫んだ少年の目から涙が零れる。
その目には、暗く鈍い復讐の光が宿っていた。
「本気なの……ですね?」
「はい!」
「生半可な覚悟ならやめるべきです。今なら引き返せます」
「覚悟なら出来てる!あの戦争を見た時から!」
「命を賭けられますか?人として最低な方法を取らなければならない可能性もあるのですよ?」
「一矢でも報いれるのなら、命なんていらない!!」
周りの民衆もその少年と同じ気持ちだと、声を上げていく。
「もう決意は変わらないのですね……」
「絶対に変わる事はありません」
少年はディエスを真っすぐに見ながら答える。
その姿をみたディエスは大きくため息をつく。
「わかりました。その気持ちに最大限答えましょう。どうか皆様の力……いえ、命を私に貸してください」
「「はい!!」」
短く、そして強い答え。
それが変わる事のない、彼らの決意を表していた。
「ありがとうございます」
ディエスは頭を下げる。
奴隷達にディエスはただ変わらぬ笑みを浮かべながら。