3-9
「今思えば、全ては仕組まれたこと……なのですね」
リティがポツリとつぶやく。
薄く明るくなった夜道をリティとルーチェ。
二人は並んで歩いていた。
「あ?仕組まれた?」
「ええ……私は自分自身が戦争の原因を作ってしまった。そう思っていました。ただ、それは数多ある可能性の一つに過ぎなかったのですね」
リティは深く息を吐き、ピタリと足を止めていた。
その息は白く、これから始まる厳しい季節の到来を告げていた。
「……私はどうしたらいいのでしょうか?戦争が起きる理由、そして私の国の民も兵士達もそれに利用されている。それがわかっているのに、何も出来ることはありません」
「なんだ?珍しく弱気だな。いつもなら皆を救うとか息巻いてる所だろ?」
ルーチェは軽口を叩き茶化す。
いつもであればその言葉にリティは反論し、時には怒る。はずだった。
「今日初めて恐怖しました」
リティは反論することも無く
ただ、空を見上げ白い息をもう一度ゆっくりと吐き出す。
「私は龍と目が合った瞬間、恐怖に囚われ動く事すらできませんでした。そして、心の底から凄いと思いました。あんな強大な存在に立ち向かっていける貴方とフィスを。そして自分を恥じました。私はなんて身勝手だったのか。と」
「本当にどうした?」
ルーチェは初めて気がつく。
リティの態度がいつもと違う事に。
リティは自身を小さく抱き、よく見れば小さく震えていた。
「私は過去にフィスに戦え。と言いました。力があるのだからそれを弱いものへ差し出すべきだと。でも、実際に私はあの龍に睨まれただけで腰を抜かし、恐怖に怯えてしまいました。そんな情けない存在なのに、偉そうにフィスには命を賭けて戦えと命令ました」
「そうだな」
ルーチェは足を止め、まっすぐにリティを見つめる。
そして小さな口をゆっくりと動かす。
「最低だな」
配慮や、慰めなどないルーチェの心からの言葉。
それは容赦なくリティの心を貫いていた。
「容赦ないですね」
リティは反論すらしなかった。
リティはどこか期待していた。”そんなことはない”と否定される事を。
しかし、その淡い期待は簡単に崩れ去った。
ルーチェは嘘をつかない人間だから。
「私は……」
リティの白い吐息は空へと消えていく。
その彼方を見つめ目を瞑る。
暫くの間を置き覚悟を決めたように目を見開く。
再び正面からルーチェと見つめ合うために。
「私は城では嫌われていました。邪魔者、厄介者。そんな事を言われ続けてきました。当時は理由なんてわかりませんでしたが、今ははっきりと分かります。私はどれだけ無知で傲慢だったのか」
過去の自分がいつも考えていたこと。
何故自分だけがこんな仕打ちを受けるのか、どうして皆は助けてくれないのか。
そんな事をずっと考え、呪い、嘆いていた過去がある。
まさかその責任が自分にあったなどと、リティは認めたくも無かった。
「正義を叫び。人に正義の行使を要求するくせに、自分は何もしない。戦うどころか、命を懸けて立つ事すらままならない。あるのは家の名前と地位だけ。どれだけ私は嫌な人間だったのか。今ならはっきりと分かります」
「……そうか」
ルーチェはその告白にも似た懺悔をただ聞いていた。
否定する事も、肯定することもせず
「だからでしょうね。家が傾けば私など一番に蔑ろにされる。当然です。私には家の名前しかなかったのですから」
リティは語っていく。
城での出来事を。
腫れ物として扱われ、聞こえるように陰口を叩かれ。
時には命まで狙われたことを。
そのリティの告白を、ルーチェはた黙り、真剣に耳を傾けていた。
「っ!すいません。つい熱く」
「いや、いいよ」
面白くもない話。
それをただ永遠と一人話していた事にリティが気がついたのは、しばらく経った後だった。
「まぁ、よ」
ルーチェはリティに笑いかける。
とても優しく慈悲に溢れた表情で。
「ほんとお前は嫌なやつだったからな。はじめてフィスと会ったときなんて、何故この者を捕らえないのです!なんて言ってた位だしな」
直後には、ルーチェは大きな身振りを加えリティの真似をする。
歯を見せシシッと笑い、その様子に思わずリティも釣られ噴出してしまう。
「それは確かにひどいですね。一度でいいから実物を見てみたいです」
「水面を見ろよ、いつでも見れるぜ?」
「そうですね、男女の貴方と違い、私はよく身なりを整えますから、チャンスはありますね」
「言ったな」
ルーチェはリティを小突く。
ルーチェは慰める事はしなかった。
それどころか、リティの過去の消し去りたい事実を面白く再現していく。
それが二人には堪らなく面白かったのか、気が付けば声を出し笑いあっていた。
「ふふっ、初めてです。こんな馬鹿みたいに笑ったのは」
「だな。後俺に丁寧な言葉使いは不要だ。まどろこっしくて寒気がする」
「そうですか?出来るかわかりませんが、がんばってみます」
ルーチェが言葉を教え、それに釣られリティも砕けた口調になっていく。
ほんの僅かな時間が、二人の間にあった大きな壁をいつの間にか壊していた。
「ねぇルーチェ。私はこれからどうしたらいいの?私の父や兄が戦争に巻き込まれ人を滅ぼす神がよみがえろうとしている。それなのに私に出来ることなんて何も無い。本当に役立たず」
「いいじゃねぇか、役立たずで。今はそれは分かっただけでも僥倖だろ」
「それはそうだけど」
「なら、これからは村を安定させ、皆が生きていける環境を作る。それに専念しろ。リティにはそれしか出来ない」
「私には村で過ごす位が関の山だということ?」
いつの間にか二人はお互いを名前で呼び合っていた。
「違う。皆の希望になれよ、皆を救う道しるべに」
「道しるべ?」
「ああ、もうどうやったって戦争は起きる。それは俺達じゃ変えられない。でも戦争が起きれば、その皺寄せを食らい不幸になる人間は必ず出る。なら、その人たちを一人でも多く救ってやれ。ここで俺達がやっている事を同じように一人でも多く分けてやれ」
「それは……」
「人っていうのは案外単純だ。一つでもいい明るい希望があればそれでいいんだよ。どんな絶望に陥って世界が憎しみで満ちていても、たった一つでいい。希望があれば人は笑って生きていける。それは邪神の復活を阻止する一番の方法のはずだ。戦場で戦えないなら、違う方法でもっと大きな相手と戦えばいい。自分が大切だと思う物、その為なら人は龍とだって戦えるんだ」
ルーチェの言葉。
それは何よりも説得力があった。
「これはフィスは勿論、リティの父親や兄弟にだって出来ない。ここでリティにしか出来ない芸当なんだ」
大切な人の為に、龍と戦い、生き残った人間が発した言葉だったから。
「……そうかもしれませんね」
リティはフッと笑う。
さっきまで心に圧し掛かっていた重りが落ちた、軽くなった気がする。
「貴方偶には良い事いますね」
「たまには余計だ」
「だから、フィスは貴方に惚れているのでしょうね」
「あぁ?当たり前だろ?」
何言ってんだ?そんな感じでルーチェは返す。
「でも、私はフィスを諦めませんから」
「好きにしろよ。でも、フィスは渡さない。絶対に」
そんな二人の間から、朝日がゆっくりと上っていく。
いつの間にか、辺りは淡い朱色と眩しい位の光に包まれていた。
その暖かい光の中で、二人は楽しそうに笑い合っていた。